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3日目_06

 

 佐梅原(さばいばら)


 人口約20万人。

 丘陵と山地に挟まれた平野を中心に発展した都市。

 市北は真北市と接しており、南には海が広がる。

 真北市よりさらに北部にある山脈を水源とする二本の川が、

 市内を西部、川中、東部に分割している。


『love or death』公式解説ブックより。



  ◇◆◇



 佐梅原市のなかでも、比較的ゾンビの被害が軽いと思われているここ東部地区でも、確実に悲劇は起こっていた。

 毎日の登下校で見かけた地域の人、帰りに寄り道していたお店の従業員、自分たちと同じ制服を着た仲間。ここ数日、学校の周辺を徘徊するゾンビの中に、見知った者の姿を見つけてしまう人間が増えていた。

 およそ人とは思えない肌の色、知性と理性を失った真っ赤な瞳は、ひとたび生きた人間を見つければ狂気を隠すことなく見開かれ、喉を潰さんばかりに獣じみた咆哮をあげて襲いかかる。

 本物のゾンビを目の当たりにした人間は、ゾンビに治療を、なんてことは考えもしないだろう。

 ゾンビ化前のその人と親しければ親しいほど、喪失感や悲しみとともに行き場のない怒りがこみ上げる。そして、親しい者の形をしたゾンビが動き回るのを見るにつけ、その人の人格や思い出までもが冒涜されていくように感じてしまう。


「どこ行くの!? 高坂君!」


 私は、自分でも驚くほどの素早さで、窓辺から身をひるがえした高坂君の腕を捕まえた。

 一つ目の死亡フラグが立ちかけていた。


「午後の作戦の囮組に志願する。校門まで行って、ヤツが研介か確認するんだ」

「もし、友井君だったら、どうするの?」

「研介だったら……俺の手で終わらせてやる」


 やっぱりだ。

 ゲームの高坂君も友井君がゾンビ化していることを知ると、学校の周囲をうろつくゾンビを見張り、昼間から彼が街を彷徨い歩いていることを知る。

 そこで、そのまま高坂君を避難作戦に参加させてしまうと、彼の死亡フラグは確定する。

 校門の柵の隙間から自分たちに襲いかかろうと手を伸ばす友井君を間近に見て、衝動的に武器を振るう高坂君。しかし友井君に集中するあまり、彼は他のゾンビの攻撃を受けてしまうのだ。受傷した高坂君は自ら校門を乗り越え、親友を含む多くのゾンビに永遠の眠りを与えると、別れも告げずに街に消えていく。


「そんなの、危険すぎる!」


 私はいつになく感情むき出しな声音で反対した。

 平時とは違う私の姿に、高坂君は少しだけ目を見開いた。


 彼が動揺している隙に前世の記憶を懸命に探る。

『ラブデ』ではどうやった? なんて言って説得した?

 一瞬にしてゲームの画面や攻略サイトの内容が思い浮かぶも、イベントへの導入が違い過ぎてこの場では使えない。


「ごめん。言ってみただけよ。まずは確認するだけにするから」


 高坂君は興奮する私を落ち着かせるように軽く微笑んで、袖を握ったままだった私の手をやんわりととって外させようとする。それを私は逆に掴んだ。


「千歳?」

「……」


 嘘だ。

 高坂君の大きな掌は冷たく乾いていて、形のよい長い指の爪先はびっくりするくらいひんやりしていた。まるで、酷い緊張状態にあるみたいに。

 その笑顔だって、いつもクラスの中心で笑っているような爽やかなものでなく、辛うじて口角は持ち上げられているものの、普段涼やか目元は苦しげで、瞳の奥には決死の覚悟のようなものが秘められているように見えた。

