1日目_04
【初期ゾンビの倒し方】
頭部を破壊する or 頸部を切断する
・生半可な攻撃では這いずってでも寄ってくる。
・銃器による攻撃は、連射もしくは火力が必要。
『love or death』公式解説ブックより。
◇◆◇
保健室に駆け込んできたのは、剣道着から制服に着替えた一早先輩と、同じく制服を着た四人の男子たちだった。
一早先輩がすぐさま私の腕を引き、ベッドから距離を取らされる。
どうやら他の四人はサッカー部の部員らしく、三年生の硬派な部長と軟派な副部長の顔にはうっすらと見覚えがあった。
「何事?」
桃井先生がいぶかしむように鋭い視線を向ける。
美人の睨みに臆することなく口を開いたのは、日に焼けた精悍なルックスのサッカー部部長だった。
「少し前からネットにおかしな情報が出回ってて、あの変な雨に濡れて髪の色が変わった人間が、理性をなくして見境なく人を襲うって内容なんです」
「なんか『ゾンビ発生』とかいって、すごい勢いで拡散されてるんで、様子を見に」
長めの茶髪を掻きあげて、リア充してそうな副部長がそれに続く。
まさかと思って時計を見やれば、十五時五十七分になっていた。ゲームではゾンビの発生はきっかり十六時と明記されていたし、外からの情報が入るより先に校内で悲劇が起きた。
誤差の範囲といっていいのだろうか……
いずれにしても、助かった。これだけの人数がいれば、十分ゾンビに対抗できるはず。
ホッとしてちらりと一早先輩を窺えば、「そういうこと」と視線で頷き、「萌が保健室にいるって知ってたから、気になって同行した」と小声で教えてくれる。
ありがたすぎて、整った顔の向こうに後光が見えた。
「そんな馬鹿なこと……」
桃井先生が呟き、全員の視線がベッドの三人に集中する。
すると、ちょうど手前の桑島先輩の顔色が、有り得ない色に染まりつつあった。青味の強い緑色だ。
「旬君!」
「なっ、竹本と榎田も同じだ!」
副部長が奥の二人を確認して叫ぶ。
「先生、こっちへ! 川西お前もだ!」
桑島先輩に密着していた川西さんが部長に引きづられるようにして離れた瞬間、奥の二人がのそりとベッドの上で起き上った。
その赤い瞳には理性の欠片もなく、顔色は青緑色で髪の毛は錆色――『love or death』と同じゾンビの誕生だった。
「早く部屋から出るんだ!」
部長の声に、私たちはみんなパニック状態でいっせいに出口へと走った。
「第二体育館に知らせを!」
桃井先生の指示に先頭の男子が渡り廊下の方へと走り、最後の一人が飛び出ると同時に保健室の扉をスライドさせる。サッカー部の部長副部長コンビがハンドルタイプの取っ手を掴んで扉を押さえたけれど、寸でのところで伸びてきた腕が扉からはみ出した。
「ひっ!」
悲鳴を上げながらも二人は力を弱めない。右から左へと締めた引戸に背中から押しつぶされるようにして桑島先輩がもがいている。その扉の裏側からは、体当たりでもするような音と振動が絶え間なく続く。
「桑島正気に戻れー!」
「榎田! お前も目を覚ませよ! つか、なんなのその顔色!」
「竹本、洒落になんねーぞ! 今ならアイス五本で許してやるから!」
必死に叫ぶ部長と副部長の声に返ってくるのは、まるで獣のような低い唸り声だけだ。
「桃井先生、萌、そこの彼女を連れて避難するんだ」
一早先輩が目線で示す先には、腰が抜けたように座り込む川西さんの姿が。そして、彼の手にはどこから持ってきたのか、消火器があった。
その消火器を手に、一早先輩は扉から三分の一はみ出ている桑島先輩を押し戻そうとする。
「小田切気をつけろよ! セオリー通りなら……」
「感染する、か」
部長の忠告に一早先輩が真剣な目で応え、桑島先輩の腕が回らない方向から押しこんでいく。
しかしゾンビの力は驚くほど強い。二人がかりで扉を閉じているというのに桑島先輩一人を押さえることさえギリギリのように見える。
反面、知能が低いのが救いだ。今も三人協力してドアを開けようとはせず、ひたすら細い隙間に入り込もうとしているだけだ。
それでも現状、いつ破られてもおかしくない均衡状態には変わらなかった。
「加勢します!」
もう一人のサッカー部員がモップを手に戻ってきて、桑島先輩の上から伸びる手を押し退ける。
「先生、私も残りますから、川西さんをお願いします」
私はほんの少し逡巡した後、川西さんを助け起こしている桃井先生に一声かけ、ドアに駆け寄ると膝をついて下方から閉めにかかった。桑島先輩の背中が、もう半分ほどこちらに出ているのだ。頭も通ってしまったら全員が窮地に立たされてしまう。
男子が五人もいれば大丈夫と思ったのが甘かった。
初遭遇のゾンビで、しかも元仲間となれば、戸惑って当然だ。
「萌! 危ないから逃げるんだ!」
「そんなこと言ったって、出てきそうなんだもの!」
できれば私も安全なところにいたかったけれど、このままではゲーム以上に被害が出てしまいそうだった。どこで選択を間違った、私!
