アンナ前編
「結局ここまで俺たち何も出番無かったな」
一層から五層まで、約四時間潜り続けたが結局俺たちの出番は全くなかった。
各層のボスもわざわざアンナに戦わせたような状態で、正直上手くいってるとは言い難い。
事態は好転しているとは言い難かった。
アンナの戦力的にはこの辺りのFランクモンスターは全くと言って良いほど相手になっていないし、決して弱いわけでは無いのだが……。
戦闘力の問題だろうか。
火力、素早さ、耐久力。
あらゆる物がリリィと白狐と比べると格が劣る。
五層のボスであったオークも、討伐に二分かかったアンナと違い、リリィや白狐なら十秒も必要無かっただろう。
金はかかるが早めにアンナの進化を検討するべきだろう、と俺は一人考える。ただ、彼女だけを優遇してしまうのも問題だという事は俺も理解している。それこそ、アンナだってパーティーに不和を齎すことを喜びはしないだろう。
必要な物は………根回しだ。
「いよいよ六層ですね、颯太様」
リリィにそう言われ、改めて前を見る。
長い螺旋階段を降りた先の光を抜けると、六層の光景が目に映った。
熱帯雨林の景色が視界に広がる。
高い木々が空を妨げ、蒸し暑さが着こんだ俺たちを襲った。
川が流れる音と、異様な雰囲気。
だが大きな木々や花達に反して、生物は何一つとして存在しない。
蟻も蚊も蜂も百足も何もいない。
偽物の自然。
それが、迷宮だ。
リリィを先頭に、俺たちは歩き始めた。
陣形としては後衛のアンナが一番後ろで、俺は彼女の前に立つような形なっている。
迷いなく一歩一歩を進めているが、道を知っている訳では無い。この一見どこまでも続いていそうで道を間違えれば引き返せなそうなフィールドも、全て一本道なのだ。
どれだけ寄り道をしようとも。
左右に分かれて探索しても。
絶対に元の道へと戻ってくる。
ペンローズの三角形だったり、現実には有り得ないような形、構造。ドローンを上に飛ばしてみた研究チームの画像には全く不自然な点はなかった。それでも、中から見たこの迷宮の構造はただただ異質という他無い。
だが、一本道である事は確かなのだ。
迷う事は決して無い。ならば、探索者はそんな事など気にしなくて良いのだろう。
「それにしても暑く熱くないかしら」
雪娘であるアンナは暑さを訴えていた。
寒さに耐性はあっても、逆はそうで無いようだ。
「そうだな。……白狐はやっぱり平気なのか」
「ああ。この程度の暑さなら特に何も感じないな」
「それは羨ましい」
白狐は毛ほども暑さを感じていないようだ。
「リリィはどうだ?」
「私は普通に暑いです颯太様。とっとと次のステージに進ませてください」
「なら、なるべく急ごうか」
迷宮01に限り、五層毎にステージと呼ばれる物が変わる。
1〜5層はG-からFランクのモンスターが主に出現する洞窟ステージ。
6〜10層はFランクからE-のモンスターが主に出現するジャングルステージ。
11〜15層はE-ランクからE+のモンスターが主に出現する草原ステージ。
と、この様に迷宮01は迷宮の中で最も独特な迷宮だ。
特定のフィールドは存在せず、昇格迷宮といった危険性はなく、また最も他の探索者達と出逢いやすい迷宮とも呼ばれる。
だが、同時に最もメジャーな迷宮でもある。
迷宮と言えば01。中には他の迷宮には一切潜らないという人間までいる。
まあ俺は最初の迷宮として、少し難易度が高めな雪地の迷宮を選んだ訳だが……。
「颯太様、モンスターですよ。恐らくミズチですね」
「了解だ。一先ず逃げられないように包囲する。リリィと白狐でそれぞれ配置についてくれ」
リリィの呼び声に反応し、俺は指示を出した。
彼女らは足の速さを活かし、ミズチを中心に円形で囲む。
──シャア
ミズチも急いで囲まれないよう脱出しようと試みるが、あまり動きが俊敏でない為か失敗する。
「囲めました」
「こちらも完了だ。これより少しずつ距離を縮める」
作戦は順調だ。
ミズチは動きが遅い代わりに攻撃力と防御力に定評があるタイプのモンスターだ。
となると、必然的に囲んで叩くような戦法になる。
そしてこの作戦で重要なのは──。
「よし。じゃあ攻撃はアンナに任せても良いか?」
「私でいいのかしら……?」
これまで出番が与えられていなかった為か、思わず驚くアンナ。
囮で警戒を散らばせつつ、隙を見て一撃を突き刺す。
俺はその役割をアンナに与えることにした。
「構いませんよ」
「私も同じく」
二人の同意を得られた為、俺はアンナに任せる事にする。
「分かってるだろうけど、落ち着いてやろう。用意は出来てるよな? アンナ頼む」
「勿論よ」
──シァア
「よし、じゃあアンナ。一回自力で戦ってみてくれ。相手も同じF+ランクモンスターだ。危なかったら加勢するから心配するなよ」
「え、ええ!」
アンナは杖を構えて、蛇型モンスターのミズチに魔法を打ち始めた。
それに応戦するように、ミズチが毒の液体を吐く。
「っ、危ないわね……」
「……俺は離れた方が良さそうだな」
アンナは難なく躱すが、俺は最も戦いが激しいアンナの近くは危ないと判断して、リリィと白狐の方へと向かった。
俺はリリィに近づき話しかける。白狐も視界に捉えられる位置だ。
立っている場所は背後だが、戦闘能力が無いのはどうにもならないから、守られる形になるのは仕方ない……筈だ。
「すまないな、アンナばかりに構って。もう薄々分かっているかもしれないが、次の戦力補強はアンナにさせて欲しいんだ。二人はそれで構わないか?」
「私は気にしない」
バッサリと答える白狐。
アンナの戦力を上げる事に関しても理解を示してくれているようだし、俺が上手く立ち回ればあまり問題はなさそうだ。俺が素直に彼女にお礼を伝えると、彼女はまた何でもないかのように気にせず答えた。
そして俺はリリィへと向かい合う。
「……私は、あまり贔屓は好きじゃ無いですね」
リリィはリリィで思うところがあるようだ。
俺がアンナに入れ込んでいるのは事実だし、アンナと比べるとふたりを疎かにしてしまっているのも事実だ。そう思い、俺は話を続ける。
「贔屓するつもりは無いよ。ごめん。でも、これはアンナのためにも必要なことだから。それは分かってほしい」
「……分かりました。暫くは許容します。ですが、私は敵を譲る代わりに対価が欲しいですね」
「……? 何が欲しいんだ?」
高価なものは用意できないが、それ以外なら必要経費として差し出せる。
彼女は、一体何が欲しいのだろうか。探るように視線を送ると、彼女は考えが読めないまま言葉を発した。
「ちょっと我慢してもらうだけです。構いませんか?」
「あ、ああ。勿論、何でも」
我慢?
