第八章「虚無」3
そのままの足で彼はディセンション部屋に向かった。
別に深い意味はない。
ただ、退屈をしのぎたかった。
ディセンション世界では、いつもの地獄絵図が展開されていた。
特に変わった様子はない。
いつものメンツの彼が嫌う大量の人間が、苦痛に見悶えていた。
しかしふと、気になるものが視界に入った。
大勢の男に囲まれた隙間から覗く、ピンク色の髪。
さっきまで悟理の部屋にいたはずの女が、ディセンション部屋に入っていた。
一瞬驚いたが、なんてことない。
ただ、偽りの存在だった彼女の事を悟理が気に入らないと思ったから、ディセンションしただけだ。
ふと隣に気配を感じた。
黒髪の天使が現れ、じっとディセンション部屋を見つめていた。
そんな彼の様子と、犯され拷問されているピンク色の髪の女を、交互に見やる。
いくら俺が創った女でも、何とも思わないの?
お前の妻だった女をモデルにしたようなもんだぜ?
そこまで考え、悟理ははっとした。
あった...真実の...愛...
ここに...すぐそばにっ!
彼の思考に合わせたかのように、黒髪の天使がこっちに目を向ける。
そんな彼に向かって、悟理は嬉しそうに微笑んだ。
「なーんだ!あったんじゃん!真実のあ...」
「いや、俺自身にも愛はない。天使に愛はない」
「え...?」
悟理は思わず、笑顔のまま固まる。
「なーに言ってんだよ。どんなに俺が罵倒しても、いっつも俺のこと優先して、いっつも俺のことだけ考えてたじゃん」
「それが俺の役目だからだ。そう設定されたからだ。前のお前が、物質世界で生きる際の道案内人として役目が遂行できるよう、人間が持つような感情や心は現れないよう設定している。したがってお前が欲するような愛は俺の中に存在しない」
悟理から笑顔が消える。
それに合わせるかのように、背景も暗転する。
「マジ...かよ...」
「ああ」
「俺を...今までサポートしてたのって、前の俺がそうするよう設定してたから?」
「そうだ」
「その設定がなかったら...お前は俺を...手助けようとしなかったの...?」
「手助けどころか、ここに存在すらしていない」
悟理は顔を伏せる。
「死ね...」
その口から小さくそうもれる。
「消えろ...クソ天使」
「...」
黒髪の天使は黙って彼を見つめる。
「もう、お前なんかいらない、完璧な世界になったんだ、お前の役目は終わったよ。さっさとディセンションしろ...魂与えてやるからさ、ディセンションして苦痛を味わえクソ天使」
自分でも驚くほど冷たい、冷静な声でそう言った。
「いや、ディセンションは出来ない」
天使も冷静な声で応える。
「お前が設定付けしたこの紙に、そう付け加えた。最後にお前にとって俺が必要になるからな」
言って手のひらに、悟理が世界を美しくさせるために書いた紙を出現させる。
「もしここに、そう設定していなければ、俺は当の昔にディセンションしている」
悟理は紙を覗き込む。
そこには、天使がディセンションしないようにしたものの他に、いくつか設定が付け加えられていた。
悟理が死に、次の別の魂の彼が誕生し世界を創造し、周りの人間を創る際、悟理をモデルには絶対に出現させないこと。
悟理が死んでも、また魂が物質世界を臨んだ場合、この美しい世界にまた生まれ変われること。
生まれ変わる際、物質世界に来る前に、設定を別の設定、新たな設定を付け加えることを可能とすること。
悟理が天使になりたいと望めば天使になること。
天使になる際、今の天使のように感情や心は失わず、その役目を全うするかしないかは彼の自由意志にすること。
その他も、悟理が思いもよらないような、しかし彼の気持ちを考慮された設定が付け加えられていた。
「どう...して...」
思わず悟理は奥歯を嚙みしめる。
「どうしてっ!ここまで俺のこと考えてんのにっ...お前には心がねーんだよ!」
黒髪の天使の肩をつかもうとする。
いつものようにかすめる。
「口ではそう言っているが、本心では冷静に、お前の全てを見通せる俺に人間のような心がないことに納得がいっている。そして安堵している」
「はぁぁぁぁあああっ!」
天使の言葉に悟理が盛大なため息をついた。
「もう、いいよ、人生けっこう楽しめたし、死の恐怖もなくなったし...」
諦めたような、納得がいったような顔をし、
「もう、死ぬよ...」
そう言った。
あらかじめあの紙に、彼が心から死を欲した場合、天使に「死ぬ」と宣言した場合、いっさい苦痛を感じず死ねるよう設定しておいていた。




