4話
「今回も物的証拠は何もなし、か。一体どんな手品を使えばそこまで綺麗に証拠を残さずに現場から立ち去れるんだッ!!!」
現場の検証を引き続き部下たちに任せ、憲兵隊の本部のハーグルの自室にて情報の整理をすることにした二人。そんな最中に上がってきた経過報告書に目を通しながら忌々しげに壁を蹴るハーグル。毎度毎度こうも綺麗に証拠も残さずに殺人を重ねられ、ついには大胆にもギルドの一つを潰すにまで増長されていることがどうしても許せなかったのだ。それよりもそれに対していつまでも手をこまねいている情けない、無力である自分がもっと許せないのである。
「落ち着けハーグル。ないものを悔やんでもしょうがないだろ。奴の犯行後の異常なまでの証拠を残さないことはお前だってわかっているはずだ」
「あぁわかっているさ。だがあれだけ殺人を重ねているにも関わらず毛髪から指紋の一切を残さずに毎回現場を後にしている奴の手がかりをどうやって掴めばいいんだ?」
病的なまでに現場に何も残さないことがここまで自分たちを苦しませるものになることになるとは。そんな表情で冷めきった珈琲を、喉元まで出かかっていたドス黒い感情を奥深くに沈めるように一気に飲み干す。新しい珈琲を淹れるか?というルゴールの提案を断り、椅子に深く腰掛ける。年季の入った木製の椅子の「ギィィ…」と乾いた音が部屋に静かに響く。
「ふと思ったのだが、なぜ今回『顔剥ぎ』はこの規模の殺人を犯したんだ?最初とされるあの大規模な殺人から三年。その間に細々と殺しを重ねていた奴が何の心境の変化があってまたこの規模の殺人に踏み切ったって言うんだ?」
「異常者の心境なぞ我々一般人が理解できるわけもないだろ?だがまぁそう言われてみれば大胆に過ぎるな今回は。……今まで起きた『顔剥ぎ』関連の事件をもう一度洗い直す必要があるのかもしれないな。手伝ってくれるか?」
「騎士達の指揮は副団長に任せるとしても、騎士団長として陛下の警護を離れるわけにはいかない。少し考える時間をくれ」
「忙しい身であることを重々承知の上での身勝手なお願いだ、いくらでも待つさ。すぐにでも王城に帰るのか?」
「いや、もう一度現場に戻ろうかと思っている。見落としていることがあるかもしれないしな」
それは一理あるな、とハーグルは賛同したものの今回の事件の現場周辺に人員を割いていることもあって彼自身も王都の警備に急遽当たることになっているため彼は同行出来ない。「顔剥ぎ」が同日に殺人を起こした事例はないと記憶しているが、今回の事件の異常さを鑑みて万が一のことに備えるべきであると、先の幹部級の会議にて決定した故の措置である。幹部達が出張ってもなお足りない人員は騎士団から借受けることができると言う言質を、会議に着いてきていたルゴールから貰ったことも非常に大きい。
「また手伝えるかの報告には来る、お前がここにいる日を伝令か誰かを使って教えてくれ」
「わかった。所在は王城の騎士団本部宛で大丈夫だな?」
「あぁいつも通りの場所だ、よろしく頼んだぞ。ではまた」
「またな」
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現場へと歩を進めるルゴール。太陽は既に地平線の下にその姿を隠し、夜の帳が下りる。
街路を照らすのは民家から漏れる灯りと、巡回中の憲兵や騎士が持つ携帯照明の心許ない燈りだけである。いつもならここに月の明かりもあるのだが、今日は生憎の曇り空のようで人を欝屈させそうな灰色が見渡す限り空の果てまでを覆う。王都の人々の心中を表しているようにも考えてしまうのは、自分が感傷的になっているからなのだろう。私情を振り払う意味も込めて一度、自身の頬を引っ叩き現実を見る。彼がいる通りは王都の中でもそれなりの規模を誇っていたあのギルドが面していることもあり、この時間から本格的に賑わいが出る筈なのだが、今日の事件を受けて表を出歩く者の姿どころか営業している店すらない。仕事終わりの一杯を求める冒険者や、職員達が陽気に杯を空けるあの光景が脳裏に浮かぶ。周辺に住む住民達も店を訪れ立場なんてものを忘れて大騒ぎするその声が耳の奥に響く。お得意さんである冒険者や被害を免れたギルド職員があの様子だと、ここ一帯に活気が戻るには相当時間がかかるか、そのまま衰退していくかの二択であろう。叶うことならどうにか乗り越えて欲しいと思う。
「巡回ご苦労。何か異常は?」
「お疲れ様であります!異常は特に見受けられませんでした!」
「うむ、それならば引き続き巡回を頼んだ」
「はッ!」
若い騎士を捕まえ異常がないことを確認した後に、目的地である現場となったギルドの中へと足を踏み入れる。事件発覚時に踏み込んだときよりかは幾分かは強烈な血生臭さが緩和されていた。が、ギルド内の空気が異常に冷たく感じられるのは厳冬の夜だからというわけではないだろう。どうにも犠牲者の未練や恨みがこの空間を漂っているのではないかと錯覚するほどに背筋に冷たさが走るのだ。何の罪もない彼ら彼女らが、ただ標的になったからというだけでその命を惨たらしい方法を以って殺されたのだ、この世の全てを呪うのも無理はないのか。
「経過報告書によればギルド長室だけ大きく荒れていた、とあるな。恐らくラムが殺人鬼と対峙した場所だろう」
そう呟き、血が染み込み赤黒く変色した階段を慎重に上がる。今にも染み込んだ血が滲み出てきそうな水っぽさを含んだ木と木の軋む音が無人のギルドに木霊する。ギルド一階の広間が見えるようにと彼たっての希望で改装された二階に位置するギルド長室。何度か出入りした記憶もあり、最も新しい記憶はそれこそ「顔剥ぎ」の依頼を持ってきた時である。
あの巌窟とも称された筋骨隆々な図体は、初対面の人間から漏れなく敬遠されがちなあの男ではあったものの、根は実直で謙虚。それでいて他人思いの本当に良い奴でありギルド職員だけでなく冒険者達からも慕われる親父のような存在であると耳にしたことがある。一連の「顔剥ぎ」が絡んだ事件には心を痛めており「ギルドとして何か手伝えないか?それが無理なら俺個人としてでも役に立てないか?」と騎士団本部に直談判して来るほどだった。重い腰をあげた陛下からの書面を持ってギルド長室に訪れた時の、正式にギルドに依頼が来たと知った時のあいつの使命感に満ちたあの顔を、闘志を燃やす眼を生涯ルゴールは忘れることはないだろう。