3日目_02
【差出人】:橙子さん
【件名】:一足先に
【本文】
創史 萌ちゃん
職場のビルがヘリの救出対象になったわ。
今日か明日には市外に脱出できる予定。
二人より先に避難するのは心が痛むけれど、
ここにいたって心配をかけるだけだから先に行く。
あなたたちも上手くやりなさいね。待ってるわ。
橙子
朝比奈創史の母親からのメール。
◇◆◇
第二体育館で朝食が配給されて、ほとんどの人が食事を終える頃、運営委員会からの定期報告が始まった。
もちろん最初の話題はアレだ。昨夜の惨事。避難者の一人が校内でゾンビ化し、完全に変貌を遂げる前に投身自殺した件だった。
深夜の出来事だったので、騒動に気づかなかった生徒も多く、三村先生の話に驚きのリアクションが広がっていく。
ゲームではゾンビ化した本人のほかに犠牲者が出てしまったせいで、新規避難者への偏見や軋轢を生むことになってしまった事件だったけれど、現実では今のところそれらの片鱗は見られない。
むしろ、犠牲者を出さずに自死を選んだことで悲劇的に受け取られ、残された家族には同情や哀悼の念が寄せられていた。
亡くなった男性も少しは浮かばれただろうか。
三村先生は、すでに他の新規避難者の身体検査を実施したことと、今後は受け入れ時に徹底して確認することを併せて説明した。負傷した避難者がいた場合の対応もマニュアル化するとのことだった。
校内の事件はこんな風に大きな波風を立てることなく収束しつつあったけど、視野を広くしてみれば、そうはいかない。
世間ではゾンビ発生地区からの避難者への偏見が強まっているらしい。どうやら他の避難先でもゾンビ化した人間が出てしまったようだ。
救出活動にしても、二次被害の懸念から慎重論が唱えられ、縮小とは言わないまでも今以上のスピードアップは望めないようだった。
ネット環境が復旧したおかげで、こうした情報は嫌でも入ってくる。二転三転する外の世界の風潮をみんな敏感に感じとっているせいか、三村先生もあえて報告としてはあげなかった。
話題は今日の午前中にもやってくる警察の機動隊の話へと移る。
外は生憎の天気だけれども、ヘリコプターの飛行に問題はないらしく、予定通りに派遣されてくるとのことだった。
見捨てられた訳じゃない。そう思える話題だけに、前向きな気分になって朝の報告会は終了した。
「千歳さん、ちょっといい? 話したいことがあるのだけど」
第二体育館からの帰り、万菜ちゃんや同室の女子と歩いているところに声がかかった。
振り向けば二年生の女子の先輩が四人ずらりと並んでいた。吹奏楽部の部員を中心とした構成だった。
「そんなに時間はとらせないから」
「……」
この後約束があるのだけれど、有無を言わさぬ雰囲気の彼女たちに、私は素直に従った。
連れてこられたのは、第二体育館一階の廊下。今は誰もいない多目的ホールの出入り口があるだけの長い廊下の中ほどだった。
いまだ窓には暗幕による目張りが施されていて、光源は天井の蛍光灯のみ。地下にでも潜ったような閉塞感があった。
「ごめんなさいね。いきなり呼び止めて」
「いえ……」
四人を代表して話しかけてきたのは同じ中学出身の一条先輩だ。長い髪を後ろで束ねて三つ編みにしている。吹奏楽部での担当楽器は、クラリネットだったか。
「千歳さんにどうしても聞いてほしいお願いがあるの」
彼女たちに呼び出された時点でだいたい予測していたので、私は黙って続きを待った。
ちなみに、彼女たちの名前はゲームに登場していない。
「もう分かってると思うけど、朝比奈君のことよ」
やっぱりだ。
目の前に立つ四人の女生徒は、創ちゃんの非公認ファンクラブの面々だった。会長を務めている一条先輩をはじめ、どの顔にも見覚えがあるから、古株の方たちだろう。
朝比奈創史ファンクラブ――その活動目的は、創ちゃんに群がる女子を取り締まり、秩序をもって創ちゃんに接しようというもの。
つきまといや自宅への突撃等ストーカー行為の禁止はもちろんのこと、メールやSNSを含む本人との接触に抜け駆け厳禁のルールを設けてあるらしい。
告白やラブレターの回数にも制限があって、それはファンクラブの会員以外にも遵守するよう説いているそうだ。
ファンクラブを名乗りつつも、その性質は親衛隊に近い。
常日頃から創ちゃんとの距離が近い幹部の人たちには、卒業まで告白してはいけないという鉄の掟もあるそうだ。
「私たち、朝比奈君が放任主義なのをいいことに自由にさせてもらっていたけれど、だからこそ自分たち自身を厳しく律して活動してきたわ。彼からもそれなりの信頼を得ていると自負してる」
確かに彼女たちの活動のおかげで、創ちゃんは人並みに穏やかな学校生活を送ることができていた。私もその恩恵に与ってる自覚はある。
