第二章「恋心」3
ぱしゃっと水のはねる音が聞こえた。
ロイが風呂から出たのだと分かった。
続いて下着を身につける小さい衣擦れの音がレイルの耳をくすぐる。
息が荒くなる。
ペタペタとはだしが歩く音が近付いてきてレイルはめずらしく動揺した。
なぜ...こっちに...俺の部屋だぞ...
ガチャっと自室のドアノブが回される。
「あっ...あれ?開かない...」
ガチャガチャという音と共に少女の慌てた声がすぐそばで聞こえてくる。
息をつき立ち上がる。
ドアを開けると寝間着姿のロイがそこに立っていた。
濡れた雫が髪から肩にかけたタオルに落ちる。
「ごっ...ごめんなさい!」
自室とレイルの部屋を間違えたのだと気付き、ロイはきびすを返そうとした。
がしっとその腕をつかむ。
いつの間にかレイルは少女の腕をつかんでいた。
「え?」
驚く彼女にレイルは、はっと我に返る。
「あの...困ります...私...」
少女は頬を染め困惑したように顔を伏せる。
レイルは少女が言わんとしていることを察し、目をそらした。
「寂しいの?」
そんな彼の顔をロイが覗き込んだ。
「え?」
「だって今日のレイルさん...なんだか寂しそうな顔してる...」
レイルは思わず自分の顔を触った。
そんな彼の横を通り彼女は部屋に入って行き、レイルのベッドの上に座った。
「昨日そばにいて話聞いてくれたから、今日は私がレイルさんのそばにいるね」
そんな彼女をレイルは唖然と見つめた。
「え?そこで寝るの?」
レイルがいつものように壁に寄り掛かり眠ろうとすると、ロイが小さく驚く。
「ベッドがあるんだから、こっちで寝たほうがいいよ」
彼女はにこやかにポンポンと自分が座るベッドのすぐ横を叩く。
レイルは少女に言われるがまま、そこに座った。
「大丈夫...レイルさんは何かするような人じゃないから...けど...私...レイルさんになら...」
少女は消え入りそうな声と共に布団の中に潜り込む。
彼女の中でレイルはすっかり助けてくれた恩人になっていた。
レイルはどうしようか迷ったが、意を決し彼女の横に身を横たえた。
そのまま目を閉じ眠ろうとするが眠れない。
ふと、自分の体に細い腕が伸びる。
少女がそっと身を寄せてきていた。
「私も寂しいの...だからこうして寝てていい?」
「あ、ああ...」
レイルはぼうっとした頭の中、彼女にされるがまま身を任せる。
少女の体が徐々に近付いてくるのが分かった。
彼女の胸元の柔らかさが彼の腕に伝わってくる。
伝わってくるのは胸元の感触だけではない。
少女の細い足元が、腕が腰が太ももが...。
「ん...なにか...かたいのが...」
レイルははっとし素早く彼女から身を引き離した。
ベッドからも出て立ち上がる。
「出て行ってくれ...」
少女を背にし突き放すように言う。
「レイルさん...あの、私は...レイルさんになら...私...」
布団から起き上がる衣擦れが背後から聞こえる。
それにかまわずレイルは抑揚のない言葉を続ける。
「俺は明日、この家を出る」
「え?」
ロイが小さく声をあげる。
「大金がそこの机の上にある。しばらくそれで持つだろう。その後は、自分で生きてくれ...」
沈黙が二人の間を流れる。
少女が静かにベッドから足を床につける気配を感じる。
一拍おいて彼女は足早にドアを開け、去っていった。
去り際、少女の瞳から一筋の涙が流れていた。
バタンッ。
閉じられたドアに向かってレイルは思わず手を伸ばしていた。
しばらく経って、行き場のない腕をゆっくり下ろす。
彼女は泣いていた。
自分の言葉で傷つけてしまったのだろうか。
レイルは乱れたベッドに触れる。
そこにはまだ彼女の体温が残っていた。
「ロイ...」
レイルは一人つぶやいた。
翌朝、水の跳ねる音でレイルは目が覚めた。
ベッドの上に横たわり、昨晩ロイがかぶっていた布団を抱いていた。
ベッドで眠ったのは何年ぶりだろうか、すっかり熟睡してしまっていた。
レイルは身を起こす。
庭からまた水音が聞こえた。
レイルはそっとドアの小窓から庭を覗く。
石囲いの風呂から、ピンク色の髪と白い背中がこっちを向いていた。
「レイルさんになら...私...」
昨日の少女の言葉が頭の中で反芻される。
レイルは有無を言わさずそのままドアを開けた。
少女が振り返るのとレイルが彼女を抱きしめるのは同時だった。
「ロイ...」
「レイルさんっ...」
ロイは頬を赤らめレイルの腕に手を乗せるが、嫌がるそぶりは見せなかった。
レイルはさらに彼女を強く抱きしめる。
「ロイ...」。
「そばに...いてくれ...俺の...そばに...」
彼はうつろな黒い瞳でつぶやく。
「うん、いるよそばに...レイル...」
ロイは静かな落ち着いた声で答える。
「ずっと...いてくれ...どこにも...行かないで...くれ...」
「行かないから安心して...」
レイルの後ろ首筋に刻み込まれた古傷に、そっと彼女の指先が触れた。




