2日目_08
【髪の毛を……】
→しっかり乾かす (真里谷依睦イベントへ)
→乾かさない (朝比奈蒼史イベントへ)
『love or death』攻略サイトより。
◇◆◇
武道場の二階にある剣道場の板の間が、今日新たに避難してきた人のための待機部屋になっていた。
何に備えての待機なのか。避難者には避難所の説明や手続きのためとか部屋を用意するためとか、もっともらしい理由を並べて誤魔化してはいるけれど、ぶっちゃけ、ゾンビに変化するかどうかを見極める猶予時間を設けているのだった。
一応、ゾンビとの接触や負傷の有無は本人から聞き取ってはいるものの、しょせんは自己申告だ。正直に答えてもらわなければ意味がない訳で……
今の段階では、まだ避難者に対する遠慮が大きくて、怪我の確認のために身体検査させてください、なんて強気に出ることができない雰囲気だ。それがひいては避難者本人のためだとしても。
その対応の甘さが、今夜の悲劇を招いてしまうのだけども、ゾンビの脅威の『感染する』って側面を、このとき私たちはまだ正確に捉えてはいなかったのだ。
それに、まだまだゾンビの情報自体があやふやなのも、対応を決めきれない要因になっていた。
肝心の――ゾンビに傷を負わされた人間がゾンビになるまでの時間については、負傷した部位や度合いによって異なるってことが分かるくらいで、いまだ情報が錯綜している。死亡してからは三十分以内っていうのがようやく判明して、情報が出回り始めたところだ。
三村先生たちは、五時間みればいいだろうと考えているのだけど、それではゾンビ因子を持った人間を見逃してしまう。
本当は最長で半日。その根拠を示すことができない私は、せめてゾンビ発生後の被害を全力で食い止めようと決意するのだった。
と、そんなこんなで密かに意気込みつつ、黒木先輩と一緒にやってきた剣道場には、今日の避難者四十人弱がグループごとに身を寄せ合うようにして座っていた。
安全が確保できてリラックスする家族もいれば、この待機の意味に気がついているのか憮然としている人、安否の不明な家族を心配する人など、その表情は様々で、最後に避難してきた銀色の車の若者五人は憔悴しきった様子だった。
そんななか、近隣住民の九世帯三十四人のうち、中年男性とカテゴライズされる見た目の人は七人。あくまで私の基準だけど広めの判断だと思う。
さらに、ゾンビと接触したと思われる午後三時にはすでに避難所にいた四人を抜くと、候補は三人まで絞り込めた。
一人目。
老夫婦と奥さん、本人を入れて四人で避難してきた中肉中背の男性。
ブルゾンにジーンズ姿で、横には軍手が揃えて置いてある。
家族が全員そろっているのか、ホッとした表情。
二人目。
奥さんと中学生くらいの娘さん二人に囲まれた男性。恰幅が良く、カジュアル目のジャケットとスラックスが少しきつそう。活発そうな上の娘さんから、動作がのんびりでハラハラしたと詰られている。
娘が可愛くてしょうがない感じ。緊張感はない。
三人目。
二十代くらいの息子さんと二人で避難してきた背の高い男性。
薄手のハーフコートにスラックス。ベースボールキャップを目深にかぶっている。
会話はなく、二人とも思いつめた表情をしている。ここにくるまでに色々あった模様。
見た感じだけで判断するなら、三人目の人が怪しい。
だけども、もしこの人がそうなら、そのまま家に留まって避難所には来ない気がした。
うん。やっぱり特定不能!
