牛魔王降臨
日が落ち、暗くなった火焔城のとある一室に、蝋燭の炎が無数に揺らめいている。
暗い室内を怪しく照らす炎は、一人の男の姿を映し出していた。
短いながらもクセのない真っ直ぐな髪を、綺麗に肩の上で切り揃えた、黒髪の美青年だ。
目を閉じ、じっと何かを待っていた男は、近付いてきた人の気配に目を開ける。
それと同時に襖が開き、道真が姿を見せた。
一礼して室内に入って来た道真は、軽く頭を下げると口を開く。
「よう魔王様、準備は整ったぜ。後は日が熟すのを待つだけだ」
「……」
道真がそう言うと、魔王と呼ばれた男はゆっくりと振り返った。
その目は冷たく、何を見ているのか、また何を考えているのか表情からは読み取れない。
「道真さん…、紅孩児はどうしました?貴方が連れて行ったのではありませんでしたか」
そう問い掛ける言葉は丁寧だが、並の者なら震え上がるほどの冷たさを含んでいた。
「あの餓鬼…じゃねぇ、王子様ならまだ奥州だ。今頃死に物狂いで働いてんじゃねーか?それこそ命を懸けて、な」
「……」
含みの込もった言い方が気になり、平天大聖は少しだけ目を揺らす。
だが敢えて追及はせず、道真は刀を手に立ち上がった。
「俺はこれで失礼するぜ、まだやるべき事が残っているんでな」
そう言うと、道真は返事を待たずに部屋を出て行ってしまう。
平天大聖はゆっくりと閉まった襖を見つめると、道真の言葉に込められた真実を探る様に目を閉じた。
平天大聖との謁見を終え、外に出ていた道真は、両手に持つ刀を振り上げて、じっと眺める。
もう少し、あと少しだ。
自分が本当に望む目的まで。
焦る必要はない。
状況は思惑通りに進んでいる。
「ククク…、あと少し…」
悦に入り、鈍く光を反射する刀を指先で撫でる。
今までは、取るに足らない"つまらない物"ばかりを斬ってきたが、今度こそ、本当に欲しかった物が手に入るだろう。
それを切り刻む悦びを、想像するだけで心が高揚してくる。
「あー、想像するだけで興奮するぜ」
人を切り刻む事は、道真にとって至上の悦びであり、同時に快楽である。
どんなに美貌の女を抱いても、決して味わえない極上の快楽だ。
「…っとヤバいヤバい。このままでは興奮が治まりそうにねぇな」
誰に話し掛ける訳でもなく呟くと、道真は刀を引き摺りながら歩き出した。
目指すのは勿論、近隣の農村である。
極上とまではいかずとも、命を奪う悦びを味わい、身体の火照りを静める為、道真は夜の帳が落ちた闇に消えた。
何もする事がなく、無為に時間を過ごしていた柚月の元に道真が訪れたのは、火焔城に到着してから数日後の事だった。
珍しく兵士ではなく、数人の女達を連れてやって来た道真は、体力を消耗し虚ろな状態になっている柚月に近付き、まじまじと顔を眺めて来る。
「疲れきっている顔だな、いつもの強気はどうしたよ?」
閉じ込められてからこの三日、柚月は食事どころか、水の一滴すら与えられていなかった。
寒さで体力が徐々に奪われていく中、普段の気力などある訳がない。
「あんた…バカじゃないの?水くらい飲ませなさいよ、殺す気?」
「おっと…いつも通りだったか。大丈夫だって。人間の身体は意外と頑丈なもんだ。たかが三日飲まず食わずで死にやしねぇよ」
「私の食い意地なめんじゃないわよ…」
「んー?まだ余力がありそうだな」
これ以上話す気にもならずに溜め息を吐く。
「これからもしばらくは何も食えねーぞ?お前が口に出来るのは水だけだ」
「…餓死…させる事が目的じゃないよね。目的はなに?」
「浄化だよ。断食は穢れたお前の身体から、必要なもの以外を浄化する重要な儀式なんだ。水を飲めるだけでも感謝しろよ」
「よくもまぁ…、人をバイキンみたいに…」
もう与えられるのは水だけ。
後どれくらい生きているのだろうと身体を見下ろすと、道真は連れてきた女達に向かって頷いた。
「そろそろ始めるかー」
そう言うと、女達は柚月の両脇に立った。
「これから満月の夜まで毎晩、身を清めて貰う」
「…?清める?」
「あれ?言わなかったか?お前は儀式の供物として使われるんだよ。表向きはその為に連れてきたんだ」
「く…供物…!?」
「ま、俺は信じちゃいねえが、神仏に捧げる供物が穢れてんのは具合が悪いんだろ」
「儀式…供物って…まさか生贄?」
道真の言葉から、その儀式が命を奪う行為である事が伝わり、身の毛がよだつ。
「そうそう、さすがの空っぽの頭でも分かるよなぁ」
そう言って笑うと、道真はくるりと背中を向けた。




