誘う悪夢
足音は真っ直ぐに柚月のいる牢屋へと近付いている。
見張りが戻って来たのだろうか。
(…やばい…かな?)
耳と目に全神経を集中させ、近付いて来る足音を待っていた柚月は、木板を挟んだ外に現れた人物を見て息を飲んだ。
それもそのはず。
兵士がやって来るだろうと思っていた柚月の前に現れたのは、見た事もない美女だったからである。
「…雪女?」
ついそんな事を口に出してしまう。
白生地に薄い水色で華の描かれた着物に、薄水色の髪。
水の精霊や雪女と言われれば、素直に信じてしまいそうなほど、神秘的な美しさだ。
思わず見惚れていると、女は髪と同じように水色の紅がひかれた唇を開いた。
「…?誰かいるの?」
予想を裏切らない透明感のある声でそう言うと、女は木板を挟んで、柚月の前に屈み込む。
「あの…貴女…は?」
敵には間違いないだろうが、女からは敵対心を感じない。
優しそうに見える印象も手伝ってか、警戒せずに聞くと、女は返事をせずに立ち上がり、無表情で柚月を見下ろした。
「貴女…もしかしてあの人が探していた…」
そう呟く女の視線にはやはり敵意はなく、もしかしたらこの人なら助けてくれるかも知れないと、柚月は女との間に打ち付けられた木板を両手で叩いた。
「だ…誰だか分からないけど…、助けて下さい。お願い、私をここから出して!」
「それは無理よ、貴女の死は決まっている事なのだから」
「そ…そんな…」
死ぬ事が決まっているなど、そんな事を言われて素直に受け入れられるはずがない。
柚月は木板の隙間から女に手を伸ばした。
「お願いお姉さん、出して!!」
敵意を感じない女から死という言葉を突き付けられ、まるで本当に決定事項を言い渡されている様な錯覚に陥り、焦りが募る。
今までの様な殺気を剥き出しにして来た相手と違い、優しそうな相手から「死ぬ」のだと言われると「この人がそう言うなら、そうなのだ」と、認めてしまいそうで怖い。
女の手を掴もうと、必死に手を伸ばすが、女はそれを払いのけて一歩下がった。
「あらがうだけ無駄よ」
「お姉さんッ!!」
味方ではないだろうが、この女からは道真や紅孩児の様な怖さは感じない。
寧ろ今の自分を見て、迷っている様にも見えた事から、直感的に優しい女性なのだと分かる。
ここでこの人に見捨てられたら、もう他に逃げ出す手立てはない。
そう思い、必死に助けてと訴える柚月の耳に、再び足音が聞こえてきた。
その足音を聞いた瞬間、柚月はぞわっと背筋が総毛立つのを感じる。
今までに何度か聞いた死の足音、死神の足音だ。
一足遅かった。
そう諦めにも似た気持ちで、女に伸ばしていた手を下ろす。
すると、女の背後から二度と会いたくなかった人物が顔を見せた。
その人物は、先に来ていた女を見ると、嬉しそうに口角を上げた。
「お、羅刹女」
例え暗闇だろうと、この男だけは見間違うはずがない。
柚月は羅刹女と呼ばれた女の隣に立つ男を睨み付けた。
(菅原道真…)
何度この男に命を狙われたか分からない。
恐怖で叫びだしたいのを抑えていると、女は不快そうな顔で道真を振り返った。
「…ここで何を?」
その様子に、柚月は違和感を感じて女を見つめた。
(…このお姉さん、もしかして…)
希望からくる錯覚かも知れないが、女の態度には、道真に対する嫌悪感がありありと滲み出ている。
その証拠に、女は忌々しそうに道真から顔を逸らした。
だが道真は気にもせずに、ちらりと柚月を見ながら口を開いた。
「あんたこそここで何をしてんだよ」
「…平天大聖様が探しているという娘の顔を見に来ただけよ」
そう言うと、女は柚月に視線を戻してくる。
その顔は何故か悲しそうに見え、柚月は女と道真の顔を見比べた。
(…?)
