プロローグ
以下、あらかじめご承知おきください。
・予告なく残酷な描写が入ります。
・この物語はフィクションです。法律、行政等に関する描写も現実とは異なります。
・遅筆のため不定期亀更新です。
――その瞬間、私の中で育まれていた彼への淡い気持ちは、炭酸水の泡のようにシュワっと消えた――
十月上旬の土曜日、十四時二十五分。
郊外の工場地帯で起こった爆発は、十数キロ離れたここ尊陽高校まで爆音を轟かせた。周辺の木々からは鳥の大群がいっせいに飛び立ち、いまだ複数のカラスが不吉な声で畳みかけるようにして鳴いている。
室内で作業していた生徒たちが驚いて声をあげるなか、南側に面した窓の外を見れば、遠く南西の空が黒い煙で覆われていた。
その光景を目にした途端、私の中で何かがリセットされるのと同時に頭の中に膨大な量の情報が流れ込んできた。目を白黒させているうちにそれらはまるでパソコンにインストールでもするかのように、私の記憶に定着していく。ものの数分の話だった。
そして私は覚る。平穏で幸せだった日常がすでに壊れてしまったことを。今さっき蘇ったばかりの前世の記憶が、否応なしにそれを告げるのだった。
急速に南西の空に広がっていく黒煙は徐々に輪郭をくっきりとさせ、真っ黒な積乱雲となって地上に影を落としていく。
それを呆然と見つめる私は、これからこの世界で起きること正確に把握していた。
なぜなら、今直面しているこの現実が、私が前世でプレイした女性向け恋愛ゲーム『love or death』の舞台と同じ世界であるからだ。
今とは異なる名前と容姿で違う人生を生きていた前世の私は、いわゆるゲーマーというヤツで、色んなジャンルの数々のタイトルをプレイしていた。その中でも確かに『love or death』はお気に入りのゲームだったけれども、まさかそのゲームの世界に転生してしまうことになるなんて……というか。
よりにもよって、なんで『ラブデ』!?
背筋を冷や汗が流れていく。これからの展開を考えれば自然と足が震えて膝が嗤った。
冗談でなく、これからこの街は半日もしないうちに災厄で溢れかえる。現時点でこれは決定事項で、今から覆す手段はない。
『love or death』――通称『ラブデ』は、サバイバルホラーの要素を取り入れた乙女ゲームで、ゾンビが徘徊する街を舞台に、恋の花を咲かせつつ生き残るために戦う物語だ。
つまり、これからリアルに生きる屍と対面することになる。
そりゃあ、ほとんどのゲームはモンスターやら悪魔や妖怪、宇宙人なんかと戦うストーリだったけれども、乙女ゲームのくくりで言ったら『love or death』は異色の類で、もっと他にひたすら甘いウハウハなゲームがあるというのに、なんでこの選択なのか……
軽くよろめいて近くの机に手をつくと、視界に入った自分の制服は、濃いグレーのブレザーに白いシャツ。胸元には赤いリボンで、ボトムのプリーツスカートも赤を基調としたチェック柄。まんまゲームの中の尊陽高校の制服と同じだった。
そもそも『尊陽』ってゾンビをもじったとかなんとか、しょうもない小ネタもあった気がする。
ここまで思い出してもう分かっている。
このゲームでの私こと千歳萌の立ち位置は――ずばり、主人公だ。
緩くコテで巻いたようなくせ毛を結いあげたポニーテールがトレードマーク。
人気のイラストレーターがデザインした主人公は十分に可愛かったけれど、ゲームの中ではいわゆる地味主人公扱いだった……
…………………………うん。まあ、それは置いておいて。
ここが『ラブデ』と同じ世界だというなら、ゲーム開始の工場爆発直後、一番にやることは決まっている。あの人の死亡フラグをへし折ることだ。
サバイバルゲームとしても秀逸なつくりだった『ラブデ』は、攻略キャラとの恋愛をメインに据えつつも、ひとつ選択を間違うと容赦なく主要キャラが死ぬという無慈悲な仕様になっていた。
そう、ゲーム自体はノベルゲーム形式の乙女ゲームだ。
ただ、全編を通して大量の選択肢が用意されており、緻密なフラグ管理と絶妙な伏線のおかげで、生き残りをかけた駆け引きに燃えるプレイヤーも多かった。
その結果『ラブデ』は幅広い層の支持を獲得し、記録的な売り上げを残した希有な乙女ゲームと言われていた。
だからって、リアルに体験したくはなかったよ!
私がひとり教室の片隅で色んな意味で途方に暮れている間にも、不穏な黒い雲は増殖しており、上空は風が強いのか、徐々に市の中心部へと流されてきているようだった。
「しっかりしなきゃ……」
誰に言うでもなくひとり呟く。
室内にいる他の面々はようやく最初の驚きから解放されて、黒い煙を写真に撮ったりネットで状況を調べたりしていた。ここにいるのは私も含め土曜日の休日返上で登校した文化祭実行委員のメンバーだ。せっかく今日準備したもろもろの資料は悲しいけれど無駄になるだろう。
いまだ外に気が向いている友達に一声かけると、私は教室を飛び出した。