2日目_04
【尊陽高校避難所構成】
運営委員会
・委員会本部
・総務(情報)班
・施設管理班
・保健衛生班
・食料物資班
・警備班
避難所運営企画書より。
◇◆◇
「ちょっ、おまっ、まさかアレを……」
一早先輩の腰に下がった不気味な人形を指さして固まった片岡先輩は、何度思い返しても見物だった。
後輩をからかうためにネタとして買ってきたお土産が、縁起ものだからと勿体つけて渡したばっかりに、意図しないところで注目を浴びてしまったのだ。
「だって、本物の呪具だって言ったじゃないですか」
「だからってな、こんなときに持ってくるなよ」
朝食の缶詰のパンを開けながら、片岡先輩が珍しく弱り切った表情で言った。
「こんなときだからですよ」
柔らかいパンをちぎりつつ、私はことさら笑顔で返す。今さらネタだったなんて言わせませんよっていう悪い笑みだ。
「でも、小田切先輩がつけてると、本当にご利益ありそうでしたね」
万菜ちゃんも乗っかってくる。
「イケメンだからか……いや、人徳か」
片岡先輩がボソリと呟く。
そんな虚しく宙空を見つめる先輩の表情を見て私は少しだけ溜飲を下げた。でも、お土産をもらったときこそその扱いに悩まされたものの、今となっては感謝さえしている。先輩のおかげで、これからの避難所生活が少しは明るくなるのだもの。
「だけど、カラースプレーは、いいアイディアだったな」
そう言ったのは、私の隣でインスタントのスープを飲む高坂君。
丘陵の中腹にあり海からも離れている尊陽高校は、津波からの避難も可能な長期用の避難所に指定されているため、多種多様な食糧や物資が備蓄されていた。今はインフラも安定供給されているおかげで、温かい食べ物も食べられる。
「だな。防犯スプレーとかだったら痛くも痒くもないかもしれんが、角膜に塗料が付着しちまったら、さすがに視覚が潰れるだろう」
虚ろな目から復活した先輩も相槌を打つ。
「噴射時に暴れる可能性はあるけど、それさえ気をつければ後が楽ですね。万一逃がしても、後々判別しやすいし」
「萌ちゃん、よくひらめいたね」
高坂君と万菜ちゃんも手放しに褒めてくれる。
特に、好感度四十ポイント越えが発覚した高坂君の視線はどことなく熱っぽくて、無駄にソワソワしてしまう。
「去年、俺もスプレーアート参加したのに、すっかり存在忘れてたわ」
スプレーの件に限らず、私がこの状況で上手く立ち回れるのは、ひとえに前世の記憶の賜物だ。言うなれば、人の褌で相撲を取るみたいなものだから、これ以上褒めちぎられるのは忍びなく、私は乾いた笑いでその場を濁した。
「このパン、意外と美味しいね。万菜ちゃん」
「ホントにね。焼きたてみたい」
その後は一早先輩たちの無事を祈りながら私たちは朝食に集中した。
サバ女救援部隊が出発した後、居残り組は再び第二体育館に戻って朝食をとることになった。
フロアにあるテレビには、ゾンビがいなくなって無人となった早朝の住宅街を空撮したものが流れていた。カメラがズームに切り替わると、住宅のベランダから助けを求めて手を振る人々が映し出される。がしかし、人の気配もしくはヘリの音に反応したのか、どこからともなくゾンビがぞろぞろと姿を現し、ヘリはやむなく高度をあげた。
その映像を見ながら、スタジオではどこぞの生物学者やら民俗学者が、ゾンビの生態について分析していた。
いまだ家族と連絡の取れない生徒たちは、少しでも情報を得ようとテレビ画面を食い入るように見つめている。今日からは、本棟二階の東翼にあるパソコン教室も、情報収集の必要な生徒が自由に使えるよう開放されるとのことだった。