せめて上着を脱いでくれれば、インナーが破けてるとか汚れてるとか、何かしらの痕跡があったかも。
って、見た目で分かったら、すでに誰かが指摘してるよね……
私は素直にゾンビ探知犬のブリちゃんに頼ることにした。
がしかし、今の時間ブリちゃんは特別棟の一階にいるはずで、救出作戦でSAN値を削られた警備班のみんなにモフられていることだろう。そこから連れてくるのはさすがに躊躇われた。
それに、いきなりここにワンコを連れてくるというのも、傍から見たら意味不明な行動だ。今後の活動のためにも、不審に思われたり目立ったりするのは控えたい。
今はいったん引いて、タイミングを見極めよう。私は避難者カードを回収すると、来た時と同じように、黒木先輩と一緒に武道場を後にした。
会議室に戻ると、三村先生や曽根崎先生、教師陣が集まって何やら話し合っていた。
「何かあったのか?」
黒木先輩が創ちゃんに問う。
「さっき県警から電話があって、明日にもヘリで機動隊を派遣してくれるらしい。ゾンビの密集地帯は自衛隊に任せて、ここみたいに比較的ゾンビの少ない地域に拠点を作りたいそうだ」
創ちゃんの答えは、ゲームのシナリオ通りだった。
「尊陽高校に?」
「ああ。警護目的に一小隊来る。あとはサバ女に大量投入して、ここら辺一帯の学校を避難所に作り変えるらしい」
「なるほど」
「だから、受け入れ態勢の相談中。これで警備班の負担も軽くなるな」
『ラブデ』的に言うと、ついに六人目がやってくる。最後の攻略対象は、警察の機動隊員だ。
これで私も本腰を入れて六股に走らなければ……
もう、ここまできたら逆ハーでもなんでもやってやりますよ。えげつないと思いつつも、やめる気は毛頭ない。
だけども、総務班の仕事にゲームイベント、加えてシナリオ外の人助けまでしようとすると、いよいよ身一つでは足りなくなってきた感がある。
今日これからの予定だっていっぱいいっぱいで、綿密に行動計画を練らないと、全部が中途半端になってしまいそうで恐ろしい。
本気で分身が欲しいよー。
なんて考えていると、同じ部屋の子が私と万菜ちゃんを呼びに来た。そう言えば、シャワーの時間だった。
今現在避難所にいる女子の数に比べてシャワーの数が圧倒的に少なすぎるので、昼間からローテーションを組んであるのだ。
速攻で切りのいいところまで仕事を進めると、私は煮詰まった思考をリフレッシュするため、喜んでシャワーにでかけることにした。
「ふー。生き返ったー」
第二体育館の一階にあるシャワー室で、熱いシャワーを浴びてホクホクになった私は、冷水器から冷たい水を飲んで人心地ついた。
シャワー前に手洗いした下着類も、業務用の衣類乾燥機の放りこめば、薄手のものは半分の時間でもう乾いていて、インフラが生きていることの有難味を噛みしめる。
持ち時間いっぱいでシャワーを浴びた私は、ドライヤーの順番が回ってくると、こちらも遠慮なく制限時間を全部使って完璧に乾かすことにした。
これからのイベントを考えてのことだ。
とは言っても、一人十分までって、ロングヘアだと足りないかも。
私の髪は下ろすと背中の中ほどまであるので、ドライヤーの風量をターボにして、時短重視でばっさばっさと髪の毛を掻きあげた。
「千歳っち。豪快すぎ……」
少し癖のついた髪がボリュームを増していくのを見かねたらしい夏帆ちゃんが、ブラシを手に仕上げのセットをやってくれた。
「千歳っちの髪質って、ブラシとドライヤーだけで上手いことカールするんだね。毎日コテで巻いてるのかと思ってた」
「ううん。ちょっとくせ毛なんだ」
夏帆ちゃんの手にかかり、無事ボリュームも収まった私の髪は、自分でするよりも毛先がキレイに巻かれていた。結いあげてみれば、よりキャラ絵に近い感じになる。
「ありがとう。夏帆ちゃん!」
仕上がりに大満足でお礼を言う。
これで、真里谷先輩を落としちゃる! 私は意気揚々と女子でごった返すシャワー室を後にした。
「………………」
三十分後。第二体育館のメインフロアのギャラリーで、私は一人佇んでいた。
これって、バックレってやつですか。
ゲームでは、避難所生活で初めてのシャワーを浴びた後、髪の毛をきちんと乾かしてここから外を見ていると、真里谷先輩がやってきてゾンビ談議にふけるという恋愛(?)イベントが発生する。
救出作戦のために一部目張りの剥がされた窓から差し込む夕日の茜色が徐々に薄暗く変わっていくなか、窓の下を一体の男性のゾンビがうろついていた。囮役の須藤君を先頭になって追いかけていた足の速いゾンビだ。
フロア内には何人か人がいるけれど、金髪は見当たらず、先輩が来るかもって期待はどんどんと萎んでいく。
うすうす思っていたのだけど、真里谷先輩って、実は私と同じ前世の記憶持ちで『ラブデ』のプレイヤーなんじゃないだろうか。そう考えれば、シナリオから外れた彼のこれまで行動もすべて説明がつく気がする。
いっそのこと正面を切って聞いてみようか。
昨日、シナリオより早く学校に現れたのは、桃井先生を助けるためだったと仮定すると、信用に値する人のように思う。
ただ、攻略はされたくないようだ……
でも、私だって先輩のルートに入るつもりはさらさらないよ。これだけは声を大にして言っておきたい!
