二話 登校
2話目の投稿になります~
「お兄ちゃーん!私、もう出るからね!玄関の鍵だけよろしくーー!じゃあ、行ってきまーす!」
玄関から発せられた元気な声が家中に響き渡る。
「おーう、気をつけてなー!」
俺は自分の制服に着替えながら、その声に答える。
俺の妹、茜は中学三年生、受験の年だ。
いつもは俺と同じ時間に家を出るのだが、今日は数学の小テストがあるらしく、少し早めに登校して友達と一緒に勉強すると言っていた。
「じゃあ、俺も行きますかっ」
着替え終わった俺は鞄を肩にかけ、玄関へと向かう。履きなれたスニーカーの靴紐を結びなおしてから、妹の言いつけ通り鍵をかけて家を出る。
家の前には、定期契約している自動運転モービルが飼い主を待つ犬のように待機していた。鍵を鞄にしまいながら、俺は普段通り、それに乗り込む。
『本日もご利用ありがとうございます。安全のため、シートベルトの着用をお願い致します。それではまもなく出発いたします』
いつもと同じ機械的な挨拶を受け、指示通りシートベルトを着ける。すると、ゆっくりモービルが動き出す。この自動運転モービルは2120年頃から日本全土に普及し始め、その20年後にはごく一般的な移動手段となっていた。行き先を設定すれば自動で運んでくれる便利な交通手段で、乗車する時間と場所を指定して予約しておけば待ち時間もない。
『10月22日、本日の天気は晴れ―』
モービルから流れるニュースを聞きながら、いつもと変わらない景色を眺める。開発当初は、モービルによる交通事故が発生したこともあったが、現在では一年に数件発生するかどうかといったところらしい。この便利な乗り物―自動運転モービルが普及してから、自家用車を持つ人は大幅に減った。より安全で、より便利な移動手段があるのだから当然ではある。
ただ、いつの世にも物好きは存在する。
例えば、自分で運転するのが好きな人や自動運転モービルを信頼していない陰謀論者、はたまた時代遅れのガソリン車が好きな人だっている。そういった人たちは周りからあまり良い目で見られてはいないのが現実だ。理由としては至極全うなものばかりで、手動運転では事故の可能性が跳ね上がることや、ガソリン車は環境に悪いといったものが挙げられている。
俺の意見は大多数の人と同じ自動運転派だ。かといって少数派の人たちの意見を真っ向から否定するつもりはない。ただし、支離滅裂な意見を振りかざす馬鹿な陰謀論者については例外だ。
この柔軟で、他の人から見れば変ともいえる価値観については、父さんの影響によるものが大きいと思っている。
俺の父さんは世にも珍しいガソリン車を一台所有していた。それは軍人である自身のコネを使って手に入れた旧軍用車である。廃棄になるところを譲ってもらったのだと、子供のころに聞いたことがある。休みの日にその車をいじるのが父さんの趣味の一つだった。実際に運転しているところは見たことがないため、おそらく運転することではなく、いじることが趣味だったのだろう。
長年、父さんによっていじられ続けたその車は今も家のガレージに眠っている。
父さんの趣味は車だけではなくガレージ全体にも及んでおり、核シェルターとしても使えそうなほど頑丈なものに改造されていたりもする。こういった趣味を持つ父さんのもとに生まれたおかげで、今の価値観が形成されたのだろうと個人的に考えている。
そんなことを考えているとモービルの速度がゆっくりと低下し、その後停車した。目的地―俺の通う高校に到着したようだ。
自動運転モービルに乗っていると、ついぼーっとしてしまう。乗っている間は特にすることもなく、周りの目を気にする必要もないため、毎回手持ち無沙汰になってしまう。移動中に何かしようかとも考えたことがあるが、俺には、ぼーっとするのが一番性に合っていると結論付けたのだ。
モービルから到着音が発せられ、ドアが開く。
