latency (2)
電話をかけてみると、日曜日の夕方だというのにあっさりと繋がった。
受付らしき女性から回された電話に、深江と名乗る医師が出た。
事情を説明すると、深江医師は、落ち着いてくださいと告げた。そして、ゆっくりとした口調で尋ねてきた。
「九条さん。自分がいまどこにいるか、わかりますか」
「たぶん、自宅だと思います……確証はありませんけど」
問われるままに部屋の特徴を伝えると、深江医師は、わかりましたと答えたあとで続けた。
「いまちょっと手が離せないんです。できるだけ早くそちらに行くので、どこにも出かけないでください。二度とそこに帰れなくなる可能性もありますから」
医師にそう宣告されて、俺は急に不安になる。たしかに次に気が付いた時も、今回と同じような状況である保証はない。
「すぐに行きたいんですけど、あいにく看護師の鷹取さんが無断欠勤しちゃってて」
『看護師の鷹取さん』という言葉が、俺の心をざわつかせた。
白衣を着た女がしゃがんでいる姿が、ふっと脳裏をよぎる。俺は、そのうなじを見下している。
そこで回想らしきものは霧散してしまった。
俺は諦めて、はあっとため息を落とす。
それを俺の不満だと思ったのか、すみませんと謝ってから、深江医師は電話を切った。
あいかわらず、鈍い頭痛は続いている。
これから、どうするか。
俺は思案する。
ふっと、ある考えが浮かぶ。
人が来るのなら、あれを片付けないと、まずいことになるんじゃないのか。
……。
あれを片付ける、とはどういうことだ?
なにかを思い出しそうだった。
俺には、やらなければならないことが、あるんじゃなかったのか?
そうだ、あのDVD。
ホラーの方はまだしも、もう一本はさすがにまずい。しかも、組み合わせが最悪だ。俺の品性が疑われかねない。
パソコンの前にあるビニールレザーのカウチに腰を下ろし、アダルトビデオのDVDを手に取る。猟奇的な内容のカットが、ジャケットにちりばめられている。
ディスクはまだパソコンの中にあるようだ。
ふっと魔がさす。
観てみるか、どうせ暇だし。
俺はパソコンの動画プレイヤーを起動した。ヒューンというスピンドルの回転音がする。
ブラックアウトしたディスプレイに、NP666GTAAVの文字がちらりと見えた。
*
バスルームの床に、血まみれの女が倒れている。
その白い服と下着を、俺は乱暴に破り取る。
意識が、いやたぶん、もう命がなくなっているだろう。だから抵抗はなかったが、動かない身体から服を脱がせるのは難儀だった。
その甲斐があって、そこに現れたのは想像通りの、素晴らしい肉体だった。
くびれたウエストと不釣り合いに豊かな双丘を、俺はしばし鑑賞した。
それから、白い肌にまとわりついている血を、シャワーで洗い流す。
女の準備が整ったころには、俺自身の準備もしっかり整っていた。
*
気が付くと、動画は終わっていた。
身体は火照っていて、心臓の鼓動が早くなっている。
なんだ、今のは。まるで実際に経験したみたいに、やけにリアルだったな。
いずれにせよ、他人に見せられるような代物じゃない。
でも、もういっかい観てみようかな……。
そう思ったときだった。
ピンポンという大きな音がした。
不意を突かれたせいか、心臓がドクンと鼓動した。
ふたたび、ピンポンと音がする。
ドアチャイムの音だ。
深江医師が来たのだろう。
俺は慌ててDVDを片づけ、トイレで後始末をしてから、玄関に立った。
ドアスコープを覗くと、そこには見知らぬ若い女が立っていた。
ショートカットが似合う、まだ少女といってもいいくらいの年ごろの女だった。
かるく首を傾げた女は、もう一度ピンポンとチャイムを鳴らした。
看護師が先に来たのか。
なぜかそう思った俺は、ドアチェーンをはずして鍵を開けた。
ドアを押し開けると、夏の夕方のもわっとした熱気が入ってきた。
女は、薄手の白い開襟シャツを着て、黒のスキニーパンツを履いていた。どう見ても、看護師ではなさそうだ。
新聞の売り込みか、あるいは宗教の勧誘か。俺はいささか、がっかりする。
だが、意外なことに、俺の顔を見た女は嬉しそうに顔をほころばせた。その素直な笑顔に、俺は気を取り直す。
女は、好奇心の旺盛そうな、大きな瞳をじっと俺に向けてくる。
見つめられているようで悪い気はしないが、下腹部のあたりがむずむずとしてきて、どうにも居心地が悪い。
なんでしょう……と言いかけた俺の機先を制するように、うっすらとルージュがのった唇が開いた。
「九条悟史さん……」
まるで知り合いのように、俺の名を呼ぶ。
そして、行きずりで関係した相手を、ようやく訪ねあてたかのように尋問してきた。
「あたしのこと、憶えてますか?」