憂愁
エル・メディスでのルーカスの宣言から数日が経った。
ここ最近フラクタルとシルヴォールの小競り合いが激化して戦争と呼べるものにまで発展しているらしい。
グラディアからも西との戦いの前に軍の一部を援軍として出しているが、ルーカスたちに救援要請が来るのも時間の問題だと思っていた頃。
ルーカスの体に異変が生じた。
ルーカスは記憶を取り戻してから過去の自分……グラディア公時代の動きがほとんど出来るようになり、大陸最強と謳われた当時の力を取り戻していた。
ちょうどそんな時だった。
フィストリアがルーカスの執務室に入ってきてすぐにルーカスの体の違和感に気付いたようだ。
「あれ?ルーカス…あなたもしかして体調悪くありませんか?」
彼女はルーカスに贈ったバングルが発光しているのに気づいた。
治癒魔術が込められているバングルは南東の小国との戦いの後にフィストリアから貰ったものだ。
しかし、ルーカスは体調が悪いという言葉を聞いてもピンと来なかった。今世では彼自身、大きな病気や風邪を引くこともほとんど無かったのだ。少し考えてから答えた。
「いや、特に体調が悪く感じたことはないな。なんならここ数年、体調を崩すこともなかった。」
フィストリアは自分の目を疑ったのか、ルーカスを見つめながら一瞬の逡巡の後、思い出したように口を開く。
「あっ、私が贈ったバングルのおかげで分かりにくくなっているのかもしれません。一度外してみてもらえますか?」
魔道具に刻まれた魔術は、基本数回分しか発動できない。
たまにフィストリアに見てもらっていたが、1回分も使っていなかったはずだ。
ルーカスは彼女の言う通りに銀のバングルを外す。
すると…
たちまち肌がひび割れ、ルーカスに痛みをもたらし、血が流れ出した。
フィストリアやルーカスはよく知っている症状を見て絶句してしまった。
ルーカスは少し震え気味の声音で口を開いた。
「こ、この症状には見覚えがあるんだが、間違っていると思うか?」
ルーカスの言葉にフィストリアは信じられないという顔で、しかし目の前の症状を受け入れるように告げた。
「……ま、間違い無いです。これはあの病です。私やあなたが罹っていた奇病の症状です…」
奇病『ノソフォトラ』
その病はかつてルーカスを殺した奇病であった。
これはルーカスとフィストリア、互いにとって突然の出来事で、衝撃を与えるものでもあった。
フィストリアは慌ててバングルをルーカスの腕に嵌める。
そうすると肌のひび割れが少しずつ修復されていく。
フィストリアは涙を浮かべながら、安堵したように話出す。
「魔道具という物が生まれてなければ、活動も難しかったですね。」
彼女が時の流れに感謝するように声を振るわせる。
今でこそ魔道具という存在は広まりつつあるが、300年前は魔道具という物は存在もしていなかった。
かつて自分が奇病に臥せていた時のことをルーカスは思い出す。
「そうだな。魔道具が無ければ、治癒術師の少ないグラディアだとフィストリアに付きっきりになって貰わないといけなくなってまう。」
「付きっきりは構わないのですが、あなたが戦場に出れないとなったらグラディアの戦力低下は著しいですからね……あの時魔道具をあなたに贈っていて良かったです。」
ルーカスは彼女に感謝しつつ、ふいに思ったことを投げかける。
「それにしても、この奇病は突然発症するんだな。昨日の夜だって一緒にいたんだ。それなら、昨夜から朝のうちに発症したわけだが…」
ルーカスの問いにフィストリアも考える。右手を顎に当て思案する表情は真剣そのものだ。
「たしかに、急ですよね。体調を崩してたわけでもないのに。最近何かありました?」
フィストリアからの質問にルーカスは最近あったことを思い出す。
「ふむ、最近あったことか……記憶を取り戻してからは昔の動きができるように剣術の訓練しかしていなかったからな。」
ルーカスは今朝ようやくかつての動きをこなせるようになったことぐらいしか変わったことはなかった。
自分の周辺にルーカスと同じ症状の人間がいるという報告も聞いていない。
そうなるとやはり自分がかつての動きが出来るようになったことが関係しているのかと思えてくる。
かつてこの奇病を患った人を考え、フラクタルで読んだ多くの伝記を思い出す。
ルーカスはここでハッとした。
「———そういえば、フラクタルの図書館で本を読んでいた時に気づいたことなんだが、歴史上の中でも一際群を抜いている実力者に戦死はほとんどなく、病死があまりにも多かった。病死の時はこの奇病に罹ったという記述しかなかったように思ったんだが……」
歴史の中で群を抜いて強い存在、それこそ、ルーカス公は戦場で死ねず、やがて病死した。
自分が見たことを思い出しながら言葉にして続ける。
「……そんな偶然があると思うか?」
ルーカスはフィストリアに尋ねる。
フィストリアは一瞬考えたようだが、すぐに口を開いた。
「確かにそんなこと…普通あり得ませんね。他の病に罹ることもなく。老衰なども無かったんですよね。あまりにもおかしいです…」
