銀髪の懐刀と魔王の子
自分が暮らす離れ以外は、政宗の執務室か居室しか行った事はなく、柚月はやっとの思いで小十郎の部屋を探し当てると、声も掛けずに襖を開ける。
だがそこに居ると信じて疑わなかった小十郎の姿はなく、焦って左右の廊下を見渡した。
「小十郎さん…!!」
部屋の中の行灯は、まだ薄く室内を照らしており、つい先刻まで小十郎が居た事を物語っている。
(どこに行ったの?えーと…ト…トイレ?)
焦りで頭が回らず、場違いな事を考えてしまう。
(ちゃんと考えて…小十郎さんが行きそうな場所…)
政宗の執務室だろうか?
(違う…、政宗がいないのに、執務室いるはずない)
いくら考えても居場所が思い当たらず、どうしようかと辺りを見回す。
「小十郎さん!…小十郎さん!!」
必死に名前を呼ぶが、小十郎からの返事はなく、邪魔な事は分かっているが政宗の元へ戻ろうか…。
そんな事を思った時だった。
廊下の奥の暗闇から、足音が聞こえる。
「小十郎さん!!」
戻って来てくれたと、安心しながら駆け寄ろうとした柚月は、足音の正体が小十郎でない事に気付いて足を止めた。
「…誰?」
暗闇のせいではっきりとは分からないが、小十郎にしては人影が小さい。
何より柚月の背筋を凍り付かせたのは、人影が背負った弓である。
何故なら、弓を扱う小柄な人物に覚えがあったからだ。
まさかと思いながら後退りすると、人影は行灯の明かりが照らす場所まで歩いて来る。
そして、嬉しそうに声をあげた。
「見ーつけた!!」
そう言ったのは、間違いなく道真と共に柚月を拐おうとしていた少年、紅孩児である。
道真だけでなく、紅孩児まで忍び込んでいたのか…。
柚月がショックで壁に寄り掛かると、紅孩児は背負っていた弓を柚月に向けて構える。
「道真の奴、僕を置いてきぼりにしたくせに失敗したんだ。ざまぁみろだな、やっぱり父様に褒めてもらうのは僕だよね」
弓を構えたまま、嬉しそうに言うと、紅孩児は躊躇なく矢をつがえた。
「動かないでねお姉ちゃん、手元が狂って殺しちゃったら、怒られるのは僕なんだから」
これは子供の純粋さ故の狂気。
悪い事だなどと毛先も思っていない、寧ろ良い事だと信じて疑っていない紅孩児の様子に、柚月は目の前が暗くなる。
道真の善悪を理解した上での狂気も恐ろしいが、紅孩児の理解していない狂気は更に恐ろしい。
気圧された柚月は、震えそうな身体を自ら抱きしめると、精一杯の虚勢をはって、紅孩児を睨み付けた。
「私を生かしたまま捕らえるのが目的なんだよね」
「そうだよ?道真の奴は知らないけど、僕は父様に褒めてもらう事が目的だもん」
この少年は父である平天大聖に心酔しているのだろう、聞かなくても分かる。
柚月が許しを乞うた所で、見逃して貰えるとは思えない。
だが…だからこそ、逃げ道がある。
柚月は一か八かに賭け、政宗に貰った簪を懐から取り出した。
すると、紅孩児は馬鹿にした様に笑う。
「なに?簪?そんなので僕とやり合うつもりなの?馬っ鹿じゃない?」
「…違うよ」
今にも腹を抱えて笑い出しそうな紅孩児に落ち着いて答えると、柚月は簪の先を自分の首に押し当てた。
刃物ではないが、力一杯に突き刺せば、首の柔らかい皮膚なら貫けるかも知れない。
勿論本気ではなく、駄目なら駄目で元々だが、紅孩児は目に見えて動揺している。
本当なら政宗が初めてくれた贈り物を、こんな風には使いたくないが、背に腹は変えられない。
柚月は痛みを堪えると、さらに強く簪を首筋に突き刺した。
「…確かにあんたには勝てないけど…、死ぬ事なら出来るよ」
「な…ッ、何だよ!僕を脅そうったって、そうはいかないぞ!!」
あくまでも優位を保っていたいのか、紅孩児は弓を構えたまま声を張り上げる。
だがその声は震えていて、最初の時の様な強気さは感じられなかった。
(…大丈夫、落ち着いて…何とかして逃げるの…!)
紅孩児の目的は自分を拐い、平天大聖に会わせる事だ。
こうして自分の命を賭けてさえいれば、紅孩児は手が出せない。
簪を首筋にあてながら、少しずつ距離を取ろうと後退りすると、紅孩児は焦った様に弓を構え直した。
「う…動くな!!」
そう紅孩児が叫んだ瞬間、柚月は逃げ出そうとしていた足を止める。
だが足を止めたのは、紅孩児の言葉に従った訳ではなく、紅孩児の背後から近寄ってくる人影に気付いたからだ。
柚月はほっとした様に息を吐くと、首筋から簪を離して口を開いた。
「小十郎さん…」
そう言った直後、紅孩児は柚月の視線を追う様に背後を振り返る。
だがその時には既に、小十郎が手にしていた刀の刃先が紅孩児の首にあてられていた。
「私の居室の前にまで侵入してくるとは…、大した度胸ですね」
首にあてた刀を、薄皮一枚ぎりぎりで止めながら低く言うと、小十郎は柚月に視線を向けて来る。
「柚月様、菅原も来ている様です。直ぐに政宗様に知らせ…」
「…知ってるよ。私…小十郎さんに会いに来る前に菅原道真に会ったの、…今は政宗が…」
そう言って俯くと、小十郎は「成る程…」と呟き、刀を肩に押し当てて紅孩児をその場に座らせる。
「魔王はよほど柚月様が欲しいと見える」
「僕は知らないよーだ」
「口の減らない子供ですね」
紅孩児のしたたかさに吐き捨てる様に言うと、小十郎は肩にあてていた刀の向きを変え、首に刃をあてる。
「死にたくなければ答えて下さい、魔王の狙いは何です?柚月様を手に入れて、何をしようとしているのですか」
それは、柚月も知りたかった事であり、柚月は生唾を飲み込むと紅孩児を見つめる。
だが紅孩児は黙ったまま、小十郎ではなく柚月を見返した。
「知りたいなら父様に聞けば良いだろ?…お前がな」
「!?」
紅孩児がそう言った瞬間、柚月の身体は何かに縛られた様に身動きが取れなくなる。
何が起きたのかと自身を見下ろすと、身体中に細い糸が絡まっていた。
「…え?な…なにコレ…」
蜘蛛の糸の様にも見えるが、想像以上に丈夫な様で、糸は強く身体を締めつけ、柚月は息苦しさに顔が歪む。
「…痛い…、なに…!?」
着物に被われていない素肌の部分は、締め付ける糸が食い込み、裂け始めている。
そのまま身体が宙に浮くと身体中が裂け、あまりの激痛に悲鳴を上げた直後、柚月の意識は闇に溶けた。