とりあえず、真里谷先輩がプレイヤーかもしれない件は、頭の片隅に置いておこう。
私は一人、渡り廊下を歩いて本棟に戻った。
今から創ちゃんのイベントに切り替えられるかな、なんて邪な念を抱きながら。
「創ちゃん、いるー?」
ノックの返事を待たずに、私は現国準備室の引戸を開けた。
「!」
えっと、これは……
「メグ」
「千歳さん! これは、違うの!」
こんなスチルどっかで見たかも。目の前の状況に既視感を覚えて、私は目を瞬かせた。
濡れ髪の美少女と美男子が向かい合って密着している。
美少女は姫宮先輩で、美男子はもちろん創ちゃんだ。
「髪の毛が校章に絡まっちゃって、朝比奈君に取ってもらってたの」
創ちゃんに寄り添ったままの姫宮先輩が、慌てた口調で説明してくれた。
知ってます。だって、それは『ラブデ』の主人公に降りかかるイベントだから。
ゲームのイベントとまったく同じことが、姫宮先輩の身に起きたようだ。彼女の黒髪が、自身の制服の襟につけた校章に引っかかって突っ張っている。自分で取ろうとして、余計に絡まってしまった図だ。
「大丈夫ですか?」
私は内心の驚き具合を隠して、何とかそれだけ言うことができた。
ゲームでこの場面をプレイしたとき、そんな偶然に髪が絡まるかなっていうのが率直な感想で、これはまあ攻略対象と密着するためのゲーム的ご都合演出だよねって納得していたんだけど、現実でも起こって、しかも主人公以外の立ち位置の人とも発生するって、どういうことだろう。私は少し混乱してきた。だって、誰でも攻略対象と恋愛できるってことにならないだろうか。
しかも、お嬢様然とした姫宮先輩と王子な創ちゃんの組み合わせがお似合い過ぎて、地味にショックだ。一応、主人公と創ちゃんのスチルも、絵師さんの腕前のおかげで、めちゃくちゃ絵になってはいたけれども……
「姫宮もちゃんと髪の毛乾かしてくればよかったのに」
創ちゃんはシャワーを浴びてどことなく艶の増した姫宮先輩の姿にも動じることなく、器用に校章を外して、あっさりと絡まった髪の毛を解いた。
「はい。終わり」
「ありがとう。ごめんね。変なことさせて」
「気にするな。それより、濡れた髪といい、なんだか姫宮らしくないな」
苦笑しながら創ちゃんが外した校章を姫宮先輩に渡すと、姫宮先輩は俯いて赤くなってしまった。
確かに、いつもきちっと身だしなみを整えている姫宮先輩にしては、らしからぬ姿だった。
電源の関係でシャワーの数よりもドライヤーの方が少なかったから、待ってる人が行列していて、後から来た人ほど時間がかかる状況だった。実際、ショートの子や待ちきれない人なんかは諦めて濡れ髪のまま帰っていった。
先輩もよほど急いでいたのだろうか。
「早く戻ってこようと思って、焦っちゃったのよ」
「やることは沢山あるけど人はいるから、無理するなよ。風邪でもひいたら大変だ」
創ちゃんの言葉はゲームの主人公に対するものとほぼ同じ内容だった。だけども、甘さ控えめの対応だったため、こっそりと安堵する。普通に同級生を気遣う一男子といったところ。
「そうよね。やっぱり、ちゃんと乾かしてくるわ」
「ああ、時間かかっても気にするな」
頬を染める姫宮先輩の仕草は、いつもの聡明で落ち着いた雰囲気とは違って麗しい。
今まで気にしたことはなかったけど、照れている姫宮先輩の醸し出す空気のせいで、創ちゃんと先輩の並びにドキリとした。
「先輩。ターボで乾かせば、すぐ乾きますよ」
私は動揺のあまり、意味のないアドバイスをしてしまった。
「ありがと。ちょっと行ってくるわね」
複雑な思いを抱えたまま、私は姫宮先輩を見送った。
「メグは、乾かしてきたんだな」
「うん」
「いつもより、カール強めだ」
そう言って、創ちゃんが背中にかかった私の髪を掬う。
「夏帆ちゃんに巻いてもらったの」
「俺より上手いな。女子力の違いか」
「……」
ツッコミどころが、満載だよ!
