命を賭して
浜辺の汀を歩いている。そんな気がした。
意識はなく、曖昧な脳は動かない。
ぼんやりと見える景色は潮が引く様子を写しているのに、体は水中に沈んでいるかのように浮遊感があった。
足に感覚がないまま、歩む脚が砂をかき分けるのを感じながら、一歩、景色が動くのを感じ取る。
何も無い浜辺の景色が動いたが、しかし視界が捉える色彩に変わりはなかった。
茫漠たる海を視界に捉え、ゆらゆらと揺れる心が波打ち際の砂浜のように何度も掻き消される。
それなのにやはり、何度も水に消されても砂辺に想いを刻むのは、己の強い意志が故なのだろう。
私は何者で。
誰が人がこの理性という暗い海の底に沈んだ私を救い出してくれるのだろうか。
浜辺に。
皇花が一輪、転がった。
**
「……よし、六体目!!」
心臓を剣で貫かれ、雪男が血を流しながら雪の上に伏した。
俺はゆったりと剣を引き抜きながら、光と共に消えゆく雪男を見届ける。
「ようやく慣れてきましたか? マスター」
インプが手慣れた様子で、別の雪男の魔石を手に歩み寄って来る。
こっちは感電を使って貰った上で死ぬ気で殺してると言うのに、向こうは楽にやってみせる。改めて人間は非力なんだと実感が湧いた。
「ああ。……合わせて七体だ。割と楽になって来てるよ」
「マスターのレベルが2に上がったからじゃないですか?」
「そうかも。どうする? 一旦休むか?」
「いえ、ここでは体力は回復しなそうですし」
最初は切れ味が悪いと思っていたゴブリンソードだったが、使い慣れると案外悪くない事が分かった。
もちろん品質自体は微妙と言わざるを得ないが、頑丈だし骨がバターみたいに切れるイメージとは違うも、心臓などの急所を的確に狙えば雪男だって殺せる。
そりゃあ、使えるなら魔弾銃が一番強いのだろうが残念ながらそんな資金はない。
剣より銃の方が何倍も強く、安全だが、こんな駆け出しが持てるような代物じゃないというのが残念だ。
「暖を取りたいけど、火魔法は使えないし早く進むしかないな」
「そうですね」
ライターで松明を付ければ良いじゃないか、と思われるかもしれないがダンジョン内では着火のシステムが違う。なので、火魔法以外では火を生成する事が出来ない。
ちなみにこれは普通の銃でも同じ事であり、火薬に火が付かないため魔力で火をつける魔弾銃でなければ銃弾は発射出来ない。ちなみに魔弾銃はバカ高い。
まあ使えない銃のことなんて放っておいて、それよりも剣の話だ。
三体目の雪男を倒しレベルが上がったのか、体が随分と軽くなった。
レベルアップする前と後の1.11倍程度の違いなんて全然分からない、という奴も多いが俺は明らかな違いを感じている。
数字にするとより分かりやすい。
握力が五十キロの奴なら五十五キロ。
五十メートルが6秒のやつなら5.5秒ほどに。
身体能力全体が1.11倍になるのだ。体が目に見えるほど軽い。
それこそ感電の補助があれば、一人で雪男だって殺せるほどに。
人類のレベル上限は10だが、それでも最終的に元の2.8倍くらいには身体能力が上がる。
今はまだ未熟だが、未来に期待するとしよう。
「しかし、にしても中々ドロップしないなぁ」
「ですね。マスターって運悪くないですか?」
「割と自覚してるからやめて」
「でも、私を当てたのは運が良いですね。喜んでください」
「喜んでるよ」
「……あれ、ご冗談を的なセリフが返ってくると思ってたんですが」
「バーカ。俺の顔に文字で刻んであるだろ。喜んでることくらい。な、相棒?」
「ま、まあ、その褒め言葉、素直に受け取っておきましょう」
あれこいつ、照れてる?