『本日もご利用ありがとうございました。忘れ物がないか、今一度ご確認をお願い致します。それでは本日もお気をつけて行ってらっしゃいませ』
聞きなれたAIのアナウンスを背に受け、モービルから降りる。背伸びついでに周りを見ると、俺と同じようにモービルで登校してきた生徒が大勢見えた。
「おーい、悟!」
鞄を肩にかけなおし、校門へと歩き始めると自分を呼ぶ声が聞こえた。その方向を見ると、校門のそばで見慣れた顔がこちらに手を振っている。
「はやく来いよー!」
今、奴の顔には満面の笑みが浮かんでいるのだろう、遠くからでも何となくわかる。周りには他の生徒が大勢いるというのに、大声で俺の名前を呼んでいる。あいつには羞恥心というものがないのだろうか。
「ったく、やめろって言ってるのに…」
小恥ずかしい行為をやめさせるために、小走りで校門へ近づいていく。
あいつの名前は武藤敦。俺の中学時代からの友人だ。
性格は見ての通り、明るく無邪気。その性格から友達も多く、限られた友達としか接しない俺とは正反対のようなやつだ。
敦という強そうな名前とは裏腹に、体格は小柄で華奢。そのため女子からは、かわいい弟のような扱いを受けていることもしばしば。
というか、今も周りの生徒から温かい笑顔を向けられている。一方、俺にはクスクスとした笑いしか向けられてない。
淳は、俺が近づいてきたことで、やっと声量を落とし、手を振るのもやめた。いつもの元気いっぱいな笑顔がこちらを向いている。
「悟、おは―「何回言えば分かるんだっ」」
「あがっ」
俺は馬鹿の頭に手刀を叩き込む。
「毎回毎回言わせるな!もう俺たち高2だぞ?子供みたいに騒ぎやがって」
敦はいたい~と言いながら、目に涙を浮かべ頭をさすっている。
「だからって叩くことないだろ⁉」
心外、叩かれる理由はない、とでも言うように俺の手刀に抗議する敦。涙目で抗議されてもまったく威圧感がない。
「いや、何回言ってもやめないお前が悪い」
「別にいいじゃん、何も悪いことしてないんだから!」
校則違反でも、法律違反でもないと言いたげな敦は胸の前で腕を組み、ほっぺたをリスのように膨らませる。
「俺が迷惑してるんだっつーの…」
同性の俺から見ても、敦はかわいい部類にカテゴライズされると思う。勿論、性的な可愛さとかではなく、小動物的な可愛さだ。この姿を見ていると何をされても許すしかないように思えてくるし、敦に人気があるのにも納得できる。
ただ、その人気ゆえに面倒ごとにも発展しやすい。
「「「そうだそうだー!あつし君に謝れー!」」」
なぜか関係ない外野からヤジが飛んできた。
「お前らは関係ないだろっ」
なにを言っても無駄だとは分かってはいるが、部外者が関わってくるなと一応抗議はする。
「だってあつし君がかわいそうなんだもん」
「そうそう、あつし君は何も悪くないわね。あんたが100%悪い」
「あつし君に謝れー!」
「「「そうだそうだー!」」」
ごらんの通り、やはり無駄のようだ。いつも通り、俺の味方は一人もいないらしい。
敦は傍から見ると、女子中学生のような見た目をしている。それゆえに、恋愛対象として見られているというよりは、保護対象として見られている。女子曰く、母性が刺激されるとかなんとか。噂程度だが、親衛隊なるものもあるようで、敦と同じ中学出身で仲が良い俺のことをよく思っていない生徒が一部いるらしい。
「なんで俺が謝るんだよ、意味わからんわっ!」
「意味わかりますーってかなんであつし君がこんな奴と仲いいわけ?ムカつく」
「確かに…ちょっと癇に障るわね」
「一回ボコる??」
外野の女子たちが一致団結し始め、俺vs敦の構図から俺vs外野の構図に切り替わっていく。
「なんでそうなるっ⁉こんなこと前もあっただろ、なんで今日に限って…」
話の方向性と周りの雰囲気が怪しくなってきた。外野の女子の目が赤く光っているようにも見える。敦といると面倒ごとに巻き込まれることも多々あるが、さすがにここまでの事態は初めてだ。
