第一章「陰謀」3
少女が微笑みかけてくる。
ピンク色の長い髪をゆらし、細い指をワンピースの襟元にゆっくりと伸ばす。
汚れ一つない白い布がすべり落ちる。
はっとし思わず手を伸ばす。
少女よりも一回り大きい両腕が白い布をつかむ。
布は少女の腰で止まる。
少女は微笑む。
あらわになった二つの膨らみ。
くびれた腰の中央に位置する小さなくぼみ。
荒くなる自身の吐息。
危うい位置が見えるか見えないかまで下げられた布。
少女の指がそっと腕に触れる。
腕に力が入る。
少女がくすぐってくる。
目を閉じる。
真っ暗な闇に包まれる。
耳元に吐息がかかる。
「あいしてる」
腕の力がゆるむ。
布がすべり落ちる。
落ちた布が水に変わる。
水しぶきが地面に散る。
散ったしぶきに高層ビルの群れが映る。
ビルから見下ろした地面に数え切れないほどの人波が歩いている。
錆びたモノクロの人波。
モノクロの中で一人だけ色のついた人間が歩いている。
白髪に前髪左右一部分だけ青に染まっている若い青年。
マスクをし小柄な体型は上下とも水やほこりをはじくタイプの白いジャージに包まれている。
青年がふと立ち止まった。
人ゴミは彼がまるで見えていないかのように歩いているが、しかししっかりと避けて通り過ぎていく。
青年がこっちをゆっくりと向く。
目が合った。
青年が目を細める。
マスク付け表情が読み取れないが、笑ったことだけは分かった。
血しぶきが舞った。
彼の周囲の人間が殺し合いを始めた。
ナイフを懐から出して近くの女を刺す男。
刺された女が腹からナイフを引き抜き、それで他の女の背中を刺す。
金属バットで近くの人間を手当たり次第に殴りつける男。
狂ったようにひたすら銃を乱射する男。
怒号と悲鳴があがる。
脳漿が飛び散る。
人が倒れる。
倒れた分だけ、どこかからまた人がやって来る。
そんな中、白髪の青年は微動だにせずに、こっちをじっと見つめている。
だれ一人彼に触れようとせず、見ようともせず、撒き散らされた血液でさえも彼の体を避けていく。
青年の色の薄い瞳がアップになる。
眼光に一人の男だけが映っている。
ボロボロの黒いローブを身にまとった無表情な黒髪黒目の青年。
もっとよく見ようと目を細めると、黒髪の青年も目を細める。
何か言おうと口を開くと、黒髪の青年も口を開けた。
レイルははっと目が覚めた。
いつもの質素な狭い自分の部屋が視界に入る。
寝間着には着かえず、ベッドの上には寝ず、ローブのまま床に座り壁を背にするいつもの格好。
寝汗がひどかった。
悪い夢でも見たのだろうか。
レイルはそっと部屋から出た。
廊下に出ると夜風が彼の髪をなでた。
日は沈み月明りだけの薄暗い光が石畳の通路を照らしている。
しばらく歩いていると、どこかからカタンと物音がした。
通路に並ぶ一つの部屋のドアがかすかに開いており、そこから中の灯りが漏れ出ていた。
レイルは素早くドアの脇に移動しそっと覗く。
女がベッドの上に縛り付けられていた。
驚きながらも辺りを見回し、誰もいないことを確認すると部屋の中にさっと入った。
栗色の髪を肩で切りそろえ、縛られた女に見覚えがあった。
名は確かケーラといったその女の腹は膨れていた。
異様なのはそれだけではない。
羽根刃なら誰もが常に全身から放出されている魔力が、女からは全く感じ取れなかった。
普通の人間は気づけないが、同じ羽根刃はそれを感知でき、一度でも会っていれば放出される魔力だけで誰か特定できる。
「俺が分かるか?昔任務で一緒だった...」
レイルが話しかけるが女は口を開けるだけで何も言わない。
いや、言えないのだ。
歯を全て折られ喉をつぶされ...
