第三章「娼婦」4
「報酬は...そうね、私の母親を犯していいよ。クソ親父の前でね。けどあの親父の事だから、目の前で妻が犯されてもなんとも思わないかも。母親も母親で犯されても反省しないかも。けど、それでもやって。その後、そいつらを裸にして、外に貼り付けて、そして野鳥がついばむさまを一緒に見物しましょう?」
背筋がぞわっとした。
どこか歪んだ羽根刃や残虐性の高い羽根刃が大鳥国にいたが、まさか一般人の、それも幼い少女の口からこんな言葉が出るとは夢にも思わなかった。
20番は続ける。
「あと、そのあと、私を安く買った奴らも同じ目にあわせて、全員、私を汚した男、それと私を同情した偽善者も全員。私を売ったクソ親、売買に関わったゴミクズも許せないけど、私の体を欲する連中、私の不幸を欲する連中、ああいうのがいなかったら、こんなことに、ならなかったのに...」
「...」
「どう?羽根刃さんなら引き受けてくれるよね?」
「無理...だ...」
レイルはひねりだすようにそれだけ言った。
そんな彼に彼女は詰め寄る。
「どうして?!報酬が足りないの?!たしかにあんなゴミ親の体じゃ肉便器にすらならないよね!」
「そういう...問題じゃない...ロイと離れるわけにはいかない...」
「ふーんじゃあ、この女がいなくなればいいんだ...」
20番は憎々しげに、無防備に横になっているロイを見下ろす。
そして懐から果物ナイフを取り出した。
レイルはその行動をあらかじめ読んでいたかのように、素早く彼女の腕を取り押さえた。
細い腕から落ちたナイフも、ロイに届く前に空中で拾い上げる。
「はなしてっ!はなしてっ!」
片腕の中でもがく少女を連れ、レイルは部屋から廊下に出る。
背後でロイが起きる気配を感じた。
子供部屋のドアを閉めるとレイルは少女の腕を離した。
「あんた...だけだった...」
少女の口から消え入りそうな声が洩れる。
「あんた...だけだったんだよ...私を助けた...人間...」
さっきまでの勢いは消え、伏せられた顔からは表情が読み取れない。
「実の親でも、自殺を止めた先輩でも、私を友達って言った子でもなく...あんただけだったのに...」
20番がこぶしを握る。
小さい肩がかすかに震えているのが分かった。
「なのにっ!そんなあんたですらっ...私を裏切るのっ?!」
言うと同時に顔をあげる。
その瞳に涙が浮かんでいた。
レイルは何か言おうとしたが、20番はすぐに顔を伏せ走り去る。
追おうか迷ったが、一人にさせたほうが無難だと判断し、部屋に戻ろうとした。
ガシャン!
下から大きな物音がし、彼の足を止めた。
嫌な予感がした。
一階に降りるとリビングで20番が倒れていた。
急いで駆け寄る。
彼女の首筋からは赤い血が流れ、近くに包丁が落ちていた。
「大変っ!」
背後から声があがる。
ロイと二人の子供たちも起きて来ていた。
レイルは20番を抱きかかえる。
「レイル!手当てを!」
「待て」
慌てるロイにレイルが制す。
レイルの腕の中で20番が血を吐く。
少女の人生がここまで追い詰められたものでなかったら、幸せにさせることが出来たのかもしれない。
しかしもう、手遅れだった。
たとえ手当てし助かったとしても、本当の意味では救えない。
「楽に...なりたいか...?」
彼の言葉に彼女は一度だけ微かにうなづいた。
レイルは意を決し、苦しそうに吐血する20番の首を刎ねた。
「いやぁあああっ!」
背後でロイが床に座り込む。
ジェニファーとドロシーも恐怖に支配されたようにロイに抱きついたまま硬直する。
転がったおさげ髪の首をレイルが拾い上げ、横たわった胴体のそばに置く。
ロイのほうを向く。
彼女はビクッと震え、レイルから目をそらしきつく閉じる。
初めて会った頃以来の怯えようだ。
いや、その頃よりもレイルに恐怖しているように見えた。
彼女は羽根刃であるレイルが、直接人を殺す姿を目にしたのは初めてだった。
レイルは20番の遺体を庭に埋めた。
住民投票のない、娼館からこっそり連れてきた少女を正当に埋葬することはできない。
