8話 絶対強者
(む? あれは……)
ゴーレムを倒し、新たなスキルを手に入れたことで「にゃんにゃん♪」と上機嫌に歩いていたベヒーモスの視界に、あるものが見えてきた。
金属製の箱だ。
そして至る所が装飾されている。
通称“トレジャーボックス”。
迷宮はモンスター以外にも稀にこういった、箱を生み出すことがある。
中には強力な武器や高価な宝石などが入っていることがあり、これを見つけただけでひと財産掴めることすらある。
モンスターを狩り、その素材を売り買いすることで生計を立てるのが冒険者稼業というものだが、その多くはトレジャーボックスを見つけ一攫千金得る未来を夢見ているのだ。
だが、トレジャーボックスに巡り会える確率は非常に低い。
生涯を冒険者として過ごしても見つけられない者がほとんどだ。
ベヒーモスがトレジャーボックスと巡り会えたのはまさに奇跡と言えよう。
(とはいえ、我が輩にはあまり関係ないか……)
強力な武器や、財宝を手に入れてもモンスターとして第二の生を受けたベヒーモスにとっては使う道はない。
だが、それでもベヒーモスは中を確かめようと、器用に二本足立ちし、ぷるぷる震えながら箱を押し開ける。
見つけたからには何かを確かめたい。
元人間の性というものだ。
キィ……と軋んだ音を立て、箱は開いた。
そして中には――
(ふむ。金剛石か、実に美しい)
箱の縁に飛び乗って中を覗き込むベヒーモス。
そこには拳大の金剛石があった。
色は白と透明の中間といったところ。
だが、仄暗い迷宮だというのに幻想的な光を放っている。
使い道はなさそうだが、せっかくだ。
記念に頂くとしよう……
そう思い、ベヒーモスが金剛石に触れた瞬間、事は起きた。
ぐらり――
ベヒーモスの視界が……否、周囲の空間が揺れ始めたのだ。
(何事だッ!?)
突然の異変に動揺するベヒーモス。
それと同時に、「このままでは何か危険だ」
そう判断し、その場から飛び退こうとするが……
(ダメだ。体のコントロールが利かぬ! いったいなんなのだ……!?)
歪みはベヒーモスを逃さなかった。
やがて歪みは渦に変わった。
ベヒーモスは焦りとともに、渦の中へと飲み込まれていく……
◆
(ここは……どこだ?)
渦に飲み込まれて少し――
ベヒーモスは暗闇の中に立ち尽くしていた。
今までいた場所とは空気が違う。
肌にピリピリとするような刺激……プレッシャーのようなものを感じる。
その事実に、自分は先ほどまでとは別の場所に来てしまったのだと、ベヒーモスは本能で理解していた。
実は、ベヒーモスが見つけた金剛石はただの金剛石ではない。
その正体は魔法石、“転移結晶”だったのだ。
転移結晶とは、触れた対象を同じ迷宮内の他の場所へと転移させるマジックアイテムだ。
入り口付近に出るのか。
あるいは最下層へと出るのかは分からない。
転移先はランダムなのだ。
だが、結果はロクなものではないだろうとベヒーモスは確信している。
理由は先ほどから肌に感じるプレッシャーのようなものだ。
間違いなく自分よりも上位の存在が近くにいる。
そして、それには絶対に見つかってはならない。
ベヒーモスは本能でそれを感じ取った。
『いつまで我の上にいるつもりだ。脆弱なる者よ――』
(――ッ!!??)
底冷えするような、野太い声が響き渡る。
ベヒーモスの毛が一気に逆立った。
それと同時。
足場が勢いよく上昇していく感覚に襲われる。
事実、足場……否、それは上昇していた。
あまりの勢いにベヒーモスはバランスを崩し振り落とされる。
ベヒーモスの体がしなやかで良かった。
もし人の身であったならば、着地に失敗し大怪我は免れなかっただろう。
(こ……こいつは……!!)
そこでようやく気づいた。
先ほどまでの自分の足場、そこがとんでもない存在の体の上であったのだと。
目の前にそびえ立つのは――
土色の、爬虫類を思わせる鱗に覆われた巨体。
筋肉で膨れ上がった4つの脚、そこから伸びた鋭い爪。
丸太のように太く、そして長い尻尾。
そして、鋭い瞳に万物を噛み砕く巨大な顎門……
その者の名は“アースドラゴン”。
数あるドラゴン族の、その頂点のうちの1つとして君臨する絶対強者。
すなわち、Sランクモンスターの一角だ。
『我の眠りを妨げた罪……万死に値するッ――!!』
驚愕するベヒーモスを他所に。
アースドラゴンは前足を振り下ろしてきた。
ドラゴン族はプライドが高い。
自分の頭に乗られたなど到底許すわけがない。
ベヒーモスの死をもって、断罪とするつもりのようだ。
とっさにベヒーモスは飛び退くが……ダメだ。
アースドラゴンの振り下ろしがあまりに速すぎる。
回避が間に合わない。
(ならばこれだ……《アイアンボディ》ッッ!!)
