戦乱
『「俺はただ………君を……君だけを」』
その者は過去を見つけた。
遠くにいたその存在を。
それはその者の望みが叶った瞬間でもあった———
◇ ◇ ◇
エル・メディスからグラディアに届いた最終通牒から数日後、両国の軍務が動き出した。
互いに自らの国を欺き、敵を探す戦争が始まる。
東の大国フラクタルも、北東の小国に手を焼いているとはいえ、王子フレオンの所属している契水の小隊の一部を南の防衛線へ派遣する意向を示した。
南西のアルカノス女王アメリアも、自国の再建途中ではあるが、主力魔術師たちを南の前線に向けて展開し、南本国の戦力を増幅する準備を進めていた。
ルーカスは両国からの援軍に感謝しながらも、グラディア兵を二手に分割した。
ひとつは北東の防御部隊として、東の魔術師と連携しシルヴォールの動きを牽制。
もうひとつは、南西方面の防衛と西の動向監視部隊である。
民衆を鼓舞すべく、療養中の負傷兵たちには西王国の治癒魔術を学んだ宮廷治癒師が出張し、指一本の負傷でも修復が間に合うという安心感を与えた。
その一方で、南の前線近くにある丘では、南と西の両軍がほぼ同数の騎士、剣士、魔術師を眼下に据えて見つめ合う光景が生まれつつあった。
西の軍勢は北からの補給線を確保した後、軍旗を高々と翻し、野営地を張っている。
最精鋭の騎士団が鎧を磨きあげ、魔術師たちは治癒魔術の構築を巡らせている。
南の軍勢は、丘を背に、雪のように白い甲冑をまとった騎士たちが剣を振りかざし、遠方に立つ西の旗印を凝視していた。
遠く数里離れた丘の上から、西最強の元帥イザークが双眼鏡を覗き込む。
眼下には数千のグラディア兵が小隊ごとに列を成し、植え込みの緑に混じって銀白の鎧がきらめいている。
隣には王太子ベリタスが立ち、「南の王ルーカスの力量を知るためにも、まず……」と呟く。
「元帥、あの高台に見えるのは、南の副指揮官と見受けられる。南の本陣は、丘に近いのだろうか」
イザークはかすかに頷き、馬上の大剣を指した。
「そうでした、あれが南本国ルーカス王自ら指揮を執る旗印でございます。見て下さい、グラディアの誇る騎士たちが並んでおります。ですが、あの程度の結界ではわが国の魔術師を止めることはできません。王太子殿下、いかがいたしますか?」
ベリタスは穏やかな目で南を見つめ、深く息をついた。
「イザーク。今はまだ戦端を開くときではない。まずは我らが実力を示すだけでよい。後方の第二陣には、我々の治癒魔術師部隊を控えさせておけ。こちらの負傷兵が出るたびに戦場で修復してみせれば、グラディアの兵たちの戦意もじきに挫かれるだろう。」
これは犠牲を出さないようにする戦いだ。戦士の命は互いの総指揮官であるルーカスとベリタスの腕にかかっている。
2人が目指すのは無欠戦線だ。
ある程度の負傷は治すことができる。死者だけは出さないように動くのだ。
「なるほど。血を流さずとも相手を屈服させる、ですか。さすがは王太子殿下の策。その策に従いましょう。」
イザークは笑みを浮かべて高々と剣を掲げる。遠方のグラディア兵士たちもそれを目にし、「西の連中が我らを舐めておる」「侮辱なのでは」と声を上げた。
グラディアの副指揮官は、ルーカスの脇で声を潜める。
「王よ、西は本当に我らと戦うつもりなのでしょうか。あの元帥と思しき男の隣に立つ王太子を見れば、まだ戦慣れしていない気配すらあります。」
ルーカスは頷く。
「だが、北の影も絡んでいる以上、騙し合いも仕方ないだろう。数の上では我らが優勢だが、フィストリアと治癒術師で死傷兵をどう減らすかが課題だ。」
と呟いた。
「南西の魔術師はまだ半数しか到着していません。私たちが最初の衝突を避けるなら、まず西の正面に結界を薄く張り、彼らの動きを封じつつ、奇襲をかけるしかないでしょう。もし西の軍が一歩でも進めば、治癒の手を差し伸べ、敵の士気をくじきましょう」
副指揮官の策を聞いてルーカスは笑みを浮かべた。
金獅子の装飾のされた黒の軍旗を見つめる。
「いいだろう。万一の混戦に備え、治癒術師をあの黒旗の下に配置せよ。西の軍が一歩でも攻め込めば、治癒の光を振るい、彼らを動揺させよう。戦わずして戦意を挫く……ここに、俺たちの知恵を見せつけるのだ」
ルーカスとベリタスの作戦は同じだ。
膠着した戦線で、治癒を施しながらできるだけ長く戦を続ける。
———裏切り者が現れるまで。
そのとき、空から青白い閃光がひとすじ駆け抜けた。
監視していたフィストリアが、警戒の兆候を示したのだ。
グラディア兵たちは「西が戦の準備に入った」と叫び、兵士たちの顔色が変わる。
定刻が近づくと、両軍は互いに遠く見つめ合ったまま十里余りの間合いを維持した。
砲撃や矢は未だ発せられず、ただ魔術師たちが結界の準備を進めるかすかな風音が聞こえてくる。
エル・メディスの軍旗がひらめき、グラディアの騎士旗も翻る。
しかし、双方ともにまだその刃は抜かれない。
その静寂こそが、嵐の前の凪のようであった。
こうして、西の大国と南派閥の軍勢は、遠く見つめ合いながら互いの視線を交換した。
いずれの陣営にも、相手を完全に信じきれない疑念と、それでも血を流さずに済ませたい願いが交錯している。
ただ、両陣営の長たちだけは互いの考えを理解している。
争いは、次の一瞬が、南と西の命運を決する火蓋となるのだ。




