信頼
ルーカスは前世でも今世でも、もはや無意識のうちに見栄を張っている。
それは前世では一介の剣士であった自分をフィストリアの隣に立つ者を目指すため。
それは今世では王族であった自分を民たちの前でよく見せるため。フィストリアに出会ってからは彼女を気遣えるようにするため。
ルーカスの行動原理の一部には常にフィストリアが居た。
だからこそ、フィストリアが離れていくことにルーカスは恐怖した。
今の彼は牙を折られた獣のようだった。
だが、それでも意志だけは途絶えていない———
◇ ◇ ◇
ルーカスはアルカディアを手に駆け出した。
浮遊する城の揺れが二人の周囲の空気を波立たせる。
フィストリアの目は虚ろにきらめき、彼女の掌からは風と空間を裂くような青白い魔術が次々と生まれては炸裂していた。
魔術の奔流が夜空を引き裂き、石の柱を粉砕する。
だが、ルーカスの足は止まらない。
フィストリアに聴こえているかは分からない。
それでも、彼は何度でも、彼女へと語りかける。
彼は繰り返した。
「フィストリア!どうか目を覚ましてくれ———俺の眼を見て話してくれないか!」
言葉は風に攫われ、魔術の轟音に掻き消される。
だがルーカスは声をやめない。
ひとつひとつの言葉が、彼女の意思を呼び戻すための鍵になって欲しい。
ただ、それだけを願っていた。
現実問題、支配された人が意識を取り戻した例は無い。
しかし、フィストリアが何の対策もせずに支配されるような魔術師でないことも確かだった———
ルーカスの剣閃は単なる攻撃ではなかった。
その一回一回がフィストリアに近づき、呼びかけるための試みだ。
それでも、フィストリアの魔術は容赦なかった。
空間をねじ曲げ、ルーカスの進路を断つ裂け目を繰り返し形成する。
彼女は爆発を呼び、周囲の空気を刃のように研ぎ澄ませる。
ルーカスはそれらをアルカディアで受け止め、盾のように割り払い、しかしその合間にも前進を続ける。
剣は魔術の波紋を裂き、剣の軌跡が空を焦がした。
彼はフィストリアの魔術を眼で視て、崩していく。
ルーカスのこの特技のおかげでなんとか優位に立ち回れている。
一瞬、フィストリアが距離を詰めてきた。
彼女の吐息は冷たく、視線は遠くを見透かすようだ。
ルーカスは踏み込み、アルカディアを振るって構築の一片を切り崩す。
切り裂かれた魔術の円環が空に消え、そこにだけ違う静寂が落ちる。
その瞬間、ルーカスはフィストリアの首筋に目を奪われた。
そこには、黒い紋章———
二人の関係の始まりだった契約の痕跡が、薄く浮かび上がっている。
鼓動が一拍乱れる。ルーカスはハッとして戦闘の合間に一瞬の思案を挟む。
走馬灯のように過去の記憶が巡る。
ルーカスとフィストリアが交わした…誓いを固めたときの柔らかな光景。
そのときの記憶が、今まさに答えをくれるように思えた。
その契約は始まりこそ、互いを逃さない、離さないようにする目的があった。
しかし、そんな契約魔術の根幹は『保証』
———裏切らないことだ。
そして、契約は互いの意思によって成されている。
それを破る者にはきつい代償がある。
だが、フィストリアにそれを受けた様子は無い。
これらの事実から導かれる答えはルーカスに希望をもたらした。
彼女の意思までは支配されていない。
全てはルーカスの推論だが、限りなく答えに近いはずだ。
胸に温かい希望が満ちる。
彼女の瞳は虚ろに見えても、あの紋章の下で、彼女の意思はまだ薄く光っているかもしれない。
ルーカスは思わず微笑んだ。
声にならぬ声を、彼女に投げかけるように囁いた。
「あぁ。さすが、フィストリアだな。君は支配されても君だった———フィストリアがそう云うなら俺は信じよう。確かに、君が無抵抗なはずがない。少しだけ、侮っていたよ。やっぱり君は、最高の魔術師だ。」
フィストリアは、じっとルーカスを見つめていた。
反応は無いようにも見える。
だがルーカスはその視線の奥に微かな闘志を手繰り寄せるような何かを感じ取った。
確かな返答はなくとも、彼女の意思の欠片がそこにあるような確信。
今のルーカスにフィストリアの目は決して霞んでいるようには見えなかった。
ルーカスの胸は熱くなる。
これでいい。
今度こそ———迷わない。
フィストリアを信じて進み切るだけだ。
彼女は右手を高く掲げ、巨大な魔術結界を叩きつける素振りを見せる。
空間が渦を巻き、爆発の気配が辺りを覆う。
だがその魔術は、突如として力を失ったかのようにぱたりと崩れる。
ルーカスは驚くより先に気づく。
構築が自発的に綻び、糸が解けるように霧散する。
それは何故か———彼が直接破ったのではない。
ルーカスの眼にはフィストリア自身の内側で、何かが抗っているように見えた。
ルーカスは静かに笑んだ。
勝利の確信が、アルカディアの先端に宿る。
彼はすり抜けるようにフィストリアの脇を抜け、背後へ動く。
誰も予想しなかった行動だ。
アドラスの視線が一瞬、ルーカスへ向く。
彼の反応は驚くほど遅かった。
場面すらも支配しているとたかを括っていたのだろう。
その遅延はすぐに命取りとなる。
剣閃が空気を断つ。
ルーカスは止めを刺すべく、アドラスへ跳んだ。
アルカディアの軌跡は冷たく、正確で、暗雲を裂くように頭上へ迫る。
アドラスは咄嗟に防御の構えを取るが———
———その瞬間。
アルカディアは彼の頭の少し上で這い上がるように突き出される。
光が剣の刃に反射し、時間がゆっくりと流れるように感じられた。
そこに———パンドラの冠があった。
帝国の禁忌、血と意思を束縛する代物。
アドラスの白い髪に重く乗るその冠が、刃に触れる。
アルカディアは万物を断つ剣だ。そこに例外はなかった———
刃は冠の外殻を掠め、金属と魔術の一体化した皮膜を裂いていく。
鋭い摩擦音が静寂を割り、火花が生まれた。
一点の瞬きの後、刃が冠を引き裂く。
石屑と魔術の残滓が空中に舞い、玉座の間に不穏な震えが走る。
アドラスの顔には、初めての狼狽が浮かぶ。
だが、その反応がどうであれ、ルーカスは更に力を込めて刃を押し込む。
刃の先端が深く潜り、その冠の結合点を断ち切る。
———そして、次の瞬間、冠は切り裂かれていた。




