2日目_10
【宛先】:お母さん
【件名】:今日も一日乗りきました!
【本文】
お父さん、お母さん
今日も一日無事に終わりました。
尊陽高校は避難所としてやっていくことになったよ。
班決めでは創ちゃんと一緒の総務班になりました。
近くに住む人たちが避難してきて、可愛いワンコも保護したよ。
ブリュレって名前で賢くて超癒されます。
萌
2日目・母親宛てのメール。
◇◆◇
「千歳、『love or death』ってゲームで遊んだことあるか?」
なんの駆け引きもなく、真里谷先輩は直球で聞いてきた。
その少しキツめな眼差しは先輩の真剣さを物語っていて、整った顔立ちに凄みを加えている。
ある程度予想していたことだけど、決定的な単語が先輩の口から発せられたことで、私の鼓動は一気に加速した。
「はい、あります。…………前世で」
声を震わせないようにするのがやっとだった。
前世で遊んだゲームの世界に、主要人物として転生したという不可解な現実を、同じように体験し理解してくれる人が現れたのだ。
私は目を輝かせて真里谷先輩を見つめた。
「やっぱりか……」
感激する私とは真逆に、真里谷先輩は落胆したように息を吐いた。
ええと、その反応は予想していなかった……
「あのー、先輩?」
「前世の記憶があるとか、純正な『メグ』じゃないなんて、ぶっちゃけ萎える」
「は!?」
胡乱げな表情の先輩を見て、私は目を見開いた。
自分のことを棚に上げて、先輩の前世の人となりに不安を覚える。安易に記憶持ちだと認めてしまったのは、マズかっただろうか。
「冗談だよ。そう怯えるなって。お前だって、前世の記憶はあっても、その人格の影響はそんなに受けてないだろ?」
険呑とした空気は一瞬にして消え、先輩の人を寄せつけないピリリとした雰囲気が和らぐ。一転して、真里谷先輩は興味深そうに、悪く言えば品定めするように私の顔色を窺ってきた。
「そうですね。記憶があるおかげで、今の自分を客観的に見れたりしますけど、人格の線引きはしっかりしてて、私は私です」
工場の爆発からこれまでの自分の行動や思考を頭の中でなぞって、私は慎重に答えた。状況が見えすぎた結果、慌てたり取り乱すこともあったけど……主に恋愛イベント系で。
先輩も同じ感覚だとしたら、前世の人格を重要視する必要はないのかもしれない。
「だよな。それに前世の俺は今ほど尖がってはなかったが、主人公は俺の嫁っていうほど振り切ってもなかったから安心してくれ」
「というと、真里谷先輩は前世も男の人ですか?」
「ああ。ラブデは妹に借りてプレイした。ノーマルエンドが難しいって、泣きつかれてな。そういうお前は?」
「普通に女です。学生でゲーマーでした」
真里谷先輩の前世が男の人だと聞いて密かに安心した。もし女の人だったら微妙な気持ちになっただろう。人となり以上に実はひっかかる項目だと思う。
それは先輩も同じ気持ちだったようで、目があえばお互いにホッとしたのが見てとれた。
「ま、とりあえず、こいつを太田に返そう。詳しい話はその後だ」
ホイッスルの紐を持って振り回しながらの先輩の提案に、私は素直に頷いた。
会議室には私だけが入って太田先生にホイッスルを返す。本人も紛失には気づいていて、探していたんだと喜ばれた。
ゲームでは、ゾンビに遭遇した先生がホイッスルを吹くことで危険を知らせ、状況が好転するシナリオになっていた。
それを私は、ホイッスルを吹くまでもなく、ゾンビを取り押さえて被害が出ない未来に変えたい。
会議室を出ると、私と真里谷先輩は無言で目の前にある西翼の階段を上り、人気のない特別棟三階へと向かった。
一番近くにあった被服室の扉を開けると、抱き合っていたカップルと目があった。
「!」
もちろん、速攻で扉を閉めた。
「呑気に盛りやがって」
「チューしてましたね……」
「あの一瞬でよく見たな」
何の障害もなく両想いになれる彼らが少し羨ましくもあった。
