1日目_03
【ノーマルエンドの条件】
・サバイバル関連の必須フラグを立てる。
・全攻略キャラの好感度を75以上に保つ。
・攻略キャラの誰ともキスをしない。
『love or death』攻略サイトより。
◇◆◇
「万菜ちゃん。ちょっと気分が悪いから保健室行ってくるね」
「え、大丈夫? 実はさっきから、いつにもまして色白だなと思ってたんだよね」
仮病を使うまでもなく、私の顔色は悪かったようだ。極度の緊張が体調に影響を及ぼし始めたらしい。万菜ちゃんは驚いて付き添いを申し出てくれた。
文化祭実行委員の委員長を務める美術部の部長にもすぐに了承をもらって、その場を離れる。
ちらっと創ちゃんの姿を探せば、サッカー部のところで部長やコーチらしき人と深刻な顔をして話し合っていた。
おそらく、所在不明の部員の話だ。
「萌?」
サッカー部の方に気を取られながら万菜ちゃんに付き添われて歩いていると、訝しげな声がかかった。
「どうした? 具合でも悪いのか」
現れたのは、これまた攻略対象の一人。三年生の小田切一早先輩だった。
一際目を引く白の剣道着に着られることのない凛とした佇まいに、周囲の女子たちもチラチラ視線を走らせている。
生まれつき色素の薄い目と髪色とが端整な顔立ちと相まって、生来の清廉さが容姿からも垣間見える美男子だ。その上、常にピンと伸ばされた背筋がノーブルな雰囲気を醸し出すとかで、密かに女子の間では『騎士』と呼ばれていたりする。ちなみに創ちゃんが『王子』らしい。
「少し気持ち悪くて保健室に行こうかと。今日、小田切先輩も部活出てたんですね」
「ああ。受験勉強の合間の気晴らしと、後輩たちの指導を兼ねてな」
剣道三段の腕前を持つ先輩は、剣道部の前部長で全国大会出場の経験もある。
私の印象では、『騎士』というより『日本男児』といったイメージ。自分に厳しくストイックで男気のある人だ。
そう思うのも、彼とは小学生の頃から知り合いだからだろう。何の因果か設定上の都合か、私は小学一年生から五年間、隣町の道場で剣道を習っていた。その道場が先輩のご実家なのだ。当時は同じ門下生として先輩には随分とお世話になった記憶がある。
そして、先輩との関係は私が中学に入学して美術部に入ってからも続く。人物画を好んで描く私は、中学三年のとき、先輩をモデルにした絵で市の美術展で入賞した。研ぎ澄まされた気迫をまとって竹刀を構える先輩は、私の創作意欲をかき立てる素敵なモデルなのだった。
「まさか、こんなことになるなんて、ですね」
「そうだな。でもま、部活に出てなかったら外出先で雨に降られていたかもしれないし。……萌、もしかしてその顔色、外に出て空気吸ったとかか?」
「え? 違います。外って異臭とかするんですか?」
灰緑色の雨のゾンビ以外の健康被害については初耳だった。
「いや、俺も外には出てないから分からん。ただ、お前なら、緑の雨に濡れた街並みを絵に、とか言い出してもおかしくないと思ったんだが」
「……」
一早先輩の中の私のイメージって……
いや、現世の私ってわりとそういうとこあるかもね……前世の記憶が蘇って、常より客観的に自分を見てみると、ちょっと頭を抱えたくなった。
「さすがに、私もそこまで挑戦者じゃないですよ!」
「分かってる。冗談だよ」
「真顔で言わないでください……」
わざとらしく拗ねてみせると、キリリとした表情を緩めて一早先輩が微笑んだ。一瞬にして華やぐオーラに思わず見とれてしまう。周りで密かに見守っていたらしい女子たちからも、感嘆の溜息が聞こえてきた。
「少し顔色戻ったみたいだけど、ちゃんと保健室で休んだ方がいいな。真鍋さんも引き止めてゴメンな」
「いえいえ。萌ちゃんは私が責任もって保健室に連れて行きますので、お任せください」
万菜ちゃんが芝居がかった仕草で自身の胸をぽんと叩いた。
「じゃあ、またな」
「あー、先輩」
一つ思い立って、去り際の先輩を引きとめた。
