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無心





夜半、雲間をかすかに照らす月明かりも遮られた空中、高度およそ100m、下にはいまだ操られているシルヴォール兵が蠢いている。



フィストリアが数時間かけて張った結界の内側、三人はわずかな間合いで対峙していた。



ウィカリアは暗く低く呟く。



「死んでも僕は、魔王様と共に……」



支配されていれば、死ぬことさえも躊躇わない。


ルーカスとフィストリアはウィカリアの様子からもその事実を恐れた。


ウィカリアの声と同時に、彼の手に結晶が生まれ、身体から瘴気を帯びた毒が滴り落ち、雲霧めいた瘴気の帯が三人を包む。



ルーカスの胸に、ひび割れた肌から血が滲む感触が走った。


彼の右手首にある、フィストリアから贈られたバングルがわずかに振動し、かすかに暖かい光を放つ。



毒がルーカスの身体を蝕んでいる証拠だ。



バングルに込められた治癒魔術の域を超える分の痛みはルーカスに流れる。



奇病ノソフォトラと毒の両方をバングルで補うことが出来ていなかった。



ルーカスはこれに一抹の焦燥を覚えた。



毒の嚥下と同時に、ルーカスはすばやくウィカリアに眼を向け、魔術の破綻点を見極める。


毒をどうにかしなければ、ルーカスの死は近づいてくる。


魔族の方に向けて空中を駆けるルーカスはアルカディアを掴んだまま睨みつける。



空中である以上風向きは歪みつづける、奴の手の中にある結晶にルーカスは魔術言語を見つけ、毒霧が溢れるそれを斬り払うように剣閃を走らせる。



その切れ目が現れた途端、結晶はガラスが砕けるように霧散した。


「なんと、そんな一瞬で見切ってきますか…」


ウィカリアは驚愕の表情を浮かべる。



しかし、瘴気の回避が完璧でも、内側に残った腐敗毒は血管を侵し、ルーカスの肌のひび割れがわずかに広がる。



バングルにも細い亀裂が走り、治癒魔術の光が鈍くなるのを彼はわずかに感じた。


短い呻き声を上げながらも、すぐに視線をウィカリアへ戻す。



その時、フィストリアは隣で雷の魔術構築を組み上げ、十メートルほど離れたウィカリアの頭上から雷網を垂らす。



だが、ウィカリアは空間魔術で一歩踏み込み、雷撃を背面の雲間に押し返して身を翻す。



「貴女の魔術は全て分かっていますよ。」



ウィカリアは余裕そうにこちらを見つめている。



フィストリアの攻撃のほとんどを奴は見切ってくる。


盤外の書を適宜確認している目の前の魔族は相性が悪いのだろう。



"彼女の行動は全て知られている。"



