急襲
ベリタスの決断は静かに重かったが、遅滞はなかった。
確かにこの作戦は失敗すれば後退の道も無くなり、連合軍の敗北が決定的になるかもしれない。
しかし、膠着した戦況を動かし、シルヴァリオンに更なる打撃を与えるには必要な作戦でもあった。
連合軍は一斉に動き出す。
膠着し続けた戦況を一気に変える。
全ては数日のうちに決着をつけるための賭けだった———
◇ ◇ ◇
南側、エル・メディス領内へと続く出入口を一時的に放棄し、その間に北側の入口を奪取して敵を盆地に閉じ込めるという今回の作戦。
現在、連合軍の補給線は東へと引かれ、膨大な兵糧と資源が北側突入後の持久戦に備えて積み上げられていた。
準備は整っている。
東方戦線の動きに合わせて準備が完了するように計算されたものだった。
指揮の核はベリタスだが、今回の作戦の要はルーカスとフィストリアだ。
二人は魔術師を連れて、最終的に南側と北側の入り口を塞ぐ。
ルーカスの天絡の浮遊石とフィストリアの浮遊魔術を扱うのだ。
◇ ◇ ◇
そんな作戦の開始は夜明けだった。
まず、ルーカスは自ら天絡の浮遊石を携え、六本の予備の剣を空中に浮かべながら前線へ向かう。
それは初めに北側の入り口までの道を切り開くためだ。
浮遊石の効用は単純だが破壊力は絶大だ。
重力を局所的に操作し、地盤を持ち上げ、空間の軸をずらして敵の視界を攪乱する。
だがそれだけではない。
浮遊石は兵の動線を作り、我らが意図した軌道へと敵を誘導する道を作ることが出来る。
それは盆地内の地形をも変えるほどであった。
そして、ルーカスの戦闘の漏れをフィストリアの浮遊魔術が補完する。
彼女は空間の薄皮を捻るように結界を伸ばし、我が軍が北側へ一斉に流れ込むための通路を滑らかにしていった。
それとほぼ同時、別の作戦が盆地南で動き出していた。
崖の影が薄く伸びる中、連合軍は南側の出入口に大規模な重荷を置き去りにし、敢えて撤退の体裁を見せた。
敵が撤退しつつある連合軍を追う間に北側に攻め込む算段である。
しかし、敵は北側での動きを察知したかのように警戒が増した。
そこが彼らの巧妙さだった———
支配魔術で統制されているとは言え、反応の早さは想定以上だった。
連合軍を数週間苦しめた敵将はすぐさま妨害部隊を差し向け、崖稜の取り付きや要所の小丘を塞ごうとした。
だがルーカスたちは既に北側の入口へと全兵力を奔らせている。
そこでの浮遊石と浮遊魔術の組み合わせは、単なる強襲以上の効果を発揮した。
岩を浮かせ、道を塞ぎ、地形を一時的に書き換えることで、敵の妨害を物理的に撹乱したのだ。
実際の占領は簡潔だったが熾烈でもあった。
北側の入口に到達した時、数隊の敵が既に布陣しており、野戦砲や長槍の列が我々を迎え撃った。
ベリタスは冷静に配置を指示する。
前衛が突入し、浮遊石が巨岩を持ち上げて通路を作り、補助部隊が側面から円滑に押し込む。
瓦礫と土煙の間、連合軍は一気に隘路を占拠した。
反応の早かった敵将の妨害は確かに痛手を与えたが、それでも盤外の書ほどの先読みは出来ていない。
計画の核は堅く、我々は北側の占領を完遂することができた。
しかし、今回の作戦、ここで終わりではない。
北側占領のその瞬間、南側で撤退して、敵を釣っていた部隊は南入り口より盆地から脱出し、その入り口を塞ぎ始める。
南側の出入口ではフィストリアが既に残置した土嚢や残余を用いて完全に封鎖を始めている。
