3日目_05
『ゾンビに人権はあると思いますか?』
Yes / No
とあるホームページのトップページより。
◇◆◇
「ええとね……」
想定外のタイミングで入った創ちゃんの追及に脳みそをフル回転させる。いつかは聞かれるはずの質問だったのに、あらかじめ考えておかなかったことを後悔した。
「ちゃんと話をしたのは、一昨日が初めてなの。ほら、保健室でサッカー部の三年生がゾンビになったとき、危ないところを助けてもらったからお礼を言ったらね、意外といい人でさ。昨日の夜は偶然会って、その時に屋上に人影が見えたから、一緒に確認しに行ったんだ」
秘密の関係を差し引いてシンプルに説明する。昨夜、真里谷先輩が屋上で話した内容と食い違いはないはずだ。
ただでさえゾンビという正体不明の化け物のせいで、みんな混乱の極みにあるというのに、前世の記憶を思い出したなんて、これまたぶっ飛んだ話を聞かせる訳にはいけない。おそらく創ちゃんなら、頭ごなしに否定するようなことはないはずだけど、余計な心配はかけたくなかった。
そもそも、真里谷先輩いわく、前世の記憶があることは同じ記憶を持つ者以外には伝えることができないという。
創ちゃんのこれまでの行動を考えると、とても『ラブデ』を知っているようには思えなかった。
「メグ……正直に言ってほしい」
「ん?」
なにやら見抜かれてしまった模様。
だがしかし、ここは堪えてすっとぼけてみる。
腕組みをして鷹揚に構える創ちゃんに苛立ちや焦りの色は見受けられず、私が嘘をつき通すとは思っていない様子に心が痛い。
「……ショックだ。メグに隠し事されるなんて!」
分かりやすく芝居掛かった風に豹変した創ちゃんが、これまた舞台役者張りに大げさな動きで強く目を瞑って片手で顔を覆うのを見て、私は慌てた。
「か、隠し事なんて何もないよ!?」
「いや……ぜんぜん隠せてないから。バレバレだよ。メグはやましいことがあるときに――」
「に?」
眉毛? 目線? それとも口角に何か特徴のある動きが出るのだろうか。私は咄嗟に表情を固定して、溜めを作った創ちゃんの次の言葉を待った。
「それ、認めてるのと一緒だからな」
苦笑する創ちゃんに軽くデコぴんされてしまう。
「うっ」
しまった。というか、この聡い幼馴染に秘密を作ること自体が無理なんじゃ……
私は小突かれた額を庇うようにして頭を抱えた。
とそこへ、ノックもなしに扉が開き、黒木先輩が顔を出した。
「昼飯持ってきたぞー!」
携帯食を掲げる黒木先輩。奥谷先輩も一緒だ。
マイペースな先輩たちの登場に、創ちゃんの追及をこのままうやむやにできないかなとこっそり期待する。
「話終わった? って、ちーちゃん、それなにちゅう?」
「悶絶中です……」
「なにそれ?」
束の間、ゾンビの存在を忘れるほど通常営業な黒木先輩だ。
「メグ、真里谷と何かトラブってる訳じゃないんだよな?」
顔をあげた私に、創ちゃんが真面目な顔で聞いてきた。
そりゃ、今まで縁のなかった学校一の不良と幼馴染がいきなり親密になってたら、普通は心配するよね。弱みでも握られてるのかと考えてしまうかも。
創ちゃんの疑問ももっともだった。
「それはないよ。ぜんぜん大丈夫」
私は勢いよく首を左右に振って、創ちゃんの目をまっすぐ見て否定した。
「なら……これ以上は聞かないことにするよ。真里谷の噂は色々耳に入ってくるけど、実際、女子や大人しい連中相手にどうこうって奴ではないみたいだし」
「うん。悪い人じゃないよ」
「……いい人っていうのも違う気がするんだがな。ただ、何かあったら、必ず俺に相談してほしい」
溜息交じりで渋々といった様子だけども、創ちゃんは折れてくれた。これまでも、基本彼は過度な干渉はしてこないし、信用してくれているのだと思う。
「うん。そうする」
これでまるく治められると思って、私は大きく頷いて見せた。
そんな私たちの後ろでは、完全に傍観者に徹した二人がひそひそと話をしている。
「さっき、一条とすれ違ったけど、それとは別件?」
「アレだろ。朝飯の後、創史のファンクラブに捕まっちゃったちーちゃんを真里谷が助け出して、そのまま拉致ったっていう」
「なにそれ。面白そう」
「証拠写真見る? さっき創史にも送ったんだけどさ」
聞き捨てならない内容だ。今朝のあれやこれまで知っていたなら、創ちゃんの保護者モードのスイッチが入りっぱなしなのも当然だ。
それにしも、黒木先輩の情報源はどこから!?