レイルはいったん女から距離を取ると、ヒュッと見えない刃(魔力)を放つ。
女を縛っていた縄が綺麗に切断された。
カツンカツンカツンッ
廊下から靴音が迫り、レイルは部屋の中にある物置の陰に隠れた。
「まったく、羽根刃の男はお得だぜ」
足音と共にチャラチャラとした男の声が近付いてくる。
「それに比べて羽根刃の女はほんと、損だよなーあら?」
金髪碧眼の男が部屋に入ってきた。
レイルと同じ羽根刃の男だ。
名前は確かシェル・イロスといった。
「え?なんで縄ほどけてんのー?まだ魔力残ってたっけ?」
「いや、残ってなかったはずだよ。シェル・イロス君」
シェルの後ろからもう一人、髪を後ろに束ね大鳥国の軍服を来た男が入ってきた。
彼は羽根刃ではなく何の力も持たない普通の人間で、大鳥国の参謀シクス・エレイトといった。
レイルが今朝会っていた王ではなく、この参謀が実質大鳥国を動かしていると言っても過言ではない。
「誰かがほどいたんじゃないかい?」
「誰かって?この縄の切り口、羽根刃がやったってことかよ」
参謀の言葉にシェルが辺りを見回す。
レイルは息を殺す。
もう少し近付かれると、こっちの魔力に気付かれてしまう。
「まーいいやこの女飽きたしー、ぶっちゃけエレナとヤりてーんだけど、なーなんでエレナだけはダメなんだ?たしか羽根刃の女が魔力失うのって4、5人子供産んでからだよなー、だったら一度くらい間違いあってもいーじゃん」
「それは平均的な魔力を持つ羽根刃が子供を産んだ場合だよシェル・イロス君。エレナの母親はエレナ一人を産んで魔力だけでなく命も失った。この意味が分かるかい?」
参謀の言葉にレイルは耳を傾ける。
「もしエレナが彼女と同等かそれ以上の魔力を持つ子供を一人でも生んだ場合、死ぬってことさ」
カラン
かわいた音が部屋に響く。
レイルは注意を怠り、近くにあった鉄製の物体を蹴って転がしてしまっていた。
シェルと参謀は言葉を切り、レイルが身を隠す方を向く。
レイルは観念し姿を現す。
「やあ、レイル君だったのかい?彼女の縄を切ったのは」
参謀は大げさに両腕を広げ、驚いたように言う。
「今の話は、本当か?」
レイルの言葉に参謀はうなずく。
「聞いていたのなら仕方がない。うん。エレナくらいの魔力を持つ子供を産んだ母体は魔力も命も失うよ」
レイルは息をのむ。
参謀は続ける。
「けどいくらエレナでも魔力の低い羽根刃の男とでは、彼女以上の羽根刃が産まれるとは限らない」
「だから俺とエレナを組ませたのか?」
「うん、君は魔力も高いし、エレナも君になら警戒心をゆるめるからね」
「おいおい、その流れじゃまるでオレが魔力低いみてーじゃねーか」
シェルが話に割って入る。
「いやいや、シェル君が女癖悪いのはエレナも知ってるからねぇ...」
参謀が困ったように両腕を左右に広げる。
ふとレイルは、今だ全裸でいる女の元羽根刃に視線を向ける。
「彼女を、どうするつもりだ」
「もう羽根刃を産めない体になったからね。普通の人間として平和な暮らしを提供するよ」
「本当...か?」
「うん、力も声も失ったんだ。口封じに殺す必要はないだろう?」
参謀の言葉にレイルは黙った。
しかし何か納得がいかない。
「レイル君、大鳥国には逆らわないほうが身のためだよ」
そんなレイルの心情を知ってか知らずか、参謀は釘を刺す。
「...」
普通の人間になった元羽根刃の女、参謀、金髪の羽根刃が部屋から出るのを見送った後も、レイルはその場にしばらく立ち尽くしていた。