さらにテレビ画面は切り替わって、今度は最寄りの空港からの生中継だ。災害対策用のヘリコプターが今まさに飛び立とうとしてる。どうやら、急病人や被害の激しい中心部に残った人たちの救出活動も始まったらしい。
そうして、ほとんどの人間が朝食を食べ終えた頃、救援部隊から佐梅原女学院制圧の速報があっさりと入ってきた。救援部隊に怪我はなく、サバ女側も救援要請をした時点で無事だった人たちは全員無傷で救えたらしい。
久しぶりの前向きなニュースにフロア内は歓声に包まれ、張りつめていた空気も少しだけ軽くなった。
だけども、行きより帰りの方が問題なのだ。バスが引き連れてくるゾンビをなんとかしなければならない。救援部隊の援護のため、警備班の前衛メンバーが連れ立ってフロアから出ていくのを私は横目に確認した。
救援部隊はサバ女の校舎の清掃と破損の応急措置を施した後、二時間ほどで戻る予定だとか。
それからの私は、総務班の仕事に忙殺された。
「早い者勝ちじゃないんで、慌てないでください! 希望者が多い班は、抽選で決めます!」
須藤君が声を張り上げている。
今は、総務班総出でブースを設けて避難所活動班の希望を受け付けていた。聞き取りが終わった者には部屋割を教えて避難所のルールがコピーされたプリントを渡し、カバンなど個人の荷物を自分の教室に運んでもらう。
また、それと並行して、サバ女の避難所に移って活動する人員を男子限定で募集していた。籠城する環境は整っても、向こうはどうしても男手が足りない。現在六名いる男性教師のうち呉林先生と佐藤先生も、あちらで避難所運営に参加することに決まっていた。
「意外と、女子も警備班に流れたなー」
「その分保健衛生班が定員割れだ」
黒木先輩の緩い口調に創ちゃんがパキっと答える様子は、平常時とあまり変わらない。
全員から希望を聞き取った私たち総務班は、本棟西翼二階の会議室に場所を移して絶賛集計中だった。
現在この会議室は、尊陽高校避難所の暫定本部として、電話や災害無線、パソコンにテレビなどが持ち込まれている。
ようやく電話回線の混雑が解消されたようで、三村先生は早速、市や国やらと大人な交渉を始めたらしい。渋い表情で受話器を肩に挟み、手にしたペンを忙しなく動かしている。声音を抑えているせいか会話の内容までは聞こえてこないが、表情を見るに相手の反応はあまり芳しくないようだ。
さらに学校の代表電話にも、保護者や近隣住民からちらほらと問い合わせが入ってくるようになっていた。
学校の近くに住む人たちは、ここの現状を聞くと、学校への避難を希望する。だけども、対ゾンビの対策が手探り状態なこともあって、もう少し慎重に状況を見てから検討させてほしいと、電話口で瀬名先生たちが説明していた。結局、名前と住所、連絡先を控えて、何か決まったらこちらから連絡することにして納得してもらってるようだった。
正式な避難者の受け入れは、少なくともサバ女の救援部隊の帰還が無事終わってからになるだろう。
そんなこんなであっという間に時間はすぎ、救援部隊からサバ女を出発する準備が整った旨の連絡が入ると、校内はにわかに騒がしくなった。
救援部隊帰還の作戦としてはこうだ。
まず、正門付近に警備班を配置して、救援部隊のバスに張り付いたり追いかけたりしているゾンビの注意を惹きつける。公道に接している敷地の南側には、正門を挟んで西側にテニスコート、東側にグラウンドがある。テニスコートの西側から南一辺とグラウンドの東側には、高さのあるフェンスと壁が隙間なく続いているのでゾンビが通る穴はない。正門から身を乗り出しさえしなければ、囮の生徒に危険はないはずだった。
