軍師の苦悩
菅原道真、紅孩児の侵入から数日後。
柚月が拐われた後の城では、着々と戦の準備が進められていた。
兵士達も皆、普段の気の良さそうな笑顔はなく、小さな物音一つに過敏に反応する。
何故なら城の目と鼻の先。
豊穣な大地が広がるそこに、平天大聖の旗が広がっていたからだ。
それは広大な大地を埋め尽くす程の規模の軍である。
だが今すぐにでも攻め入って来そうな規模でありながらも、何故か進軍して来ないのだ。
数ヶ所に櫓が建てられ、こちらの様子を探ってはいるが、一向に動く気配がない。
小十郎は、様子を見に行かせた斥候から、平天大聖軍の様子を聞きながら、地図と睨み合いを続けていた。
「そうですか、動く様子はありませんか…」
「はい、…何が目的なんでしょう?」
理解出来ないと言いたげに首を傾げる部下を一瞥し、小十郎は地図に視線を落とす。
状況が理解出来ないのは、何も部下だけではない。
自分も平天大聖の目的が分からないのだ。
柚月を拐ったあの夜以降、平天大聖は目立った動きを見せない。
(一体何が狙いなのか…)
どんなに些細でもいい。
何か情報が欲しい。
そう思うのだが、斥候が持ち帰ってくる情報は、いかんともし難い物ばかりだ。
いくらなんでも、このままくだらない牽制を続けるつもりとは思えない。
どれだけの兵糧を準備しているのかは分からないが、あれだけの規模の軍隊だ。
もって一ヶ月弱といったところだろう。
寧ろ、兵士を侵入させ、兵糧に火をつければ、遠征など続けられる訳がない。
新たに兵糧を運ぼうにも、日数が掛かるのだ。
それは向こうも分かっているはず。
それなのに、敢えて城を包囲し、陣を張る理由が分からない。
だが、ただ無策に進軍してきたのだと楽観するには、あまりに規模が大きすぎる。
何か理由…または目的があって、城を包囲しているはずなのだ。
(今はまだ考えても無駄か…)
情報の少ない今は、いくら考えていても妙策は出ない。
小十郎は深い息を吐くと、眉間を押さえた。
「政宗様のご様子はどうです?」
「はい、顔色が悪いですが、今は起き上がれる様になってます」
「…そうですか」
あの晩、小十郎が政宗の元に戻った時。
苦しそうに俯く政宗を見て、止まりそうな程に肝が冷えた。
急いで寝室へ運ばせ、主治医に診させたところ、どうやら心労らしく、しばらくは安静が必要の様だ。
気丈に振る舞ってはいたが、ここの所、無理をしていた事は小十郎も気付いていた。
政宗の性格上、弱味を見せずにいたが、今回柚月が拐われた事で、心身共に限界が来たのだろう。
(…なんと不甲斐ない。目の前で柚月様を拐われ、政宗様をも守りきれないとは…)
悔しさで拳を握りしめ、深い息を吐く。
すると、心配そうな顔をした兵士が顔を覗き込んできた。
「小十郎様…、小十郎様も顔色が悪いようです。少し休んだ方がいいのでは?」
「余計な心配は無用です、持ち場に戻りなさい」
「ですが…」
「早く行きなさい」
鬱陶しそうに手を振ると、兵士は後ろ髪引かれる様な顔をしながら、部屋を出て行った。
一人残された小十郎は、額に手を当て、目を閉じる。
やるべき事が山積みで、何処から手を付けるべきか迷ってしまう。
迷っている時間などないのに、優先順位をつける事が出来ないのだ。
柚月の事も、平天大聖軍の事も、時間的猶予は全くない。
その上、政宗に無理をさせない様にしなければならず、小十郎は再び深い息を吐くと、目を開けた。




