プロローグ:パティスリーふたり、オープン!
2016年1月某日大安。午前8時――20分前。
埼玉県越谷市。駅から徒歩15分。芙美子と優花里のふたりは店の準備の最後のチェックを行っていた。
「最後の点検をするわ。芙美子ちゃん、お願いね……入り口」
「道路に設置するようの看板、よし。カーペット、よし。自動ドア、たぶんよし」
「道路側のショーディスプレイ」
「花、よし。ケーキ、よし。ラッピング、よし」
「イートイン」
「机5脚、椅子14脚の配置、よし。テーブルのラッピング、よし。テーブル上の小物、チラシ、飾り付け、よし。」
「床」
「全部綺麗!」
「焼き菓子」
「ボックスギフト、クッキー、マフィン、ジャム……よし」
「メインケース」
「ホールケーキは、ショートケーキ5号、2台。6号、1台。チョコレートケーキ……カットケーキ、カップケーキはモンブラン6個と……よし。オープン記念用の配布物もちゃんとたくさん用意した」
シャッターの降りた店舗の中。ふたりは自分たちで作った点検表を持ち、それに従い店内をくまなくチェックしていた。この点検も今日だけで3度目になる。全ての準備が終わって1度、念の為にもう一度。落ち着かなくてさらにもう一度。お客様を迎える準備は万端だった。
全てに指さし点呼を終え、芙美子は後ろに控える優花里を振り返り、点検表とペンを持つ優花里の両手の上から自身の両手をそっと重ねた。そのまま顔をぐっと近付け、じっと優花里の目を見つめる。お互いの吐息が交わりそうな至近距離。少しだけ背の高い優花里の顔を見上げ、目の、瞳孔のその奥を見る。
しばらくそうしていた後、タイミングを合わせたかのように、どちらからともなくふたり同時にうなずく。
「準備、出来たよ、優花里」
「うん、いよいよだね芙美子ちゃん」
優花里の声は僅かに震えを含んでいる。それを抑えるように、手をにぎる芙美子の手に力が入る。芙美子の顔は上気して化粧の上からでもわかるぐらい頬を朱に染めていた。その体温が手のひらを通してじわりと優花里の冷えた手に伝わっていく。
「顔、真っ赤だよ芙美子ちゃん」
「うん、もう、心臓爆発するかもしれない!」
真剣な芙美子の顔に、優花里は破顔した。芙美子はその様子に満足したように目を細める。握る手のうち、優花里の右手を取り、自分の胸に押し当てる。豊満な芙美子の胸に僅かに優花里の手のひらが沈んだ。今度は優花里の頬が赤くなる番だった。
「優花里、わかる?」
「うん。すごい……、ドキドキしてる」
本日大安吉日。
「いよいよ始まるんだよ」
「うん」
「わたしたちのお店」
「うん」
「頑張ろうね!」
「うん!」
構想2年。一軒家の店舗を買い取りと改装に3ヶ月。そこから店内のインテリアの用意と飾り付けで更に1ヶ月。優花里と芙美子のふたりで準備してきた。元は学生の頃に同じ洋菓子屋でバイトをしていた経緯で知り合ったふたりだったが、独立開業に至る道程は険しかった。学校を卒業してから優花里は経営とデザインを学び、芙美子は東京の新宿にある洋菓子店で働き本格的に菓子作りの勉強を始めた。うまくいっているときはお互い褒め合い、何か問題があったり気持ちが落ち込んだ時は慰め合った。
ふたりでそれぞれ技術を磨き、協力してお金を貯め、準備してようやく店を出せるようになった。
だから店名はパティスリーふたりと名付けた。
店舗は2階建て。一階は店で二階は居住空間になっている。改装時にオール電化にすると補助金が降りると言われ導入した。屋根の上にはソーラーパネルも付いている。トータルでの支払額はかなり増えてしまうが、初期費用が抑えられるところが魅力的に感じて優花里が決断した。店のことはなんでもふたりで決めるようにしているのだが、いくつか例外もある。お金のやりくりがその際たる例で、芙美子が頑なに関わろうとしないので全て優花里が決めていた。
店が軌道に乗るまでの間、しばらくはふたりでこの店舗にこもりきりで働くことになる。
この店は、ふたりにとっての城だ。この話はふたりが資金をためている頃にお互いのモチベーションを鼓舞するためによくした話だ。
「ケーキ作りは戦争なんだよ」
店の計画を練る打ち合わせの時にはいつものように芙美子が言っている言葉だ。ケーキ作りを続けるためには資金を稼ぎ続けなくてはならない。お客さんと戦って、ライバルとなる駅の向こうの洋菓子店と戦って、テイクアウトのある喫茶店と戦って、コンビニと戦って。お客さんに、いいことがあったらケーキを買おう、嫌なことがあったからケーキを買おう、家族のお祝いにケーキを買おう、友達のお見舞いにケーキを買おう。その時は、パティスリーふたりで買ったケーキがいい。そう思ってもらえるような洋菓子店になろう、と。
「私達は、このお店で美味しいケーキを作る」
「うん、それでお客さんと戦う」
「満足させられれば私達の勝ち。大丈夫だよ優花里、ふたりで一生懸命準備してきたからね。緊張はしているけれど不安じゃない」
「うん」
準備期間の間に市場調査は十分行った。候補となった幾つかの駅の人の流れを調査した。店舗が決まって、看板が届いてからは宣伝も兼ねて路上試食会を行った。微妙に配合を変えて何度か行い人気の味を探った。駅前でのビラ配りも行った。Facebook、Twitter等、Webでの情報も展開した。Webでの情報に即効性は無いが、試食などの結果がオープン日と共に好意的に展開されていた。
すでに予約もいくつか入っている。
オープン当初の動員数は問題無いだろうと優花里は考えていた。
当面の失敗はありえない。
その自信は、準備にかけた時間の裏返しだ。
洋菓子専門店、パティスリーふたりはついにオープンを迎える。
優花里は芙美子に頷きかける。
芙美子は優花里に頷き返す。大きく息を吸い込む。
「よしっ、お店、開けるね!」
「うん」
芙美子は優花里の手を離し、小走りにレジの裏に向かう。そこにある店舗のシャッターのリモコンの開ボタンを押し込んだ。
ガッ
っと一瞬大きな音がしてから、シャッターが動き始める。前に開けた時にはこのような音などしていなかったことに優花里も芙美子も気づいていなかった。
ガラガラと音を立てながらシャッターが開いていく。
入り口の先に人の足がいくつも見え、芙美子は急いでドアの前まで戻ってきた。
「……あれ?」
違和感に先に気付いたのは芙美子だった。
徐々に開くシャッターの先に見える人だかりに秩序がない。いくら人が集まろうと、オープンを待ってくれていたお客さんならば列を作って待ってくれているだろう。だが、シャッターの先にいる人達はまるで野次馬のように群がっているというのが正しい。
ついにシャッターは顔の高さまで開き、集まる客と視線が交差する。
そこにあったのは、この数ヶ月ようやく慣れてきた越谷市の町並みではなく、まるで西洋のような木とレンガの町並み。
そして――
「緑色の……」
「肌の人……」
ファンタジー映画などで目にするオーク達の群れだった。