2日目_01
【朝比奈創史との関係は?】
→大事な人 (高坂好感度-5) ※朝比奈個人ルートへ入るための必須フラグ
→ただの幼馴染 (高坂好感度+5)
→どうしてそんなことを聞くの? (高坂好感度+2)
『love or death』攻略サイトより。
◇◆◇
日曜日。午前五時。『ピロリロピロリン』のメロディと同時に起床。
この時間帯、今の時期だと太陽はまだ昇っていない。とはいえ、暗幕で目張りされた室内では、たとえ日が昇ろうともかわりばえしないだろう。
それにしても、夜中に一度も目を覚ますことなく熟睡した自分の図太さにビックリする。
周囲を見渡すと、まだみんな横になっていて、ちらほら折り畳まれた毛布のみが置いてある場所もあった。
隣で寝ている万菜ちゃんはというと、いつも八時間睡眠らしいので起きる気配はない。
私はいそいそと毛布を畳むと髪を結い、水飲み場で顔を洗った。
さて、どうするか。
ゲームならばこういうタイミングで、どこに行くか、何をするか等々、とにかく選択肢が出てくるのだけども、現実では選択肢にあることからないことまで何でも自分次第だ。
攻略のキーポイントや人命に関わる場面でない限り、自由に行動してみようと思う。
とりあえずは情報が欲しい。
メインフロアに向かうために階段を上ると、フロア出入り口の手前にある水飲み場に知り合いの男子生徒の姿を見つけた。
美術部の部長兼文化祭実行委員の委員長を務める三年の片岡先輩だ。盛大な寝癖のついた後ろ髪を濡れた手で懸命に撫でつけていた先輩は、私に気づいて手を挙げた。
「はよー。千歳。眠れたか?」
「おはよーございます。案外ぐっすりと」
私とあまり変わらない目線の高さの先輩は、中学生と言われても納得のベビーフェイスかつ小顔だ。それでいて大らかで大胆な性格の先輩は、大きなキャンバスにビビットな色彩で描く抽象絵画を好んでいる。
「あー、お前、ネットチェックしてる?」
「あまりしてません。電池温存しときたいんで」
「その方が賢明だな。現地の実況見てるとSAN値ガリガリ削られるぞ」
寝癖を直すのをあきらめたのか、先輩はふるふると頭を揺らした後、肩をすくめた。
「はあ……」
生返事で応えておく。現世の私の辞書にその単語は登録されていない。ゲーマーだった前世の記憶があるおかげで、本当は余裕で反応できるのだけれども。
ネットに関しては、スマホの充電の問題以前に、先輩に言われたのと同じ理由で頻繁にチェックしないようにしていた。
せいぜい、親しい人たちの無事を確認したり、自分の現状を発信する最低限の利用で、深追いは避けた。ゾンビに襲われている生の声などを見たり聞いたりしてしまったら正気がもたないからだ。
「情報収集はテレビぐらいがちょうどいいってこと」
「なるほど。そうしときます」
先輩の忠告を有り難く受け取り、豪快に顔を洗う先輩と別れて、私はメインフロアに続く扉を開けた。
フロアに入ってすぐに目につくのは、テレビの前に陣取る集団だ。
薄暗い室内のなかテレビの光に吸い寄せられるようにして近づいていくと、高坂君を含む同じクラスの子たちが何人かまとまって座っているのが見えた。
「おはよー。みんな」
「おはよう。千歳」
「はよーす」
「おはよー。千歳さん」
ここにいる子たちは精神的に落ち着いているようで、口々に挨拶が返ってくる。
高坂君が場所を詰めてくれたので、私は彼の隣に腰をおろした。
「掃討作戦って上手くいったの?」
一番気になっていることを聞く。朝一でも高坂君の髪はきちんとトップにボリュームをもたせるようセットされていて、その横顔は爽やかだった。
「駄目だ。まだ始まってさえいない。あ、ちょうど市内の映像くるぞ」
言われて、私はテレビ画面に注目した。画面の右上には緊急報道特別番組のテロップが張り付いている。
『続きましてこちらの映像は、佐梅原市の中心部、佐梅原駅の北口方面にあるオフィスビルに立て篭もっている方が撮影されたものです』