「どうした?」
優しい色の瞳が振り返って私を捉える。
このまま保健室に行ってしまうと、一早先輩のイベントをスルーしてしまうことになる。
重要なフラグとなる台詞が一つあるのだけれど、脈絡もなく今ここで言ってしまおうかと考えて、結局やめた。あまりにも痛い人すぎるし。それにギャラリーが多すぎる。
「スミマセン。何でもないです」
「変なヤツ。お大事にな」
一早先輩はからかうように笑って踵を返した。
うっとりとしているギャラリーを横目に、私たちは当初の予定通りざわつくフロアを後にした。
保健室は第二体育館から一階の渡り廊下を渡った先の本棟にある。校舎に入ってすぐの右手側の部屋がそれで、そのまま廊下を歩いて行くと生徒玄関や職員室が並ぶ。
本棟一階の廊下には明かりがついていたけれど、それでも人気がないせいで不気味な空気が漂っていた。
そして、私たちはちょうど居合わせてしまった。奥にある生徒玄関から、ずぶ濡れの生徒が三人駆け込んでくるという現場に……
現れた彼らの着ているTシャツは暗緑色に染まっていて、全身から滴る雫で足もとには即座に水溜りができる。ゲームの設定によれば三人はサッカー部の三年生で、部活中に抜け出して近所のコンビニへ買い物へ行った帰りに、雨に降られたことになっている。彼らが最初の悲劇をもたらすのだ。
「やっべえ! これマジで染みる!」
「やっぱ、あのまま雨宿りしてればよかったんじゃねえの」
「いやいや、あの時点でかなり濡れてたし意味なかっただろ。それよりさっさと洗いてえ! うっわ、お前酷い顔!」
「ばっか、お前もだっての!」
「ここから近いシャワー室って第二の一階だろ?」
「でも、着替え部室だしなー。部室棟まで行っちゃった方が早くね?」
やけに明るく高いテンションに言葉が見つからない。当たり前だけど、彼らは事の重大さをまったく分かっていなかった。そこまで濡れたらアウトなのに……
「お前ら、そんなに濡れて!」
ちょうど職員室の方からやってきた呉林先生が、そんな三人を見つけて声を上げた。五十代の現国担当教師は、すぐさま職員室に応援を呼びにく。
「早くシャワー室へ!」
「身体におかしなところはあるか!?」
「ほら、あんまりバラバラに歩くな。床が水浸しじゃないか」
三人の周りに集まって、騒然とする教師陣。
そこへ、保健室から桃井先生が顔を出した。
「なんの騒ぎ?」
切れ長の目の綺麗な人で、ストレートの髪を肩の上で切りそろえている。性格はさばさばしていて、生徒からの人気も高い。
「雨に濡れた人がいて……」
万菜ちゃんが状況を説明しつつ、私のことも伝えてくれる。
「とりあえず、二人は入って」
先生たちに連れられて第二体育館側へやってくるずぶ濡れの先輩たちとすれ違う前に、私たちは保健室に迎え入れられた。
桃井先生はいったん外へ出ると、呉林先生たちと短く打ち合わせをして戻ってくる。
「顔色が悪いわね。症状は?」
「頭が重くてクラクラする感じです。ちょっと吐き気も」
雨に濡れた三年生を見たおかげで、またひとつ緊張の度合いが増して、吐き気さえも催してきた。
「熱はなさそうね。いつから悪いの?」
「十五分位前からです」
「お昼御飯は食べた?」
熱を測ったり目や喉の奥を確認された後、軽い貧血と言われて私は保健室のベッドに横になった。
万菜ちゃんにはお礼を言って引き取ってもらう。ここにいては巻き込んでしまうから。
「じゃあね、萌ちゃん。ゆっくり休んでね」
仕切りのカーテンの向こうに万菜ちゃんを見送って、ベッドの中で腕時計を確認すると、時刻は十五時二十三分。さっきまでうるさいほどに聞こえてきていた雨の音が、微かな音に変わっていた。
早くなる鼓動にジャケットの上から胸を押さえて、少し落ち着こうと瞳を閉じる。
次に目を開けたのは、廊下に複数の人の気配を感じたときだった。時計は十五時四十一分を示していた。
「失礼します」の渋い声と同時に保健室の引戸が開く。