真里谷先輩にドナドナされる姿が写真に残っているなんて落ち着かない。
「メグ」
背後の会話に聞き耳を立てていた私の意識を創ちゃんが引き戻す。今日も美男子っぷりが際立つその整った顔には、いまだ保護者モードが張り付いていた。
「もう一つだけ約束してほしい。ゾンビに関することは機動隊や警備班に任せるって。昨日みたいに、真っ先に駆けつけるのは彼らの仕事だ」
「う、うん」
「……」
『love or death』の展開を考えるに、それは安易に承諾できない約束だった。主人公はいつだってトラブルの真ん中にいる。
返答が詰まったせいか、無言の創ちゃんから圧力のようなものを感じる。
「おっと、ここにきて、ちーちゃんに遅れた反抗期到来か」
外野の黒木先輩から、囁くようにしてツッコミが入った。
「慶寿、茶化すな」
「まーま、正論でも頭ごなしに押しつけるだけじゃダメだぞ」
呆れた表情を浮かべる創ちゃんに、黒木先輩が教育論を語りだす。ちなみに、創ちゃんと黒木先輩は下の名前で呼び合う仲だ。
「どうでもいいけど、昼食べながらにしない?」
本当にどうでもよさそうに、黒縁眼鏡のズレを直しながらの奥谷先輩の提案で、ひとまずその場は収束した。
「中高生くらいの女子って、一度は悪い男に惹かれるもんだよな」
「どこの統計?」
「ちーちゃんも悪い男を試したいなら、真里谷氏でなく俺にしとけばいいと思うよ」
「却下。お前の方がたちが悪い」
「うおっ、創史から殺気が!」
もさもさと口内の水分を奪う携帯食に口を封じられている私の前で、黒木先輩の軽口に奥谷先輩と創ちゃんの二人がかりで厳しめの駄目出しが飛んでいく。
「真里谷といえば、俺と要は中学から一緒なんだけど、あいつ中学入学当初は、背も低くて細っこくて、J系アイドルみたいだったんだよね」
「そう言えばそうだったね。中一の夏休み明けだっけ? いきなり髪をオレンジに染めて登校してきて、学校中騒然」
黒木先輩が話を振ると、奥谷先輩も口の中を占めるもさもさをお茶で流し込んで続けた。
「そうそう。特に女子が煩かったなー。それまで可愛いとかカッコイイとかってちやほやしてたからさ。そんでその後、不登校気味になっちゃって、たまに顔見ると生傷が絶えなくて、生徒どころか教師まで遠巻きにしてたよな」
「うん。でも、身長が伸び始めると怪我してる姿はあんまり見なくなった。それが、二年の夏前だったか? 川中一帯の不良を束ねたのなんのって噂になって、本人も否定しないもんだから、学校ではますます浮いた存在になってた」
「ああ、その噂は俺も中学で聞いたことある。その頃は、まさか高校で一緒になるなんて思いもしなかったよ」
人に歴史ありですな。
ゲームの本編で出てくる真里谷先輩の事情としては、どうやらご家庭で色々とあったらしい。真里谷先輩のお家は、佐梅原市では知る人ぞ知る由緒ある名家で、ああ見えてあの人はお坊っちゃんなのである。四人兄弟の末っ子で、両親は跡取りのお兄さんには目を掛けるものの、末っ子の先輩のことは放置気味だったそうだ。ここ数年、両親と二人の兄、結婚して家を出たお姉さんは生活圏を都内にほぼ移していて、ゾンビ発生時には市内にいなかったはず。
とはいえ、前世の記憶を取り戻して、これまでよりちょっとだけ客観的に自分の人生を振り返ってみると、現在も反抗期真っ盛りみたいな状態って、どうなんだろう……
「メグ?」
「どしたの? 遠い眼して」
「考え事?」