映像はビルの三階くらいの高さから駅前の大通りを映していて、停電中なのか、光源は道路に打ち捨てられた自動車のヘッドライトのみ。数台分のそれが、まるでスポットライトのように色々な角度から異様な光景を闇に浮かび上がらせていた。
『今通りを歩いているのはすべてゾンビです。仮に生きている人間がいますと、たちまちゾンビが群がることになるそうです。ですので、一見普通の人間に見えるゾンビは恐らく最初の雨で変貌したゾンビ、怪我をしているのが最初のゾンビに咬まれるなどしてゾンビになった人たちと思われます』
片側二車線の道路には、ガードレールや街路樹にぶつかって止まっている車に後続車が突っ込んで複数台が連なり、他にも単独で歩道を乗り上げ道路脇の建物に衝突している車もあった。どの車も窓ガラスが割れていたり、ドアが開け放たれていたりで、乗っていた人は跡形もなく、その車の間を縫うように、多くのゾンビが徘徊していた。ゾンビの中には、足を引き摺っていたり、あきらかに身体の一部が欠損しているシルエットのモノもいる。
『この映像の撮影者の方と同じように、多くの人が建物の上の階に避難しているとのことです。えー、画面切り替わりまして、次の映像は、郊外の映像――自衛隊のヘリが撮影した、真北市から県外へ抜ける国道の映像です。こちらも至る所で衝突事故が発生しています。完全に渋滞していて身動きが取れない状態です。ただし先ほどの映像とは違って、こちらでは車内に多くの人が取り残されています。ゾンビが群がっており、車から降りられない状況です。一刻も早い救出が望まれます』
映像は、立体交差する片側三車線の高架道路を映していた。県外へ向かう車線のみぎゅうぎゅうに車が詰まっている。中央分離帯を挟んだ反対車線はガラガラだ。
ゾンビの張り付く車の中に寄り添って固まる人影が見えて、私は堪らず息を呑んだ。
『繰り返しお伝えしています。佐梅原市、真北市にいらっしゃる皆さん、どうか外には出ずに屋内に留まってください。今のところ、確実に市外に脱出できるルートはありません。インターネット等で、抜け道等の情報が流れていますが、事態は刻一刻と変化しており、完全に安全なルートはないものと思ってください。外に出ることは自殺行為です』
滑舌よくゆっくりとした口調で分かりやすい言葉を使って言い含めるアナウンサー。
昨晩はゾンビ発生をセンセーショナルに報じていたテレビが、現地の人に寄り添う真摯な内容に変わっていた。
その報道姿勢が今の状況が非常事態なのだと強調しているようで、その緊迫感に自然と気持ちが張りつめていく。
「千歳、ゆっくり息して」
高坂君に背中をさすってもらって、私は呼吸を整えた。
やはり映像の破壊力はすごくて、覚悟していても血の気が引いて全身が強張った。
そして、自分が中心部にいなくてよかったと思うのと同時に、同じ佐梅原市にいながら自分は安全な場所にいて、申し訳ないような気もしていた。
『改めまして、現在の道路状況、交通状況をお伝えします』
アナウンサーが伝える情報は、端的に言って、佐梅原市と真北市からは脱出不可能だよというものだった。
まず、鉄道はすべて止まっている。佐梅原市を東西に横断する高速道路も、西部地域が工場爆発による延焼、東部方面は多重事故で通行不能になっている。国道や県道、比較的大きな道路も、先ほどの映像のように事故とゾンビの大群によって詰まっているそうだ。
自衛隊は人の乗っている車の傍で安易に発砲することもできず、多重クラッシュの現場から距離を置いて道路を閉鎖しつつ、ゾンビをおびき寄せて交戦する作戦をとっているとか。
鉄道で市外に出たゾンビの影響も大きく、佐梅原市と真北市のゾンビを掃討する前に、近隣の市のゾンビ排除を徹底するらしい。
ただし、急病人や命に関わる持病を持った人たちに関しては、ヘリによる個別の救出作戦を決行するそうだ。
アナウンサーが受付の電話番号のフリップを提示して、何度も同じ注意事項を読み上げている。