ふいに、ルーカスは一つ思い出す。


初めに戦った時、奴はアルカディアと浮遊石のことが書に記されないと言葉を洩らしていた。

それは恐らく同じ果実に生み出された物だからだろう。


だからこそ……


「アルカディアをうまく扱えば———」



ウィカリアが声を荒げる。


「そんなことはさせませんよ!」


盤外の書にはすでにルーカスの思考が記されていたようだ。



しかしルーカスの今の言葉を聞いたフィストリアが闇に紛れて心を落ち着かせ、無心を作ろうとしているのに気付いていた。


ウィカリアはフィストリアの攻撃なら簡単に避けられるとたかを括っている。



ルーカスはただフィストリアを信じて目の前の魔族と対峙する。


魔族にフィストリアのことを考えさせないようにルーカスは左手を動かして、石によって浮かべている六本の剣を円陣状に浮かべ、自身に注意を向ける。



この石の動きも書には記されない。


同じ果実に生み出されたものだから。



闇の中に、刃が鈍く反射する。


ルーカスは一斉に剣を跳ね上げ、円形に回転させてウィカリアの周囲を切り裂く。



魔族はその対処に遅れをとり、書に目を落とすことができない。


そして、魔術を構築する時間も与えない。



魔族がただ防御をしている最中、ルーカスはウィカリアの隙を見て、書に記されない剣をフィストリアに向けて投げる。




彼女なら最高のタイミングを狙ってくれるはずだ。




やがて、ウィカリアは6本の剣戟を弾き、ルーカスに向かう。


ルーカスは戻ってきた6本のうち1本を手に取りウィカリアを見つめる。



「くっ、やってくれるじゃありませんか!」



ウィカリアは激昂し、腐敗毒をさらに極大化し球状に固めてルーカスに叩き込む。


ウィカリアは怒りのせいかルーカスの手にあるのが普通の剣であることに気づいていなかった。



近接戦の最中、ルーカスの顔面に直撃した瘴気が皮膚を腐食させるように侵食し、ルーカスは咳き込みながら剣を握りしめた。


だが、バングルの治癒魔術は弱まり、右手首の裂傷から流血が増す。


ルーカスは血にまみれた指で剣を掲げ、切りつける。



それをウィカリアは分かっていたように抑える。


ルーカスは魔族の背後から5本の剣で切り付け、魔族から離れる。



ウィカリアは再び瘴気の塊をルーカスに向けて投げつけてくる。


それを避け、ルーカスはウィカリアに近づく。



血だらけの右手にはただの剣が握られている。


ルーカスの下からの斬撃。


その行動も知っていたウィカリアは易々と弾き飛ばし、隙のできたルーカスに止めを刺そうとする。



鋭利な爪をルーカスの胸に突き立てた瞬間———




———ウィカリアは背後から強い衝撃を受けた。




魔族は浮遊魔術も維持できなくなり落下する。



奴の胸にはアルカディアが突き刺さっていた。



フィストリアは無心でアルカディアを浮遊させ遠くからウィカリアに突き刺したのだ。


ルーカスは満足そうに言葉を紡ぐ。


「フッ、フィストリア、流石の判断だ……」



彼はそう言って彼女に手を伸ばす。


「ルーカス!こんなに血まみれになって…バングルの治癒魔術も切れてしまいそうです。今すぐ治癒を…」


そんなフィストリアの手をルーカスは優しく振り解く。



「だめだ。先に奴の死を確認しておかないといけない…」



ルーカスの言葉にフィストリアは苦しい表情をしながらも首肯する。


そうして2人はアルカディアを回収し、落下して行ったウィカリアを追って落ちていった。




 ◇   ◇   ◇




ウィカリアは地面に強く衝突したようで、もはや生きているのが不思議な様相をしていた。


それでも生きているのは魔族の体の強さなのだろう。


ウィカリアは体力の限界と自身の終わりを悟り、冷静に囁く。


もはやグラヴィティアのように生命力を奔流として放つこともできないようだ。



「———あなたたちの力がここまでとは…対して、傷害を与えれませんでしたか…」



そのわずかな動揺を逃さず、毒によって顔に大きな痣ができているルーカスはバングルの囁く振動を無視して右手でアルカディアを構える。


「しかし…これだけは…処分を…」


ウィカリアは近くに落ちている盤外の書を手を向ける。


だが、ルーカスはそれを見逃さず、アルカディアが微かに残る毒瘴の残滓を纏いながら鋭く閃き、ウィカリアの胸を真っ二つに裂いた。


ウィカリアは最後まで口調を崩さず、静かに沈みゆく。



「…処分もできなかっ……くっ、僕が敗れるとは……魔王様…申し訳……」



暗雲の夜空に、刹那の静寂が訪れる。



その瞬間、フィストリアはすぐにルーカスへ駆け寄り、手をを握りしめながら治癒魔術を注ぎ込み、バングルを修復する。



彼の全身の裂傷は、再び暖かな光に包まれて修復されていった。なんの後遺症も痕も残さずに。



こうして、空中での死闘は終わった。



夜明けはまだ遠いが、確かな勝利の予感だけが、雲間から漏れる淡い光に照らされていた。


ルーカスは魔族な死体のそばに落ちている盤外の書を拾い上げた。


グラディアとエル・メディスを戦いに巻き込んだ元凶。


この書は本当に強力な遺物だった。

ただの勝ち戦を負け戦に持ち込みかねない。




二人は互いに寄り添い、遠く包囲結界の下で静かに待機する兵を見下ろした。




 ◇   ◇   ◇




シルヴォール兵たちは意識を取り戻したようだ。


かつて南東の小国で見たように困惑の表情をしている者や、叫びだす者もいる。


仕方なかったとはいえ、魔術師に至っては手首が飛んでいるのだ。



フィストリアはすでに結界を解いている。



本陣からフレオン率いるフラクタル、グラディア軍がぞろぞろ出てきている。



支配されていたとはいえ、領土侵犯をしていたのだ。一時的に捕縛し、シルヴォールの様子を見なければならない。


今回は小競り合いから起こった戦いだったが、近いうちに起こるかもしれない、北東との全面戦争に向けて敵兵の数を減らしておくのも手だ。



その大量の兵を一時的に捕縛するフラクタルの苦労が窺える。


シルヴォール兵は支配魔術の弊害か衰弱しているものが多い。


反抗的な者が少ないのは幸運だった。





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