焔
火焔城へ小十郎が無事に到着出来たのは、奇跡に近かった。
川辺で菅原軍に囲まれ、絶体絶命の危機に陥った小十郎を、あの魔王の妻、羅刹女が助けたのだ。
正しくは羅刹女の命令を受けた兵士達だったが、羅刹女がいなければ、小十郎はあの川辺で命を落としていただろう。
柚月は敵でありながら、何度も助けてくれた羅刹女の姿を思い浮かべた。
「それであの女の人…、えっと…羅刹女…さんは?」
まだこの火焔城にいるのだろうか。
道真を討つのだと言っていたが、結局羅刹女は姿を見せなかった。
もしかしたら、既に火焔城の何処かで命を落としているのでは…と不安になる。
火焔城にはまだ、道真が討たれた事を知らない、菅原軍の兵達が残っているのだ。
何度も助けてもらっておいて、こんな場所に残していく訳にはいかない。
探さなければと拳を握りしめる。
「羅刹女さんを探さなきゃ、私…何度も助けてもらったもの」
未だ炎は勢いが弱まる気配はない。
一刻も早く探し出し、火焔城を出なくては。
疲れきった身体に力を入れて辺りを見回すと、政宗が感情のない声で名前を呼んだ。
「え?何?」
「探す必要はねぇ」
「な…ッ、このまま見殺しにしろって言うの?」
「お前や小十郎を助けた事に関しては礼を言いたいが、わざわざ探す必要はないだろう」
「政宗…!」
「魔王は死んだんだ。女一人が生き残って、何の意味がある?」
「でも…見殺しになんて出来ない」
「柚月、これは戦だ。もし俺が菅原の野郎に負けていたら、お前の命もなかったように、あの女も…」
「政宗様」
そう名前を呼び、話を中断させたのは、柚月ではなく小十郎だった。
「…あ?」
話の腰を折られた政宗は、眉をひそめて小十郎を振り返る。
「どうした小十郎?まさかお前まで、つまらねぇ仏心を出したんじゃねぇだろうな」
「…申し訳ありません」
「ち…ッ」
肯定するような謝罪に、政宗は呆れたように肩を竦めて見せた。
「どいつもこいつも甘いな」
「お許し下さい、政宗様…」
「まさか魔王の女に惚れたか?」
「…お戯れを、命を救って貰ったのです。それは同じく、命を救う事でしか返せない恩かと…」
そう言って頭を下げる小十郎に、政宗は「それは本音か?」とからかう様に問い掛ける。
その問いに、小十郎は眉間に皺を寄せた。
「…分かった分かった。…好きにしろ」
政宗はそう言って溜め息を吐くが、それ以上は何も言わず、柚月は隠れて微笑んだ。
おそらく政宗も、建前と本音は別なのだろうと思ったからだ。
羅刹女を探すため、一人別行動を取る事になった小十郎と別れ、柚月と政宗は火焔城の中を歩き回っていた。
だが火焔城の敷地内は、ほぼ炎に飲み込まれており、なかなか外へ出られない。
政宗の後を付いて歩いていた柚月は、自分を気遣うように、歩幅を緩めて歩く政宗の足元に視線を下ろした。
政宗の足跡をくっきり残している血に眉をひそめる。
まだ血が止まっていないのだ。
後ろを振り返ると、点々と血溜まりが出来ており、政宗が歩いた場所がはっきりと分かる。
(…政宗)
柚月は己の不甲斐なさに、拳を強く握りしめた。
こうして火焔城から出られない原因は、間違いなく自分にあるのだ。
いくら怪我をしているとは言え、政宗一人なら、炎の中から逃げる事は、さほど困難ではないはずである。
こうして火の少ない場所を、わざわざ探しているのは、間違いなく自分の為だ。
柚月は自分の方が酷い怪我をしているくせに…と、政宗の背中を見つめた。
その視線に気付いたのか、振り返った政宗の顔色の悪さに、息を飲む。
出血が酷いのだ、いくら身体を鍛えていようが、あれだけの血液を失って、元気なはずがない。
平然を装う政宗に、柚月は涙が溢れそうになり、慌てて目元を拭った。
「…どうした、足が痛むのか?」
「…違う」
歩みを止め、心配そうに顔を覗き込んでくる政宗の顔には、もはや生気がない。
その様子は、自分が苦しむ以上に柚月の胸を締め付けた。
腹からはまだ血が流れ、その失われている血液が、政宗の命そのものの様に思えてしまう。
やっぱり羅刹女を探す事より、小十郎を政宗の傍に居させるべきだった。
自分の無力さに柚月が眉をひそめた時。
政宗の身体がぐらりと揺れた。
「…ッ、政宗!?」
立っている事すら限界だったのだろう。
力なく崩れた政宗の身体を抱きしめる。
「政宗…!」
「騒ぐな…、ただの目眩だ」
いつもの軽口のようだが、声に力はない。
その目眩こそが、出血の酷さの証拠だ。
抱きしめている政宗の身体が、炎の中だというのに冷たくなっていく。
「…政宗…政宗…、ごめん…私のせいだ…!」
自分がいなければ、きっと政宗は一人で火焔城を抜け出す事が出来るだろう。
今にも命が消えそうな政宗に、無理をさせているのは、他でもない自分自身だ。
自分の事は心配ない、一人でここから逃げてくれ…。
そう言ったところで、政宗は決して首を縦には振らないだろう。
出血のせいで、意識が朦朧としているのか、政宗の瞳が虚ろに揺れる。
(私が…いなければ…)
政宗は助かるかも知れない。
そう思った瞬間、柚月は生唾を飲み込みながら、自分の指を見た。
「指…輪」
思わず呟き、じっと自分の指を見つめる。
自分さえ居なくなれば、無理をする理由が政宗になくなる。
(そうだ、私が元の世界へ帰れば…政宗が助かるかも知れない)
自分が元の世界へ帰っても、政宗が助かるという証拠はない。
だが生き延びる確率は、ほんの僅かでも上がるはずだ。
そう、思った直後。
指輪が微かに輝いた。




