死闘
それの訪れは突然だった———
契約の完了から5日ほど経った頃。
雷鳴が、戦場を突如として引き裂いた。
空が裂け、金属が空に向かって落ちる。
何百という槍や盾の断片、剣の穂先が、地上の重力を忘れたように一斉に天へ吸い上げられる。
鋼鉄が夜空で軋み、火花が迸る。雷光がそれらをなぞり、空中で銀白の網を描いた。
「ついに、来たか……!」
オレは息を吸い込み、袖の先で目の焦点を定める。
視界の隅には介抱されている操り兵の群れが、契約によって行動不能になり、剣を地面に落としたまま茫然と立っている。
だがその外側、闇の向こうから黒い影が波のように押し寄せてきた。
数百、いや千にも及ぶ魔族の群れ。
その中央に立つ一体、その気配はそれだけで違った。
ルーカスたちの言っていた幹部級の魔族だろう。
女性体のその魔族は緑の髪を風になびかせ、掌に青白い雷を纏っていた。
その力は金属を自在に引き寄せ、周囲の武具を引き抜き、空に躍らせる。
雷は彼女の意志に呼応して踊り、刃の先で破片が火花を散らす。
「アハハッ、見せてやる、これが我が雷の力よッ!」
彼女の声は甲高く、戦場の風を裂いた。
オレは———フレオンはその声を聞くより早く動いた。
契水の小隊隊長は数日前に死んだ。
それはシャーロットの契約を守護していた時だった。
戦場である以上確かに仕方のないこととは言え、その怒りを操り兵にぶつけるわけにもいかない。
しかし、今…奴を見て胸の奥で何かが切れたのだ。
悲しみは短く、代わりに燃える怒りが全身を支配する。
王位を夢見た少年の頃の自語りが、脳内でくすぶる。
「暫く前までは治める者ってのに憧れてたが———どうやらこっちの方が性に合ってるみてぇだ。」
笑い混じりに呟き、オレは手を伸ばした。
水の感覚が掌から奔る。地中の湿気を拾い上げ、薄い霧の帯を編む。
エレクトラが放った雷が、その霧の中を穿つように落ちる。だがオレの狙いは違った。
水は電気を導く。雷を誘導し、彼女の引力を逆手に取る。
エレクトラは鋼の雨を操っている。
オレはそれに合わせて動き、浮き上がっていくそこらの槍を掴み、盾を投げ、刃を空に放る。
浮き上がる引力は途轍もなく強く、フレオンすらも持ち上げれそうなほどだった。
槍が空を切り、盾が回転して敵の顔面を掠める。
金属は彼女の引力に引かれ、空中で軌道を変え、代わる代わる雷を受ける。
雷は導かれ、集束し、エレクトラの周りに還るはずだったが、その一筋がオレの作った水の導線に落ちる。
電撃が水膜を伝い、オレの腕を穿った。
痛みが脳を突き抜け、血が掌の間から滴る。
だが、治癒魔術は既に指先で紡がれていた。
腕の肉が粘り気を帯びて再生していく。
傷口は一瞬で塞がり、そこにかすかな樹状の痕だけを残す。
致命傷を受けても、オレは戻る。戦列は待ってくれない。
フレオンの戦い方は雑に見えるかもしれない。
だが、その粗さの裏に精密さがある。
槍を投げ、空中で後ろ手に持ち替え、盾で受け止め、足元の小石を水で滑らせて相手の足を狂わせる。
武器の使い方は古から続く王家の血が教えてくれる。
フラクタル王家は、刀剣よりも槍と盾を扱う訓練を重んじ、どんな形状の武具でも互換性を持って操ることを信条としてきた。それが今、一気に花開いている。
エレクトラは鋭く笑った。
「愉快ねぇ、若者め。水で雷を玩ぶとは。」
彼女は掌をひねり、引力を変える。
飛んで来た剣や槍が軌道を変え、オレの胸へ襲い掛かる。
鋼が胸を裂き、冷たい痛みが肋骨を貫いた。
だが、鋼鉄の塊を引き抜き、再び治癒する。
血管が繋がり、突き抜けた肉が押し戻される。
治癒は贅沢ではない。
戦場での即応であり、オレはそれを解する。その瞬間、オレの視界は赤と青の回転に満ち、心拍は高まっていく。
「もっと見せてみやがれ!」
叫びと共に、オレは剣を放ち、代わりに地面に転がる長槍を縦に拾い上げる。
両腕に力を込め、投擲する。
槍は旋回しながらエレクトラの周囲に降り注ぐ。
だが彼女はさらなる手を打つ。
大地の鉄片を空へ引き上げ、一本の巨大な鉄柱のようにし、それを振るって衝撃波を放つ。
それはオレを数歩跳ね上がらせ、後方の兵を吹き飛ばした。
オレは地を這うように回り込み、水を螺旋状に巻き上げ、鉄柱の基部を濡らす。
雷が基部に落ち、鉄の導体が真っ赤に光る。金属は熱され、軋む音を上げながらも再びエレクトラへ向けられる。
オレは自らを盾代わりにして、鉄の飛来を受け止めた。
骨が軋む音がして、膝がしなり、だが治癒がそれを継ぎ合わせる。
血が飛び散るたび、オレは笑った。
怒りをぶつけられる相手が存在して居ること。
もはや狂戦士のそれだった。
戦いのうちに、ふと記憶が割り込む。
子供のころ、女王の講話を聞きに行った日のこと。
座るより前に立って誓った。
「いつか民を治める者に」
女王はそれを苦笑しながらも誉めてくれた。
しかし今のオレは、血と泥にまみれ、叫びと共に刃を振るっている。
今までのフラクタル王家もこうだったのだろう。
女王制を敷いている以上、王子は王になれない。
