1日目_07
【宛先】:お母さん
【件名】:無事です!
【本文】
お父さん、お母さんへ
今、日本は、佐梅原市は大変なことになっています。
信じられないかもしれないけど、ゾンビが街に溢れてるの。
そちらでもニュースになると思います。
私は今学校にいて、ここはどうにか安全です。創ちゃんも一緒です。
橙子さんは職場にいて、ひとまずは大丈夫そう。
早くお母さんの出し巻きと豚汁と肉じゃがと唐揚げとコロッケが食べたいな。
萌
1日目・母親宛てのメール。
◇◆◇
【誰に話しかけますか】
→朝比奈創史
→小田切一早
→高坂慧吾
『ラブデ』では、ステータス画面を開くことによって、各攻略対象の好感度を確認することができる。ノーマルエンドのためには好感度の調整が重要になってくるから、小まめに調べて低いキャラを重点的に狙ったりする。
がしかし、現実でステータス画面が開けるはずもなく、そもそも実在する人間の気持ちを好感度なんて数値化できるかどうかも怪しい。それに、イベント以外の接触も意外と多くて、それがどう影響してくるかも未知数だった。
感覚でいうと創ちゃんの好感度は今の時点でも十分に高いと思う。元々ゲームでも高感度の初期値が高く、彼を攻略する場合は、妹から一人の女の子として見てもらうためにフラグ選択の方が重要なのだ。
となるとここで選ぶのは、一早先輩か高坂君だ。保健室のあれやこれで一早先輩のイベントを一つ飛ばしてしまったから、一早先輩を選ぶべきだろうか。
とりあえずは、創ちゃんと一早先輩、高坂君の好感度を早々に上げて、早めに瀬名先生に参戦してきてもらうのが、攻略サイトで推奨されているノーマルエンドを目指す際の確実な方法だった。
なんて考えていると、後ろから肩を叩かれた。
振り向けばそこには創ちゃんがいた。
「ちょっと、手伝ってほしいんだけど」
あれ、もしかして!?
頭の中では除外したはずなのに創ちゃんのイベントが始まってる?
「メグ?」
「あ、うん……分かった」
心の中で思いっきり動揺しながら、私は表面上取り繕ってなんとか頷いた。
「真鍋さん、メグが帰ってこなかったら先に寝ててね」
「了解です。萌ちゃん、寝る場所は私の隣に確保しとくよ」
「ありがと」
シナリオに流されるように、私は創ちゃんと一緒に本棟に続く二階の渡り廊下へと入った。
光が漏れないように素早く仕切りの扉を閉めると、廊下には私たち二人きりだ。
非常灯があるので完全に真っ暗ではないけれど、半フロア分を下る階段があるので、「足元気をつけて」と創ちゃんが手をとってエスコートしてくれる。
「疲れてるだろうに、ごめんな」
「ううん。大丈夫だよ」
「そうか、さっき、少しぼーっとしてるようだったから」
「テレビ見てたら、少し混乱しちゃって。本当に起きてることなんだって思うのと同時に、別の世界のことにも思えてさ」
そんな、創ちゃん……私はめちゃくちゃ真剣に考えごとをしていたんだよ。
と思いつつも、当たり障りのない言葉を返す。
「そうだな。まだ信じられないよな。ゾンビだなんて」
「うん。悪い夢を見てるみたい」
渡り廊下が終わって本棟に入ると三年生の教室が続く。
「さっきは手伝ってなんて言ったけど、メグはいてくれるだけでいいから」
「え?」
「約束しただろ。目の届くところにいるって」
「……うん」
まさか、保健室からの一連の流れがまだ続いているとか……。だから、強制的に創ちゃんイベントが始まってしまったのだろうか。
それは結構マズイことのように思えた。ゲーム外の行動が及ぼす影響については、よく考えて慎重に行動するようにしなきゃと戒める。
何より、創ちゃんの個別ルートにだけは絶対に入ってはいけないのだ。
メインキャラクターだけあって、創ちゃんの個別ルートは恋愛面でもサバイバル面でも大いに盛り上がる。仮に実写映画化でもすることになったら、ハリウッドの超大作並みにお金のかかるド派手なCGが必要になるだろう。
つまり、周囲への被害が甚大過ぎるという……