ルーカスは本を読んだ時に一瞬考えた推論を口にする。
「変なことを言うが、この奇病は力ある者にしか発症しないんじゃないか?まるで、病が人を選ぶように……」
ルーカスは自分が妙なことを言っている自覚があった。
しかし、これほどの共通点があるのだ。ある一定の基準を超えた者にこの奇病が発症しているようにしかルーカスには思えなかった。
ルーカスは今や剣術で大陸に敵う者はいない。
このことが関係していると考えたのだ。
フィストリアは一般的には考えにくいルーカスの推論を肯定した。
「ありえないことではないと思います。黄金の果実も魔術を介して人々に祝福を与えるように、何らかの影響を受けて病が発症しているのかもしれません。」
フィストリアは天絡の浮遊石を解析した時に気づいたこと。
魔術を付与された魔道具である物が黄金の果実から生み出されたという事実。
黄金の果実が魔術を介して人々に願いを叶えていたということ。
ここから、病だって魔術を介して引き起こせると考えたのだ。
ルーカスは黄金の果実を目の当たりにしてアルカディアを受け取った時のことを思い出す。
戦争の中で多くのものを失った自分の願い、『大切を守れる剣』を涙ながらに叫び、その願いに沿った物……アルカディアを受け取った。
思えば、あの時口にした言葉そのものと言うよりも自分が思い描いた剣が目の前に現れたように感じる。
「果実に思考や行動でもを読まれたような嫌な感覚になってしまうな。」
苦笑するルーカスにフィストリアも頷く。
「まあ、これも全部仮説ですからね。果実を解析できれば分かることもあるのでしょうが。」
「とにかく、あなたにはしばらく安静にしてもらいます。病について今の私なら分かることもあるかも知れませんし。」
そう言って2人は不穏な奇病の話題を終わらせ、別の話をし出した。
◇ ◇ ◇
それからまた数日が経った頃。
2人は北の大国シルヴァリオンの話をしていた
東と北東の戦況は未だ芳しくない。
「北東の戦線はいまだ膠着状態が続いているらしい。今朝、シャーロット女王候補から救援要請が届いていたな。」
「まあ、魔道具のおかげで俺も自由に動けるわけだが、北東戦線を超えても、いずれ来る北の大国との戦争……気が重くなるな。」
そう今の彼は魔道具のおかげで活動が可能になっている。
それでも大きな怪我をしたり、何もなくとも3日に一回はフィストリアに魔術を書き直してもらわないと効果が切れてしまうのだが。
ルーカスは戦争続きの大陸の情勢に珍しく肩を落とす。
「北は支配魔術で軍や魔族を支配しているらしいですからね。フラクタルからの連絡でも北東の小国シルヴォール兵は支配魔術を掛けられた状態であると聞きました。」
ルーカスは顔を顰める。
「そうだ。南と北は真っ向から考え方が違うから敵対することは確実だったんだが。」
人の完全統制によって平和を望んだ北の大国。
だが、今の北の大国を見ていると完全統制によって得られる平和など高が知れているように思える。
「北に果実を奪われることは阻止しなければならないな。」
「そういえば今の北東戦線には魔族の姿も現れているようです。北からの応援にしか思えませんね。」
「北の魔族というとグラヴィティアを思い出すな。」
北の大国の魔王に仕える4体の直属の魔族。
奴は強大な力を持っていた。その辺の魔族とは比にならないほどだ。
奴は倒した。しかし残り3体残っているはずだ。
「今の北東戦線に1体ぐらい来ているかもな。」
「本当に来ていたら厄介ですね。私たちで対処しましょうか。」
「そうだな。俺たち2人ならどんな魔族だって対処できる。今回こそ天絡の浮遊石を使えるからな。」
ルーカスは机の上で浮遊している正二十面体の遺物を手に取る。
強力が故に対人相手では出来るだけ使わないようにしている物。
西との戦争でも結局使うことはなかった。
「そうですね。その遺物の解析も進んだおかげで、ルーカスも実践で使えるくらい練習できましたからね。」
彼女の解析が進んで、危険にならない基準が分かったことでルーカス自身が練習に使うことができている。
かつては危険だと言って使わなかった遺物の空間魔術も勝手を知ったことで扱えるようになった。
フィストリアが扱う長距離の転移ほどではなくても短距離の転移なら石を介して出来るようになった。
ルーカスは魔術を使えないなりに魔道具を利用して魔術を行使している。
かつて彼に重傷を与えたグラヴィティアの自爆。
今のルーカスならばもはや怪我を負うことなく捌けるだろう。
大陸最強の剣士と
300年を魔術に捧げた魔術師
2人は別方向に力を極めた。
この2人が揃えば文字通り敵なしなのである。
王族や皇族は力を求めて優秀な血を継ぎ続けた。
国内でも最も優秀とされる人物はそういった血筋から生まれやすい。
これはどの国でも言えることだが、王族や皇族は極めて優秀な力を発揮する。
政治面でも軍事面でも…
2人は事務的な話を終えてゆったりとした日々を過ごす。
東の大国に向かうため準備をしつつ……