褒め慣れてないのかもしれない。なんか意外だ。インプと言えばどこか下に見てしまうような風潮があるのは事実だけど、スキルなんかを鑑みれば普通に実力は認められててもおかしくないのに。
にしても、七体倒すも未だカードは一枚もなし。
ギルド公式によれば、F+ランクモンスターのドロップ確率20%をやや下回る程度らしいので焦りすぎだろうが、早く二体目のモンスターを確保したい気持ちが先走っている。
「カード、落ちないな」
「ですね」
現在、インプを失えば終わりと言う状況は決して良いと言えない。
それに雪男は寒冷地に出現するモンスターだが、雪地以外でも強い。単純な怪力や耐久、大きさ、そして勿論氷系・雪系の魔法に対する耐性、と人気はないが強さは間違いないモンスターだ。
俺のパーティー構成はアタッカー兼補助役のリリィと補助役役兼アタッカーの俺。
こちらとしても耐久力が高く、使い勝手が便利な盾役がこなせるモンスターが欲しい。
ボス戦前までにはなんとかタンクを手に入れたい物だ。
歩きながら、雪が橙色に照らされているのを見る。
日は沈み、ずいぶんと暗くなってしまった。
迷宮の性質上、電灯も何もないくせに異様なほど明るいが、それでも十分暗い。
時間を考えても、そこまで長居できる余裕はないだろう。
だが期待と反して雪男は中々ドロップしてくれない。
俺の体力も消耗されているし、いい加減ドロップしてくれないものか。
などと考えていた時だった。
「……敵ですよ、マスター!」
敵を発見したインプが素早く戦闘体制に入った。
続けて、俺も敵を目に捉える。
──美しい、人を惑わすような少女。その青い瞳に視線を奪われる。
強烈な第一印象を植えつけえる彼女は、人間と何ら変わり無い姿でこちらへと歩み寄った。
「……人間?」
思わず口から零れ落ちた問いに、インプがすかさず答える。
「いえ、雪娘です!」
スネグーラチカ。
スネグーラチカはロシアの民間伝承に存在するサンタクロースの娘。日本では雪娘や雪姫と呼ばれるが、ことダンジョンに置いては戦闘力を持つモンスターである。
白掛かった青色の長い髪に、雪の結晶のヘアピンがトレードマークの少女。
強力な雪魔法、氷魔法を操るメイジだ。
無表情の雪娘は此方を蒼色の眼で見つめる。
次の瞬間、先端に青色の宝石が飾られてある杖がこちらに向けられた。
「──ッ、来るぞ!!」
威圧に、足が竦みながら。
『氷矢』
氷で生成された矢は一直線に、こちらを打ち抜かんと迫って来た。
容赦や手加減は一切ないようだ。
こんな事態に限って上手く動かない足を諦め、倒れるように、必死に上半身を動かす。
「うぉ」
氷矢は俺の頭部があった場所を突き抜けていった。
背筋を寒気が襲う。
避けなかったら死んでいた。脳にそんな事が過ぎる。
──だが言いようのない何かが、自身を掻き立てた。
彼女の蒼い瞳と目が合う。
生気が見えず、凡そ人との意思疎通も出来ないであろうその瞳に。
どこまでも無表情なその顔に。
哀が宿っているように見えた。
まるで泣いているようで。
アイツを手に入れるべきだと、焦燥感に駆られる脳が答える。
ドクドクと心臓の音が近く、煩く、早く動いているような気がした。
「っ、危ねぇ!」
殺意の感じられないその攻撃が、確実に当たれば死ぬと理解する。
それでも尚、己の中の戦闘意思が絶えない。
寒気と裏腹に、もう一人の自分が欲しいと願う。
その表情を宿す彼女を。
苦しみに泣く彼女を。
■の■■■となる■■を。
彼女との命の削り合いに、心が躍る。
死合いの、その魂の叫び合いで。彼女はただひたすらに静かに、孤独な世界で泣くように。薄く、悲鳴を上げているような気がした。
戦いたい。
勝ちたい。
……救いたい。
楽しさ?
期待?
脳が興奮している。
アイツが欲しいという醜欲。自らの中に眠る謎の感情。
訳の分からないこの感情が、突然彼女の瞳と目を合わせた瞬間襲って来た。
思考をこじ開け、脳に揺蕩う歪な感情と甘やかに灯すように体中を犯す『興奮』が、どうしようもなく悦の鼓動を打つ。
嗚呼。
嗚呼…!!。
何だっていい。
本能を押さえつけるな。
湧き上がる感情は高揚感。
竦んでいた足を突き動かすのは興奮の証。
本能が叫ぶ。
倒す……必ず。
──お前を、手に入れたい。
「インプ、感電を!!」
走り出していたインプに指示を出す。
バッ、といつの間にか元に戻っていた足を踏ん張り、体を立ち上がらせた。
インプの位置を確認し、俺も走り出す。
『感電』
合流する俺より前にインプが魔法を放った。
放電された雷が雪娘の身体に纏わりつくも、バチッ、という音と共に消え去る。
「……魔法抵抗ですか!!」
──効かない。
魔法師タイプのモンスターは基本的に呪いや状態異常といった直接魔法への防御力が高い。だがそれでも一定の効果は見込めるの筈なのだが、感電は全くと言っていいほど効かなかった。
恐らくは魔法抵抗のスキルか何かを持っているのだろう。
だが、元々魔法師とは魔法で撃ち合うより、剣で間合いを詰めて斬り殺せというの常套句。
想定内だ。
未だどの様な魔法を使ってくるか分からない。距離を取って相手の手の内を暴くまで待つのが王道だろう。
しかし。
「挟み込むぞ、インプッ──!!」
俺たちに遠距離で有効な攻撃手段はない。
こちらの撃てる有効な手数は近距離戦のみ。
ならば……!!
