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誰が為に

平天大聖へいてんたいせい陣営じんえいまで馬を走らせた小十郎は、予想外の状況に目を細めながら辺りを見渡した。


(…どういう事だ)


まさかと言う思いに、足が止まる。

それもそのはず、最後の砦というべき陣営に、兵士の姿が見当たらないのだ。


(これは一体…、本陣ほんじんに兵がいない?)


罠だろうか。

自分が罠に掛けたつもりで、逆に罠に掛かってしまった可能性を考え、刀を抜く。


耳を澄まし、辺りの音や気配を逃さない様警戒しながら陣の奥へ進むと、一つだけ火のかれた野営が目に入った。


気配を消しながら注意深く近付くと、野営の入り口が小さく揺れ、中から一人の女が姿を見せた。


青色を基調とした着物。

そして透き通るほどに白い肌と薄水色の髪。


戦場にはまるで相応しくない美貌を持つ女だが、この女こそが魔王、平天大聖の妻であり、紅孩児こうがいじの母親である羅刹女らせつじょに違いなかった。


その証拠に、洋弓銃ようきゅうじゅうを構える羅刹女から、並々(なみなみ)ならぬ殺気が肌に刺さる。

小十郎は抜いた刀の切っ先を羅刹女に突き付け、真っ直ぐに睨み付けた。


すると、羅刹女は逃げるどころか無表情のまま、洋弓銃を小十郎に向けてくる。


「十万もの大軍が…、今は千も残っていない。この戦はもう私の負け。私が一人でここに残っていた理由が、貴方に分かる?」


「…さぁ。何にせよ、死を覚悟しての事でしょうね?」


「怖いわね…でも、残念だけれど、それは違うわ」


口で言うほど怖がっている様には見えず、逆にその妙な落ち着き具合に、何か策があるのかと勘繰かんぐるが、辺りに変わった様子はない。


警戒し、辺りに意識を向けた事に気付いたのか、羅刹女は洋弓銃を構えたまま、一歩近付いて口を開いた。


「貴方さえいなければ、この作戦は成功していた…」


殺気に満ちた羅刹女の声色に、小十郎は眉をひそめて刀を構え直す。


「ここは竜の治める地、そう易々(やすやす)と魔王ごときに差し上げる訳にはいきませんね」


馬鹿にする様に言うと、羅刹女は目の色を変えた。


牛魔王ぎゅうまおう様に逆らう者は許さない」


そう言うと、羅刹女は躊躇ためらいなく洋弓銃に矢をつがえる。

真っ直ぐに見つめてくる羅刹女の目に迷いは感じられず、小十郎は改めて刀を握りしめた。


「私が残っていた理由は、あの方の邪魔したお前を地獄に突き落とすため」


そう言うが同時、羅刹女の腕から矢が放たれる。

小十郎は刀で矢を弾くと、同地を蹴り距離を詰めた。


飛び道具を扱う相手に、距離を取るのは不利である。


しかしそれは羅刹女も分かっているらしく、羅刹女は小十郎が近付いた分だけ下がると、再び間を置かずに矢を放ってくる。


だが戦に負けた事で動揺しているのか、羅刹女が狙いは明らかに見え見えで、容易よういに避けられる。


小十郎は戦う気ががれた気がし、構えていた刀を下ろした。


「…?何のつもり?」


「女性を斬る趣味はありません。負けを認めたなら立ち去りなさい」


言っても無駄な事は分かっている。

羅刹女が本気である事は、先ほどの矢が寸分違すんぶんたがわず心臓を狙って放たれた事で、肌で直に感じていた。


この慈悲の言葉は、羅刹女ではなく自分の為の言葉である。


好んで人の命を奪いたいなど思わない。

だからこそ、一度は"殺さずに済む機会"を、自分の為に相手に与えるのだ。


勿論その慈悲は、すがるも抗うも、相手の自由である。


だがしばらく返答を待つも、羅刹女は構えた洋弓銃を下ろそうとはしない。


小十郎は諦めて刀を握り直した。


出来る事なら殺したくないが、生かしたくても、相手が逃げないのなら仕方ない。


小十郎は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


「…この私と一騎討ちする覚悟はあるのでしょうね?手加減は出来ませんよ」


低く、脅す様に言うと、羅刹女は初めて戸惑った様に目を揺らす。


しかしその戸惑いは一瞬の事で、一呼吸後には、元の冷たい無表情に戻っていた。


「私の命は牛魔王様の物」


そこまで言うと、羅刹女は洋弓銃を装備している腕を下げて目を伏せた。

青く彩られた目元が、離れた小十郎にもよく見える。


小さく震える瞳に、こちらの申し出を受けるか拒否するかで迷っているのかと思っていると、羅刹女は迷いを吹っ切った顔を上げた。


「…このままあの人の元へ帰るつもりはない。私は…私は牛魔王様の目的を果たす為なら…」


そう叫ぶと、羅刹女は再び洋弓銃を向けてくる。


「…命より、魔王への忠義を通しますか…」


「私はあの方の元へ嫁いだその日から、全てをあの方に捧げている。命など惜しくはないわ」


羅刹女が矢を放つ度に聞こえる音は、何故か叫びの様に聞こえる。


平天大聖に全てを捧げている事も、心底愛している事も変えようのない真実だろう。


だが心の奥底では、これで良いのかと自問自答じもんじとうしている…。

そんな魂の叫びが、聞こえてくる様な攻撃だった。


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