いったいこの女性は何者なのか。
どこかで聞いたことのある名前だが、どういう人物だったのか全く思い出せない。
だが道真への態度を見る限り、どうやら道真の事を嫌っているようだ。
道真に拐われたんだと言えば、この女性が「逃がしてやれ」と言うのではないだろうか。
期待を込めて女を見るが、女は無表情のまま顔を逸らす。
すると道真は女を振り返った。
「こんな場所、あんたには似合わないぜ。上に戻れよ」
道真にそう言われた女は、柚月を一瞥して背中を向けた。
「お姉さ…、…ッ!?」
こんな場所で道真と二人きりにしないで欲しい。
すがる気持ちで引き止め様とするが、柚月は首筋に当てられた刀に息を飲み、言葉を止めた。
「このくそ餓鬼が…、羅刹女と何を話した?」
そう低く問う道真の声色には、不機嫌さが隠すことなく込められている。
どうやら、さっきの女…羅刹女と話していた事が気に入らない様だが、柚月は問いには答えずに道真を睨んだ。
「私をどうするの?殺すの?」
答える気がないと分かったのか、道真は黙って刀を下ろし、いつものように笑った。
「ふん、まぁいい。あいつが何をしようと、どうせ逃げられねぇんだからな」
「答えてよ、私を殺すの?」
お前の話など聞いていないと、再び同じ事を言うと、道真はつまらなそうに肩を竦める。
「…チッ、うるせえな。殺さねーよ、まだな」
まだという事は、例え今でなくても、いずれは殺されるのだろう。
だが理由も分からないまま、むざむざと殺される訳にはいかない。
恐怖に震え、泣きながら死を待つのは簡単だ。
だが自分には待っている人がいる。
怖いからと諦めるつもりは毛頭なかった。
どんなに怖くても、どんなに泣き出しそうでも、生きる為に勇気を出さなくてはならない。
(そうだよ、誰が死ぬか!ちくしょう…!絶対帰るんだから…)
そう心の中で呟いた瞬間。
何故か元の世界にいる家族ではなく、政宗の顔が浮かぶ。
「…政…宗…」
そう無意識に呟きながら道真を見る。
最後に見た政宗は、道真と戦っていたはずだ。
何故その道真が此処にいるのだ。
柚月は不安で高鳴る鼓動を気付かれない様に、感情を抑えながら「政宗は?」と問い掛ける。
だが道真は、それには答えずに唇を舐め上げた。
「楽に死にたかったら、逃げようなんて思うなよ」
「政宗はどうしたのよ!」
そんな事はどうでもいい。
こちらの不安を煽る様な道真の態度に、思わず声を荒げる。
まさか負けたのか、あの政宗が。
考えたくもないのに、嫌な想像をしてしまう。
思い切り木板を叩き、道真を睨むが、道真はそんな柚月を鼻で笑うと背中を向けた。
「大人しくしていた方が身の為だぜ、足掻いたって何も変わらねぇからな」
そう言って、振り返らずに去って行った道真の背中を見ながら、柚月は全身から力が抜けた様に、その場に膝をついた。
無事でいるのか。
怪我などしていないだろうか。
不安で気が狂いそうだが、今の自分には、外の状況を知る術が全くない。
「…政宗」
どうか生きていて欲しいと、柚月は爪が食い込む程に強く拳を握りしめた。
柚月が消えた米沢城、死屍累々《ししるいるい》と屍が並ぶ城内に今にも城を飛び出しそうな政宗の姿があった。
どれほど離れを見て回っただろうか。
政宗は何処にも見当たらない柚月の姿に、道真の言葉を思い返して拳を握りしめた。
「くそ、くそ…!!」
まさか本当に拐われたのか。
信じたくはないが、城内には兵士達の屍が目を背けたくなる程に積まれている。
さっきから、息のある者の姿は見当たらず、この中にいない事は幸いだが、無事な姿を見付けられなければ意味はない。
柚月の居室や寝所のある離れにいないと言う事は、城内かも知れない。
城内なら小十郎がいるだろう。
合流していれば、離れに一人きりでいるより安全だ。
だがこの離れに道真が現れたという事は、城には紅孩児が行っている可能性が高い。
最後に柚月を見た時の事を悔やむ。
あの時、例え危険でも、目を離すべきではなかったのだ。
常に傍で守るべきだった。
城に侵入して来ていたのが、道真だけではないと分かった時点で、道真を放って追い掛けるべきだったのだ。
だが今さら悔やんでも後の祭りである。
道真の言っていた、生贄という言葉が甦り、政宗は居ても立ってもおれず、城へ向かって走り出した。