目を凝らせ。一つの動きさえ見逃すな。
雪娘の杖が、目の前の男より早く、自身を斬り殺さんとする少女に向けられる。
『氷槍』
長く、鋭く。
氷で練られた槍は、まるで槍の達人が振るった様な鋭さで想定外にもインプへと突かれた。
「なッ──!!」
驚きと共に、彼女の動きが急停止する。
すぐに防御の体制に切り替え、手のナイフでいなす様に受けた。
──槍が、追撃する。
二撃目、三撃目。
何度も、何度も、ナイフを使いながら必死に、避けて、いなして。
敵のスネグーラチカがくふっ、と光を映さぬ目で口元だけが咲う。
それがより一層、恐ろしかった。
俺は冷静に戦況を見て、状況は劣勢である事を悟る。
その隙に敵は余裕を見せながら、俺とインプの間を抜け出す。両方を視界にとらえる位置まで動かれたようだ。その動きに戦い慣れた上手さを感じる。
将棋の盤上が膠着する。この時動くべきは誰か?
王、自らだ。
一手を穿つ。その為に横から斬りかかろうと、俺は動いた。
予想外の動きを。
足りない手駒を補う、一手を。
しかし、杖は動揺する事なく予想外にも早くこちらに向けられた。
瞬間、目視で敵と相手の距離を測る。
そして相手の方が早いと悟った瞬間、思わず停止する。
『氷矢』
今度こそは初めて目を含め全ての表情で嗤う雪娘は、この距離なら避けられないぞ、と言わんばかりに大きな氷の矢を生成した。
まずいまずいまずいッ──!!
チラリと、インプの姿が目に映った。
その時、脳裏に過ぎったのは記憶の回想だった。
同時に考え如きが吹き飛び、本能の赴くまま思考に従う。
──感覚で動け。
「アァ!!」
剣を振るった。
超人的な振りでも、考え抜いた振りでもない。
それは勘と、自身への信頼だ。
放たれた二百キロを越す矢を、剣で迎え撃つ。
失敗など念頭に置いていない。
一点。点と線を合わせるように、矢は地に撃墜した。
驚きからか、戸惑いからか、雪娘は距離を取るように後ずさる。
──逃さない。
一瞬にして無数に浮かんだ選択肢から最善に見えるものを拾い上げ、脳が体へ信号を送った。
距離があると判断しながら、拾い上げた十センチほどの大きい氷の破片を投げる。
その氷は雪娘の頭部を目掛けて飛んで行く。
焦りで判断が鈍ったのか、狙い通り雪娘は目を瞑り腕で頭を覆う。
そして大した痛みでもないそれを受けた。
──瞬間。
視界が消えた事で制御を失った氷槍は叩き落とされ、インプは駆け出す。
軽く、軽く。
刹那の内、雪娘の懐に潜ったインプはナイフをしならせ、獲物を狩り取っていた。
雪娘は心臓から血を流し、絶命する。
悲鳴も断末魔も苦しそうな声も上げずに。静かに彼女は朽ちて行く。
サッと、散り行く雪娘は堪らなく、どうしてか、小さな微笑みを浮かべていたと思う。
『雪娘』
そう書かれたモンスターカードが、雪の上に置かれていた。
**
「ようやく、か」
雪娘のモンスターカードを手に取りながら、そう呟いた。
近寄るインプが話しかけて来る。
「やっと二体目が揃いましたね。にしても、スネグーラチカが仲間になるなんて意外でした」
「ああ。俺もてっきり鬱陶しいくらい出てくる雪男がパーティーに加わるのかと思ってたよ。……早速召喚してみるか」
リリィに同意してから己の言葉に従い、雪娘を召喚する。
インプの時と変わらず、雪娘は光と共に姿を現した。
「初め………初めましてマスター。よろしくお願いしますわ」
抑揚のない、機械的な声で挨拶をしようとしたように見えたが、すぐに彼女は俺たちの雰囲気に合わせたのか少し慣れないという部分を感じさせながら表情を作っていた。
悠然と微笑みを浮かべながら話す彼女だが、自身が迷宮のモンスターであった時の記憶はない。
故に、俺たちは初対面となる。
此方を観察するように伺う少女。
その容姿は間違いなく美しいと言える物だった。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、という美人を指す唄があるように彼女はまさしくその言葉にふさわしいほど綺麗である。
貴賓のある喋り方はどこかのお嬢様のようで。
白のハイライトがかかったような真っ青な長髪が、彼女の底知れない雰囲気を醸し出していた。
