協議
ルーカスとストロニアとの闘いを見届けた後。
「ルーカス、作戦が一段落したようなので、私は一度、東方戦線の様子を見てきますね。」
「俺は行かなくてもいいのか?」
ルーカスは首を傾げる。
「あなたは激闘を繰り広げたばっかりじゃないですか。休んでいてください。」
そう言ってフィストリアはルーカスの頬に軽く口付けをし、東方戦線に向けて転移した。
◇ ◇ ◇
フィストリアが東方の前線に到着したとき、風は冷たく、塵の匂いと血の匂いが混ざっていた。
西方戦線と異なり、血に塗れた戦線に彼女は眉を顰める。
遠目に見えるのは崩れた塹壕と、まだ煙を上げる野営地の残骸。
だが彼女の視線はすぐに一点に収まった。
周辺に人は居ない。
しかし、地面に伏した一人の若者だけがいた。
それは、契水の小隊副隊長フレオン。
全身が血にまみれ、甲冑は深々と割れている。
左腕は先端から無く、そこだけが不自然に断面をさらしていた。
「なっ…えっ、フレオン!」
声を荒げる。
彼女は彼の身体を動かさないように浮かばせ、静かに魔術構築を組み立てる。
彼の呼吸は未だ浅い、そして意識は深い眠りの中にある。
ここで長居はできない。フィストリアはひと息に決め、長距離転移で西方戦線の前線本部へと彼を移送した。
◇ ◇ ◇
長距離転移の余波で肌がぴりりとしたが、到着後の光景は希望に満ちていた。
浮かんでいるフレオンを見た瞬間、ルーカスの指揮が飛ぶ。
治癒魔術師を呼び、聖杯の場所を確認している。
フィストリアが意識をはっきりとさせた時にはルーカスとベリタスがすでに駆け寄っており、兵士たちが迅速に担架と治癒の器具を運んでいた。
アスクレピオスの聖杯が台に据えられ、透明な水が弱い光を放っていた。
ベリタスは言葉少なく水をすくい、丁寧にフレオンの唇に含ませる。
治癒魔術の祖となった液体の効果はとてつも無い。
彼の左腕に光が集まり、瞬きをした瞬間に腕は元通りになっていた。
フレオンの息も深く安定していた———
◇ ◇ ◇
数時間後、薄暗い回復室の隅でフレオンがゆっくりと目を開けた。
三人に囲まれ、視線が揃う。
彼の瞳はまだ深い疲労で濁っているが、言葉ははっきりしていた。
「目覚めて早々悪いが、何があった?」
ルーカスが端的に訊ねる。
フレオンは軽く頭を振り、しばらく前の死闘を思い出す。
やがて、唇を開き、断片を繋ぐように話し始めた。
魔族エレクトラが空を裂いて前線に現れ、金属片と雷光が嵐のように降り注ぐ。
彼女は攻撃の中心で、少なくない仲間が盾になって斃れた。
フレオンはその喪失に胸が裂ける思いを抱きながら、治癒術と水魔術で兵を繋ぎ止めた。
左腕は斬り落とされたが、その刹那に致命傷だけは自らに施し、戦線へ復帰した。
彼の声には、狂気と誇りが混じる。
「エレクトラにトドメを刺した後、現れたのは魔族の大群だった。それの相手もしていたが、すぐに倒れちまったな。オレはただ、やれることをやっただけだ。お前ほど上手くいかねぇなルーカス。」
話を聞いている間、ベリタスは眉間を寄せていた。
東方の情勢がどうにか落ち着いたことは嬉しいが、代償は大きかった。
ルーカスはフレオンの肩を軽く叩き、静かに言った。
「よく耐えた。そしてよく生きた。取り敢えず今は休むんだ。安静にしていれば後遺症もなく元通りになるはずだ。」
その言葉にフレオンは小さく笑みを浮かべたが、瞳の奥には剣を振るい続ける者の覚悟が残っていた。
◇ ◇ ◇
それから2日が経過した。
今、戦線は西方、東方ともに落ち着いた。
シルヴァリオンへの更なる攻勢への協議が進められていた。
場にいるのは、各国の代表団。
ベリタスは立ち上がり、顔を上げると提案した。
「このまま局所で終わらせるのは得策ではない。東も西も、いまや敵の主力は削がれている。四体の幹部は討たれ、操り兵は殆どが無力化された。魔族もかなり討ち取った。ならば、私たちには次の戦いがある。総力を持って、魔王そのものを打つ。それで損害を最小限にできるならば、試みる価値があるはずだ。」