ま、創ちゃんの個別ルートに入るためのフラグ設定は難しくて、そう簡単には入れないから、それが救いだった。
一方で、瀬名先生を恋愛モードに切り替えさせると、望んでなくてもいつのまにか個別ルートに引きこまれたりする。それはそれで要注意だ。
「これから、そこの現国準備室を借りて、生徒会メンバーでミーティングの予定なんだけど、その前に必要なものがあるから、こっち」
西翼に折れる廊下の手前で創ちゃんはそう言って、そのまままっすぐ歩くように促した。
現国準備室は西翼の中庭側にある部屋だ。西翼と東翼は廊下の両側に部屋がある造りなので、中庭側の部屋であれば敷地外に明かりが漏れることはない。何かをするには打って付けだ。
そして、おそらく創ちゃんは、このまま中央の階段から一階に下りるつもりなんだろう。
シナリオ通りなら、このイベントでは二人で一階の封鎖された職員室に、『避難所マニュアル』を取りに行くのだ。
とそのとき、前方に人の気配を感じて、二人して一瞬動きを止める。階段の手前にある三年三組の教室前にさしかかったとこだった。
目を凝らしても薄暗い廊下の奥に人の姿はなく、徐々にはっきりとする足音は階段の方から聞こえてくるようだった。
そのまま歩を進めると、見知った人物が一階から上がってくるのが見えた。
「朝比奈君!」
現れたのは、生徒会メンバーの会計二人。二年の姫宮先輩と一年の須藤君だった。
「姫宮に、須藤? どうして一階から?」
「これを取りに行ってたのよ」
創ちゃんの問いに、姫宮先輩は手に持っていたバインダーを見せた。
「避難所マニュアル」
聞いた瞬間、くらっと眩暈がした。い、イベントがー。
別に期待とかしてた訳じゃないんだけど、あの嬉し恥ずかしエピソートがどうリアルで再現されるか興味があったのは本当だ。
「助かる。俺たちもこれから取りに行こうと思ってたんだ」
爽やかな笑顔で応じる創ちゃんは、単純に手間が省けたと喜んでいる。
やっぱりこれはイベントなどではなく、多目的ホールからの流れの延長になるのかもしれない。
「おい、ちょっとお前大丈夫なの? 目が死んでるんだけど」
須藤君に小声で突っ込まれた。この暗がりでよく見てるね、っていうか、どんな顔してたんだ私ってば。
普段は陸上部で中距離の選手をしている須藤君は、細身だけども運動神経がよさそうなしなやかな体系に、少しばかり神経質そうな顔つきをしてる。実際、仕事は正確で、予算関係の細かい仕事も得意だし、よく気がつく人だ。
「大丈夫。すごい元気」
「あっそ」
すでに須藤君の興味はそがれていたようで、私たちは一緒に西翼にある現国準備室へと向かった。
現国準備室に着くと、創ちゃんが電気をつける。
姫宮先輩はすぐにマニュアルをバインダーから外してコピー機にかけた。できる女は違う。
私は邪魔にならないように、入口に近い普段は誰も使っていないであろう机の椅子に腰かけた。
そうこうしているうちに、黒木先輩と奥谷先輩がやってくる。
「望月は警備班を優先したいってさ」
奥谷先輩が相変わらずの無表情っぷりで、眼鏡のブリッジを押し上げながら言った。
望月さんとは、書記を務める一年生の女子生徒で、ショートカットの似合う剣道部所属の美少女剣士だ。望月さんの正義感が強くまっすぐな性格を思い出し、彼女が警備班に志願したことに私は妙に納得した。
「あいつは、白石先輩にべったりだからなー。ま、いいんでね」
黒木先輩の口調はこんなときでもマイペースだった。
「そうか。じゃあ始めよう」
創ちゃんはそう言って起立すると、みんなの顔を順に見回した。
「今回みんなに集まってもらったのは、これからの避難生活に向けての下準備をするためだ。先生たちは混乱を避けるために明言しなかったが、この籠城は一日二日では終わらないだろう。ある程度長期間になることも見越して、早めに舵を取っておく必要があると思う。これは本来ならば教師の役目だと思うが、今は人手が足りない」
「先生って何人いるの?」
奥谷先輩が手を挙げて質問した。
「十人だ」
「結構少ないな」