彼は庭に申し訳程度に花を添えた後、ロイ達の方へ向かった。
彼女たち三人は二階の子供部屋に鍵をかけ閉じこもっていた。
力を使えば簡単に開けられるが、あえて開けなかった。
「ロイ、20番は...ああするしかなかった...このまま生きていても、辛いだけだ...」
中から返事はない。
「俺達では、どうすることも出来ない。彼女を救うことはできない...」
開かないと分かっていてもドアノブをそっと回す。
「こないでっ!おねがいっ!」
中から怯えた声。
彼女の中では完全に、愛する恋人のレイルではなく、恐ろしい殺戮者だった頃の羽根刃となっていた。
レイルはドアを背にしその場に座り込んだ。
彼は何日も飲まず食わず不眠でも平気だったが、子供たちやロイはそうもいかないだろう。
廊下の小窓から朝日が上がった。
レイルはドアに耳を当てる。
かすかに寝息が聞こえてきた。
さらに感覚を研ぎ澄ませ耳に集中する。
三人分の寝息だ。
見えない刃を放ち、ドアの施錠部分を切断する。
そっと音を立てずかすかに開かせ、隙間から中の様子をうかがう。
布団の上に座ったままロイは器用に寝息をたてていた。
二人の子供は彼女の膝に頭を乗せスヤスヤと眠っている。
音もなく室内に入り、彼女の膝から子供を離す。
代わりにそこに毛布をかけ、レイルは子供二人を部屋から連れ出した。
外に出る。
早朝でまだ人がまばらだ。
ふと豪華な馬車が目に入った。
その馬車の中から年老いた老人が出てくる。
その老人に馬車の窓から手を振っているのは人の好さそうな老婆だ。
若い従者らしき人物も窓から見えた。
レイルは決心し、そっと近寄り馬車の荷台に二人の子供を横たえた。
この老夫婦がどんな人間かは分からない。
それでも、こうするしかなかった。
「羽根刃さん、子供ができてもロイおねーちゃんが一番でしょう?」
20番の言葉が脳裏をよぎる。
自分は子供を作ってはいけない人間だ。
なにより、ロイに子供ではなく自分だけを見てほしいと思っていた。
俺も、20番と同じ所があるのかもしれない...
レイルは馬車から立ち上がり、自宅に戻った。
子供部屋を覗いてみる。
ロイは毛布を膝にかけた格好のまま起きる気配はない。
二人きりになった空間で、そっと歩み寄り髪を撫でる。
唇を指でなぞり、そこに自身の唇を寄せる。
脳裏に彼女の怯えた姿が浮かび、唇を寸前のところで止め、しばらく少女の寝顔を眺める。
起きたら腹が減っているだろうと思い、台所からパンを乗せた皿を持ってきて机の上に置いた。
廊下に出てドアをそっと閉め、そこにレイルは寄りかかった。
沢山の光の束が暗闇を照らす。
よく見るとそれは発光する粒の集合体になっている。
粒が拡大され見たことのない風景が映る。
高層ビル、デパート、プール。
それらは自分が知っている世界には無いはずなのに、どういったものなのか知っていた。
粒の一つに見覚えのある顔が映る。
黒髪黒目の青年、自分だ。
「俺達、結婚することになりました」
にこやかに青年は笑い、誰かの腕をとる。
青年の腕に引かれピンク色の髪の女性が姿を現した。
「おめでとうレイル」
画面が変わって中年の男女が映る。
「大鳥国も滅んで羽根刃の恐怖もなくなった事だし、これで平和だな」
「うん、父さんと母さんも元気だし、愛する人と結ばれて、俺、幸せだよ」
青年が中年の男女に微笑みかける。
「もう、レイルったら、愛する人だなんて...」
ピンク色の髪の女性は頬を染める。
「よう、クソ天使」
背後から澄んだ声が響く。
白髪の青年が腰に両腕を当て、そこに立っていた。
前髪に隠れ彼の表情は読み取れない。
彼の白髪は左右一部が濃い青色に染まっており、それがレイルに印象づけた。
白髪の青年は言葉を続ける。
「この人生のお前の世界には虫がいなくて、生き物が食いもん食っても排泄物出ないで消えて、カビも吐しゃ物も、トラとかライオンみてーな危険動物も存在してなくて、キスだけで子供が生まれる世界だったんだぜ」
「何を...言ってるんだ?」
聞きなれない単語の羅列に、レイルは眉をしかめた。