南の道を塞ぐのは数十分を要するが、成功すれば撤退路は断たれ、敵もエル・メディス領への侵入が困難になる。
その作戦が敵にとってどれほど致命的か一目瞭然だった。
ベリタスは自軍の全部隊の場所を把握し、計算を終えると即座に次の命令を下した。
「全軍、北側の入口を通るんだ!盆地の内にいる敵を孤立させるぞ。外側の補給部隊を討て、シルヴァリオン領土に突入して、外郭を固めるんだ!」
その決断で、我々は北側の入り口を突破してシルヴァリオン領へと突入した。
崖が背後で遮断される瞬間、それは盆地を抜け、シルヴァリオン領に突入した時だった。
作戦に不安感を覚えていた者たちは盆地を脱出できたことを叫び、歓声と一瞬にして混じった。
しかし、背後には敵本軍が、前方には敵補給部隊が迫っている。
初めの勢いのまま、北側に集まっていた連合軍全部隊が盆地の脱出に成功した頃。
ルーカスとフィストリアの最後の仕事が始まった。
天絡の浮遊石が再び光を放つ。
事前にエル・メディスで見つけ、大きさも測っていた巨岩を自身の上に転移させる。
それはちょうど北の入り口を塞げる大きさに加工されている。
フィストリアは連合軍を追って盆地を出てきているシルヴァリオン軍を風魔術で押し返す。
やがて、入り口には巨岩が落とされ、細かい隙間も封じられていく。
盆地は四方を遮蔽され、敵はその巨大な碗の中に閉じ込められた。
こうして、戦術的な袋小路は完成した———
外郭へ出ると、盆地外で溜まっていた敵の補給隊が必死に撤退しようとしていた。
今、補給部隊として残っているのは数週間前に援軍として来た魔族がほとんどを占めている。
後方からの攻撃に割かれる意識が無くなったことで、残りは彼らを追撃し、各個撃破を図ることだけだ。
補給隊の兵は慌ただしく、秩序を欠いている。
だが連合軍の矢や槍、魔術の波に次々と崩されていく。
殲滅戦は冷酷だが必要だった。
補給を断たれた敵の士気は一層脆い。
そうして、休息の兆候は、つかの間に訪れた。
俺たちは短いながらも休息を取った。
幾人かは泥に倒れ込み、幾つかの包帯を巻きなおす。
聖杯の水で傷を癒し、食事の列へと並ぶ。
戦場に臨んで初めて味わう安堵に、誰もが手を震わせながらも笑みを見せる。
だがその静寂は長くは続かなかった。
俺の感覚は常時張り詰めている。
鍛えられた眼の洞察は、遠方の風のざわめきや、巨岩の上に立つ者の影を逃さない。
視界の端に、違和感が走る。
崖稜の巨岩の一つが、あり得ないほど不自然な姿で黒く縁取られている。
光の加減か———否、違う。
そこに人がいる。
いや、人ではない。
背が高く、一介のシルヴァリオン兵とは異なる凛とした威圧。
魔族だ。
ただ一人の魔族が、巨岩の頂に、静かに立っていた。
風がその髪を払うように吹き抜け、全軍の疲れた空気が一瞬こわばる。
彼の姿は、これまで戦ってきた魔族たちとも、今までに見た幹部たちとも違っていた。
威光が凍るように周囲を押し潰す。
ルーカスは立ち上がり、アルカディアを握り直す。
浮遊石は巨岩の運搬で力を消費してしまっている。
フィストリアの瞳が鋭く光る。
ベリタスは地図を閉じ、兵を静止させる合図を送る。
だがこの場にいる全ての者が勘付いていた。
単純な補給殲滅戦が、突如として別の段階へと入ったことを。
俺の胸は唸った。
奴は今までの魔族の中で一番強いと、確信できる。
黒剣が手の中で冷たく震え、血の熱が高まる。
戦いは終わっていない。
いや、これから本当の試練が始まる———。