「桃井先生、コイツら診てやってください」
「うわー、その髪色。雨のせいですか。他に不調は?」
「さっきから少し寒いかも」
カーテンの隙間からこっそりと覗き見れば、三村先生とシャワーを浴びて制服に着替えたサッカー部の三人だった。
三人は先ほどと打って変わって大人しい。彼らの髪の毛はみな一様に暗い赤褐色に変化していた。それは、これから彼らがゾンビに変貌することを表わしている。
「で、あの雨の成分って発表になったんですか?」
「いや、まだ何も。電話自体繋がりにくくなってるみたいでね」
「なんかの化学反応ですかね……」
丸椅子に座らされた三人のうちの一人――桑島先輩だったか――の髪の毛を摘まみ、明かりに透かすようにして見つめる桃井先生。
「化学の曽根崎先生も分からないそうで。脱色ではないみたいだが」
「熱は三十五度五分……ちょっと低いですね。とりあえず、ベッドに寝かせて温まらせます」
「お願いします。何か分かりましたら、お知らせします」
三村先生が出ていくのを見届けで、私はベッドに潜り込んだ。
改めて見てみれば、三人は運動部の男子らしくがっしりとした体形で、身長も私より高い。その上ゾンビにまでなったなら、とてもじゃないが太刀打ちできないだろう。
タイミングを見て先生を連れ出すしかない。ここには特に武器になるようなものもないし、まともにやりあったら一対一でも無理だ。ゲーム内のゾンビのしぶとさは本当に異常だった。
三人は私よりも奥のベッドに寝かしつけられた。
しばらく大人しくしていたが、そのうちしきりに寒さを訴える。
「先生、すごい寒いです」
「俺も……」
「震えが止まらないっす」
「分かった。今毛布を追加するわ」
私は最早寝ていられなくなって、仕切りのカーテンを開けた。
「先生、私もお手伝いします。寝ていたら大分よくなったので」
「そう。じゃあ、頼む。予備の毛布がそこのキャビネにあるから」
「了解です」
壁際のキャビネットから、ビニールに包まれた殺菌済みの毛布を取り出して先生に渡す。ひとつは自分でビニールを破って、一番手前に寝ている人にかけてあげた。
土色と表現されるような血の気の失せた顔をしていたけれど、まだ彼らは人だ。
ゾンビに変わる前に縛り上げて、なんてことも少しだけ考えていた私は、その方法を諦めた。
「さみぃ……」
漏れ聞こえた声が切なくて、せめてもと、私は毛布の上から身体を摩った。
「先生、旬君たちの具合どうですか」
そこへ、新たな生徒がやってきた。ミルクティー色の長い髪にマスカラに縁取られた大きな瞳の華やかな女子。確か一年五組の川西愛莉さんだ。
「川西さん。そう言えば、サッカー部のマネージャーだったわね」
「はい。心配で」
「今、みんな寒いと言うんで温めてたところよ。千歳さん、湯たんぽの用意をお願い。同じキャビネの下の段にあるから」
「分かりました」
私は川西さんに場所を譲って、湯たんぽの用意に走った。
隅にある給湯コーナーでお湯を入れつつ、私は焦っていた。だって、こんな展開ゲームにはなかった。川西さんの存在は省略されていたのだろうか。
何にしても避難を誘導する人物が増えてしまった。
桑島先輩の身体を摩る川西さんを見ると、どうやら二人は付き合っているらしく、そうなると引き離すのが難しくなる。
壁にかかった時計を見ると、十五時五十分を過ぎていて、ゾンビの発生まで十分を切っていた。
「湯たんぽできました」
お湯を入れた湯たんぽを桃井先生と川西さんに渡す。
「先生、旬君すごく冷たい」
悲痛な川西さんの声。すぐさま先生は桑島先輩の頸部に手を当てた。
「そんな。低体温というより……」
「旬君、しっかりして!」
川西さんに揺すられて、桑島先輩が小さく唸っている。
「脈が……」
瞠目する先生に、タイミングを見計らっていた私は口を開いた。
「先生! 一度体育館にもどっ――」
「失礼します!」
勢いよく開いた扉に私の声は遮られた。