「ううん。なんでもないよ!」
私は笑って誤魔化した。
きっと真里谷先輩本人に直接その心境を聞いたなら、アイアンクロー再び!なことだけははっきり分かった。
それからの話題は、避難所のことや市内の状況など、真面目な話になった。
午後からは機動隊が主導する近隣住民の避難作戦が開始される。特殊な訓練を受けていて、充実した装備の力強い味方を得た私たちは、昨日よりも肩の力が抜けていた。
実際の作戦行動はお手伝いできないので、心の中で全員の無事を祈る。
昼食後、私は四人分のゴミや再利用品を第二体育館の回収場所まで持っていった。
帰り道で、体育館と本棟の二階を繋ぐ渡り廊下で立ち止まり、校舎敷地前の通りの様子を見てみる。お昼の話では、相次いだヘリコプターの飛行か、それとも薄曇りの天気のせいか、昨日よりも昼間活動しているゾンビの数が多いらしい。
敷地内に入り込んだゾンビも何体かいて、それらは機動隊の初ゾンビ戦として手にかかったらしい。
「千歳」
名前を呼ばれて顔を向けると、本棟の方から高坂君を含む色黒サッカー部軍団の一年生数人がやってくるのが見えた。彼らもお昼が終わったところなのだろう。
「お疲れ様。高坂君」
そういえば、高坂君にも真里谷先輩との関係を心配されていた。
やっぱりアイアンクローされながらの移動は失敗だったと反省する。ただでさえ、あの人は目立つのだから。
高坂君にも事情を説明しておこうかと思ったけれど、前振りもなしに話し出すのも躊躇われた。最初に何か別の話題をと思って、私は視線を彷徨わせる。
窓際に立つ私の傍までやってきた高坂君も、何か言いあぐねるような様子だった。
「あー、余計なお世話だったら、ごめんね」
そんな私たちを見かねたのか、高坂君とそう身長の変わらない背の高い男子が割って入った。明るい色の短い髪をした派手な雰囲気の梶浦君だ。その目を引く容姿とよく高坂君と一緒にいることから、私も彼の名前を知っていた。
「千歳さんて、真里谷さんにイジメられてたりすんの?」
「え?」
「いやー、さっきからコイツが気にしっぱなしで、千歳、千歳煩いから」
「真司、話を盛るな」
どこか楽しんでる風に目じりを下げる梶浦君に、高坂君が唸るように反論する。
「で、どうなの?」
梶浦君にもう一度聞かれる。彼はもともと垂れ目気味だ。
高坂君も気になるようで、私の答えを待っている。
「別に、苛められてないよ」
「ホントに?」
問いかける高坂君の表情は固くて、梶浦君のような冷やかしは感じられない。
「うん。それまで普通に話してたんだけど、なんか地雷踏んじゃったみたいで。基本はいい人だと思う」
私は誤解をとくために、きっぱりと言い切った。
「い、いい人はないよな……」
「地雷踏んで無事って凄くね?」
「まず、あの人と普通に話せないだろ」
高坂君の後ろのサッカー部の面々ががやがや言っている。おかしなことを言ってしまっただろうか。
「千歳らしいというか……」
「慧吾」
なぜか高坂君は苦々しい表情で、梶浦君はそれを見て笑いをかみ殺していた。
そんなとき、第二体育館の扉が大きな音をたてて勢いよくスライドした。
何事かと全員が注目すると、慌てた様子で男子が出てきた。同じクラスの越智君だった。
「高坂! 梶浦! 大変だ!」
「どうした?」
一瞬にして張りつめる空気の中、高坂君が訊ねる。
「今、学校の前の道路に、友井に似たゾンビが!」
その言葉でみんな一瞬固まった。私も息を呑む。その名前を知っていたから。