回避がダメなら防ぐまで。
ベヒーモスは先ほどゴーレムから奪った、《アイアンボディ》を発動する。
アースドラゴンの剛爪。
ベヒーモスの鋼鉄の体がぶつかり合う。
そして――
ザク……ッッ!!
嫌な音が響き渡った。
(馬鹿……な……)
驚愕に目を剥くベヒーモス。
その腹部には一本の太い亀裂が入っていた。
体を硬化しているとはいえ、痛覚はある。
ベヒーモスの体を激痛が支配する。
『グフフ……我の爪を受け生き残ったか、褒めてやろう。だがこれまでだ』
一撃必殺の剛爪を受けて尚、息のあるベヒーモスに。
アースドラゴンは顎門を歪め、称賛する。
だが、それと同時に激痛で動けずにいるベヒーモスへと顔を近づけ、顎門を開く。
顎門から粘度のある唾液が……
喰らうつもりのようだ。
(ここまでか……)
ベヒーモスは悟る。
たとえ逃げ出そうとも、この体ではすぐに追いつかれてしまうだろう。
だが、タダでは殺られんぞ!
迫り来る顎門を前に、キッと牙を剥く。
『グアアアァァァァッァァァァ――――ッッ!!??』
次の瞬間、絶叫が響き渡った。
アースドラゴンによるものだ。
よく見れば、左目から出血しているのが見れる。
(ククク……ドラゴン相手に一矢報いてやったぞ)
苦痛に顔を歪めつつも、ベヒーモスは満足げに笑う。
食われる直前。
ベヒーモスは《属性剣尾》がひとつ、《エーテルエッジ》を発動していた。
アースドラゴンは手負いとなったベヒーモスに油断し、不可視の刃に気づくことなく顔を近づけ、その瞳を貫かれてしまったのだ。
絶叫し、のたうつアースドラゴン。
そのすぐそばで、ベヒーモスが横たわる。
あとは最期の時を待つばかり……
その顔は不思議と穏やかだ。
(む……あれは……!!)
だが、そんなベヒーモスにひとつの光明が差した。
(天井が……天井が吹き抜けになっているぞ!!!!)
そう、アースドラゴンのいる空間。
その天井の一部に大きな穴が開いていたのだ。
苦しげな声を漏らしながらベヒーモスは《飛翔》スキルを発動する。
おぼつかない羽ばたきだが、なんとか飛んでみせる。
アースドラゴンがそのことに気づいた。
逃すものかと爪を振るう。
間一髪――
ベヒーモスのすぐ下を爪が通り抜けていく。
『オノレェェェェェェェェェェェェッッ!!!!』
アースドラゴンの呪詛が木霊する。
アースドラゴンは地属性のドラゴン族。
その背に翼はなく飛ぶことはできない。
ベヒーモスは逃げおおせたのだ。
◆
「はぁッ、はぁッ……」
息を上げ逃げ惑うベヒーモス。
後ろからは複数のモンスターが追いすがってくる。
どこまでも続くかと思われた吹き抜けを飛び切り、とある階層へとたどり着いた。
だが、アースドラゴンからは逃れることはできたが、敵はそれだけではない。
手負いのベヒーモスを見て、ゴブリンが襲いかかってきたのだ。
ゴブリンとはいえ数がいれば、手負いのベヒーモスにとっては十分に脅威になる。
駆けることしばらく――
ベヒーモスはゴブリンどもを撒くことに成功する。
(ぐ……もうダメか……)
だが、そこまでだった。
とうとう体力と気力の限界を迎えたベヒーモスは、その場に崩れ落ちてしまう。
(ああ……もう少しで、迷宮の外へ出られたかもしれないというのに)
吹き抜けの先に続いていたこの階層。
出てくるモンスターはゴブリンばかりだった。
その事実にベヒーモスはこの階層が迷宮の出入り口付近だと気づいていた。
だというのに、自分の体はもうもたない。
悔しげに顔を歪める。
カツッ、カツッ――
そんなベヒーモスの耳に何やら足音が聞こえてきた。
硬質な音……靴音だろうか。
であれば人――それも冒険者のはずだ。
(瀕死の我が輩を見つけたら、間違いなく狩られてしまうであろうな……だがいい。モンスターに殺されるくらいなら遥かにマシだ……)
ベヒーモスの意識はそこで途絶えた。