それに、恋愛ゲームの主人公と攻略キャラが、イベントでもなく他人のラブシーンを目撃するというのも、なんだかシュールだった。
結局、四階まで行って美術準備室で話すことにした。
特別棟の部屋の窓は角部屋以外は本棟の廊下と向かい合っているので、電気はつけずに廊下側にある作業台の椅子に座る。
月明かりのみに照らされた室内は、目が慣れてくると結構明るい。
最初に口を開いたのは真里谷先輩の方だった。
「さて、何から話そうか」
先輩の話によると、彼が前世の記憶を思い出したのは私と同じタイミングで、工場爆発の爆音を聞いたときだったらしい。
にわかには信じがたかったけれど、異様な色の雨が降って、先輩も覚悟を決めた。
まず、被害を少なくするため、雨が上がった少し後にゾンビの情報を色んなルートでネットに流したそうだ。
そして自分も校内のゾンビ被害を食い止めるために、ゲームより早く学校に駆けつける。その後の展開は私も知るところだった。
「そっか、だから……」
昨日、ゲームのゾンビ発生時刻よりも早い段階で、情報がネットに出回っていた謎が解けた。前世の記憶を持て余して、オロオロしていた私とはえらい違いだ。
「ところで、先輩は、一緒にいたお友達に記憶のこと話したんですか?」
保健室の攻防に真里谷先輩が加勢した際、赤い髪の長身の男子と、黒髪のベリーショートの男子もいた。これまで校内で真里谷先輩を見かけたときに、高確率でツルんでいた二年生だ。
「いや、……お前は試してないんだな」
「ん? えっと、私は誰にも言ってません。あまりに荒唐無稽過ぎて、どう説明していいか分からなくて」
呟く先輩の苦々しい表情に、小首をかしげながら答える。
正直、創ちゃんには相談してしまおうかと思ったこともあったけど、攻略キャラ本人に言うのは後々の展開に問題があるような気がして諦めた。
「お前も試せば分かるが、前世の記憶を持たない人間に事情を喋ろうとすると、突然息が詰まって話せなくなる。だったら紙にでも書いてと思えば、インクは出ないし芯は折れる。携帯やパソコンにも入力が反映されないとくる」
「そんな、不思議なことが?」
「ああ、実際やってみろよ」
真里谷先輩はそう言って、壁面収納に仕舞われた画材を顎で示した。
私はキャビネットから適当に鉛筆とスケッチブックを取り出すと、『私には前世の記憶があります』と書いてみることにする。
「あ……」
特に力を入れた訳でもないのに、『私には』と書いたところで2Bの鉛筆の芯がボキりと折れた。
まさかと思って、ありったけの画材を持ち出してみたけれど、滲み過ぎて判別不能になったり色がつかなかったりと怪奇現象のオンパレードだった。
「会話に関しては、同じ転生者なら大丈夫みたいだな。今さっき分かったことだが」
「本当に何が起こって……」
前世で遊んだゲームの世界に転生したことも含め、自然科学の摂理を覆すほどの抗えない大きな力が働いていることを知って、私は背筋を震わせた。
「まあ、これに関しては、考えたって答えが出るとは思えない。現実を、イベントを進めていくしかないだろう」
「そうですね……」
釈然としないながらも、今は目前のゾンビ発生に備えて気持ちを切り替えようと努める。
「ところで、お前、前世でのラブデのコンプリート率は?」
「百パーセントです!」
「そりゃ、頼もしい。じゃ、分かってると思うが、俺の個別ルートにだけは入るなよ」
「……言われなくても選びませんよ、モルモット人生になっちゃうじゃないですか」
突き放すように言う真里谷先輩に、私は取り繕うことなく顔を引き攣らせた。
真里谷先輩の個別ルートに入ってしまうと、なんと主人公はゾンビに足を咬まれてしまう。それは絶対に避けられないイベントで、主人公は自死か避難所からの退去かの選択を迫られる。真里谷先輩はそんな主人公を見捨てずに、二人して避難所を後にするのだ。最期の時まで一緒に過ごし、ゾンビに変わる直前に自らの手で主人公を殺める覚悟で。