会議は自然と流れができた。
ルーカスは慎重さを示しながらも、戦略家としての意見を述べる。
「帝都への直接侵攻自体は主力を削いだ今なら容易だろうが、リスクが高い。市民まで兵として導入されると、攻撃するのも憚られるからな。それなら、少数精鋭で深く割り込み、魔王と直接対峙する方がマシなんじゃないか?」
アメリアが口を開く。
「外征は我々の持久戦力が試される。だが、この機を逃せば、北は回復して再編するだろう。ベリタス殿が言う通り、ここで一気に決めるのが良い。そのためならば、余の魔術師団も同行しよう。」
ここでベリタスが思い出したように口を開いた。
「っそうだ。皇帝は国宝パンドラの冠を扱う。少数で行っても支配されては元も子もないぞ。」
それに対してフィストリアが手を挙げる。
「それについてですが、ごく少数、それこそ数人なら支配魔術を跳ね除ける結界を施すことができます。私を信頼してもらうことになりますが…」
彼女の言葉にルーカスも同調する。
「あぁ、フィストリアが、果実の生成物の解析を進めていたのはこの時のためだったんだ。」
フィストリアはこの日のために密かに魔術の解析を進めていた。
それは天絡の浮遊石から始まり、盤外の書、アスクレピオスの聖杯、そしてテミスの半冠。
古い魔術言語ほど強い効果を発揮する。
果実の生成物に刻まれているのはその中でもかなり古い物だと彼女は推察している。
各国の代表に会う時にはこれらへの接触を試していた。
ベリタスは納得したように口を開く。
「それはありがたい…とは言え数人となるか……フィストリア殿は必須となれば、ルーカスは行くだろう?それに、君の剣の腕は先日も多くの者が見ていた。ストロニアに劣らないどころか殆ど圧倒していたな。」
シャーロットは円卓の中央で静かに話を聞く。
彼女の表情は毅然としており、その小さな手がテミスの半冠を軽く触れる。彼女が言葉を紡ぐ。
「民と兵の命を守りたい。それは私が女王として契約したことでもあります。無闇に突っ込めとは言いませんが、やはり機会は今なのではないでしょうか。私たちが後方を固め、お二方が深部へ切り込むべきでしょう。お二人の力は多くの者が認めています。」
誰もが頷いた。
やがて、提案は具体的な作戦へと落ちていく。
最精鋭隊を二手に分け、一方は東から、もう一方は西から帝都深部へ侵入させる。
まず、ルーカスとフィストリアが先鋒を務め、その他の精鋭はシルヴァリオンとグラディアの対話を見届ける。
その間、ベリタスは全体の指揮と後方の安定化を担う。
アメリアの魔術師団は撤退路と補給の確保、シャーロットは領内の秩序維持と契約の監視を受け持つ。
合意は静かに迅速だった。
誰もが損害を最小にしつつ、決定的な一撃を狙っていた。
◇ ◇ ◇
会議が終わると、夜は深くなっていた。
ルーカスとフィストリアは小さなテントの前で、次の日の用意をしていた。
風が冷たく、星は鋭く瞬く。
二人は戦術の最終確認と、互いの顔を見合わせる時間を取った。
「明日が決戦の日になるのか…」
ルーカスが言うと、フィストリアは頷く。
「ええ。明日は実質私たちだけで帝城に突入します。あなたは剣で、私は魔術で……終わらせましょう。」
彼女の目は静かに燃えていた。
ルーカスはアルカディアの柄に手を触れ、小さく息をつく。
「ああ。これで多くを救えるなら、俺は王として進むだけだ。」
そして、ふたりは短い沈黙ののち、互いに歩み寄って軽く抱き合う。
どこか確かな約束のように響いた。
そんな二人の首筋には黒い紋章が残されている。
出会って初めに押された互いを離さない契約の証だ。
裏切りを許さないそれは、互いの存在を証明している。
そしてその紋章は、旧アンバラシア帝国の国章でもある。
旧帝国の血筋である現在のシルヴァリオン。
明朝、帝都へ———
彼らの一歩は、静かに、だが確実に踏み出されようとしていた。




