夢、幻の中に
これ以上はただの我が儘だ。
自分のすべき事は明白なのに、政宗の命を天秤に掛けてまで、エゴという名の愛を、貫き通す訳にはいかない。
「政宗…怪我…大丈夫?」
「あぁ、心配いらねえ」
「…うん」
もう心は決まっている。
他の誰でもない、政宗の為に帰るのだ。
柚月は覚悟を決めると、指輪を見た。
輝きが強くなったようだ。
「やっぱり私の気持ち次第…か」
覚悟を決めたとたんに強まる光に苦笑する。
自分で分かるのだ、もう時間はない。
たった一言、声に出して言えば、きっと元の世界へ帰れる。
柚月は名残惜しさに政宗を見た。
「政宗…大好き」
「…あぁ、俺もだ」
せめて最後は笑顔で別れようと、涙をぬぐって笑って見せると、柚月は、政宗から離れて立ち上がった。
「…さよならは言わない」
「あぁ、これは別れじゃねえ、…だろ?」
そう言った政宗に微笑むと、柚月は最後の抱擁にと、政宗に強く抱きついた。
「また…きっと会える」
約束の代わりにと、柚月は自分から政宗に口付けた。
全てを忘れるほどの、深い深いキス。
別れを惜しむように政宗の首に腕を回し、角度を変えながら、何度も繰り返し唇を重ねると、今までの事を思い出す。
胸が切なさに痛み出しそうで、柚月は気持ちが揺らぐ前にと、政宗の耳元に唇を寄せた。
「私…帰るね」
そう呟いた瞬間、視界が真っ白に染まる程の光が、辺りを覆った。
眩しさに目を閉じると、抱き合っているはずの政宗の体温が薄らいでいく。
口元を見ると、政宗は何かを言っているようだが、既に何も聞こえなくなっている。
全身に感じていた温もりが、ゆっくりと消えていき、声にならない声で政宗の名を叫んだ瞬間。
身体が宙に浮く様な感覚に陥った。
この感覚は、この世界に来た時にも感じた。
間違いない、元の世界へ帰るのだ。
きっと…この目を開けたら、目の前に政宗はいない。
懐かしい喧騒が聞こえる。
行き交う人々の雑踏や、車の音。
時間帯のせいか、仕事帰りのサラリーマンやOLが、帰路を急ぐ様に、右へ左へと通りすぎていく。
そんな渋谷の一角に、柚月は立っていた。
道の真ん中で惚けていたせいか、道行く人々が鬱陶しそうに避けていく。
見慣れたはずの渋谷だが、何故だか別世界のように感じ、柚月はぼんやりと身体を見下ろした、"いつもと変わらない、いつもの制服"だ。
どこを見ても汚れなどはなく、怪我をしていたはずの足にも痛みがない。
あの日、妹から電話があり、家を出た時のままの姿だ。
辺りの景色や、自分の姿、そしてうるさい程の都会の喧騒が当たり前過ぎて、まるで長い夢を見ていたような気になってしまう。
(…帰って…きた…)
そう実感しながら、ふと自分の手元を見ると、政宗の元を離れる時、確かにしていたはずの指輪がない。
「え?ゆ…指輪…」
今度こそ外すまいと、しっかりと指を握りしめていた。
指輪をした手を、さらに握りしめていたのだ。無くしたとは思えない。
しかし事実、この手に指輪などなく、柚月は絶句して立ち尽くした。
全て自分が見ていた夢だったのかと、未だにぼんやりとしている頭を振る。
(違う…夢なんかじゃ…)
政宗と過ごした時間は、しっかりと覚えている。
最後の抱擁の温もりすら、ありありと思い出せる程だ。
だがそれは記憶だけで、自分が確かにゲームの中へ…。
いや、政宗のいる世界へ行ったのだという証拠になる指輪が、手元からなくなっていた。
(…指輪もない、怪我もしてない…、制服だって真新しい…。でも…)
それでも確かに、政宗に対する感情が胸にある。
今までの自分なら、夢を見ていたのだと諦めていたかも知れないが、夢だとしたら、こんな胸が痛くなるような感情はないだろう。
そう思った柚月は、人混みを掻き分け、露店商のいた道へと走り出した。
時間が巻き戻ったのかも知れない。
だから怪我もしていないし、制服も汚れていない。
そして指輪を持っていないのだ。
(今なら私…)
こうして元の世界へいる今なら、家族に別れを言って、改めて指輪を使って政宗の元へ行ける。
異世界やら戦国やら指輪やら、説明した所で理解して貰えるとは思えないが、それでも家族に別れさえ告げられるなら、もう迷う事はないのだ。
そう必死に、露店商と出会った場所まで向かった柚月は、息をあげながら立ち止まった。
「い…ない…」
辺りを見回し、場所を確認するが、露店商と出会った場所で間違いない。
しかし、さも最初から露店商など存在していなかったように、そこには自動販売機が設置されていた。
「まさか…違う…、自販機なんかなかった…!!」
この道は、駅に向かう途中で必ず通る道だ。
毎日通っているのに、気付かないはずがない。
それとも本当に、自分が気付かなかっただけなのか。
「は…ははは…」
思わず乾いた笑いが漏れる。
自分は一体、何をしているのだ。
冷静に考えろと、頭の中で誰かが言っている。
そう、冷静に考えれば、自分が気付かなかっただけで、最初からここに自動販売機はあった。
異世界へなど行っていなかった。
長い白昼夢を見ていただけなのだ。
(そうだよ、異世界なんて…ある…はずが…)
泣いているのか、それとも笑っているのか。
自分でも分からない。
だが思わず自動販売機に寄り掛かるようにしゃがみ込むと、制服のポケットから何かが落ちた。
「…?」
ぼんやりしながらソレを拾った柚月は、愛しい物に触れる様に、ソレを握りしめた。
「かん…ざし…」
間違いようがない。
政宗に貰った、あの簪だ。
角度によって色を変える石で装飾された簪を見ているうちに、感情を抑えきなくなる。
「夢なんかじゃ…ない…政宗…!!」
そう叫ぶと、道行く人々が何事かと振り返る。
「う…ぅ…ッ、あぁ…」
通行人達の好奇の目に晒されても、昂った感情は、止まらない嗚咽として柚月に襲い掛かる。
それを止める術はなく、柚月はただ、簪を握りしめて泣き続けていた。




