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第1話「異世界パティスリーオープン」

「外のお客さんの様子を中からよく見えるようにしよう」

 店のデザインを考えている時に、そう言ったのは芙美子だった。

「でも外から見え過ぎても良くない。人は隠されているものほど見てみたいと思う生き物だからね」

 ホワイトボードに素案を幾つか描いていく。

 ホワイトボードの一番上には「第二回エクステリアデザイン会議」と書いてある。まだ本格的に独立という言葉が見え始めた頃のことだ。

「駅からの帰り道、道を歩いている時にふっとお店が目につくの。お店の雰囲気に興味を持って、店の中を覗いてみるの。そうすると、まずイートインで美味しそうにケーキを食べているお客さんが目に入る」

「イートインのお客さんは、お客さんであると同時に、ディスプレイでもあるっていう奴ね」

「そうそれ!」

 ビシッとマーカーを優花里に向ける芙美子。

「そこでお客さんはこう思う、『いいなあ』『美味しそうだなあ』そう思いながら、もう数歩歩くと、店の入口。手前にはクッキー、サブレ、ビスケット、フリアン、ハウンド、マドレーヌ。ジャム、マーマレード、ティーセット。奥に目を向ければ、ショーケースの中の色とりどりのケーキ達」

 目を瞑り、手を広げ空を仰ぐ。芙美子の心はもう既にまだ見ぬ店舗の中にいるのかもしれない。

「芙美子ちゃん……妄想するのはいいけど、よだれ垂れてるよ。もう。ほら、拭いてあげるから……。もう、その焼き菓子もケーキも芙美子ちゃんが食べる分じゃないんだからね。お店なんだからお客さんに売らなきゃいけないんだよ。ちゃんと分かってる?」


 そんな会話が、今となっては走馬灯のように甦る。

 実際に走馬灯を見たことが無いから正確なところは分からないが、おそらくこんな感じなのだろうと優花里は想像した。

 そのお客さんは、想像していたのとは随分と、その、緑色で筋肉質だった。

 

「オーク……」

「……オーク」

 ひとりごちた優花里の言葉を、芙美子が反芻する。


 確かに外の様子がよく分かる。

 窓ガラスの向こうには緑色の肌をした、人間ではないが、人間に近い外見をした生き物達がいる。オーク。遠巻きに野次馬のようにして店を見ている。二本の足で地面に立ち、胴があり肩からは細い腕が伸び、首から頭が生えていて、髪の毛は暗い銀色をしている。あまり上質では無いようだが服を着ている。どのオークも体格が良く、身長が高く、筋肉質だ。肌の違い以外で人間との違いは潰れた鼻と、少し尖った耳ぐらいだろうか。肌が緑でなければ人間でもいそうな顔をしている。


「どうしよう、優花里……」


 外を向いている芙美子の顔を見ることは出来ないが、声が震えている。

 小さな肩をこわばらせて、優花里が振り向く。


「オークって、ケーキ食べるかな!?」


 ……。


「え?」


「だって、今まであれだけいろいろ市場調査して、試食もしてもらって、ようやく、やっと、受け入れられて貰えそうな味に調整してきたけど、オークがどんな味が好きなのか、わたし知らないし準備も何もしてない……!! 優花里知ってる!?」

「知らないよ!? だいたいオークって映画の中の生き物でしょ! ファンタジーだよ!!」

「でも現実にそこにいるじゃない!」

「わ、指さしちゃダメ!」

 指差す芙美子の腕を掴んで無理矢理降ろす。

 そのまま、そろっ、と、オークの様子を伺うが、オーク達に特に気にした様子は無かった。オーク達は芙美子や優花里よりも店自体に興味を持っているようで、あちこち見回している。シャッターが自動で開いたことに興味を持っているのかもしれない。何故か敷地の中には入って来ないようで、ほっと胸をなでおろす。