「おい、天野、お前が手抜いてるせいで、女子にまで力借りるハメになってんじゃねーか!」
「うっせ、結城、お前のその見せかけだけの筋肉がヘボすぎるせいだろが!」
言い争いながらも、頭上の二人の圧力が増した気がした。私も負けじと力を込める。
と、そのとき、桑島先輩の頭上から伸びる両の手がドアの縁にかけられた。その手がドアを抉じ開けにかかる。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイっ!」
副部長が緊張感のない焦り声をあげる。
モップにど突きまわされても、ドアにかかった手はびくともしない。
「小田切、まずい、突破される!」
「きゃっ!」
「うわっ!」
ドアの中からの強い力に、ドアを押さえていた私たち三人はいっせいに弾き飛ばされた。
次の瞬間飛び出してきた桑島先輩の横っ面を、一早先輩が咄嗟に消火器で殴って勢いを殺す。
だけども、続く二人目が――
「頭を下げろ!」
不意に奥から聞こえた誰かの声。
その意味を理解する前に、私はサッカー部の二人に抱えられるようにしてドア付近から退いた。
両脇の二人に庇われならが見上げたそこには、鈍く光る金属バットが二人目の後頭部に直撃する光景があった。すぐさま旋回したバットが三人目の顔面に埋まる。
バットを握っていたのは、金髪に灰色の瞳の男子生徒だった。
ゲームでは夜の登場のはずなのに……どうして彼がここにいるのか。
私が唖然としていると、彼の背後、生徒玄関の方から新たに二人の男子生徒がやってきて加勢し、第二体育館の方からもようやく助けがやってきた。三村先生、瀬名先生、体育の太田先生を先頭に、体格のいい男子たちがそれに続く。
下半身に力が入らず動けないでいる私を、サッカー部の部長副部長が運んでくれて、助けにきた彼らと入れ替わるようにして渡り廊下側に退避した。
「大丈夫か。お前ら」
瀬名先生の問いになんとか頷く。部長は苦笑いで応え、副部長は「瀬名っちおせーよ」と少し掠れた声で悪態をついた。
「うつ伏せにして押さえろ! 引っ掻かれるなよ!」
指示をだすのは金髪の生徒、五人目の攻略対象――真里谷依睦先輩だ。
彼と彼の仲間は容赦なくゾンビに攻撃を加え、倒れ込んだところを体育館からきた力自慢の柔道部や体育会系のゴツイ男子生徒たちが押さえこんでいく。
真里谷先輩はいわゆる不良というやつだ。中学の頃からここら辺一帯の不良の頂点に立っているとか物騒な噂の絶えない人だから、バットの扱いもお手の物だ。攻略対象であるからして、当然美形。派手な金髪もカラコンのグレイの瞳も、様になるほど似合っていて無理がない。
「ネットの情報通りか……」
一人の腕を押さえながら三村先生が呟く。
真里谷先輩グループの活躍のおかげで何とか動きを封じた元サッカー部のゾンビ三人は、通常なら行動不能なダメージを負っているように見えるのに、いまだ力強くもがき低い呻き声をあげていた。集中的に攻撃された頭部からは緑色の液体が流れている。
三人を拘束する生徒たちは力は抜かないまでも、おぞましく変わってしまった三人に動揺を隠しきれず、拘束していない生徒たちは遠巻きになって見守っていた。
「とりあえず何か縛る物を、猿轡もかますか」
「探してきます」
三村先生の提案に、瀬名先生と数人の生徒が職員室へと走る。
「真里谷、それから桐島に砥上も、よく助けてくれた。ありがとう。お前たちがいなかったら、取り返しのつかないことになっていただろう」
「……別に、大したことはしてねえよ」
バットを手に立ちつくす真里谷先輩に三村先生がお礼を言う。先輩は、あさっての方向を向いてぼそりと返答した。
「それより、俺たちさっき外から来たばっかりなんだけど、ここに来るまでに何人か、青い顔して道端で蹲ってるヤツらを見かけた。外は危険だ」
「やはりそうか。校内にいる生徒には外へ出ないように言ってあるが、まずは正門だけでも急いで閉めんとな」