 もしかして、高坂君はあのゾンビが友井君だと、もう分かっているのかもしれない。


「行っちゃ駄目。だって、もしも友井君だったら、冷静でいられないでしょ?」


 私はどうにか引き止めようと、両手でもって高坂君の左手を握りしめた。


「大丈夫だよ。ゾンビ取りがゾンビになったら意味ないんだから。危険なことはしない」

「でも……嫌な予感がする」


 上手い説得の切り口が見つからなくて、私は言葉を濁す。

 相手が生きている人間ならいざ知らず、すでにゾンビ化した人間をその穢れた生から解放するために葬りたいというのは、生きてる人間のエゴのように思う。危険を冒してまで、今やることではない。

 たぶん、高坂君もそれは分かっているはずなのだ。


 ――正論でも頭ごなしに押しつけるだけじゃダメだぞ。


 ついさっき、黒木先輩が言った言葉が頭を過る。

 では、どうするのが正解か。

 ここにきて、黒木先輩の教育論を真面目に聞かなかったことを後悔……いや、聞いてても意味なかった気もする。


「千歳に心配してもらえるのは、すごい嬉しい。けど、俺は大丈夫だから」


 私の両手の上に、さらに高坂君の右手が重ねられる。

 ゲームよりも好感度の推移が高い高坂君だけども、親友への思いもまた特別で、今の私では彼の決意を変えることはできない気がした。


 しかし実際のところ、どこまでシナリオが再現されるのだろう。

 ゲームの中では特に違和感を覚えなかったけれど、いくら衝動的に身体が動いたとして、自分の身の安全を顧みないほどに高坂君が取り乱すだろうか。ううん。そこまで彼がうっかりさんだとは思えない。

 仮に、死亡フラグの影響力が働いた場合、それはシナリオ外の行動によってどれだけ変えることができるのか。


「じゃあ、私も行く……」


 悩んだ末にふと思いついたことを口にしてみる。

 咄嗟に考えたにしてはいい案だと、言ってみてから思った。

 もしも、高坂君が友井君のゾンビを見て暴走したら、身体を張って止めて、泣き落としでも土下座でも何でもしよう。そこは、形振り構ってる場合じゃない。


「千歳……」


 さすがの高坂君も、私の突飛な発言に面食らったようだ。


 でも、現実でゲームみたいな悲しい思いをするくらいなら、そうする。

 友井君のゾンビを葬る機会はこの後ちゃんと用意されている。今がその時ではないだけだ。ゲームの中で友井君の件に決着をつけると、私たちは少しだけ成長して仲を深める。


「はいはい、二人だけの世界に入るのはそこまでにしてくれ」


 一時存在を忘れていた梶浦君の指摘で、私は高坂君の説得にのめり込んでいたことに気がついた。

 ハッとして辺りを見渡せば、他のサッカー部員や越智君の好奇心やら冷やかしやらを含んだ視線が突き刺さる。

『ラブデ』では主人公とはいえ、無関係のみんなを前に主役きどりもいいとこだ。小っ恥ずかしい場面を見せてしまったことに、私の羞恥心が焼き切れた。

 思わず俯けば、これまた思いっきり握り合ってる二人の手が視界に入る。私は慌てて高坂君の手を振りほどいた。


「なんだよ、慧吾。存外に想われちゃってるじゃねーか」

「言ってろ」


 からかい口調の梶浦君を冷たく突き放す高坂君。


「へいへい。でもま、俺も千歳さんに一票だな」

「お前まで言うか」

「ああ。今のお前は危う過ぎて普通に待機だろ」


 茶化しながらも梶浦君の言うことはまっとうで、思わぬ助け船に私もこくこくと頷いた。


「だから、俺が確認してくる」


 憮然とする高坂君を宥めるようにそう言った梶浦君が、右手の親指で自分を指し示す。


 ん?

