明瞭
『たとえ悠久を超えることになっても忘れてはならない』
その者は心魂に刻む。
その言葉はいつかの自分も覚えているのだろうか。
◇ ◇ ◇
この日2人は早急な解決が必要な事件の対応に追われていた。
現場に到着したルーカスとフィストリアは衛兵に近づく。
衛兵は王子に気づくと敬礼をする。
「何が起こった?」
ルーカスは端的に問う。
彼に事件現場で対処に当たっていた衛兵たちが重々しく答える。
「今朝未明、この路地裏で5人の干からびた死体が発見されました。いずれも身元は分かっていませんが現在調査中です」
「我々はここ最近続いている事件との関連性を探っています」
衛兵の言葉にルーカスも少々気分が落ち込む。
ここ数日の間、王都では似たような事件が多発していた。
「なるほど、今回は5人もの死者が出てしまったか……。——建国を祝す祭典も近い、犯人を絶対に逃してはならない。ここは頼んだ。」
そういって衛兵の話を聞いたルーカスは労いの言葉をかけた後、フィストリアに意見を求める。
「フィストリア、君はこの事件に関係するのは初めてだと思うが、何か流浪の旅人としての見解はないか?」
ルーカスの質問に彼女は綺麗なソプラノの声で話し始める。
「そうですねぇ、十中八九魔術が関係しているとなれば、この辺りでは珍しいですが魔族が暗躍しているのでは?」
南の大国グラディアでは滅多に聞かないその言葉にルーカスは顔を顰める。
「魔族…と来たか、なるほど。大陸の南には滅多に存在しない奴らだな。ごく稀に南でも見られるが、そこまで考えが及ばなかったな……」
「魔族の中でも夢魔族の仕業なんじゃないでしょうか。あれは結構無差別に相手を選んで生気を奪いますし、そう言う魔術を種族単位で使います。通常の魔術師も使えないことはないと思いますけど人間を完全に干からびさせるほどというのは難しいですし。」
夢魔族——それは魔術を用いてその名の通り夢を見させ昏睡したところを、あっという間に生気を吸い尽くしてしまう魔族……らしい。
魔族にはそれこそ魔術と同じくらいの種族があるため王族として知識を持っていてもその全てを知っているわけではないのだ。
フィストリアは自身の知識と見解をルーカスに披露する。
その様には彼女の深い教養と高い品性がうかがえていた。
ルーカスは手を口元に持っていき思案の表情を浮かべる。
「ふむ、確かに話を聞く限りその線が濃厚か……遺体が朝方に見つかることが多いのもそのせいだろうか。」
ルーカスは情報を脳内でまとめながら衛兵にどのような対策を取らせるか考える。
やはり彼女に聞いて正解だった。
フィストリアの知見はただの旅人と言うには広く、こういった魔術に関わると彼女に敵う者は王城にもいないかもしれない。
加えて、彼女のように魔術師がいると魔族を相手にすることは格段に楽になる。
しかし、魔術師は基本的に王宮の抱えであり実際ルーカスが自由に動かせる人員はちょうど彼女くらいだ。
そもそもグラディアは剣術を極めた者の家系であり、魔術師自体が少ないのだ。
「よし、それじゃあフィストリア、今日中に魔族を捕まえる勢いでいくぞ。」
彼女の首肯を確認して2人は詰め所を飛び出した。
◇ ◇ ◇
———という朝の会話からすでに半日が経過した。
ここ数日、犯人を見つけられなかったことが嘘のように調査は本当にあっという間であった。
そもそも、今回はこんなに分かりやすく証拠を残していたのだ。潜伏するのも下手な魔族であったのだろう。
夕焼け空を深い青色が染め上げた頃、1匹の夢魔族の女を2人の男女が追い詰めていた。
「くっ、あんたたち一体なんなんだよ!」
夢魔族の女が叫ぶ、その魔族を今は女が迫っていた。
その女…フィストリアは魔術構築を組んで炎魔術を向ける。
フィストリアの魔術は体を逸らした魔族の右半身を燃やした。
苦悶の表情を浮かべて魔族は構築を組んで付近の暗がりに転移する。
路地裏に出た魔族は一瞬安堵の表情を浮かべたが、正面に立っていた男を視認して驚きに目を瞠った。
その男…ルーカスは魔族に話しかける。
「お前の転移は本当に厄介だった、だがお前以上に王都を知り尽くしている俺を敵に回した以上、王都で俺から逃げ切ることは出来ない」
ルーカスは魔族が転移魔術を使う厄介な存在だと知ると暗がりの少ないところを選んでフィストリアに追い込んでもらっていた。
そして転移先になるであろうところをルーカスが見張っていたのだ。
そんなルーカスに魔族は言い放つ。
