四話 逃亡
4話目です。
燃え盛る炎。
崩れ落ちる家屋。
走っても、走っても、その光景は変わらない。
燃え盛る炎のパチパチという音の間に、どこからか子供の泣きわめく声が聞こえる。
道の脇では、女性が家屋の下敷きになっている。煤で顔を黒くしている彼女は、精いっぱいこちらに手を伸ばし、必死に助けを求めている。
―あぁ、何故。
何故私は、守るべき、手を差し伸べるべき民を見捨て、生まれ育った街をひたすらに走っているのだろう。
今にでも駆け寄りたい。助け出してあげたい。水を飲ませてあげたい。私の中にある良心は、その声が枯れるほどずっとずっと叫び続けている。
しかし、彼らのために足を止めることはできない。許されない。
「姫様っ、もう少しです!もう少しの辛抱ですぞ!」
私の前を走っている騎士が振り返り、笑顔で声をかけてくれる。私も息を切らしながら、精いっぱいの笑顔で答える。
「は、はいっ!必ず全員で…全員でたどり着きましょう!」
私の言葉を聞いた騎士たちは、全員で雄叫びを上げる。もし彼らがいなかったなら、私一人だったなら、不安や無力感に駆られ、とっくに泣き出していたことだろう。私にとって彼らは、護衛であると同時に、とても心強い味方でもあるのだ。
先頭の騎士は私の様子を見て、再度笑顔を浮かべた後、前へ向き直る。大きな背中で安心感を与えてくれる彼は、この国の副騎士団長アルベルト。彼は私の護衛隊長でもある。彼は、私が生まれた頃から私に付き従い、何度もこの命を助けてくれた。彼がいなければ、私は今生きてはいないだろう。姫と騎士という主従関係ではあるが、立場に縛られない、家族のような関係だと私は思っている。
「殿下、失礼します」
私の右側を走るのは、眼鏡をかけた騎士ニール。若くして魔法と剣技に秀で、平民から騎士へとなりあがった優れ者。彼は、私に身体強化魔法と回復魔法をかけ続けてくれている。彼のおかげで私は、自分の能力以上の速度で走れているし、走り続けられている。しかし、他人に身体強化魔法を使用している間は、自分へ身体強化魔法を使用することができない。つまり彼は、彼自身の身体能力のみで走り続けているということだ。
「ありがとう。あなたのおかげです」
走りながらであるため、短く、言葉足らずな感謝になってしまった。しかし、ニールには私の気持ちがちゃんと伝わったようだった。
「いえ、もったいなきお言葉」
彼は走りながら頭を下げ、私への敬意を示してくれる。すると、前を走っているアルベルトが大きな声で叫んだ。
「門が見えたぞっ!」
前方には街の出入り口となっている大きな門が見えた。
(あの門を出ればっ)
あと少しでお父様とお母様に会えると思うと、目に涙が浮かんでくる。しかし、安心したのも束の間、1人の騎士がアルベルトへと叫ぶ。
「隊長っ!門の前に奴らが!」
浮かべた涙を拭い、目を凝らすと門の前に黒い何かが見える。
「くそっ、厄介な。足止めのつもりかっ!!」
その正体は召喚術で呼び出された下級悪魔の群れ。それらは異形の姿をしており、人や動物を見ると見境なしに襲いかかってくる。この街、いや、この国が滅びようとしているのも奴らのせいだ。
「相手にしている時間はないっ。このままの速度で突破する!陣形を整えろっ!!」
アルベルトの号令によって、騎士たちは陣形を矢じりのような形へと変化させ、それぞれが魔法によって防御力を高めていく。
「隊長、行けますっ!!」
陣形が整うと、騎士の一人が叫ぶ。それを聞いたアルベルトもまた、騎士たちを鼓舞するように叫ぶ。
「全員、命を懸けて姫様を守れ!行くぞぉぉぉっ!」
それを受けた騎士たちも次々に雄叫びを上げながら、武器を構える。次の瞬間、化け物の集団と接触した。化け物たちは一本の矢と化した騎士たちによって、轢かれ、弾き飛ばされる。騎士たちの速度は落ちることなく、易々と化け物の集団を突破した。その勢いで門をくぐり抜け、私たちは街からの脱出に成功した。
「後方、追撃ありませんっ!」
殿を務めていた騎士が、追手の有無を報告する。
「よしっ!少し速度を落としつつ、陛下との合流を目指す。陣形を広げ、索敵範囲を広げるのだ!」