前世の記憶がある今だから思うんだけど、高校生にもなって、幼馴染の男の子にお風呂上がりにドライヤーしてもらうのってどうなんだろう。
そりゃあ、主人公は少しヌケてる。今となってはすっごい自覚がある。今の今までなんの疑問も抱いてなかったもの。だけども、創ちゃん、あなたは普通に常識あるよね!
喉元まで出かかった問いかけを、私は必死に飲み込んだ。
「創ちゃんの乾かし方も自然で好きだよ」
ヘラっと笑って誤魔化す。
でも、よくよく考えれば、創ちゃんも結構天然かもしれない。
この人は、どんなにエンドロール直前までイチャコラして君たちすでに付き合ってますよね状態でも、フラグを取りこぼすと『好きだよ、萌。……萌のことは、本当の妹みたいに大事に思ってる』とか宣って、全国のプレイヤーに携帯ゲーム機を放り出させる人だもの。
シビアなフラグ選択を乗り切って妹分を卒業しないと、創ちゃんの真のエンドには辿り着けない。
というか、そもそも本当の兄妹はイチャつきませんからね。創ちゃんはそこから間違ってる……
ああ、頭痛くなってきた。
ここにきて、ゲームと現実の同じどころ、違うところ、変えられるところ、変えられないところ、見えないルール、そして前世の記憶を持つ私の存在、何もかもが不可思議で、考えても考えても整理がつかないし、分からないことが多すぎで先が見えない。はっきり言って、今の事態は私の脳みそのキャパを超えている。
「萌、湯あたりか!? 今、冷たい水持ってくるから、ここに座ってて」
フラフラする私を、創ちゃんが近くの椅子に座らせる。
「違うの、これは知恵熱みたいな……」
「知恵熱? なんでまた」
創ちゃんは座る私の前に立って、見上げる格好になった私の額に手を置いた。
あ、しまった……創ちゃんだったら、額をごっつんこしてくる予感。
ただ熱を計るだけなら、お互いの額にそれぞれ手を当てるだけでいいんだよ!
姫宮先輩とのツーショットを見て、密かに寂しく思っていたのは何だったのか。
変わらない創ちゃんの保護者っぷりに安堵しつつも私は慌てた。
案の定、眉目秀麗な創ちゃんの顔が近づいてくる。いくら主人公メンタルな私でも、ゼロ距離はやめてー。
結局、寸でのところで夕食の配給を知らせる放送が入って、彼の気が逸れた隙に、私はさりげなく逃げだ。
昼間ゾンビが召されるところを見たせいで、食欲なんてまったくなかったのだけど、私は創ちゃんを安心させるために、彼と一緒に第二体育館へと向かう。
『ラブデ』にそんなステータスなんてないはずなのに、ライフポイントを激しく削られた気がしたのだった。
描写が抜けていたため、投稿分に下記を追加しました。
「2日目_05」
準備の整った呉林先生と男子十七名が、再びマイクロバスで佐梅原女学院へと出発した。彼らとは、しばしお別れだ。運転は太田先生で、向こうに残って作業していた警備班のうち六名を連れて無事に帰ってきた。
7/30 22:00 変更




