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忘れられた牢獄

ぴちゃん…ぴちゃんと、水が滴り落ちる音が聞こえる。


その耳障みみざわりな水音と、腐った汚泥おでいの様な異臭の中、いつの間にこんな場所へ来たのか、そしてどれくらい眠っていたのか、全く覚えていない柚月は、痛む頭を抱えていた。


現実なのか、それとも地獄に落ちた夢でも見ているのか。

息苦しさに呼吸をする度、嫌な臭いが肺の中に充満する。


微睡まどろむ目を必死に開き、朦朧もうろうとする意識で辺りを見回すが、自分以外の姿は見えない。


寧ろ、誰かが居るとするなら、それは人間ではないだろうと柚月は思う。


窓も何もない密閉された空間は息苦しく、こんな酷い場所は見た事がない。

とても人間が過ごせる場所とは思えなかった。


じめじめとこけむした壁は、どうやら土で出来ている様で、柚月はぼんやりと自分の置かれた状況を理解し始めた。


(…地下…っぽいな)


ほんの数人が入れば、身動きが取れなくなるくらいに狭いこの部屋は、地下牢として使われている様だ。


じめじめとしているのは、地下水脈だろうか。

手の平で壁に触れてみると、じわりと水がにじむ。


湿った土の下に居るのなら、それは息苦しいはずだ。

辺りを見渡すと、異臭の原因も直ぐに分かる。


簡単な木樽きだるが壁際に積まれており、そこからただよって来ているのだ。


中身は見るまでもなく、臭いから察するに糞尿ふんにょうとしか考えられない。


おそらくは捕虜として連れてきた敵兵を閉じ込めておく為の簡易施設といったところだろう。


嫌な想像ではあるが、血の匂いがする事から、拷問も行われていたかも知れない。


(…慣れって怖いな)


少し前の自分なら、こんな恐ろしい場所に閉じ込められたら泣き叫んでいただろう。


それでなくても、極度の怖がりである。

だが戦国に来て以来、ずいぶんと肝が据わった様だ。


伊達に何度も命の危機におちいってないなと、一人苦笑してしまう。


どんなに幽霊が出そうでも、どんなに怖い場所であっても、殺されそうになるよりは何倍もましである。


(政宗…小十郎さん…)


あれからどれくらいの時間が過ぎているのか。

今頃二人はどうしているだろうか。


政宗は道真と、そして小十郎は紅孩児と対峙たいじしていたはずである。

光の届かない地下牢では、時間の感覚がない。


だが衣服の汚れ具合や、体調から考えて、拐われて来てから、そう時間は経ってはいないだろう。


(二人の事だから心配ないよね、それより自分の心配しなきゃ…)


自分を拐らい、この地下に閉じ込めたのは間違いなく平天大聖の手先だろう。

だとすれば、のんびりしていたら危険である。


このままでは、間違いなく魔王の元へ連れて行かれてしまう。


連れて行かれなくても、菅原道真がやって来たら、確実に無事では済まない。


あの男の危険さは勿論の事だが、柚月自身、道真が恐ろしくて堪らないのだ。


道真を前にして、冷静さを保っていられる自信が全くなく、出来るなら、道真が現れる前に脱出したい。


狂気を宿した目や、常に浮かべている笑顔。

何を話しても意思の疎通そつうが出来ない様な不気味な感覚。


あの男の、何もかもが狂っている。


どんな乱暴者でも、話が出来れば、まだ怖さは薄れる。

道真の一番の恐ろしさは、何を考えているのかが理解出来ない事である。


どんな人間でも、理解出来ないモノは怖い。


(…そうだ、宇宙人だ。菅原道真は宇宙人なんだ、そのうちに、訳の分からない言語を使い出して、タコみたいな足が…、って…馬鹿か私は!!現実逃避してどうする!!)


恐怖のせいなのか、それとも実は冷静さを失っていたのか。

くだらない想像をしてしまう頭を叩くと、柚月は改めて辺りを見回した。


壁は最初の見解通り、土壁つちかべで出来ており、簡易トイレである木樽が積まれた脇に、人一人がやっと通れるくらいの出入口がある。


出入口といっても現代と違い、ドアがある訳でも何でもない。


逃げられない様に木板が打ち付けられただけの、ただの穴だ。


たかが木板でも、地下牢として使っているのなら、簡単には外れないだろう、此処から逃げるのは先ず無理そうに見える。


こうなると、突破口は無さそうに思えるが、運が良いのか、または何も出来ない女と馬鹿にされているのか、木板の隙間から外を見るが、見張りが居ない。


左右に薄暗い洞窟が続いているだけだ。


(どこまで連れて来られたんだろう?こんなボロボロの牢屋って事は、ちゃんとしたお城じゃないよね)


木板を強く拳で叩きながら、誰かが様子を見に来るかと待ってみるが、人の気配は全くない。


「マジで見張りいないわけ?ちょっと舐めすぎじゃないの?」


一見、木板は頑丈に見えるが、打ち付けてある壁が壁である。


こんな湿った土壁に、いくらくいを打ち付けたところで、そんなものは無駄だ。


柚月は両腕を振り回しながら深呼吸をすると、全体重を掛けて、木板に体当たりした。


思った通り、ぐらぐらと壁が揺れている。

何度か繰り返せば、土壁は崩れて木板が外れるだろう。


「よっしゃ、もぅ一回!!無駄に太ってる訳じゃないんだぜ…っと!!」


身体を木板にぶつける度、大きな音が響く。

さすがにこの音には誰かが気付くだろう、猶予ゆうよはない。


何度もダイエットを試したものの、失敗して良かったと、間の抜けた事を考えながら体当たりを繰り返していると、洞窟の奥から人の足音が聞こえ、柚月はぴたりと足を止めた。


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