「幼馴染である千歳さんの存在については、クラブ内で度々紛糾する議題ではあったけど、私たちはあなたを朝比奈君の身内扱いとするよう一貫してやってきた。だから、会員には千歳さんへの不用意な接触を厳しく禁じたし、嫌がらせなんかもしないように見張ってきたの」
「……ありがとうございます」
これまで何となくファンクラブには私に関するルールもありそうだなと思っていたので、明言されてスッキリした。実際その配慮は有り難かった。
ただちょっとだけ、真剣な表情の一条先輩と後ろに立つ三人の迫力が怖くて、頬が引きつってくる。
「この判断について、朝比奈君は特に何も言ってこなかったから、間違ってなかったと思う」
ファンクラブの代表として、一条先輩が優秀なことは創ちゃんも認めていることだろう。
仮にファンクラブがなくても、創ちゃんは自分でいくらでも捌けたと思う。がしかし、誕生日とかバレンタインデーなんかに贈られてくるプレゼントの山を見ると、対応してくれる彼女たちの有難味を十分感じることができた。
「だけどね、千歳さん。今は状況が変わってしまった。この非常時、朝比奈君はみんなの心の拠り所なの。それは分かってくれる?」
「分かります」
ゾンビという未知の化け物への恐怖は、並みの精神力では耐えられない。誰かに縋りたくなる気持ちはよく理解できた。
「だからね、あなたのように特別待遇の人がいると、みんなの心が挫けてしまうの。つまり、千歳さんにも私たちファンクラブの協定を守ってほしいってことなのよ」
「……抜け駆け禁止ってやつですか?」
「そう。正確には、不用意に話しかけないってところから」
とうとう来たかと思った。
ファンクラブの人たちにとって、もともと私の存在は煙たくて仕方がなかっただろう。
それでも平常時は創ちゃんに遠慮して黙認していたのだ。
「それは、創ちゃんに言ってください」
鬼気迫るような四人の表情に怯みつつ、毅然として言った。
私と創ちゃんの関係は、私から一方的に成り立たせているものではない。私にだけ言われても困るのだ。
しかも、私は創ちゃんのファンではないから、ファンクラブにも入らないし、協定に縛られるつもりもない。
たとえ『ラブデ』のノーマルルートを目指すとういう目標がなくても、従う気にはなれなかった。
「これみよがしに、『創ちゃん』だって」
「美咲、やめて」
忌々しそうに呟いた背後の一人を一条先輩が諌める。
ファンクラブの人たちからは相当嫌われているらしい。無暗に幼馴染という立場を誇示したこともなかったけれど、こればっかりは、私の意思だけではどうにもできない問題だ。
どうやってこの場を切り抜けようかと考えていると、廊下の奥、もと来た階段の方から予想外の人物が下りてくるのが見えた。
「千歳」
どすの利いた声で呼ぶのは真里谷先輩だ。
長いコンパスであっという間に私たちのいるところにまで到達する。
「ちょっと、顔貸せ」
まるで創ちゃんのファンクラブの人たちが視界に入っていないかのような傍若無人な言い草だった。
その四人はというと、肩をすぼめて真里谷先輩から視線を逸らしている。その様子に音もなく鼻で笑った先輩の金髪の奥に覗く瞳には、グレーのコンタクトが装着されていた。
「一条先輩、話の途中でスミマセン。呼ばれているので」
ここで創ちゃんでも来たならますますヘイトを稼いでしまうところだったけど、真里谷先輩なら角も立たないはずだ。なんせ、校内きっての不良なのだから。
「え、ええ。その、大丈夫なの?」
唖然としていた一条先輩がテンパり気味に聞いてきたので頷いて見せる。
「失礼します」
私は四人に一礼すると、すでに回れ右して歩き出している真里谷先輩に小走りで追いついて横に並んだ。
「助かりました」
十分に四人から離れたところで隣りの真里谷先輩を見上げて小声で囁く。背中には痛いくらいに視線を感じていた。
彼女たちとは、いずれきちんと話し合わなければいけないと思った。けど今は、突然過ぎて自分の考えがまとまらないし、一人対多数にならないようにしたい。
「くだらねー」
真里谷先輩が吐き捨てた。男子にとっては、こういった女子のやりとりは馬鹿馬鹿しく映るのだろう。私は恐縮して苦笑いした。
「私の居場所よく分かりましたね」
「なかなかお前が本棟に渡ってこないから体育館まで戻ってみれば、お前の連れが上でオロオロしてて事情を聞いた」
「そうでしたか」
先に行ってと伝えていたけれど、万菜ちゃんたちは待っててくれたようだ。
「ところで、先輩。カラコン復活させたんですね」
私は嬉しくなって、真里谷先輩の顔を覗き込んだ。
完璧に色の抜けた金髪に冷たい印象の灰色の瞳がとても似合っている。やっぱり、『ラブデ』の真里谷先輩のビジュアルはこうでないと。
「……へらへら笑ってんじゃねーよ」
いきなり前頭部を掴まれた。なんでこうなる……
「いたっ……イダダダダっ」