しかし、濃い血は王子に強力な才能を与えているのだ。
この喧騒の中でこそ、自分が生きていることを知った。
治めるという崇高な役割も良いが、オレにはこの矛先が似合うのかもしれない。
思考は戦いの合間に稀に浮かぶが、すぐに刃の気配で消える。
エレクトラは怒りを募らせる。
雷撃のスピードが増し、金属の引力が渦を作る。
周囲の魔族が追随して波のように押し寄せる。
北は操り兵の代わりに別の駒を動かす。
今はただ、ここで引き下がるわけにはいかない。
オレは腕に残る硝子のような切り傷を押さえ、血を拭い落とす。
傷口はまた閉じるだろう。
オレはまた武器を拾い、奔った。
槍を回して敵の顔面を掠め、盾を投げて相手の腕を弾く。
蹴り上げ、倒れた盾を足蹴にして再び飛び道具に変える。
戦場は楽園ではないが、ここで生きるという実感が、うねる力となって体を満たす。
エレクトラが叫ぶ。
「フン、愚かね、感情だけでは何も変わらないわ!」
彼女の掌から稲妻が集中し、巨大な矢となってオレに向かってくる。
オレは咄嗟に水の輪を作り、それを導体として矢を受け、矢を地面へ流す。
だが、縁にいた数名の兵がその反射に巻き込まれ、呻きながら倒れる。
胸が痛む。
だが彼らの目にあるのは憎しみではなく救われた者の涙だった。
戦いは続く。
オレの心臓は高鳴り、魔術の傷が体に刻まれていく。
王としての夢はまだ心の奥にあるが、今ここで戦うオレは、刃を振るうことにおいて新たな誇りを見つけていた。
血と汗と泥で描かれるオレの軌跡を、後世がどう呼ぼうと構わなかった。
今はただ、目の前の敵を斬り倒すのみだ。
◇ ◇ ◇
少し離れた所で、仲間たちが倒れているのが見える。
腕を失った兵、顔に大きな裂傷を負った老兵、震える新人。
オレは駆け寄り、手早く治癒術を唱えていく。
指の動きは癖であり、構築は最小限で済ませる。
傷は瞬く間に縫い合わされ、呻き声は驚きと安堵に変わる。
治療の合間に、オレは倒れた仲間の形見となった剣を拾い上げ、泥にかすれた名刻を指でなぞった。
ふいに遠くで戦況を見ているであろうシャーロットの笑顔が浮かび、胸の奥に重い石が落ちるが、憂いている暇はない。
「フレオン、貴方の願いは何?」
そんな幻聴が聴こえた。
オレは短く笑い、「残された生命の糸を守り切ることだ!」と答える。
嘘ではない。
オレは誓う。
小隊を、生命を守るため戦う。
それが王になることの一部なのかもしれない。
だが今は剣を握る男であることを誇る。
◇ ◇ ◇
夜風が吹き抜け、雷の名残りが空に蠢く。
魔族の足跡が残るこの場所に、オレたちは血と汗を刻んだ。
更なる戦いのための火を焚き、薬草の匂いと鉄の香りが混ざり合う。
シャーロットの契約がここに在る限り、操り兵は動けない、動かない。
だが敵の幹部はまだ残る。あいつらは何度でも形を変えて襲ってくる。
「オレはフラクタル第一王子———」
やがて、誰かが遠方を指差した。
夜の向こう、黒い軍旗の列が微かに見える。
「そして、契水の小隊副隊長フレオン———」
たとえエレクトラを打ち倒したとしても、北の意思は揺らいでいない。
オレは剣を抜き、泥に刻まれた跡を踏みしめる。
鼓動がまた高鳴る。今は休めない。
手に握る剣を高い位置から見下ろしている魔族に向ける———
「貴様の生命の糸を断ち切る男だッッ!」
フレオンは駆ける。
左腕に槍が突き刺さり、血が溢れていようとも。
周囲の武器を投擲する。
傷は、戦闘に支障がなければ構わない。
目の前の魔族は未だ余裕そうだ。
「へぇ、ワタシはエレクトラ。あんたの耳障りな言葉を止めてくれるわッ!」
エレクトラは更なる雷魔術でフレオンを追撃する。
しかし、フレオンはもはやそんな攻撃では止まらない。
致命傷たる部分だけ治癒する。
被弾、治癒、被弾、治癒、被弾、治癒———
エレクトラは痛覚すらも麻痺したかのようなその男に束の間に恐怖する。
一瞬、体勢を立て直そうとフレオンに逃走の隙を見せた時。
「ぜってぇに逃してなんかやらねぇぞ!」
男の声が届き、背後を大きく切りつけられる。
魔族は驚愕する。
エレクトラは今まで高い位置からほぼ一方的に攻撃していたのだ。
しかし、フレオンは、空の強力な電場に引き寄せられ浮かび上がる金属塊に捕まり、この高さまでやって来たのだ。
その時、パリンッとガラスの割れるような音が響く。
エレクトラはガクンと下に引かれる感覚を覚える。
それは彼女の足元に展開していた浮遊魔術が破壊された音だった。
フレオンはその上がった口角をさらに吊り上げる。
「マジかよ。ルーカスの真似だが、上手く行くもんだなっ。」
そのまま二人は地面に墜落する。
フレオンは折れた脚を急速に治癒し、再びエレクトラに斬りかかる。
今の彼はただ戦闘を楽しんでいた。
かつて西の将軍イザークに負けてからフレオンは死ぬ気で腕を上げた。
今が彼の人生の最高潮であるかのようだった。
そう———今のまま、笑ったまま眠れるならそれでもいい。
オレは狂戦士のように笑い、また次の一撃を振るう。
その死闘は片方の体力が底に尽きるまで続くのだった———