一方、バスはそのまま学校前を通り過ぎ、東側の小道からグランド脇を通って裏門に入り、校舎に横付けする予定だ。万一、ここまでゾンビがついてくる場合を考えて、バスの到着地点にも警備班を配置する。
理想は、正門付近ですべてのゾンビを引きはがし、バスの乗員が安全に降車できる状態にすることだ。加えて、正門の囮部隊が撤収した後、集まったゾンビたちがどう行動するのかも気になるところ。
作戦が無事成功し、正門のゾンビもすぐに散り散りになるならば、今後の避難者の受け入れにも明るい見通しが立つというものだ。
サバ女から尊陽高校までは、車で五分とかからない。
先に動くのは囮部隊――警備班の前衛メンバー、主に救援部隊に志願して居残りとなった生徒を中心とした九名が、一階生徒玄関のバリケードの隙間から外に出る。九人は身を潜めて駐輪場を通り抜け、そのまま一気に正門の両側にある壁の裏へと駆け抜けた。
警備班以外の生徒は、それを二階の教室から固唾を呑んで見守っていた。
「見てるこっちの方が緊張する……」
隣でそう呟いた夏帆ちゃんに限らず、教室内の空気は最大限に張りつめていた。
私も周囲の雰囲気にあてられて、冷たくなった掌に汗が滲んでいる。
今頃はバスが横付けされる特別棟の裏口にも、盾や刺又を構えた警備班が待機しているだろう。
サバ女にいる救援部隊は、既に出発しているだろうか。
私の見える範囲に、今のところゾンビの影は見当たらなかった。
「来たぜ!」
正門横に控えていた警備班の生徒が、柵状の門のところと、テニスコートのフェンス付近に移動したと思ったら、坂の下にあたる西側にマイクロバスの姿が見えた。無理な運転はしていないらしく、ブレーキ音は聞こえなった。
幸いにも、車体に張り付いているゾンビはいない。が、引き連れているゾンビは、昨日の夕方に通った車の比ではなかった。
「やだ、あんなに!」
「二十匹以上いるだろ、これ……」
「ううん、三十はいるよ!」
「止められんのか、アイツら!」
それでも、囮部隊が大声を出したりバットや木刀でフェンスや正門を叩くと、面白いようにゾンビの足が止まった。ヤツらは標的を敷地内の生身の人間に変えたようで、ワラワラと囮部隊の方へ集まっていく。
「おっ、食いついてる!」
「これ、いけるかも!」
正門に張り付くゾンビに色とりどりの塗料が噴射されていくのを見て、私は内心で小さくガッツポーズした。
そんななか、さらに警備班の増援と思われる十人が、大声をあげて校舎から正門へと走っていく。
しつこくバスに食らいついていた最後の一体も、グラウンドの半ばでフェンスを揺らす囮部隊にターゲットを変更し、バスは無事減速してグラウンドの角を左折した。
私はそれを見届けると、こっそり興奮冷めやらぬ教室を出た。
急いで本棟東翼の階段を下ると特別棟に入る。
裏口に着いてみれば、すでにマイクロバスが止まっていて、救援部隊のメンバーは沢山の人に囲まれていた。私はとりあえず「お疲れ様です」と集まっている人たちに挨拶しつつ、目当ての人物を探した。
背が高くて分厚い警備班の男子の合間を縫ってキョロキョロとしていると、一段と密集している人垣の中心にいた一早先輩と目があった。
「萌! もらったお守りのおかげで、とんでもないものが釣れたよ」
苦笑しながらの先輩の発言に、モーゼの十戒のように人垣が割れる。なぜだか珍獣を見るような好奇の視線を感じたけれども、そんなのは全然気にならなかった。なぜなら、先輩の足元に、呪い人形を咥えたワンコが大人しく座っていたからだ。
ああ、ブリちゃん! 会いたかったわ!!
