3話
ギルドに近付くにつれて嗅ぎ慣れた、しかしこのような場所でしてはいけない臭いが二人の鼻の奥を刺激する。
「な、なぁ」
「あいつが……あいつが現れたんだよ!!!」
近くにいた顔馴染を捕まえ何があったかを聞く前に半狂乱となった中堅の冒険者が叫んだ。そう叫ぶ彼の顔はには憤怒と悲哀の混じった深い絶望の色が見てとれた。慟哭に近い叫びを聞いた為か、冷静さを取り戻し辺りを見回すと冒険者達が路地裏などで胃が空っぽになってもなお、未だに何かを思い出して吐き出している姿が視界に映った。口の端から泡を吹いて気絶している冒険者までいる始末。何かただならないことが起こっているのだと直感した二人は、何が起きているのかをこの目で見ようと、人垣をかき分けて前へ前へと進む。
その先で彼らを待ち受けていた光景は「地獄絵図」という表現すら生ぬるいほどの凄惨な現場であった。
立ち入り禁止の木の囲いの内側、憲兵隊や騎士団たちが忙しなく作業するギルド一階の大広間。一仕事を終えた冒険者が愛飲する発泡酒や醸造酒が置かれる長机の上には、夥しい数の生首が几帳面にも等間隔で並べられていた。顔は全員剥かれ、誰が誰かを判断することさえ難しい状況。アインザックは体の奥底から一気に押し寄せる吐き気を必死に押し殺していたが、「あっ」という見てはいけない物を見てしまったかのような声をあげたのは他でもないクエンであった。
並べられている首の中に見覚えのあるイヤリングをした一体を見つけてしまったのである。今日はたまたま遅刻していてきっと無事なはず、彼女の性格上そんなことがあり得るわけがないことなどクエンは頭では理解していた。しかし現実を受け入れられない人間の脳というものは、あるはずのない希望を作り出しそれに縋ってしまう。彼もそんなあるはずのない「もしも」に逃避する。
だが現実は無常である。逃げ出した者の目に抗うことのできない現実を映す。顔は剥がされていようと見紛うことのないあのイヤリング。一方的に渡した物であったが、欠かさず着けてくれていたあのイヤリングの持ち主を間違えるわけがない。彼女は、リーファは殺されたのだ。
「あああああぁぁぁぁぁ……あああああぁぁぁ、リーファぁぁぁぁぁ…リーファァァァァああああアアああ!???」
変わり果てた思い人を前にして正気を保ってられるほど彼は強くはない。いとも容易く彼の精神は音を立てて崩れ始めた。膝から崩れ落ち頭を、拳を地面に叩きつけ慟哭する。額が割れようとも、指が折れようともおかまない無しに行き場のない怒りと悲しみをひたすら地面に叩きつけるしか今の彼にはできない。そんな彼を止める者はいない、否できなかった。
「この場は憲兵隊と騎士団に任せて、俺たちは帰るぞ。ここにいてもあいつらの邪魔になるだけだ」
そう発言したのはこのギルドの古株の冒険者。その言葉に従うようにギルドの外にできていた人だかりは重い足取りで帰路につく。アインザックと未だに慟哭を続けるクエン、その他数人の放心状態の冒険者だけがその場に残された。
「アインザック、クエンを無理矢理にでもいいからここから連れ帰るんだ、いいな?」
「……はい」
「儂も未だに悪い夢を見ているんじゃないかと思う。だがこれはどうしようもないほどにタチの悪い現実なんだよ。まさか…まさか、ギルド職員を鏖殺するなんて誰が考えるよ……。当分の間儂らは開店休業だ。気持ちの整理がつくまでに時間がかかる者は多くいる。困ったことがあれば儂を頼るといい」
「……はい、ありがとうございます」
「クエンは……リーファ嬢ちゃんのことはやるせないな……」
その後、古参の冒険者といくつかの会話をし、涙と声が枯れ魂の抜けた人形に変わり果てたクエンを担ぎアインザックは地獄を後にした。
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現場を後にするアインザックたちを見送るのは、王国騎士団にのみ着用を許されている特別なプレートアーマーに全身を包んだ長身頑強の男。その傍に佇むのはチェインメイルを着込み、その上から黒を基調とした憲兵隊服を羽織る長身痩躯の男。二人の目には先ほどまで狂ったように慟哭していたクエンの姿が焼き付いていた。
「恋人だったのかねぇ、泣き叫んでいた彼が呼んでいた名前の子は。……とは言え若いのを連れてこなくてお互い正解だったな。この地獄の光景には俺たちでさえ来るものがあるってのに、そんなものに耐性のないあいつらは耐えれねぇからな」
「思い人であったことに間違いない。彼の心中を察することなんて誰にもできやしないが、願わくばこの悲劇を乗り越えて強く育ってもらいたいものだな。にしても俺も部下も凄惨な現場ってものはそれなりに見てはきているが今回は別格だ。地獄という言葉ですらこの惨状を表すには軽いとすら思える。……これは同じ人間がすることなのか?」
事件発生の第一報を受け駆けつけた憲兵隊司令官ハーグル=フォン=ヴルームに、憲兵隊からの報せを受け現場に臨場した騎士団長ルゴール=フォン=シュトロームベルクは現場の凄惨さを改めて目に焼き付ける。お互いに凶悪犯罪者と対峙してきた経験もあれば、残虐非道な行いをしていると思しき場所に乗り込み摘発した経験も持つ。それなりに人間が持つ「悪」や「闇」には触れてきているつもりではあったが、ここまで突出した底知れぬ「悪」が存在したのかと恐怖感すら覚える。
「お話中のところ失礼いたします。司令官、被害者総数が判明しましたので報告に上がりました。被害者は三十七名に上ります。そのうちギルド長であるラム・カイン氏も殺害されていることがわかりました。以上です」
「報告ご苦労、引き続き現場の検証あたってくれ。……そうかラムが死んだか」
「殺人鬼如きに遅れをとるような男ではないはずなのだが、相手は我々が想像している以上に厄介な相手ということか。この城下町で五十人以上を殺めている時点で厄介にすぎるとは思っていたが、認識を改める必要があるな。今一度警戒心を持って街の哨戒にあたるように通達する必要があるな」
憲兵から上がってきた報告の中にあった同級生の男の思いがけない死の報せに面を食らった様子の二人。少しばかり感情が揺れ動いたようにも見て取れたが、すぐに感情を押し殺し私情を仕事に持ち込むことがないのは組織を束ねる長としてあるべき姿であろう。通称「顔剥ぎ」による類似する殺人が最初に起こってから三年が経つが、ここまで大規模な犠牲者を出したという記録も記憶もない。この事件が起きるまでで最も多くの犠牲者を出したのは、それこそ「顔剥ぎ」最初の事件とされる「修道女惨殺事件」の十五名が最多。