「そ、そうだよ、みんな一旦落ち着いて?僕も別に怒ってないし、本当言うと、頭も全然痛くないから…ね?」
こんなことになるとは思っていなかった敦が少し焦りながら、みんなのことを止めようと声をかける。
だが、一度着いてしまった火は簡単には消えないようで。
「ごめんね。こればかりはあつし君の言葉でも止められないの」
「そ、そんなに⁉」
「なんでだよっ、敦が良いって言ってるだろ!」
制止の言葉もむなしく、彼女たちの勢いは止まらない。
それどころか、剣道部が竹刀を、テニス部がラケットとボールを、薙刀部が薙刀を取り出し、構え始める。これから何が起こるのかは、この状況を見ている人間ならば、誰の目にも明らかだろう。
「ちょっ、それはマズイだろ!」
「大変!悟、逃げてっ!」
周囲に漂い始めた殺気に身の危険を感じた俺は、女子たちに背を向け、地面を蹴る。
次の瞬間、鬼と化した女子たちが俺めがけて走り出した。
「「「「「逃がすかぁっ!」」」」」
剣道部や薙刀部が走り出す中、テニス部の女子はボールを空に向かって放り投げ、サーブの構えをとっていた。
テニスボールが空中で静止し、落下し始めた次の瞬間、
「「「日頃の妬み!」」」
そんな言葉とともにテニスボールがマシンガンよろしく、飛んでくる。
「そこは恨みだろっ!やっぱりただの嫉妬じゃねぇか!」
女子の私怨が混じった言動にツッコミを入れつつ、飛んでくるテニスボールをかろうじて避ける。予想以上にボールのスピードが速いが、動いている的に当てるのはさすがに難しいようだ。
「ちっ、惜しい」
「おいっ、お前ら本気じゃねぇか!ふざけんなっ、しかもお前ら硬式だろ!」
加減を知らない奴らに抗議していると、足が止まった俺に追いついた剣道部と薙刀部が同時に襲い掛かってくる。
「いつもいつもあつし君とっ!」
「仲良くしやがってっ!」
「「妬ましいっ!!」」
竹刀と薙刀による息の合った上段切りをバックステップでかわす。
「ぶねっ!お前らなんで息ぴったりなんだよ⁉いつもは仲悪いじゃねぇかっ」
二人はお互いの顔をちらっと見た後、こちらに向き直る。
「「…あつし君のためならば」」
「ふざけんなっ!じゃあ普段から仲良くしろよ、っとあぶね!」
一呼吸おいて、2本の刀が再度襲い掛かってくる。
「「それは無理」」
「っ意味わかんねぇ!!」
理不尽な暴力に晒されてたまった鬱憤を吐き出すと同時に、剣戟が再開される。
竹刀による上段切りを再度バックステップでかわすと、薙刀による突きが飛んでくる。
左に移動しつつ右足を後ろに下げ、体を半身にして突きを避ける。かわした薙刀が目の前でピタッと静止したかと思うと、刃が90度回転し、こちらに向かって横なぎが飛んでくる。
「うそだろっ」
瞬時にしゃがむことで横なぎをかわすと、殺意のこもった薙刀が頭の上を通過していく。
「ちっ」
連撃をかわされた薙刀女子が悔し気に舌打ちをする。
「ちっ、じゃねぇよ!今、頭かすったぞ、禿げたらどうしてくれるっ!」
しゃがんだ状態から薙刀女子に抗議するが、
「隙ありっ!」
その瞬間左から、剣道女子による足を狙った一文字切りが飛んでくる。
咄嗟に地面を蹴り、ジャンプすることで竹刀をかわすことに成功する。しかし、咄嗟の行動だったため、着地までに時間がかかり、隙が生まれてしまう。薙刀少女がその隙を見逃すはずもなく、薙刀を大きく上段に振り上げる。
「禿げろっ!」
「ちょ、目的変わってね⁉」
着地したばかりで、体をずらして避けることはほぼ不可能。目の前には、今にも脳天めがけて振ってきそうな薙刀。かわすことは無理だと瞬時に判断し、軽く握った拳を目線の高さで構える。薙刀を手でいなすことで少しでも威力を殺し、被害を最小限にとどめようという寸法だ。
(間に合えっ…)
拳を構え終わった瞬間、薙刀が彗星のごとく降ってくる。構えた右腕をさらに高く、迫りくる薙刀の左側へと伸ばす。薙刀が右手と同じ高さに来た瞬間、右手を振りぬき、薙刀の横っ腹に裏拳を叩き込む。
