第六章「設定」2
ピンク色の髪の女と手を取り合い微笑む黒髪の青年。
「レイル、子供が出来たの...」
自身の腹をそっとさする彼女。
「本当か?」
女の腕に自身の手を重ねる黒髪の青年。
「はぁぁぁぁあああっ!」
その映像を悟理は眺めながら盛大なため息をつく。
「お前と同じように生きていた頃の俺の記憶だ」
彼の背後から映像と瓜二つの黒髪の青年が声をかける。
「お前レイルっていうの?」
「天使になる前、物質世界で生きていた頃はな」
「じゃあ今度からお前のことクソレイルってよぼっかなー...」
「好きにしろ。これを見て気づいたことはないか?」
天使...もといレイルに言われ、悟理はもう一度映像に向き直る。
「このお前、普通に笑ってんな、今の無表情なお前と違って」
「今の俺は無表情な方がお前にとって都合がいいからな。他に気づいたことは?」
「中世ヨーロッパっぽい世界観だな、その時代に生まれたん?」
「いや、別宇宙だ」
「え?」
天使レイルの言葉に悟理はいぶかしむ。
彼は続ける。
「この世界では、生き物は食べ物を食べても排泄物を出さない。そのまま消えてなくなる」
「うっそだぁー」
「本当だ。まだ完全消滅への恐怖がなかったからだ。お前の世界ではなぜ、排泄物を出すよう設定されているか分かるか?」
「分かんね」
「ものが簡単に無くなるのが恐いからだ。同じ類の恐怖に、物質が急に現れるという恐怖もある。お前が買い置きしていた除菌スプレーが勝手に増えたことがあっただろう?あの時ですらお前は恐怖を感じた」
天使の言葉に悟理は思わずうなずく。
ものが突然現れる恐怖。
自分が望んでいるものだったら問題ない。
けどもし、自分が嫌いな不潔なものだったら...
あの増えた除菌スプレーは、本当に中身が除菌スプレーだったんだろうか。
そもそも、市販されている除菌スプレーも清潔なものなんだろうか。
考えると思考が止まらなかった。
「安心しろ、お前が恐怖を感じている限り、物質世界が物質のルールに従っている限り、そうはならない」
天使レイルは続ける。
「だがストレスが無くなったら恐怖心も鈍り、どれがお前にとって恐怖の対象か分からなくなる」
天使が言おうとしていることを察し、悟理は口を開く。
「そうならないために、綺麗な完璧な良い人だけの世界になっても、常に何かをストレスの対象にし続けるの?」
「そうだ」
悟理は頭を抱える。
ふと、天使レイルが生きていた頃の映像に目を向ける。
「レイル...愛してる」
「俺もだ...ロイ」
抱き合い接吻をする男女。
あっちの世界では排泄物の存在がないのに...なんで...
「あっちではお前が嫌う汚物はないが、その代わりお前にとっては退屈な世界だ」
悟理のうらやましそうな視線に気づいたのか、天使レイルはそう言う。
「あの頃の魂は初期に近い魂だった。感情の起伏もあまりない。あの映像の俺も、俺が抱擁している彼女も、周囲の人間も、今のお前の世界の人間と比べると無個性なものだ。潜在意識に刻まれた記憶にも激しい刺激性の高いものはあまりなかった」
黒い天使は続ける。
「ただ一つ、殺戮者として恐れられている羽根刃という組織がはるか遠くに出現した。俺の潜在意識に刻まれていた別の魂の記憶から創造されたんだ。だが、俺にとってそれらはあまりにも別物だったため、関わることなく消滅した。一応、あれが生きていた頃の唯一の恐怖の対象だった」
そう言う天使を、悟理は珍しいものでも見るかのように視線を向けた。
この無表情な天使にも恐れるものはあるのかと。
しかしそれは生きていた頃の話だという事を思い出し、残念に思った。
ふと、悟理の世界にも遠くで戦争が勃発している国や、危険な国があるのを思い出した。
もし自分が、ああいったものに恐怖を抱かなくなり、刺激を求めそれらを望んだら、彼が今住んでいる国も戦争を始めるんだろうか。
そしてそれらを望んだ前の自分はいたんだろうか。
「興味あるか?」
「え?」
悟理の思考は天使に丸見えだ。
「答えは正解だ。戦争どころか、今のお前が想像もできない認知すらできないものを生み出した別のお前もいた」
天使の手のひらに小さい壺が出現する。
一見、何の変哲もない普通の壺だ。
ただ一つ、異様なのは鎖に頑強に巻き付けられているということ。
「ここには、お前とは価値観があまりにもかけ離れ、認知すら困難な記憶のため、潜在意識には入らず封印された記憶がある。封を開ければ復活するが、少しでも認知しようものなら、お前の思考や精神は耐えられなくなり、死ぬどころか魂すら完全消滅しかねない」
悟理はごくりと生唾を飲みこんだ。
「この中には、神そのものだった頃のお前の記憶も存在する。思考が瞬時に反映し、宇宙滅亡を思えばその瞬間にそれが実行される。創造出来ないものは何もない。実行できないものも何もない。本来のお前自身だ。今のお前は、前のお前が創った制限、設定の中で生きているにすぎない」
「本当?」
悟理は興奮するのを感じた。
それさえあれば...完璧な世界を創れるかもしれない...
思わず手を伸ばす。
しかしその行為をあらかじめ読んでいたかのように、天使レイルは壺を消した。
暗転していた部屋に明かりが戻った。
レイルはそっと降り積もった雪をどかし、庭の墓が見えるようにした。
ロイ...俺は...君に死んでほしいなんて思ってなんかなかった...
むしろ君がどこかへ行ってしまうことに恐怖を感じていた...
それなのに...
すっと立ち上がる。
思考がついていけなかった。
エレナに占領された自分の部屋を見に行く。
彼女はいなくなっていた。
腹が鳴る。
台所へ食材を取りに行く。
ふと、腹を触る。
彼が今いる世界では食べたものは時間が経てば完全消滅する。
それが当たり前で、今まで疑問にすら思わなかった。
トイレもないし、尻の穴らしきものもロイの裸体を見た限りでは見当たらなかった。
「悟理...達也...」
今置かれた状況の唯一のヒントとなる人物の名前を、レイルはつぶやいた。
じっとしていられなくなり、街の外に出た。
以前、食料調達した隣街に着く。
しかし異様な静けさと、無残な死体だけがレイルを出迎えた。
エレナにやられたのだとすぐに分かった。
レイルは彼女の姿を探したが、見当たらなかった。
次の街に行く。
そこも死の街に変わっていた。
レイルはさらに、エレナを探しに歩を進めた。