後ろからの追手は来ないものの、街からはできる限り離れるのが賢明だと考えたアルベルトが、次の指示を出す。騎士たちはその指示に従い、陣形を広げていく。
速度が少し遅くなったことで多少負担が減ったが、積み重なった疲労からか、自分の足が限界に近いのを感じる。実を言うと足だけでなく、胸も苦しい。今もニールが回復魔法をかけてくれているが、その効果もだんだんと薄くなってきている。
「ア、アルベルトっ。少し休むことは可能ですか?」
ここで無理をして倒れても意味はない、それどころか皆の負担になってしまう。
「申し訳ありませぬ、姫様。ここで足を止めると奴らに感知され、囲まれてしまう可能性がある故……とはいえ、これ以上は姫様へのお身体がもたんか…」
アルベルトが沈痛な面持ちで悩んでいる。私の限界が近いのは分かっているのだろうが、この場に留まる危険性との間で葛藤が生まれているようだ。アルベルトが答えを出すのを待っていると、私の右隣―ニールから声がかかる。
「…隊長、私が殿下を抱きかかえ、走るというのはどうでしょうか?それであれば速度を維持しつつ、殿下のお身体を少しでも休めることができるかと」
少しためらいながらも提案するニール。それを聞いたアルベルトは少し悩みながら、答える。
「それしかないか……あとは姫様が良ければだが」
婚前の女性、しかも一国の姫をいち騎士が抱きかかえるというのは、不敬にも甚だしい行為だ。しかし、今はそのようなことを言っていられる状況ではない。こちらに視線を移したアルベルトの顔を見て、頷きながら返答する。
「もちろん、許可します。今は非常事態ですし、何より私はここにいる皆を信頼していますから。勿論ニール、あなたもです」
自分の提案が不敬なものであるという自覚があったニールは、少し不安そうな顔をしていた。しかし、信頼されているという言葉を受け、不安がなくなったのか、覚悟を決めた顔つきに変わっていた。
「必ず、お守りいたします」
「はいっ、よろしくお願いします」
少し恥ずかしくなるくらいの忠誠を受け、顔が赤らんでしまう。それをごまかすように笑顔を浮かべ、ニールの忠誠に答えるようにこちらも信頼を返した。
「では、殿下失礼します」
ニールはそう言うと、こちらに近づき、私のことをさっと抱きかかえる。それと同時に私へかけていた身体強化魔法を解除し、ニール自身へとかけ直した。魔法によってうっすらと発光していた私の体から光が消え、代わりにニールの身体に光が宿る。
「殿下、身体強化魔法は解除させていただきました。回復魔法はいかがいたしましょう?」
頭上からニールの声が降ってくる。
「そちらも大丈夫です。私への回復魔法はしばらくの間、効果が薄いでしょうし、ニール自身に使用してください」
「かしこまりました。ではそのようにさせて頂きます。居心地は悪いかもしれませんが、殿下もお身体をお休めください」
「ええ、ありがとうございます」
その言葉を受けて、身体の力を少し抜き、体力の回復に努める。
それと同時に、ニールを見上げていた視線を前方に移し、いまだ見えない両親の姿を思い浮かべる。
(お父様、お母様、どうかご無事で。みなと共に今、参ります)
それから騎士たちは少しの間走り続け、街から十分に離れた場所で休息を取ることとなった。私はニールの腕の中から離れ、地面へと足を下した。
「ニール、ありがとうございます。おかげで体力が回復しました」
「いえ、殿下のお役に立てて何よりです」
私を下すと同時に、私へと跪き、頭を下げるニール。
「頭を上げてください、ニール」
はっ、と短く返事をしたニールが顔を上げ、立ち上がる。
「ですが、これほど楽であれば最初からニールに抱えてもらえばよかったですね」
そう思えるほど楽だったのだ。
「いえ、それは愚策かと」
気楽に提案してみた私だったが、ニールにばっさり切り捨てられてしまった。私としては妥当な考えだと思ったのだが、予期せぬ返答に少し驚いた。
「な、何故ですか?も、もしかして……お、重かったですか!?」
「い、いえ決してそのようなことは!殿下は重くなどありません!私にとっては赤子のようなものですっ」
自分の言葉が思わぬ勘違いを生んでしまったことに焦るニール。これほど慌てるニールは初めて見た。