結局は、現実もゲームとほぼ同じ展開になるようだった。
とそのとき、唐突に放送前に流れるチャイムがメインフロアに鳴り響いた。
『みなさんおはようございます。警備班からの放送です。日の出とともに、ゾンビが敷地内から退去し始めました。今現在敷地内のゾンビはゼロです』
フロア内に歓喜の溜息が溢れる。
『依然として警戒を解くことはできませんが、最悪の事態は回避しました。昨晩の警備内容については朝の朝礼にて報告します。繰り返します――」
周囲を見渡せば、どの顔も安堵で綻んでいた。
さて、こっからはイベントの時間だ。
私はサッカー部の群れに高坂君ともども攫われて、外の空気を吸うために屋上に来ていた。保健室での一件があったせいか、サッカー部には戦友っぽい感じで受け入れられている。
時刻は午前五時五十分。空は完全に明るくなっていて、気温は少し肌寒かった。
眼下に望める範囲にゾンビの影は見当たらない。
『ラブデ』に出てくるゾンビの習性は少し変わっていて、朝日を浴びると帰巣本能が刺激されるらしい。わずかに残る人だったときの記憶を頼りに、それぞれの帰る場所へと移動を始める。遠出していてゾンビになった人は、駅などの交通機関に集まったりする。ただし、この行動は目の前にターゲットとなる人間がいない場合に限られた。
「どこに行ったんだ、アイツら」
「なんか、逆に不気味なんだけど」
サッカー部部長の結城先輩と副部長の天野先輩が、フェンスにへばりついて街を見下ろしていた。
自宅等の目的地に着いたゾンビは、日陰に入って眠るように動きを停止し、何もなければ夕方くらいまでそのままだ。もちろん途中で人の気配があれば、夜と同じように襲いかかる。
朝日に照らされた町並みはいつもと変わらないようにも見えた。が、どこからか、犬が威嚇するように吠えているのが聞こえてくるし、遠く中心部の方では朝靄に混じって白い煙が何筋か立ち上っているようにも見えた。
「ねえ、慧吾。私たちこれからどうなっちゃうんだろう」
あれ、なんか、ゲームと違う。
高坂君の制服の袖を引っ張る女子生徒を見て私は焦った。彼女はサッカー部のマネージャーで一年四組の衛藤智沙さんだ。よくよく周囲を見渡せば、サッカー部以外にも息抜きに来ている人が案外多い。登場人物の限られたゲームの雰囲気とは大分印象が異なった。
無理だ。こんな衆人環視のなかでイベントなんてハードルが高すぎるよ。
主人公に転生した身として、ゲームのシナリオをなぞることに関しては抵抗も少なくなってきていた。ノーマルエンドという、人にも地域にも優しい大団円の終着点を目指すことは、最早使命だとも思っている。でもさ、ギャラリーがいるのは勘弁願いたい!
私はぞくぞくと背中を駆け上がる寒気に首筋を震わせた。あ、やばい……
「へぶしゅっ」
無理やりくしゃみを我慢して両の掌で押さえこもうとしたら、ありえないおかしな音になった。ううう……終わった。
「ふははっ。今のどうした?」
「ばか、天野。くしゃみは自分じゃコントロールできないんだから、からかうなよ」
私を指さす天野先輩を結城先輩が小突く。なんかどっちも傷つくわ。
「こ、これには訳が……ん、くしゅん…くしゅん」
とりあえず言い訳をと思ったら、連発で再びくしゃみが出る。せっかく一発目を我慢したのが無駄になっってしまったじゃないか。
「あれ、今度は普通じゃん。あ、演技でしょ、今の」
「天野先輩。千歳のくしゃみはいつもこんなもんですよ。千歳、お前冷えたんじゃないか」
意地悪く笑う天野先輩を牽制しつつ、高坂君がやってきた。そしておもむろに着ていたブレザーを脱ぐと私にかけてくれる。
ああ、イベントが始まってしまった。というか、彼の背後に立つ衛藤さんの視線がめちゃくちゃ痛いよ。でもでも、高坂君のブレザーは彼の体温で温まっていて手放しがたい。じゃなくて、台詞を言わないと。