訳の分からないまま、俺は返事を返す。
「じゃあ、……失礼します」
そう言うとリリィはこちらに顔を近づけ、唇が触れ合う寸前の所まで来て──
ガブッ
首元を噛まれた。顔同士が密着する事で、肌に感じる体温が上昇する。自分の顔も赤くなっているのを自覚してか、今の状況と首元の僅かな痛みに気づくまで数秒固まってしまっていた。
首先に意識を集中させると、何かが吸い上げられるような感覚がする。
しかし微弱に神経に麻痺が入っているのか、実感は薄く、ただゴクゴクと自分の血を飲み喉を鳴らす微かな音だけが強く心を高打った。
チュウゥッと血を飲まれ、首元の傷口を舐められた後に急速に痛みが消えだす。彼女が離れた後、すぐに噛まれた所を触ってみるが、痛みはなく彼女の唾液が薄く残っているものの染みたりはしていない。
これが吸血系の能力なのだろうか、とぼんやりとした思考で思う。
視線の先で、血で赤く濡れた彼女の牙が見えた。その視線に気付いたのか、リリィはすぐにペロッと舌で自身の木場に着いた血を舐め取る。
彼女はふふっ、と笑った。
色っぽい視線を放ち、頬をほんのり染めるリリィはとても満足した様子である。
「お、驚いたよ」
固まったまま、何とか口に出せた言葉がそれだった。
「ありがとうございます、颯太様。どうもヴァンパイアになってから、血を求める欲求が出て来たようで」
「……大丈夫だ。約束だからな」
しかしどう言う仕組みだか知らないが、ガッツリ血を取られた割には痛みは少なかったし、特に体に異変もない。そんな疑問を抱くと、すぐにリリィが答えた。
「先程の吸血行動は代償での吸血ではあるものの、相手が自分の主人でしたので。攻撃意思のない吸血は少し心地よさすら感じたはずですよ」
……確かに。
そう思うのと同時に、リリィに心を読む能力があるのではないかと言う疑惑が再浮上した。
「向こうはそろそろ終わる頃だが、用は済んだか?」
横を見ると白狐に何やってんだこいつら、みたいな目で見られていた。
側から見たら特殊プレイにしか見えなかっただろう。すまない。
『氷槍』
戦況に目を戻し、現在の状況を確認する。
ジワジワと体力を削られ、追い詰められたミズチが氷の槍を避けきれず息絶えた所だった。
ミズチの消滅を確認してから、俺はアンナへと駆け寄り労いの言葉を浴びせる。
「お疲れ様アンナ」
「……いえ、退路が絶たれてたわ。その状況なら絶対に倒さないといけないもの。でも……一人で勝てて良かったわ」
少しやる気や自信、そういう物に回復の色が見えたが、以前として表情は良くない。
そのことが気掛かりで、続けるように言葉を操って彼女の様子を伺う。
「ああ。まあ無理はしなくて良い。少しずつ経験を積んで行こう」
「……ええ」
少し肩の荷が降りたような表情を見せたアンナ。
その仕草に、俺は心で安堵の気持ちが湧いたのを感じた。
「颯太様。甘やかしてはダメですよ。それでは成長出来ません」
「……分かっている」
リリィの言う事は最もだ、と我ながら同意する。
つい不安になってしまったのだろう。
人は困難でこそ成長するものだ。
少しずつ、甘やかして成長させていっても、それは緩やかな成長にしかならない。
それを自覚しながら、自分の行動に矛盾を覚え、俺はもやもやした気分のまま考えを切り上げ彼女たちに指示を送った。
「ひとまず、ローテーションを回していく事にする。交代で敵を倒していこう。チームワークの練習は後回しだ。だが、コミュニケーションは取ろう。親睦を深めた方がパーティーとしての雰囲気も良くなると思うから」
方針が決まり、その後俺たちは11層に到達した。
そして問題は解決の糸口を掴めぬまま、その日のうちに俺たちは帰還ゲートで地上に戻り、探索を終了したのだった。