バチンッと鈍い音が鳴ると、薙刀の軌道がずれ、勢いよく地面にたたきつけられる。
「っ痛!」
薙刀少女の手には、地面をたたきつけた反動がそのまま伝わったようだ。少女はその衝撃と痛みに耐えかね、薙刀から手を離す。主の手から離れた薙刀がカランという乾いた音と共に地面に横たわった。俺の右手にも赤い跡が残り、ジリジリとした痛みが作戦の成功を伝えてくる。
何が起こったのか分からないと言いたげな薙刀少女、時間が止まったかのように静まりかえった周囲、その時間を再開させるべく口を開く。
「握りが甘い、まだまだだな。…なんつって」
その言葉が発せられると同時に、止まっていた時間が動き出し、周囲から歓声が浴びせられる。
「うおぉ!すげぇっ!!」
「何が起こったんだ⁉」
「…手で薙刀を弾いた???」
「よく分からなかったけど、多分すごいってことは分かるわ!」
「何か格闘技でも習ってるのかな?」
「いやいや、空手部の俺でも無理無理、絶対無理」
「……ていうか剣道部と薙刀部の攻撃を避けてただけでもすごいんじゃね?」
サーカスのショーでも見たようなギャラリーの反応に困っていると、自分の想像以上に騒ぎが大きくなっていることに気が付いた。自分の周囲が人の壁で囲われており、全員の視線が自分に集まっているのがわかる。何とか収集をつけるか、こっそり抜けだすしかないと思い、周囲を見渡すが逃げ道は一向に見つからない。
(くっそ、どうすれば…)
逃げ道が見つからず悩んでいると、どこからか聞こえた鋭く凛とした声によって思考が中断させられる。
「これは何の騒ぎですか?」
その場にいる全員の視線が俺から外れ、その声の主に集まる。あれほど煩かった騒ぎが一瞬にして収まった。
全員の視線の先にいたのは、長い黒髪を風にたなびかせた美しい女生徒だった。腕には生徒会の腕章を付け、ほかの生徒と同じ制服を、まるでモデルかのように着こなしている。
「か、会長…」
ギャラリーの誰かがぼそっとつぶやく。この学校で会長と呼ばれるのはたった一人しかいない。
「もう一度聞きますが、何の騒ぎですか?」
納得のいく返答がなかった為か、全員を見渡し、再度回答を促す会長。ギャラリーたちは会長と目を合わせないように顔を逸らすと、みな一様に同じ方向を向いた。自然と会長の視線も同じ方向に吸い込まれていく。すると、そこには一人の男子生徒がいた。
「お、俺?」
当の本人は当然ごとく、自分のせいとは思っていないようで、自分を指さし、首をかしげている。
「少なくとも、周囲の皆さんはあなたが原因だと言いたいようですが」
言葉にせずとも周囲の雰囲気を感じ取った会長の言葉に、周囲のギャラリーがそろってうんうんと首を振る。
「ちょ、ちがっ、俺は被害者ですって!」
先ほどと同じく、周囲に味方がいないと察し、慌てて否定するが会長の表情は曇ったまま。顎に手を当て、何かを考えている。
「……被害者、ですか。私が思っていたよりも大事ということでしょうか。…では質問を変えます。加害者はどなたですか?」
俺の発言を怪しんだわけではなく、被害者という言葉に引っ掛かりを覚えたようで、会長は再度ギャラリーたちに視線を戻す。
回答を求められたギャラリーたちの視線は、先ほどとは異なり、二種類の方向へと別れた。半数は、ラケットを背中に隠そうとして隠しきれていないテニス部へ。もう半数は、俺の近くにいる薙刀部と剣道部へ。
視線を向けられた容疑者たちは全員、顔を逸らすか、ばつの悪そうな顔をしている。その様子を見た会長は落胆のため息をつき、頭を抱える。
「加害者は複数、というわけですか…。しかも状況から推測するに暴行、加えて言えば集団暴行の類。……正直、警察沙汰になってもおかしくはない」
ぼそっと聞こえた最後の一言で、加害者たちの表情が強張り、一瞬にして顔色が悪くなった。自分達の行為がいかに危険なものだったのか気づいたようだ。
「「「「「すみませんでしたっ!!!」」」」」