こめかみに食い込む親指が結構痛い。なんていう名前だっけ、この技……
私はその格好のまま、引きずられるようにして階段を上った。ああ、ファンクラブの人たちに思いっきり見られている。
「萌ちゃん!」
「千歳っち!?」
何事かと階段を下りてきた万菜ちゃんや夏帆ちゃんたちに見つかるまで、先輩の無体は続いたのだった。
「酷いじゃないですか!」
「言っとくが、お前のためじゃねーから。カラコン着けてないと違和感ありまくりで、俺が落ち着かねーだけだから」
「?」
どういう意味だろう。
「行くぞ」
真里谷先輩はそう言い残すと、肩で風を切って先に行ってしまった。
その後、心配する万菜ちゃんたちを宥めて再び真里谷先輩を追いかけた私は、特別棟四階の美術準備室に腰を落ち着けた。窓の外を見やれば、青空こそ見えないものの、雨はほとんど降っていないようだった。
さてさて、ノーマルエンドに向けての作戦会議である。
「で、どうだった、瀬名っちのイベントは」
先ほどまでの暴力的な雰囲気を封印した真里谷先輩が冷静に聞いてくる。
「完全に恋愛モードでした」
「セクハラしてきたか」
「めちゃくちゃハンターでしたよ」
恋愛スイッチの入った瀬名先生の言動を思い浮かべて、私は身を竦ませた。
「お前、落とされんなよ……」
からかい気味の口調だった真里谷先輩が眉をしかめる。
「分かってますよ。ゲームの記憶がなかったら危なかったですけど、展開知ってますから、何とかなります」
「ホントかよ」
信用されてない感じだ。先輩は胡散臭そうに目を細めている。
確かに何も知らない私であれば、誠実で生徒思いで尊敬しているイケメンの担任教師から特別視された上にストレートに口説かれてしまったら、一溜まりもなかっただろう。だが、今の私には記憶がある。
「瀬名先生の個別ルートへの必須フラグには、サバイバルパートと関連するような外的要因はないんで、私の気持ちさえしっかりしてれば防げるんじゃないかと」
瀬名先生のイベントの選択肢には、四個中三個が個別ルートに繋がっているなんてえげつないものもある。それでも、甘い言葉に流されずに、適度な距離感を保っていれば、攻略サイトを見なくても何とかなるのだ。
「ふうん。一応分かってるんだな」
「ゲームのときからの鉄則です!」
若干の上から目線を気にしつつも、私は胸を張った。
「でも、これでハッキリしたな。攻略対象の好感度は、ゲームのイベント以外でも変動するって」
真里谷先輩が口角を持ち上げて人の悪い笑みを浮かべた。
その事実が判明したことは大きな収穫だ。加えて、真里谷先輩の好感度も三十以上あるときた。
「ですね」
「て、ことはだ。いつのまにか激減してるってこともありえる訳だ」
「ありますかね……?」
「あるだろうよ」
私は渋面を作った。
「いつ誰に見られてるか分からないんだから、ぽやっとした間抜け面とか晒すなよ」
「ゲームの高坂君は、その気の抜けたことろが可愛いって言ってました」
私は手を上げて反論した。
自分で言うなっていうツッコミ待ちだったのに華麗にスルーされる。
「高坂こそ気をつけろ。急上昇したんだから、急降下もありえる。いつの間にか、百年の恋も冷めてたりな」
「……」
それ以上の反論はできなかった。
そうして、やり込められてしまった私は、真里谷先輩主導で今後の計画を練った。本当に頼もしい味方だ……
次のターゲットは、手つかずの一早先輩をメインに攻略してくことになった。
そうこうしているうちに、遠く上空の方から近づいてくる独特の音が耳に届く。
私たちは話を切り上げて本棟に戻ることにした。その前に、素早くスマホで連絡先を交換する。
特別棟の廊下を歩いていると校内放送が流れてきた。ゾンビが集まってくる可能性があるために二階以上で待機するようにという指示だった。
本棟に入れば多くの生徒がグラウンドに降り立つ予定のヘリコプターを見ようと集まってきていた。真里谷先輩とはそこで別れる。
知り合いの姿を求めて二階まで下りると、最初に見つけてくれたのは話題の高坂君だった。
「千歳!」
「高坂君。みんなは?」
「三の五らへんにいるよ。それより、千歳。真里谷先輩にアイアンクローされながら拉致られたって聞いてたんけど、大丈夫なのか」
「うん。平気」
「先輩と、どういう……」
爆音に近いヘリコプターの音のせいで、高坂君の声が上手く拾えない。すでにヘリは高校の上空まで到達しているようだった。
私は万菜ちゃんたちと合流するために、人の合間を縫って三年五組の教室へと入った。
ヘリコプターが生み出す風圧が教室の窓を圧迫している。寸前まで雨が降っていたおかげで、地面から砂や埃が舞い上がる様子はない。グラウンドには石灰で着陸地点の目印が描かれていた。
中型の青いヘリコプターがゆっくりとグラウンドに降下している。
六人目の攻略対象との初遭遇が目前まで迫ってきていた。