「ちっ、だが男であるお前が夢魔族である私の前に単独で来るのは悪手なんじゃないのかい?あんたは魔術を使っていなかった。あたしの魔術は人間の理想を映し出すものだよ…どんな男もこれには逆らえなかった!」
ルーカスは魔族の言葉を聞き不敵に笑う。
「ふっ、そう思うならかかってこい、お前が殺した民の分、俺が清算してくれる」
ルーカスは自身の長剣を鞘から引き抜いた。
余裕そうなルーカスに魔族は右手をあげて男たちを昏睡させることに使っただろう魔術を放つ。
ルーカスには魔術を受けても目覚めれるという自信があった。
彼はその考えを裏付けるためにあえて魔術を正面から受けた。
◇ ◇ ◇
ルーカスが魔術を受けて目を開くと、そこは見慣れた自分の寝室のように見えた。
魔族の魔術に掛かっているということは、今はおそらく自分の理想が映し出されているのだ。
それも欲望といった己の熱泥のような理想が。
ルーカスは見回し、見慣れた寝室だと感じながらも、普段と違う点があることに気づいた。
普段と違うのは寝台に1人の女が座っているところだ。
ルーカスはその女の姿を見間違えることはない。
「はぁ、やはりそうか……」
寝台に座っているルーカスの理想を映し出したという女の姿……
その姿はフィストリアそのものであった。
フィストリアを時計塔で目にした時に感じたあの惹かれる感覚、今までどの女に出会っても感じなかったものだ。
王子という立場上、年齢の近い婚約者候補とされる女を何人も見てきたが、フィストリアを見た時の感覚はなかった。
政略結婚自体を無意識のうちに避けていたのかもしれないが…。
王子として政略婚が嫌とはどう言うことだと思いつつ、少なくともルーカスは20年の人生でフィストリアほど自身の理想に近しい女は初めてだったのだ。
儚げな雰囲気を纏っていながら自身の芯を持っている女。
彼女の生き方はルーカスにも刺さっていた。
そこでルーカスは自分の深層心理にある理想を映し出すと聞いてこれだけを確かめたかったのだ。
それにルーカスはこの魔術をどうにかできる自信もあった。
ルーカスが思案していると寝台に座っていたフィストリアと全く同じ姿、声の女が立ち上がってルーカスに声をかける。
「ねぇルーカス、こっちに来て……わたしあなたのことを愛しているわ、あなたさえ居てくれれば他には何もいらないの…」
その言葉を聞いてルーカスは笑みをこぼす。
ここ数日で会ったばかりの女、ルーカスにとって一目惚れだったのだろうか。
不思議と懐かしい感覚を覚えたし、昔どこかで会ったことがあるのかもしれない。
あっという間に毒されてしまった自分を愚かと思いながらも彼女から愛を囁かれるのはどうせなら現実であってとも思ってしまう。
確かにここ数日一緒に過ごして見てきた通りの容姿、声…すべてが自分にとって理想的な女だ。
しかし、
「すまないな、生憎俺は現実のあいつにしかもう興味がないんだ、今のお前では物足りなくなってしまう。それに今のお前に落ちていくのはあの魔族の思う壺だ。それは癪だろう?」
そう言ってルーカスは目の前のフィストリアの頬に触れる。
白皙の肌には蒼い瞳が映えている。
「なあ、フィストリア……教えてくれ。君はどうやって生きてきたのか、好きなもの、嫌いなもの、その全てを知りたいと思ってしまう……。ふむ、そうだな……俺は、君を俺の妻として永遠を共にしたいと、そう思っているのだろうな。」
やはり彼女は傾国なのだろう。
今まで女気の無かった男を忽ち溺れさせようとしてくる。
しかし、ルーカスは溺れたいと思っているわけではない。
むしろ、逆に彼女に溺れて欲しいくらいだ。
すでに2人は契約によって縛られている。
良く言えば契約、悪く言えば束縛。
それはルーカスとフィストリアに猶予を与えている。
フィストリアはどこか達観しているようにも見える、流浪の旅人らしい彼女は様々なことを見てきたのだろう。
しかし、不思議と彼女も自分に固執しているように見える。
元々この国の人間ではない彼女を妻とするにはこれから多大な苦労が待っているのだろう。
それでも俺は彼女に自分を愛してもらいたいと思ってしまった。
「これからどうするか考えなければな…」
ルーカスはそう言いながら腰の長剣を引き抜く。
フィストリアが声をかけ、手を伸ばしルーカスの頬に触れる。
「ルーカス、わたしでは駄目なの?わたし、あなたに尽くすよ…、駄目だめダメ、こっちに来てよ、ルーカス…」
「あまりに似ていると、突き放すことが辛くなってしまうな……」
ルーカスは彼女の指先に優しく触れ、自身の顔の前まで持っていき、手の甲にそっと口付けを落とす。