 梶浦君の名前を『ラブデ』で見かけた覚えはないけれど、彼も友井君とは親しい仲であるようだ。


「梶浦君も駄目! 繋がりが深い人は行かない方がいいと思う」

「ははっ。意外としっかり者だね。千歳さん」


 反射的に異議を唱えれば、梶浦君が垂れ目を細めて快活に笑った。


「そうだ。俺が駄目なら、お前もムリだろ」


 高坂君も同意する。


「じゃあ、間をとって俺が行くよ。あ、俺、茂木っていうだけど」


 それまで黙って見ていたサッカー部員の一人が手を挙げて、なぜか私に自己紹介してくれた。日に焼けた肌に、長めの髪とキレイに整えられた眉毛。サッカー部の男子は押し並べてチャラいな。というのが正直な印象だ。


 だけども、うちの学校のサッカー部は県内でも五指に入る実力だそうで、その練習内容は中途半端が許されずキツイらしい。根性や情熱がないとやってられないという活動とは真逆に、部のカラーは軟派なのが不思議だ。


「茂木君はどこ中出身?」


 私は茂木君に出身中学と現在の所属クラスを問いただして、友井君とは顔見知り程度の知り合いであることを確認した。


「じゃあ、茂木君にお願いしてもいい?」

「ああ。任せろよ」

「高坂君も、梶浦君もそれでいいよね?」


 一人でさっさと話をまとめる私に、高坂君は呆気に取られているようだった。それでも、私の提案に応じる顔からは、さっきまでそこはかとなく滲んでいた悲壮感が消えていた。


「俺もそれでいいよ。しっかし、千歳さんのイメージ変わったわ。なんか、キャンキャン吠えながら震えるチワワみたいだよな」


 梶浦君も承諾してくれたけど、高坂君の肩を抱きながら何やら言っている。低くひそめられた声は私の耳に余裕で届いた。

 突っ込んだら倍返しでからかわれそうだから、聞こえなかったことにしておく。


「お前、まさかとは思うが……」


 焦ったような高坂君が、肩を組む梶浦君を引き寄せる。そうして、ぐるりと二人して私に背を向けてひそひそと会話したのち、プロレスの技を掛け合うような組んずほぐれつに発展したので、ポカンとしてしまった。


『ラブデ』では爽やかスポーツマンキャラの高坂君も、梶浦君とコンビを組むと途端にチャラ――そうでなく、等身大の高校生男子といったところだ。私も純真なだけの主人公ではないので、より彼のことを身近に感じるような気がした。


 とりあえず、なし崩し的に危険な橋を渡ることなく、高坂君の死亡フラグを回避できた。元気に戯れる男子たちの横で、私はこっそりと胸を撫で下ろした。




 予定外のアクシデントに時間をとられた私は、次のイベントをこなすべく第二体育館から本棟の二階へ戻ると、西翼の階段を使って一階へと降りた。

 西翼一階の廊下に目当ての人物の姿はなく、窓から中庭を見渡すも、人っ子一人いない。

 私は慌てて本棟に取って返すことにした。


 本棟の一階、中ほどには、機動隊が拠点にしている事務室がある。同じ廊下の並びには職員室や校長室なんかがあって、それらの部屋は午前中のうちに施設管理班によって窓が封鎖されたらしい。現在彼らは、本棟一階の東側から渡り廊下で繋がっている食堂にバリケードを築いているそうだ。


 西翼から本棟に足を踏み入れれば、初日に最低限の出入り口を残して封鎖された生徒玄関が殺伐とした様相を呈していた。

 私はそこまで来て、ようやく探していた人物を見つけることができた。立花さんはちょうど事務室を出たところのようで、こちらに背を向け佇んでいた。

 間にあってよかったと思って、彼に近づこうとした私の足がピタリと止まる。立花さんから、ただならぬ気配がするような気がしたのだ。

 何事だろうと注意して見れば、立花さんよりもさらに奥の廊下に、白衣をまとった女性の後ろ姿がある。食堂の方へと歩いているのは、養護教諭の桃井先生だった。

 立花さんと桃井先生。『ラブデ』では相見えることのなかった二人。だというのに、敵意にも似た張りつめた空気が流れてくる。


 どうこうこと?

 私は止まっていた足を何気なく進めて、不覚にも何かにつまずいてしまった。

 こんなところに傘立てがあるなんて!?