「ほ、本当ですか!?でも言葉に詰まっているじゃないですか!……た、確かに最近はお菓子を食べ過ぎていたかもしれませんが…」
焦ったことによって言葉に詰まっただけだろう。しかし、それが勘違いを加速させてしまう。
「い、いえ本当のことです!重いなどと思ったことは一切ありません!殿下っ、私を信じてください!」
ニールは私に向かって、必死に弁明している。私の目に映るその姿に、嘘は感じられない。
「わ、分かりました。いいでしょう、ニールを信じます」
「あ、ありがとうございます」
その言葉にほっと胸をなでおろした様子のニール。額に書いた汗を右手で拭っている。
「………今のところは」
「っ殿下!?」
ぼそっと私がつぶやいた言葉を聞き逃さなかったニールが再度うろたえる。すると、その様子を見ていたのだろう、ニールの背後からアルベルトが大声で笑いながら近づいてくる。
「がっはっは!なにやら面白いことになってますなっ」
その眼にはうっすらと涙も浮かんでいて、指で拭っている。
「「全然面白くないですっ!」」
私とニールの言葉が被る。
「まぁまぁ、姫様。こやつの言っていることは存外間違っておりませんぞ」
アルベルトは私たちを落ち着かせるように、ゆっくりとした口調で話しかける。
「アルベルトも私が重いというのですかっ!?」
「いえ、そうではありませぬ。最初から姫様を抱えて逃げる、というのは危険性が高いということです」
羞恥でいっぱいだった私の頭に、疑問符が浮かぶ。
「どういうことですか?私を抱えていれば、もっと速度を上げられたのでは?」
実際、街中では私に速度を合わせていたことで、敵に待ち伏せされてしまった。
「たしかにその考えはごもっともです。しかし、騎士の一人が姫様を抱えると貴重な戦力が減ることになりますし、陣形の隙間が大きくなってしまいます。それはつまり、姫様への危険が高まるということ。あの場では、速度を犠牲にしてでも姫様への危険を減らすことを優先したのです」
アルベルトはそう言い切った。
あの非常事態の中でそこまで考えられていたとは思わなかった。実際、私はそこまで頭が回らず、アルベルトの言うことに従うしかなかったのだ。
「な、なるほど」
私は、アルベルトとニールの考えを理解し、頷く。それを見たアルベルトは、再度口を開いた。
「ですが、それも襲撃の危険性が高い街中での話です。街を出て、危険性が減った今であれば、その名の通り、お姫様抱っこ作戦が使えるというわけですな」
恥ずかしい作戦名を言いながら、再度笑い出すアルベルト。
「そ、そういうことだったのですね。すみません、ニール、勘違いをしてしまいました…」
私は、自分の幼稚さ、不甲斐なさに少し気分が落ち込んだ。それを見たニールが、私の擁護をするように話す。
「いえ、殿下、頭をお上げください!誤解が解けたのなら、問題ありませんっ。誤解されるような伝え方をした私にも非がありますので!」
「…ありがとうございます。ニールは優しいですね」
ニールの言葉によって、落ち込んだ気分が少し持ち直した。ニールも誤解が解けて心底ほっとしているようだ。少し朗らかな雰囲気が流れたが、アルベルトがにやにやしながらその雰囲気を壊しにかかる。
「まぁ、姫様の勘違いも一理あるかもしれませんな。最近姫様がお菓子を食べすぎると、侍女から聞きましたからな」
アルベルトの意地悪によって、私の顔が熱くなり、羞恥心が限界を突破する。
「なっ、なっ!?」
「姫様、食べ盛りとは言えども、食べ過ぎに注意ですぞ。では私はこれで」
そういうとアルベルトは、休憩しているほかの騎士たちのほうへ行ってしまった。
「…………」
「で、殿下?」
「…………」
「で、殿下」
「もう、いいです!!」
ニールが何か言おうとしていたが、聞きたくなかったので無視して歩き出す。勿論、アルベルトとは反対の方向へ。
「私は決して重いとは思いませんでしたので……」
一人残されたニールの言葉は宙に漂い、誰にも受け取られることはなかった。
少しの間、時が止まったように硬直していたニールだが、落ち込んでいる場合ではないと気づき、姫の護衛としてその後を追った。
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