すぐに、高坂君と梶浦君が窓から外を覗いた。
「そっからじゃ、たぶん見えない。テニスコートの方にいるんだ!」
越智君の言葉をすべて聞く前に、二人は走り出した。他のサッカー部員も後を追う。
私も続こうとしたけれど足が震えた。
友井研介君は、高坂君の小学校からの親友だ。違うクラスなので、私も今の今までその名前自体は忘れていた。
『ラブデ』のなかで、彼は高坂君のあるイベントに登場する。
――ゾンビとして。
私は震える足で走り出した。
彼の出てくるイベントは、特定の選択肢を選ぶことで始まる。だけども私は昨日、その選択肢が出るはずの高坂君とのイベントをスルーした。
理由は、リアルで体験するには辛い展開になる上に、高坂君に死亡フラグが立つ可能性があるからだ。それに、イベントを開始しなければ、友井君が助かるかもしれないという淡い期待を抱いたのもある。
でも、事態はそう上手くはいかなかったようだ。
彼はゾンビになって、ゲームのシナリオとは違った流れでやってきた。
それは、私の選択によって、誰かの安否が左右されることはないということの表れでもあった。実際、そうでなければ、これから私は何も選べなくなってしまうので、それについては胸を撫で下ろすも、今は深く考えないようにした。
足の速いサッカー部員たちは、あっという間に第二体育館のステージ脇にある控室へと入っていった。メインフロアにいる人たちが何事かとそれを見る。
私も遅れて控室に入ると、みんなは奥にある南向きの窓に張り付いていた。
「どれが、そうだって?」
焦りの滲む声音で梶浦君が問う。
前に高坂君が梶浦君との関係を小学校からの腐れ縁と言っていたので、彼も友井君と親しいのだと思う。
「今、あの植木の横にいるやつ。あの派手な水色の上着って、友井が気に入ってよく着てたライダースジャケットじゃないか?」
越智君が指をさす。
とは言っても、通りまで距離がある上にテニスコートを囲むネットに遮られて視界が悪い。
私も二つある窓の端っこから外を覗いてみたが、辛うじて上着の色と男の人だってことが分かるくらいで、とても人の判別はできないように思えた。ただ、その上着の色は、鮮やかなターコイズブルーで目に映える。
「確かにあの色、友井のジャケットによく似てる。慧吾、お前視力5.0だろ。どうよ?」
「どこの原住民だよ。2.0しかねーよ。つか、こっからじゃ、なんとも。試合中でも応援席の女の顔が判別できる真司の視力でも無理な訳?」
「残念なことに、男は対象外だ。それに……髪と顔の色が違うとよく分からねーもんだな……」
「初日の夜に連絡がついたっきりだが、まさかな……」
真実を確かめることに対する恐怖を紛らわすように、二人は軽妙に冗談を言い合った。
間違いであってほしいという願いがひしひしと伝わってきて、切なくなる。
がしかし、この現実が『ラブデ』の世界そのものであるなら、友井君が無事な確率は限りなくゼロに近いと思う。
ゲームでの友井君は、昨日の夜、校内でのゾンビ発生事件の前に校舎の周辺に現れる。
首筋と右半身を食い千切られているという無残な姿でゾンビ化して。
高坂君はそんな親友に、人としての安らかな眠りを与えるために奮闘する。その行動は、彼自身を危険にさらす行為でもあった。
きっと、リアルの高坂君も同じように動くだろう。
厳しい眼差しで窓の外を眺める高坂君を見つめて、私は彼の死亡フラグを絶対に回避しようと決意した。