 それを認識したときにはもう遅かった。

 私は廊下の真ん中に横たわる傘立てに足を引っ掛けて、盛大にリノリウムの床に突っ伏した。


「痛っ!」


 結構な音をたててしまったせいで、立花さんが振り返る。


「千歳さん!?」


 すぐさま、彼は私の方に駆け寄ってきて、上半身を起こすのを助けてくれた。


 こんなに派手に転ぶのはいつ以来だろう。

 私は恥ずかしくなってすぐに立ち上がろうとしたけれど、立花さんに制された。


「待って。すぐに動かさない方がいい」


 言われてみれば、強く打ちつけた左膝はジンジンと痺れて感覚がなく、屈伸したり体重を支えたりするのは厳しそうだった。


 とそのとき、私の身体が浮遊感に包まれる。


 ひえーーー。


 立花さんは、軽々と私を横抱きに抱え上げていた。

 そ、創ちゃんにもされたことないのにーーー!


 私がパニックに陥ってる間にも、立花さんは危なげない足取りで私を抱えたまま生徒玄関の近くにある保健室の扉を肩でスライドさせると、中に運び込んでしまった。


 もちろん、保健室の窓も体育祭の時に見かけた資材で覆われている。部屋の備品のほとんどは、二階に持ち込まれてすっからかんだ。

 立花さんは残っていた丸椅子に私を座らせると、ごそごそと棚を漁って未使用のタオルを見つけ出し、冷蔵庫からは製氷皿に入った氷を取り出した。それらをホーローの洗面器に放りこんで蛇口をひねる。ここまですごい早業だった。

 徐々に熱を持って痛み出す膝に気を取られながらも、私はそのきびきびと動く広い背中を黙って見ていた。


「ぶつけたことろ、見せてくれる?」


 私の前に跪いて、立花さんは氷水に浸かったタオルをきつく絞った。

 倒れ込む際に咄嗟に両手をついたので掌も痛かったが、一番酷いのは左膝だ。


「赤くなってるけど、擦過傷はないみたいだね」


 そう言って立花さんは、スカートから覗く左の膝小僧に冷たいタオルを押しあててくれた。

 冷えたタオルの感触に、幾分痛みが和らいでいく。


「すみません。こんなことさせてしまって」


 少し動揺が治まると、羞恥心より申し訳なさが勝ってきて、私は小さくなって謝った。


「気にしないで。それより、足首や手首は捻ってないか?」

「はい。大丈夫です」


 精悍な顔立ちに誠実な言動。理想の警察官を絵に描いたような人だ。彼の好感度はまだまだ低いはずなので、根っから優しい人なのだと思う。

 ゲームにはない展開だったけれど、颯爽と主人公をお姫様抱っこする立花さんの図は、ゲームだったら絶対にスチルになっていただろう。私は今さらながらに照れて頬を染めた。


 それにしても、この後どう修正すればシナリオ通りに持っていけるのか。自分の間抜けっぷりに頭痛もしてきた。


 が、次の瞬間、無情にも校内放送のスピーカーから警告音が鳴り響いた。続くアナウンスで、学校の東側からゾンビが敷地内に侵入したことが告げられる。


「行かないと。君はこのまま十五分は冷やしておいた方がいい」

「はい。ありがとうございました」

「本部に連絡して、誰かに来てもらうようにするよ」

「それは大丈夫です。たぶん冷やしたら、自分で歩けますから」


 これ以上誰かに迷惑をかける訳にはいかないので、私は恐縮しまくった。すぐに冷やしたことで、だいぶ楽になったのも事実だ。


「そうかい? 無理はしないように」

「はい。……あの、立花さん。お仕事がんばってください」


 辛うじて、イベントの最後の台詞を伝えると、立花さんは朗らかに微笑んで保健室を出ていった。


 その姿があまりにもヒーローっぽく格好よかったので、私は立花さんが桃井先生に向けた視線のことを考えるのをすっかり忘れてしまうのだった。

 


1/22(木)1:15 大筋に変更はありませんが、描写がくどかったのであっさり目に一部改稿しました。

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