自分達の過ちに気付き、即座に謝罪する加害者一同。頭を地面につけ、最大限の謝意を示している。ただし、体は会長へと向いていた。
「謝るのであれば、私にではなく、彼にでしょう?」
会長が俺のことを指す。加害者たちは、一層冷たくなった会長の視線に怯えながらも、急いで体の向きを変える。
「「「「「本当に、すみませんでしたっ!!!」」」」」
「お、おう」
俺は、少し前まで怒りを向けられていた相手に真逆の感情を向けられ、どう反応してよいのか分からず、固まってしまう。すると、反応に困っている俺に気付いた会長が助け舟を出してくれた。
「現状、彼らの処分についてはあなたに決定権があります。彼らの行為は……小競り合いと言うには少々度が過ぎた行為だと言えるでしょう。出るとこに出れば、それなりの処罰が下るはずです」
会長の言葉によって加害者たちの顔がさらに青ざめていく。
「…しかし、幸いにも彼らは、自らの過ちの大きさに気付いたようです。また、勝手ではありますが、個人的に騒ぎがこれ以上大きくなるのはあまり嬉しくありません…。勿論、無理にとは言いません、ですが寛大な処分をお願いします」
会長はギャラリーの見ている中で俺に向かって深く頭を下げる。俺は面倒なことになりそうだからこの場を早く収集し、抜け出したい。彼女は会長という立場故、校内で警察沙汰を起こすのは避けたい。騒ぎを大きくしたくない、早く収集したいという点において、意見は一致している。
会長が少し考える時間を与えてくれたことで考えがまとまった。俺は自分に向かって頭を下げている会長へ口を開く。
「頭を上げてください。会長さんにそこまでされたら、許さざるを得ないですって。自分としても警察沙汰にするつもりはありませんでしたし」
それを聞いた彼女は、頭を下げたまま感謝の言葉を口にする。
「ありがとう。あなたの寛大な心に感謝します」
「いえいえ、お互い様ですよ。さっ、顔を上げてください」
俺の言葉を受けて、彼女はゆっくりと顔を上げる。すると、自然と彼女と目が合った。先ほどまでは冷静で鋭い目つきをしていた彼女だが、今俺を見ている彼女の顔には笑みが浮かんでいる。いい意味で別人のようだ。
「すみません、私の顔に何か?」
じっと顔を見られていたことに疑問を持った彼女が首を少し傾け、不思議そうな顔をしている。
「い、いえっ、なんでもないですっ!」
あなたの顔に見惚れていましたと言えるはずもなく、慌てながらごまかした。
「そうですか?であれば良いのですが…」
俺の返答に納得していないのか、少し疑問が残ったような顔をしている。
「本当に気にしないでくださいっ。えと、それよりもこれからどうしますか?」
少し無理やりに話を変えて、彼女の意識を自分から逸らす。すると彼女は少しだけ思考を巡らせた後、
「そうですね…。まずは、この場を解散させましょう。ただ、加害者たちは私が生徒会室に連れていきます。謝罪が受け入れられたとはいえ、さすがにお咎めなしとはいきませんからね」
と、頼りがいのある答えをくれた。それに続けて、
「あなたはどうしますか?もし怪我をされているようであれば、医務室に行くべきですが…」
こちらの心配もしてくれているようだ。彼女の視線の先には、少し赤くなっている俺の右手があった。
「自分は…」
大丈夫なのでこのまま教室に向かいます、と言おうとしたその時、とある声に遮られた。
「ぷはっ!やっと通れたっ。あ、いた!悟っ、大丈夫⁉怪我してない⁉」
人の壁から小さな生き物がポコッと生まれたと思ったら、それは敦だった。
「お、おう。問題ない、大丈夫だぞ。だから落ち着け、なっ」
すごい勢いで迫ってきた敦にたじろぎながら、特に問題ないことを伝える。するとそれを聞いた敦は、自分の胸に手を置き、安堵した表情を浮かべていた。
「ほんとっ⁉よかったぁぁぁ、悟になにかあった、ら…」
目にうっすらと涙を浮かべていた敦の表情が、少しずつ曇っていく。何かあったのかと思い、敦の視線を追うと、俺の右手にたどり着く。