「ああ、よろしく。雪娘」
「ええ、よろしくお願いしますわ。パーティーメンバーは貴方とそちらのインプだけでしょうか?」
彼女は上品に薄く微笑みながら、挨拶を交わす。
こうして見ていると、やはり気品があり俺が従えているというのは違和感があった。
「? ああ、そうだ」
「あら、そうですか。分かりましたわ」
彼女はチラッとインプを見て、上から下までしっかりと観察する。
インプは戸惑いながらもニコッと笑って見せるが、雪娘は興味が無いと言わんばかりにそっけなく目を逸らした。
「なっ」
取るに足らない相手だと思われたのを察したのか、インプは膨れっ面で不満を示す。
最初の接触は失敗したようだ。
「(……マスターは及第点のようね)」
彼女は俺が聞こえるか聞こえないくらいかの小さな声で、そう呟いてから俺へと向き直した。
「ところで不躾で申し訳ありませんが……。雪娘とは、呼びにくくないでしょうか?」
「え、あぁ……まあ、確かに」
「いきなりで申し訳ございませんが、マスターさえよろしければニックネームを付けてくださっても構いませんこと?」
話してみるとイメージとは違い、彼女の声のトーンは案外明るく、それでいて落ち着きが見えた。
ゆったりと落ち着いた雰囲気。
しかしその顔にははっきりとした自信と、己に対する信頼が宿っているのか行動全てに迷いがない。
俺は名前の件に関して、なるほどと同意する。
納得しながら、提案が頭の中で反芻した。
ニックネーム、か。
「……名案だな。そうしようか。何が良い?」
スネグーラチカ。
呼びにくいのは確かだ。他の冒険者もモンスターを短い愛称を付けて呼び易くする場合があると聞いたし、何か良い名前を考えるべきだろうか。
「マスター」
「……え? どうした、インプ」
「その……私は?」
「え、ああ、でもインプは三文字だし呼びやすいだろ?」
「だって彼女だけ貰うのは少し……、嫌です」
「えぇ……? まあ、うん。分かった、考えるよ」
彼女が言うならそうしよう。でもこれ変な名前付けたら怒られるよな……。
名前か、そうだな……。
「そういえば、私マスターの名前すら知らないじゃないですか」
「……そうだったな。俺は颯太。相沢颯太だ。今日探索を始めれるようになったばかりの十五歳だよ」
自分の名前を告げると、インプはこちらを見つめた。
考え事をした後、答えるように、彼女は口をひらく。
「じゃあ。改めまして。よろしくお願いします、颯太様」
そう言って、インプはにこやかに笑った。
「……もしや、私も颯太様とお呼びした方が宜しいでしょうか?」
「いやマスター呼びで良いよ」
というか、名前呼びは普通に本名バレのリスクがあるから、どちらかといえば抵抗感があるのだが。
まあそのうちシンクロシステムを習得すれば大丈夫だろう。そうすれば声に出さずにテレパシーで会話出来る。
そう考えながら、隣でニコニコと嬉しそうに微笑むインプを見ていた。
「それで、私たちの名前はどうされますか?」
「折角なので、良い名前を付けてもらいたいです」
うーん。
深く考え、俺は答えを出す。
「インプがリリィで、雪娘がアンナでどうだ?」
「……良い名前ですね。ありがとうございます。では、……そうですね。私の事はリリィと呼んでください」
「ええ、中々良い名前で嬉しいですわ。アンナとお呼び下さい、マスター」
彼女らの顔を見るに、満足して頂けたようで何よりだった。
「リリィ、アンナ。これからよろしく頼むよ」
**
俺たちは先ほどの会話を切り上げ、再び雪の中を歩いていた。
真っ白な雪をかき分けていく中、野生の狼と変わらない程度のサイズを持つ白狼を見つける。等級はF+で俺とインプのリリィなら少し手こずる相手だ。
「行け!」
「はい!」
俺の合図と共に、リリィとアンナが飛び出す。
リリィはナイフを手に取って、羽で飛ぶように地面を蹴り上げながら白狼へと向かった。
ナイフとは反対の手でリリィは『感電』を発動し、白狼の動きを封じる。ここから二、三撃入れて一旦引いてから立て直すのをイメージしながら、俺はリリィに指示を送ろうとして──
「リリィ──」
『氷矢』