私は感動のあまり思わず名前を口走りそうになるのを何とか堪えた。
ブリちゃんは、黄色味の強い茶色の長毛犬だ。特徴は、耳や顔周りの毛の一部が焦がしたカラメル色で、首周りがネックウォーマーのようなふわふわの真っ白な毛で覆われている。ゲームでは、シェットランドシープドッグと日本犬の混じった雑種と言われていた。大きさは大きめの小型犬位だ。
「わあー! ワンコだ!」
私は思わず駆け寄って、ブリちゃんの前に膝をついた。ブリちゃんは私のハイテンションっぷりにも引くことなく、落ち着いたチョコレート色の瞳で私を見上げた。ちなみに口からは不気味な人形の足と髪の毛がはみ出している……
「俺たちがサバ女に着いて一体目のゾンビと駐車場で戦ってるときに、どっかからやってきて、ゾンビのズボンを引っ張って加勢してくれたんだ。その後は俺の腰の人形に興味があるみたいで離れなくてな」
「ゾンビに向かっていくなんて、勇気あるワンコなんですね」
「ああ、サバ女の校内でも一番にゾンビを見つけて威嚇してくれたから、助かったよ」
「すごい。えらいんだねー。君」
先輩の話に相槌を打ちながら、私はブリちゃんを撫でまわした。ああ、まさかリアルなブリちゃんをもふもふする日がくるなんて!
「だから、ある意味この人形のおかけだよ。ありがとうな、萌」
「そんな……役に立てて嬉しいです。全員無事で帰ってきてくれて、本当によかった」
ブリちゃんに抱きつきながら、私は先輩を見上げて言った。この結果もゲームの記憶のおかげなので、その称賛がこそばゆい。でも、ブリちゃんの一本釣りに関しては、疑うことなく呪い人形を腰にさげてくれた先輩こそが勇者だと思う。
「この子、首輪ついてるから飼い犬ですよね。名前なんて言うんでしょう?」
先輩の優しい眼差しが照れくさくて、白々しく話題を逸らしながら赤い首輪を確かめる。
「首輪にはブリュレって書いてあったぞ。たぶんそれが名前だろう」
「ブリュレかー。ぴったりですね」
「そうだな。見た目からつけたんだろう。三村先生、成り行きで連れて来たんですが、コイツここに置いてもらってもいいですか? 飼い主が見つかるまででいいんで」
いつの間にか隣に三村先生が立っていた。
私はブリちゃんを抱き上げると、三村先生にブリちゃんの顔を向ける。何を隠そう先生も大の犬好きだ。ブリちゃんは人形を咥えたまま、湿った鼻をひくひくとさせた。
「……まあ、番犬になるかもしれんし、いいだろう」
「ありがとうございます」
私と先輩はハモってお礼を言った。
「ほら、お前らそろそろ中には入れ。囮部隊を撤収させるぞ」
そう言って、三村先生は校舎の中へ戻っていく。みんなぞろぞろとそれに続いた。
「よかったな。萌は犬好きだもんな」
「はい。本気で嬉しいです。きっと、みんなも癒されますよ。ねー、ブリちゃん」
私の問いかけにブリちゃんは「わふん」と律儀に返事を返した。と同時に、口に咥えていた呪い人形が地面に落ちる。
「あ……」
それを拾ってくれたのは意外にも真里谷先輩で、先輩は拾った人形をブリちゃんに差し出して咥えさせてくれた。
「ありがとうございます」
「……」
真里谷先輩は複雑な表情で私とブリちゃんを見比べると、無言で行ってしまった。
その意味深な視線は十分気になるところだけども、今の私は、今日の夜に起こるイベントの方にすでに意識が向かっていた。
今夜十二時誰かが……
「萌」
一早先輩に促されて、私はブリちゃんを抱いたまま校舎へと入る。
その温かさと重みに励まされるようだ。きっとブリちゃんがいれば、夜のイベントも乗り越えられるだろう。なぜなら、ブリちゃんは史上初のゾンビ探知犬なのだから。