その行為に頬を染める彼女を見て、ルーカスは現実のフィストリアも同じように紅潮するのかと思い耽る。
「俺の眼には魔術構築の破綻点が見えるんだ、すまない、さよならだ。」
———魔術構築には必ず弱点が存在する。
言語を文法に沿って綴っている以上、ここで分ければ意味が通らなくなる、という点が存在するのだ。
この点が弱点と呼ばれる点で、これを見切って剣で突くと意味が通らなくなり、構築は崩れてしまうのだ。
しかしその弱点をしっかり見切らないと崩すことはできないし、強力な魔術師は構築を何十重にも施し、弱点をうまく隠す。
だからこそ魔術師には魔術師をぶつけることが定石となっているのだ。
この弱点を見切るには魔術への深い知識を持つか、ルーカスのように特殊な眼を持つかが必要不可欠である。
——グラディア王族にごく稀に現れる眼。
ルーカスの眼は常人の数倍の視力や違和感に気づきやすくなるといった人の能力の延長線上にある。
それはいわば、常人が視界の中心で見ているものが視界の端までに広がっているようなものだ。
あくまで眼の能力の延長線上でしかないが、戦場でも日常でも役に立つ事が多い。
彼の黒い瞳は魔術の僅かな揺らぎも見逃さない。
ルーカスは魔術が施されているところ、自身の心臓を一瞥し、夢の中のフィストリアに向かう。
「もう一度謝っておく、すまないな。俺はここを出ないといけない。いつの日かお前が俺の隣に立ってくれることを祈っておこう」
そう言ってルーカスは自身の長剣を、常人なら向けようとも思わない自分の心臓に突き立てる。
魔術が施されているのが目の前の女であればルーカスも躊躇しただろうが、自分自身……それも夢の中であるならば、なおさら剣を突き刺すことに躊躇いはない。
自身の胸に剣が滑り込む。痛みはない。白刃には自身の顔が写っている。
その瞬間、ガラスが割れるような音が響き、ルーカスは最後に上昇するような感覚を覚えた。
◇ ◇ ◇
目を開くと目の前には女魔族がいた。
魔族は右手をあげたまま、目をこれでもかと見開いて驚いているようだ。
どうやらあの魔術の効果時間は本当に一瞬のことだったようだ。
「なっなっ、ななっ、あたしの構築を崩したって言うの?」
魔術構築を破壊されると少なからず隙が出来てしまう。
その隙は目の前の魔族の実戦経験の不足を示していた。魔族は驚きのあまり混乱しているようだ。
意識のはっきりしているルーカスとすでに抜かれている長剣。
殺人を犯した目の前の隙だらけの魔族。
グラディア王国の殺人罪の量刑は決まっている。
彼の剣は女に一抹の痛みも与えない処刑を与えた。
◇ ◇ ◇
ルーカスは建物の上に登り、屋根の上で魔族を追っていたフィストリアを探す。
ルーカスは屋根に飛び乗った時、少し離れたところから歌声が響いていることに気づいた。
「〜〜♪〜♪♪〜〜」
その歌声はどこか悲しみや郷愁といった感情が含まれているながらも以前より明るい歌であった。
ルーカスはその聞き覚えのある声の方に向かう。
その声の主はフィストリアだ。
彼の到着と同時に歌が終わったようでくるっと振り返る。
微笑みを湛えた彼女は背景の真白な月と夜空も相まって美しさを増していた。
「ルーカス、お疲れ様です。魔族の討伐は無事に完了でしたようですね。」
「もちろん、一介の魔族に俺が遅れを取るように見えるか?」
ルーカスがそう問いかけると、フィストリアは微笑みながら再び口を開いた。
「まさか、もう数日一緒に居るんですよ、あなたの力量くらい把握しています。」
ルーカスは現実のフィストリアを確認して気分を良くしながら話を続ける。
「それにしても、フィストリアの歌は聴いていて気分が落ち着く。」
「ふふ、ありがとうございます。」
フィストリアは素直に感謝を述べる。
「また、何度か聞かせてほしい。」
そう伝えると彼女は微笑み、首肯する。
消えてしまいそうな儚さもある彼女を見て、ルーカスはふと言葉が洩れる。
「綺麗だな。」
その言葉を聞いたフィストリアは目をパチパチした後、気づいたように後ろを振り向き、口を開く。
「そうですね。今日は綺麗な満月です。」
ルーカスはフィストリアに言ったつもりであったが彼女は勘違いしてしまったようだ。
まあ、今はそれでもいい。まだ出会って数日なのだ。時間はあるし、ゆっくりと距離を縮めていけばいい。
ルーカスの思案の中、フィストリアが紅潮していたことには誰も気づかない。
ルーカスたちは月光の下しばらく夜空を眺めていた。
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