結局、主人公にゾンビ因子に対する抗体が出来て、めでたしめでたしなエンディングを迎えるんだけど、ゲームとしてはハッピーエンドだとしても、現実ではその後も人生は続く訳で……そうなると、実験台として生きていく未来しか見えない。リアルは厳しいものなのだ。
「ならいい。あと、朝比奈ルートも避けてくれ。俺の家の地区が水没するから」
「創ちゃんルートは、たぶん回避できたと思います」
「この時点でか?」
訝しむ真里谷先輩に、私はこれまでこなしてきたイベントと、各攻略キャラの推定好感度を話して聞かせた。
「なるほど。つか、となると、誰のルート狙ってんだ?」
「一応……ノーマルだったんですけど……」
歯切れの悪い答え方になった。
真里谷先輩が前世の記憶持ちだったので、ノーマルエンドに必要な好感度が稼げない可能性が出てきたからだ。
「ふうん。勝算は?」
先輩は何か思うところがあるのか顎に手をやり、他人事のように言う。
「正直、いっぱいいっぱいで」
「じゃあ、もう、瀬名っちルートでいいんじゃないか?」
「先輩、さっきから……」
自分本位というか薄情というか、ある意味ゲーム序盤の好感度が低いときの真里谷先輩らしい態度だった。
私は少しむくれてしまう。同じ境遇だから親身になってくれると思ったのに。
「瀬名っちの個別ルートは一番入りやすいし、大した苦労もなくエンディングまで行けるストーリーだ。ミラ・ジョ○ォヴィッチばりのアクションもこなさなくていいし、現実的だろう?」
「そうですけど……」
真里谷先輩の言うこともごもっともなのだけど、渋るには理由がある。
「あのルートには、あ、朝チュンがあるじゃないですか!」
私は真っ赤になって言い放った。
『ラブデ』の攻略対象の中で唯一、瀬名先生の個別ルートには、それらしいシチュエーションが出てくる。
「ああ。でもあれって、明確に書いてないからヤッてないかもしれないだろ。ファンの間でも意見が分かれてる」
確かにはっきりと言及してはいないが、シチュエーション的に致してしまってる可能性は高い。『腰が重い』とか『だるい』とか、匂わす表現がチラチラ出てくるので、ファンの間でも議論になっていた。
「どっちにしろ、無理です。だって、今の時点で恋心もないのに、短期間で恋して朝まで過ごす仲にって、どんだけ盛り上がっちゃうんですかって話ですよ」
「いいじゃないか。恋は盲目っていうだろ。それに、非常時なんだ、本能のまま突き進むんだよ」
軽薄な笑みを浮かべる真里谷先輩は、完全に面白がっている。
話の内容が内容だけに、凄みのある美形に艶までプラスされて、なんだか怪しい雰囲気になってきた。
私はなんとか話を軌道修正しなければと、いつになく高速で思考を巡らした。
「それに、後々のことを考えると、教師と付き合うなんてリスクが高すぎます。卒業まで二年もあるし。創ちゃんには、すぐにバレちゃいそう」
「そうだな……朝比奈ならその日のうちに察してもおかしくないか。しかも、非常時に横から掻っ攫われたとなれば、いくら聖人君子のアイツでもダークサイドに落ちるかもな」
真里谷先輩は腕を組んで唸った。
「やっぱり、駄目です。先生のルートは!」
首を左右に振り、駄目押しで言う。
私も想像してゾッとした。過保護な幼馴染にはいつまでも甘いままでいてほしい。仲の良い親戚みたいな千歳家と朝比奈家の空気が好きだった。今となってはほど遠い、穏やかで暖かい日常だ。
「まあ、お前が望むなら、俺もノーマルエンドを目指すのに反対はしない」
「本当ですか!?」
「ああ。実際、多くの人間にとって最善のエンディングなのは間違いないからな」
よくよく考えれば、昨日の行動といい、真里谷先輩は前世の記憶を活かして被害を出さないように一人で動いていた人だ。さっきまでのやり取りのせいで、穿った見方をしてしまいそうになったけど、信用に足る人物ではないだろうか。
打って変わって、今の先輩の表情は真面目だった。
もしかして、瀬名先生のルートのくだりは、からかわれてただけ?