やばいと思い、咄嗟に体の後ろへと隠す。
「い、いやぁ、今日も天気がいいなぁ」
少しでも意識を逸らそうと試みるが、敦の表情は余計に曇っていく。
「あ、敦?」
何も言わない敦が心配になり、声をかける。
「だ、大丈夫だから。こんなの全然なんともないから」
いくら声をかけても、敦の反応がない。これは相当怒ってるな、と思った瞬間、敦が顔を上げ、ギャラリーに向かって叫ぶ。
「誰っ⁉悟にケガさせたのっ」
普段は見せないような表情で怒る敦。その剣幕にギャラリーたちは自分の目を疑い、固まってしまう。
「誰⁉誰なの⁉」
顔を右へ左へと振りながら、ギャラリーへの問いかけを続ける敦。こんな敦は久々に見た。こうなった敦はちょっとやそっとじゃ止められない。
「敦!大丈夫、大丈夫だからっ!一回落ち着けっ」
俺は敦の肩をやさしく掴み、言葉をかける。
「でもっ、でもっ!」
「お前の言いたいことは分かる。でも大丈夫、大丈夫だ。ほら一回落ち着け、深呼吸しろ深呼吸」
敦の肩から手を放し、深呼吸をして見せる。
「すーーっ、はぁーーー。ほら敦も」
「う、うん」
「「すーーっ、はぁーーー。すーーっ、はぁーーー」」
二人仲良く深呼吸をしていると、敦の心も落ち着いてきたようだ。表情から興奮が消えていき、いつもの敦に戻っていく。
「もう、大丈夫か?」
「うん、もう平気。悟、ありがと。ごめんね、取り乱しちゃって」
「いいって、俺のために怒ってくれたんだしな」
敦が怒ったのは俺のためだ。感謝こそすれど、怒るようなことは何一つない。
「すみません、もう大丈夫ですか?」
敦が落ち着いたのを確認した会長が声をかけてきた。タイミングをうかがっていたのだろう。
「あ、はい、大丈夫だと思います。な?」
俺は会長の問いかけに答え、敦にパスを渡す。
「はいっ、大丈夫です!」
会長を心配させないためか、元気よく答える敦。いつもの調子が戻ってきたようだ。それを見た会長は安心したような表情を見せる。
「よかったです。それにしても二人は仲がいいんですね」
「まぁ、中学からの仲なんで」
今さらながら、少し恥ずかしいところを見られたと思い、照れ臭くなる。そんな様子も微笑ましいと思われているのか、会長の表情は柔らかいままだ。
「じゃ、じゃあ俺たちは行きますね。敦には俺から説明しておきます。この場は任せちゃっても大丈夫ですか?」
少し照れ臭い、ほんわかした雰囲気から逃げ出すために無理やり話を戻す。
「ええ、大丈夫です。あとは私が」
会長は俺の気持ちを察してか、端的に答えてくれる。表情を少し凛々しいものに戻しながら。
「すみません、じゃあお願いします。ほらっ、敦、教室行くぞ」
会長に頭を下げてから、敦に声をかけ、急ぎ足で教室へと向かう。
「ちょ、悟!待ってよ!」
「待たねーよ」
俺に声をかけられた敦は少し戸惑いながらも、ペコッと会長に頭を下げると、俺のことを追いかけてくる。
「もー。ていうか教室の前に保健室でしょ?怪我してるんだから!」
俺に追いついた敦は俺の右手をつかみ、ほら見て、と言わんばかりに、俺の顔の前に持ってくる。
「いいって、こんなん大したことないし」
敦の手を振りほどき、ピロピロと右手を振ることで問題ないアピールをするが、
「いいからっ、行くよ!」
再度、俺の右手をつかんだ敦に引っ張られる。敦は少し小走りで玄関へと向かい、俺も敦につられて小走りになる。
「ちょ、おい、引っ張るなって。分かったから!」
このまま保健室に連れていかれるんだろうな、などと考えながら、ちらっと後ろを見ると、会長に連行されていく親衛隊たちが見えた。その様子はまるで、親に付いていく小鴨のようで、思わず頬が緩んでしまった。
校門でのわちゃわちゃは、もっとスマートに書きたかったですが、コミカルさを優先させた結果、こうなりました笑
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