「もう、そんなことしてオーク達がお店に押し入ってきたらどうするの。私達ふたりとも食べられちゃったらどうするの!」

「うっ……、ごめん……」

 芙美子は素直に謝る。芙美子もまた混乱していたのだろう。オークが店自体を見ているうちに、ふたりしてカウンターの後ろに隠れた。

「そりゃあそうよね、お店を開けたらファンタジーだもの……」

 そっと、カウンターから頭を半分だけ出して、外の様子を伺う。外に見えるのは、オークと、その奥には見たことのない町並み。

「越谷……じゃあ無いみたい。それどころか日本でもない……よね」

「日本にはオークいないもんね」

 確かにその通りだ。芙美子の言葉に頷いてから、ハッとする。

「それを言ったら、地球のどこにもオークなんていないよ」

「じゃあ、ここ地球じゃ無いってこと?」

「そういうことになると思う」

「そっかー……」

 芙美子も何か考えている様子だ。

「整理すると、ここは地球じゃなくて、お店はオークたちに取り囲まれている」

 絶望的だ。

 優花里は頭を抱える。

 知らない場所で、ふたりきりで、外にはオーク達。

 この後、外のオーク達が店になだれ込んできてふたりとも食べられてしまうかもしれない。

 何年もかけて準備してきて、やっとオープンにこぎつけたお店。これから、大変な苦労もあるだろうし、いいこともたくさんある。そう信じて疑わなかった未来はあっさりと消え去った。

 なにがどうしてこうなった。こんなはずじゃなかった。

 目尻に涙が浮かび、すがるように芙美子を見る。

 芙美子はカウンターから頭を出して外を見つめているようだった。

「……」

「……」

 優花里は芙美子を見つめ、芙美子は外を見つめ、しばらく無言のまま、時間だけが過ぎていく。

 不意に、芙美子が何かを決意したように頷くと、優花里の方に顔を向けた。

 そして、優花里にとっては信じられないことを口にした。


「とりあえずお店開けてみよっか」


 いたずらでも思い浮かべた子供のような顔で。

 まずその言葉の意味を理解するまでにたっぷり数秒かけて。

「!? ま、待って! なんでそうなるの!? 危ないよ!!」

 抗議の声を上げる優花里の顔を両手で抑えて、芙美子が無理矢理自分の方へ向けさせる。

「大丈夫だから」

 ずい、と芙美子が背伸びをして顔を近付けてくる。視界ほとんど芙美子の顔に埋め尽くされた。

「ふえっ……」

 芙美子はほんの一瞬だけ目を瞑って、優花里の顔を開放した。離れていく芙美子の顔を優花里は呆然と見送る。

 優花里はそのままコックコートのポケットの中に手をつっこみ、何かを取り出した。

 そして――


 唇にひんやりとした感触がした。


 何かを咥えさせられた。

 口元から離れていく芙美子の手を見送り、視線を落とす。そこにはいつも芙美子がお菓子を入れているスマホサイズのケースが握られていた。常温では保存出来ないお菓子も保存出来るように保冷剤が一緒に入るようになっている特別製だ。