「だったら、協力してくれますか?」
「いいぜ。俺もこんな悪夢からはさっさと解放されたい」
「あと、今夜のゾンビ事件の被害とか、助けられる人間は助けていきたいです」
「俺も同じ考えだ。全面的に協力する」
期待を込めて見つめれば、真里谷先輩は頼もしく頷いてくれた。
私たちはどちらからともなく、がっちりと握手を交わす。
「じゃあ、明日からは先輩との恋愛イベントもこなしていきたいんですけど……」
先輩の気が変わらないうちに、私は恐る恐る提案した。
好感度を上げるためには、お互い内容を把握している恋愛イベントを役者のように演じることになるだろう。ちょっとした茶番劇だ。
「そのことなんだがな。俺の実感だと、もう好感度四十はあると思う」
「へ?」
ぽろっと間抜けな声が出た。
好感度ゼロから一気に四十なんて裏技、ゲームにはない。
「だって、そうだろ? 今のお前は俺にとって特別だ」
「……そうなんですか?」
真里谷先輩の真剣な眼差しが突き刺さる。その顔は反則だ。
私は思いっきり動揺した。
「同じ前世の記憶を持っていて、同じ目標を目指す仲間だ」
火照っていく両頬を両手で押さえて、私は頷いた。
青白い月の光が差す室内では、真っ赤になった顔はバレないだろう。
「それで好感度が上がってるなら、助かります」
「確認のために、朝一で瀬名っちのイベントを起こすんだ。ヤツが口説いてきたら、俺の好感度が上がってる証拠だ」
「そうですね。やってみます」
瀬名先生の攻略は他のキャラとの同時攻略が必須で、生徒の攻略対象四人のうち三人の好感度が三十以上になると、彼も恋愛モードに切り替わる。
今の時点では、創ちゃんと高坂君が三十以上、一早先輩が三十以下と推測されるので、もし明日の朝、先生の態度が対生徒モードから脱していれば、真里谷先輩の好感度が上がっている証明になる。
高坂君の好感度の上がり具合といい、これまでにも、ゲームシナリオ以外の要素が好感度に絡んでいるような傾向があったので、はっきりさせるにはいい機会だった。
「(案外、すぐに七十五以上になったりしてな……)」
「何か言いました?」
「気にするな。独り言だ」
明日の瀬名先生のイベントが思い出せなくて考えていると、先輩が何か言った気がしたけれど、独り言だったらしい。
先輩にイベントの詳細を聞いてみると、私よりも詳しく覚えていてビックリする。
その後は、二時間後に迫ったゾンビの発生に備えて作戦を立てた。
「そう言えば、真里谷先輩。いつ私に前世の記憶があるかもって、思ったんですか?」
「そんなの、出会い頭に決まってるだろ。あの場にいないはずの主人公がいたんだ。こいつもかって思うだろ」
う。そのときの私は全然思いもしなかった……
「だったら、その日の夜のイベントで言ってくれればよかったのに」
「転生者同士なら話ができるっていう確証がなかったのもあるが、話そうとして息が詰まるのが結構苦しい」
「そんなにですか?」
「お前には勧められない」
一回くらい挑戦してみようかな、なんて密かに考えていると、「俺は、忠告したからな」と呆れの混じった低い声で先輩が言った。
「あとは、やっぱり、前世の記憶がある『メグ』なんて『メグ』じゃねー、と思ってな」
「それ……案外本気で思ってます?」
「中身、男だったら引くだろが」
「まあ、私も攻略対象に転生しなくてよかったです。でも、それじゃあ、どうして今声かけてくれたんですか?」
手持無沙汰だった私は、真里谷先輩をモデルにスケッチブックにデッサンを描き始めた。部屋が薄暗いので、ひたすら影をつける。
「ちょこまかと、危なっかしいからだよ。今夜のゾンビも一人で対処するつもりだっただろ」
「だって、協力できる人がいるなんて、思ってもなかったんで」
「昨日、保健室前で苦戦してたくせに、よく今日も首突っ込む気になったな」
苦笑いの先輩を見て、改めて自分でも無謀だったかなと思い始める。
「知っていて、見過ごすというのはナシかなって」
それは先輩も同じだと思う。
この数十分で、私の真里谷先輩への信頼度は急上昇していた。
「だからって、無理はするなよ。主人公が死んだ後の展開が予測できない」
「ですよね……」
「それに、個人的にもお前には傷ついてほしくない」
「先輩……」
「……お前のキャラデザって、やっぱり絶妙だよな」
真里谷先輩の前世は、重度なオタクということで、私の中で結論づいた。
就寝時間の二十二時が迫ったところで、私たちは一旦解散した。
作戦決行の時間まで、それぞれの部屋に戻って時間を潰す。
消灯はしたものの、寝入っているのは数人で、それ以外は小声で話をしたり携帯端末をいじったりして、それぞれの時間を過ごしていた。
私はロッカーに置きっぱなしにしていた長袖の体操服の上下を引っ張り出し、それをパジャマ代わりにすることにした。がしかし、着替えはまだしない。
制服のまま周囲の起きている子と話をし、二十三時二十分になったところで、トイレに行くと断って廊下に出た。
「行くぞ」
真里谷先輩はすでに廊下にいて、二人して二年五組の教室を目指す。ブリちゃんに吠えられた男性が割り当てられた部屋だ。
まずは、先輩だけが教室に入って様子を窺う。
「ダメだ。部屋にいない」
すぐに出てきた先輩は、焦りの滲む表情でそう言った。
そんな、ゲームと違う!
シナリオと異なる展開に、私は目の前が真っ暗になった。