「ありがと、高坂君。でも大丈夫だから。高坂君も寒いでしょ」
「いいよ。俺鍛えてるから。着てろよ」
上着を返そうとする私に、それを拒む高坂君。そんな私たちにサッカー部男子からは生温い眼差しが送られて、ちょうど死角に入った衛藤さんからは鋭い何かが突き刺さってくる。
「智沙。なんか出てるから」
同じマネージャーらしい二年生の女子が、衛藤さんを小声で宥めているのが聞こえてきて、私は高坂君の大きな上着の中で身体を縮こまらせた。
おそらく衛藤さんは高坂君のことが好きなのだろう。
私はこういうとき、女子の嫉妬心をあっさりと鎮める魔法の言葉を知っていた。がしかし、それを使ってしまうとゲーム的にはよろしくない。
「初々しくてうらやまし~な~」
うう、天野先輩許すまじ。この一言で周囲がニヤニヤモードに入ってしまった。
こんな状況でイベントを進める根性と度胸は私にはなかった。
「私、もう行きます。六時過ぎに創ちゃんのところに行く約束してたから」
私は周りに宣言するようにそう言い放った。本当はそんな約束まったくしてないんだけども。
なんというか、恋愛初心者を追い詰めると自滅しちゃうんだよね。そう、私は前世の経験と併せたって、若葉マークが取れないお子様なのだ。
「ああ、そうだったよね! 千歳さんには王子がいたわよね!」
私の発言にちょっとだけ周囲の空気が固まったところに、元気を取り戻した衛藤さんが高らかに言う。魔法の言葉の効果は絶大だった。
「あー、どっかで見た顔だと思ったら、朝比奈の幼馴染か。あれ? もっと地味な子じゃなかった?」
またもや失礼な発言は天野先輩で、速攻で結城先輩に頭を叩かれている。
「お前はホント、デリカシーないな。誰でも朝比奈と並んで歩いたら霞むわ。お前だって雰囲気で誤魔化してるのバレバレだぞ」
「雰囲気イケメン言うなよ」
「イケメンなんて一言も言ってねえよ」
戯れる部長副部長コンビを横目に高坂君を窺うと、そのイケメンフェイスから表情が消えていた。あ、やっぱ、まずったかも。
『ラブデ』では、創ちゃんと高坂君の相性はあまりよくない。創ちゃんの死亡フラグを回避して彼が健在な場合、選択肢いかんでは高坂君にヤンデレフラグが立ってしまう。一部のファンに大人気なヤンデレの末のバッドエンドもあったりする。
「あの、高坂君。上着ありがとう」
「ああ」
肩に掛けられたブレザーを返すと、高坂君は素直に受け取ってくれた。
隣で衛藤さんが「私も寒いかも」って言ってて、なぜか副部長がブレザーを脱ぎ始め、「空気読めよ」と部長が突っ込むコントが始まっていた。
「じゃあ、また」
私は逃げるように屋上を後にし階段を下った。傍から見たら今のやり取りは相当にこっぱずかしいものだという自覚があったから、今さらながら耳の先まで真っ赤になった。
「千歳!」
半フロア分降りた踊り場で呼び止められて、はっとして見上げれば、屋上の出入り口の真ん前にある手摺から高坂君がこちらを見下ろしていた。
「千歳と朝比奈先輩の関係って何?」
「え?」
この質問って、高坂君の好感度が四十を超えたときに聞かれるヤツじゃないの!? この時点で聞かれるって早すぎない!?
しかも、創ちゃんのルートにも関わる重要な選択だったはず!
私はビックリして目を見開いた。
交わる視線の先の高坂君は、真剣な顔で見つめてくる。
ここでの正しい選択肢は……
「た、ただの幼馴染だよ」
私は思いっきり冷や汗を流しながら、でもしっかりと答えた。
「そっか」
明るい声と眩しい笑顔がそこにあった。「じゃあな」と言って高坂君は踵を返す。
早鐘を打つ胸の鼓動が治まりそうもない。たぶん私は間違わなかった。
高坂君のヤンデレ化は当面阻止できたし、創ちゃんの個別ルートはこれで潰れたはずだ。
思わぬ成果に私は羽根でも生えたかのような軽い足取りで、残りの階段を降りていった。
――このとき、職員室では代表電話が着信音を鳴らしていたのだけども、浮かれていた私は当然まだ知らないのだった。