苦々しい表情の三村先生。
学校の正面側には高いフェンスに囲まれたテニスコートとグラウンドがあって、その間にある正門を閉めてしまえばゾンビの侵入は防げるはずだ。北側にあたる裏手にも切れ目のないコンクリートの高い壁が続いている。ただ、東側の境界は、ほんの三、四十センチほどの石垣の上に木がまばらに植えてあるだけの無防備な状態だった。西側にも柵の低い箇所がある。それらを全て塞ぐには資材も時間もない。
「正門は俺らが閉めてきた。内鍵もかけたから」
「そうか。手間かけたな」
「あと俺ら、子連れの主婦とか大学生とか途中で拾ってきたんだけど」
「お前がか? いや、よくやった。ひとまず第二体育館に集まってもらおう。これからのことをみんなに説明しないとな」
少しばかり困惑する三村先生の気持ちが私にもよく分かった。
なんたって、ゲーム開始当初の真里谷先輩は、人に懐かない野良猫のように毛を逆立ててしゃーしゃー威嚇するようなキャラなのだ。それが人助けとは……
「分かった。おい哲平、あの人たちよろしく」
「りょーかい」
真里谷先輩のお仲間、これまた派手な赤い髪の長身の男子生徒が緩い口調で応えて、一旦生徒玄関の方へ消えると、小学校低学年くらいの男の子を連れたお母さんと、大学生と思しき青年、スーツ姿の若い女性を伴って戻ってきた。彼らは拘束されている三人を見て怯んだのち、私たちに軽く会釈して、第二体育館へと連れられて行った。
それにしても、まったくもってシナリオと違いすぎる。ゲームの真里谷先輩は、午前中に補習を受けて、その後学校近くのアパートで一人暮らしをしている仲間の家で過ごしていたところ、外でゾンビが発生、食糧がないためにその日の真夜中に学校に逃げてくる。
やはり、現実とゲームでは展開が大きく違うのだろうか。
「本物のゾンビみたいだ……」
不意に誰かが呟いた声が、やけに重く廊下に響いて、私は一旦考察をやめた。
「くそっ! 俺がもっと厳しく部活中の抜け出しを注意しとけば……」
「……結城のせいじゃねえよ。グラウンドから引きあげた時点で、アイツらにも戻るように連絡入れたし、それですぐに帰ってきてたら雨が降る前には戻れてたんだ。それなのに……馬鹿だよ。あんな変な雨にうかうか濡れやがって」
「でも、それだって、初めから別行動を許してなければ――」
「ちげーよ! あの雨のせいだ! 全部、なにもかも!」
「……雨か」
サッカー部の二人の会話に誰もが沈痛の思いで、その後はみな無言を通した。意味をなさないゾンビの呻き声が、この時はなんだか慟哭の嘆きにも聞こえてきて堪らなかった。
数分後、瀬名先生がロープとタオルを手に戻ってきて、再びみんな動き出す。
「急がなくていいから、慎重にだ」
三村先生の指揮のもと教師の三人が中心となって、猿轡を咬ませて手足を縛る。何の情報もないけれど、彼らに少しでも傷つけられたらマズイというのは、誰もが感じていることだった。自然と作業する人間の額には汗が浮かぶ。
「三村先生、この後はどこに。そこの機械室とかですか」
柔道部の顧問を務める三十代の男性体育教師、ジャージ姿の太田先生が保健室横の機械室を顎で指す。
「いや。校舎内は避けた方がいい。部室棟に使ってない倉庫があっただろう」
「そこまで移動させますか。その……もしかしたら、元に戻るかもしれないですし……」
「太田先生も触れて分かってるだろう。コイツらみんな死人の体温だ。脈もない」
「……はい」
「誰か人を害する前に、こうしてやった方が本人のためだ。そう思おう。お前たちもいいな」
三村先生の言葉にその場にいた生徒たちが素直に頷く。なかには涙目の者もあった。
「じゃあ、ひとまず裏口まで運びましょう。外に出るには注意が必要ですから、別の人員を用意してからということで。残った人はこの場の掃除と、念のため消毒を」
瀬名先生の指示を受けて、私たちはやるせない思いを振りきるように各自行動を開始した。