 ということは、今唇に咥えさせられているのは何かのお菓子。

 突然のことにどう対応したら良いか分からず視線を戻すと、芙美子の顔が急に接近しつつあった。

 視線が絡みあう。

 瞳の、その奥の方を覗きこむような視線に、目を離すことも、逸らすことも出来なくなる。

 何が起こっているのか理解できず上体を反らし、芙美子の肩に手を当てたが、それでも芙美子は止まらなかった。

 その瞬間が、おそらく一秒にも満たなかった時間が、優花里にはとても長い時間のように感じた。

 芙美子顔が近付いてくる1センチが1分にも2分にも感じるその頃にはいつの間にか視線は芙美子のふっくらとして艷やかな唇に釘付けなる。

 近付くごとに顔が上気し、1センチごとに1ミリごとに、どんどん顔の温度が上がっていく。

 頭が沸騰しそう。

 芙美子の唇がゆっくりと開き、

 白い歯がちらりと見え、

 僅かに首を傾け……

 唇と唇が触れそうになり、

 優花里はこらえきれずにギュッと目を閉じた。


 不意に、咥えた何かに抵抗があり、芙美子の顔が離れた。


「半分いただき。こんなこともあろうかと、用意しておいたのさ」

 ペロッと、舌の上に乗ったものを見せる。

「は、はは……」

 芙美子の顔が離れていき、緊張の意図が切れた。

 いつの間にかこわばっていた身体から力がするすると抜けていく。肺に溜まった息を吐き出そうとして、唇にくわえているそれの事を思い出した。顔を少し上に向け、唇を動かすと舌の上にそれが落ちてきた。

 舌の上にひんやりとした感触。

 同時に、ココアパウダーパウダーの苦味が広がる。

 キュッと目を瞑るが、それも一瞬のことで、すぐに唾液が溢れ出しそれの形を溶かしていく。

 溶けたそれは濃厚な甘みとなって広がっていく。初めの苦味の反動か、その甘みを強烈だった。

「(これは、生チョコかな……)」

 舌で転がすと、とろり、とろり、その形を崩していき、その甘さが咥内に満ちていく。

「んっ……」

 こくり、喉を鳴らす。

 溶けたチョコが喉の奥まで落ちてゆき、チョコの香りで満たされる。口から喉へ、のどから胃に向けて流れ込んでいくチョコの香りは、逆に鼻の方へ遡り抜けていく。

 奥歯でチョコを挟むと、顎に少しの力も加えずに、くちゅ、と外には聴こえない音を出して2つに分かれた。

 そうしているうちにチョコは完全に形を無くし、唾液に混ざってしまった。

「ん……んん……」

 こく、こく、咥内のとろけたチョコを奥の方へと流しこんでいく。

 最後に少しだけ顎をあげ、喉を無防備に晒し、ゴクリと飲み下し、息をつく。

「は……」

 吐息もまたチョコの香りになっている。

 とろけたのはチョコだけでは無かった。にわかに赤く染まり、緩んだ頬。

「美味しかった?」

 にこにこと嬉しそうに自分を見ている芙美子に気付き、優花里は徐々に自我を取り戻していく。芙美子の吐息もチョコの香りだ。

「……うん」

 返事をして、気付く。

 口の中のチョコは全て飲み込んだはずなのに、もう何もしない咥内で強烈にその存在を主張する濃厚な味がある。

 頷いてから、左手で口を抑え、口の中のものを飲み込んでから、思ったことを口にする。

「これ……熟成バター……?」

 もう食べ終わってしまったのに、しかし終わらない余韻に涎が止まらず、一言だけ言って、もうチョコの味はしない唾液を飲み下した。

「うん。ベースは生クリームとチョコレート。香り付けにはお店ではちょっと出せないとっておきのコニャックを混ぜてる」

 それでか、と優花里は心の中で頷く。先程から身体が火照る。

「それをいつもの半分の厚さで固めて、間に発酵バターをこれでもかって言うくらい塗りたくってサンドして、固めて切って、ココアパウダーをまぶして完成! 生チョコの熟成バターサンド」