待ちきれなかったのか、雪娘が攻撃を放つ。
十分な殺傷力を持った氷の矢は、既に感電を喰らい痛みで静止していた白狼の胴体に突き刺さった。
ドスンと、深い音を立てて頭部を貫いた氷矢のその殺傷能力に「うおっ」と思わず驚きが漏れる。
紅色に滲む血が毛を染め、倒れた白狼にリリィがすかさずナイフでトドメを入れた。
「ナイスだ!」
「余裕ですわね」
サラッと髪を掻き上げたアンナを褒めると、彼女は得意げな顔でそう答える。
俺としては即興で連携に馴染めているアンナと、変わらず良い動きを見せるリリィを褒めたつもりなのだが、リリィは顔に不満と怒りがたまっていた。
アンナが悠然とした態度で乱れた髪を直している間に、リリィはこちらに近づいて微笑むように答えた。
「ありがとうございます。問題なく体が動かせました」
二人の性格の違いが垣間見える。
アンナは悠然とした態度で、落ち着きがあるが何処か目立ちたがる部分が見えた。実際、急所を的確に射抜いているし、戦況を大きく動かしたのは彼女だ。
まあコチラとしては新戦力のアンナの働きぶりが分かりやすく助かったと言っていい。
反対にリリィは感電なんかのサポートや、敵の注意を惹きつけるサポート的な役割をこなしていた。見たところ、かなり上手くこなせており囮役も上手い。
そして、現に攻撃を緩める事なく止めを刺したのはリリィである。
先程の戦闘は良い収穫だった。
さて。今のところは順調だ。二人の仲が少し心配な以外、あまり大きな問題はない。
ここからが正念場だろう。
「そろそろボスか……」
この探索における山場。ボス戦。
歩いた距離を考えると、いつボスのエリアに入ってもおかしくない。
気を緩めてはならない。
ただでさえ、レベルが上の迷宮に挑んでいるのだから。
迷宮では慢心、油断、勘違いが命取りとなる。
だから、探索者は余程の事情がない限り、自分の手持ちのモンスターと同等、もしくはそれの一つ上か一つ下程度のランクの迷宮に潜るのがお約束だ。
従って、Fランクのインプを持つ俺はFランクの迷宮に挑戦するつもりだった。
手持ちが一体の場合は、FランクモンスターとFランクモンスターを戦わせても、特にスペックに差がない場合は相打ちになって手駒を失ってゲームオーバーだ。
けれども、俺はインプのスキルの数や、自分も戦闘に参加する事を考慮した上でF-ランクのダンジョンではなく、Fランクのダンジョンに来た。
F+ランクの迷宮に引き上がったのは想定外だったが、代わりに同じくF+ランクの雪娘が手に入れる事ができたのは朗報だ。
リリィは感電と短剣術を持ってる上、戦闘も上手い。実力的にはF+ランクくらいはあるだろう。
アンナは、雪地という事もあって氷・雪魔法の使用魔力が少なくて済むし、後天スキルに『魔法抵抗力向上』があるから魔法戦の撃ち合いなら強い。
二人ともとても優秀だ。
ここら一体のF+ランクモンスターである雪男や白狼、また肉はドロップしなかったが、探索者が遭遇して嬉しいモンスターの一つである角ウサギも一回倒した。
戦力的にはここのボスであろうE-ランクモンスターを相手にする為にもう一、二体欲しかった所だが諦めよう。
E-ランクの強さは並のF+ランクモンスターの五倍に匹敵すると言われている。
勿論複数対一では五体も必要ないのだが、安全に行くなら四体は持っていろ、と言われるのが探索者間での常識だ。
FからF+だと大きな差はないが、F+からE-は文字通り格が変わる。
強さは段違いだし、値段で見ても数倍〜十数倍以上。
更に相手はボス。通常の倍近くは強いだろう。
実を言うと、十分な対策が欲しかったのは事実だ。
戦力不足とまでは言わないが、この状況だとマスターの腕も相当試されるのだから。
「──ボスですッ!!!」
空気が変わった。
リリィの叫び声と共に、五感が集中の波に沈む。
戦闘体制に入った三人の目の先に、待ち焦がれるボスの姿が映った。
体長二メートルほどの大きさ。
真っ白な体毛。頭に刻まれた赤い印。脚の周りを纏わりつく、半透明の青い炎。
「……マジか」
求めてなどいなかった、二度目の想定外。
相手はすぐに分かった。
日本の怪異。
白狐。
──Eランクのモンスターだ。