「工場が爆発した時点で、あっち方面に住んでいる何人かが早退したらしい」
「……」
黒木先輩の呟きに返した創ちゃんの言葉に、帰ってしまった先生の安否を思って、全員が苦い表情になる。
「今、三村先生と曽根崎先生が、警備班の指揮を執りながら、無線やら何やらで外との交信と情報収集を行っている。他の先生は、生徒の対応が優先で、事務的仕事まで手が回らないらしい。特にトレーニングルームが手が離せないとか」
「俺、クラスの友達が親と連絡とれなくてすごい動揺してたんで、トレーニングルームまで連れてったんですけど、すごい大変そうでした。結構人もいたし」
「繊細な問題もあるだろうから、そこは大人にまかせた方がいいだろう」
創ちゃんの説明を須藤君が補足した。
「で、だ。初めに、これだけは言っておく。みんな色々事情があると思うから、無理だけはしないでくれ。これは強制ではないし、生徒会の業務でもない。ただ、現状のメンツで俺たちが一番適任だと思ったから、率先して先生に許可を取った。実際の差配は先生たちに任せるが、俺たちが叩き台を考えて下地を作る。できれば、明日からでも本格的に避難所として機能させたい」
「いいぜ。やろう」
黒木先輩が賛同すると、すぐに他の三人も同調した。
「ありがとう。もし途中で精神的に辛くなったり、他に優先することができた場合は、すぐに言ってくれ。じゃ、まずはマニュアルを読んでほしい」
姫宮先輩がコピーしたマニュアルが全員に配られた。
当たり前だけど、この避難所マニュアルは災害、天災を想定したものだ。インフラの状態や外敵の有無とか異なる部分もあるけれど、基本となる骨組みが丸々載っているので、かなり役立ちそうだ。
何十ページにも及ぶマニュアルを全員が読み込むと、二つに分かれて作業を開始する。
創ちゃん、黒木先輩、姫宮先輩の三人は避難所の構成組織と運用ルールの叩き台の作成、奥谷先輩と須藤君、そして私は、避難者名簿と部屋割の作成に取りかかった。
まあ、私は元々戦力としては数えられていないので、今もパソコンの作業を二人にお任せして、大判の模造紙に校舎の見取り図を描いていた。
創ちゃんはいてくれるだけでいいって言ってくれたけれど、さすがに申し訳ないので、私も得意分野を活かす方向でお手伝いを買って出た。
「さすが美術部だ」なんて、黒木先輩が茶々を入れてくる。
創ちゃんたちは、起床や就寝時間等の細かいことから、避難所の運営に必要な委員会や班の構成を議論している。途中、シャワー室のローテーションは部屋毎がいいからそっちで組んでと、奥谷先輩に振ったりしていた。
きびきび働く生徒会メンバーを見ていると、すごく前向きな気持ちになれた。
「千歳、一緒の部屋になりたい人いる?」
おお、奥谷先輩が私の希望を聞いてくれるなんて!
私は嬉しくなって先輩の机に寄ろうとしたら、「作業止めないで」なんて、抑揚のない調子で言われちゃって、やっぱりいつもの奥谷先輩だったと苦笑いした。
「ええと、二組の真鍋さんと、あとはできれば同じクラスの人が一緒だといいです」
「分かった。だいたい同じ部活と同じ学年を抱き合わせる感じで決めてるから、希望叶えられそう」
「ありがとうございます!」
「おいおい、奥谷君。ちーちゃんだけ特別扱いかい?」
やはりというか、黒木先輩から突っ込みが入る。
「心配しなくても、黒木は悪友たちと同じ部屋にしといたから。厄介払いともいうけど」
「サンキュー、要」
黒木先輩は奥谷先輩をファーストネームで呼び、お手本みたいな綺麗なウィンクまでしてみせた。奥谷先輩は当然、華麗にスルーする。
「姫宮さんは、共演NGとは離しといたから」
「ありがとう。奥谷君」
打って変わって和やか声音の二人の会話はなぜか少し怖かった。姫宮先輩のNGとは一体!?
「奥谷先輩、俺は――」
須藤君の発言の途中で、スピーカーから始動音がする。
聞こえてきたのは、『ピロリロピロリン!』という軽快な着信音にも似た電子音だった。それが何度か繰り返される。
「来たな」
創ちゃんが、緊張感を滲ませながらも涼しい顔でそう言った。