 得意気に語る芙美子に、優花里は呆れたような表情を見せた。

「もう、私がお酒に弱いの知ってるくせに……」

 優花里の酒の弱さは、普通の人ではなんともないような、お菓子やケーキなどに含まれる僅かなお酒でも真っ赤になってしまうぐらいだ。

 ほてる顔を抑えて優花里はうつむいた。

 ほう、肺に溜まった空気を吐き出す。

「少し、落ち着いた? チョコは気持ちを落ち着かせる効果があるから」

「うん……」

 再びかぶりを振って、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐く。

 チョコのおかげで落ち着いたかどうかはともかく、優花里の緊張の糸はすっかりほぐれていた。

「(あれ、そういえば何の話をしてたんだっけ……)」

 思い返そうとするもアルコールのせいで思考がまとまらない優花里の様子に芙美子は頷くと、スッと立ち上がった。

 そのまま歩き出す芙美子を、優花里は顔だけ動かして追う。

「芙美子ちゃん……?」

 芙美子はカウンターから出て、入り口の方へ歩いて行く。

 芙美子が視界から消え、優花里は慌てて立ち上がるが、アルコールの影響でふらついてしまう。カウンターに掴まってなんとかこらえる。

 芙美子は振り返らずに口を開いた。

「優花里、私の勘が言っている」

「え……?」


「オークは、甘いモノが大好きだ!」


「え……?」

 拳を握り、芙美子は強く断言する。

 振り返り、じっと優花里の目を見る。

「問題は2つあるんだ」

 拳を胸の前に突き出すと、5本の指の内、人差し指を立てる。

「ひとつめ、」

 優花里は眉をひそめる。

 その評定を確認し、芙美子は続けた。

「オークはケーキ食べるかな?」

「えっ!? ええと……」

「さっき、わたしは勘で、きっと甘いものが大好きだって言ったけど、ちゃんとした根拠は何もない」

 突然の質問に困惑する優花里。

「どうだろう……、見た目は人間と変わらないように見えるけど……。人間なら白人も黒人もケーキ食べるよね」

 うなず芙美子。優花里は続けた。

「でも、映画に出てくるような……凶暴な生き物だったとしたら食べないかも……? あ、でも、熊がケーキ食べたって話もあるから……試してみないと……分からないかも」

「じゃあ試そう!」

 芙美子が満足そうに頷く。

「もう一つは……?」

 問われて、芙美子は目を細め、口の端を釣り上げた。優花里は芙美子のこの表情をよく知っていた。

 何か、良からぬ事を考えている時のその顔だ。


「あいつら、お金持ってるかな?」


 ニッと。

 その表情はこれから大変なことが起こるであろうことを雄弁に語っていた。

 優花里の心のなかの不安が首もたげていく。

「お金って……」

 なぜ急にお金の話なのか。

 オークがお金を持っていたらどうだというのか。

 くらくらする頭でなんとか考え、その言葉の意図に気づいたとき、優花里の目が見開かれた。

「もしかして……」

 震える唇。

 それをおさえて、ゴクリ、と無理矢理つばを飲みこむ。

 大きく息をすって、

 言った。

「お店をやるってこと……!? ここで!? オーク相手に!?」


「そう!」


 入り口の脇にはオープン記念に用意していた大きな袋が置かれている。その中には試供品用のクッキーがぎっしり詰まっていた。その数200。サンタの荷物をイメージして作ったが、オープン時期が年明けにずれ込んでしまったためにただの袋になってしまった、その袋を両手で持ち上げ、肩に担ぐ。

 キリッとした表情を作り、入り口の方を指さしながら、芙美子は宣言した。

「わたしたちが! この日のためにいったいどれだけの準備と苦労をしたと思っているのよ! お店を開けたら異世界でしたで! お客さんがみんなオークでしたで! そんなことで諦められるようなものじゃなかったでしょ!」

 その言葉に、優花里の頭にこれまでの日々が思い起こされる。


「異世界が何よ!」


 その一喝は、しっかりと、芯が通っていて、力強さがあった。


「オークが何よ!!」


 店内の空気が震え、先ほどまで充満していた不安や心配をまとめて吹き飛ばすようだった。



「 私達のケーキを食べてくれて! お金を払ってくれるならみんなお客様よ!!」



「立って、優花里! 深呼吸して! お店を開けるよ!」

「う、うん」


「さあお客様がお待ちかねよ!」


 芙美子の手により、ガチャリ、と自動ドアのロックが解除される。

 ロックの赤いサインが消え、緑色のサインが光が灯った。

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