忍び寄る闇の気配
政宗の言っていた通り、再び馬を走らせてすぐに湖が見えてきた。
太陽の光に反射して、キラキラと光る水面は、まるで宝石を見ている様だ。
柚月は歓喜の声をあげると、馬から飛び降り、湖へ走り出した。
透明度の高い水は透き通り、湖の深くまでよく見える。
手を伸ばせば、魚すら素手で簡単に捕れそうだ。
冬でなければ、泳ぎたくなる程に綺麗な湖だった。
「良い所だろ?俺の気に入っている場所の一つなんだ」
「…一つ?他にもこんな綺麗な場所が?」
同じく馬からおり、歩み寄ってきた政宗を振り返ると、柚月はわくわくしながら問い掛ける。
「この国は良い所が山ほどある、少しずつ案内してやるよ」
そう言うと、政宗は湖に近付いて水面に手を伸ばす。
「春先になれば、この湖は野生の獣達が集まる。春になったら、狩りにでも来るか?」
「…春…」
ぼんやりと政宗の言葉を鸚鵡返した柚月は、来年の春にも一緒にいるのかどうかを思い、その場を濁す様に微笑んだ。
柚月と政宗が湖へ出掛けた後。城では、小十郎が仕事に精を出していた。
家臣達が行っている一つ一つの作業を確認し、安心した様に空を見上げる。
「まずまずといった進捗具合…、あと気になるのは農作物か」
この国の冬は長く寒い。
その為、毎年農作物の不作が続き、たまにこうして天気の良い日があると、ほっとしてしまう。
だが時期的にそろそろ雪の積もる日が来るだろう。
それが小十郎には不安だった。
(年貢が減るのは仕方ないが、民の暮らしが問題…)
飢饉が続けば、城にある兵糧や予備米を出す事になるだろうが、それにも限りがある。
何より、魔王、平天大聖の噂が絶えず耳に入ってきているのだ。
もし戦にでもなれば、民に兵糧を配ってしまっては、戦どころの話ではなくなってしまう。
他にも悩みは尽きず、小十郎は考える事に飽きた様に息を吐いた。
(政宗様と柚月様の事も気掛かり。政宗様は柚月様を傍に置いておくつもりだろうが、柚月様は何かを隠しているような気がしてならない)
よもや敵の間者などとは夢にも思わないが、何か重大な秘密を持っている様に思えてならなかった。
今の政宗様にとって、柚月の存在は絶対だ。
(何を隠しているのかは知らないが、調べてみる必要があるか…)
そんな事を考えながら作物を見て回っていると、何処からか名前を呼ぶ声が聞こえ、小十郎は辺りを見回した。
すると、血相を変えて走って来る兵の姿が見える。
振り返った小十郎が何事かと眉をひそめると、兵は息も絶え絶えに大声をあげた。
「小十郎様!!大変です!!」
「どうしました?」
「魔王…平天大聖軍がこちらに向けて進軍を開始したと斥候から…!!」
「平天大聖!?」
嫌な予感が当たってしまった。
小十郎は仕事を中断し、焦った様に馬に跨がると、兵に声を掛けた。
「私は城へ戻ります、貴方は政宗様へ今の話を伝えに行って下さい、大至急です」
小十郎が平天大聖軍の報告を聞いて数刻後。
柚月と政宗は、まだ湖におり、穏やかな時間を過ごしていた。
ぽかぽかと暖かな木漏れ日の下で、他愛もない会話を交わし、笑い、幸せな時間が過ぎる。
「…でね?小十郎さんってば、小さい事でも嫌味を言ってきて…」
「容易に想像出来るな。でも兵士達の中には、小十郎に嫌味を言われる事で喜ぶ変わった奴もいるんだぜ」
「信じられない…。あ、でもあの綺麗な顔だからなー、逆に癖になるのかも?」
そう呟いて、笑顔で毒を吐く小十郎を思い出すと、苦笑が漏れる。
「そう言えばさ、小十郎さんって昔からあんな怖いの?」
「ん?怖いか?…まぁそうかもな」
「なんかね、いちいち口うるさくてさー」
「…小十郎には言うなよ」
「あは、分かってる」
「最近、それでなくても、目つきが怖いからな」
「それは私のせいかも…」
色々と心配をかけている事は、さすがに自分でも分かっており、柚月は申し訳なさそうに肩を竦める。
「分かってんなら、少し大人しくしてろ。お前が馬に乗りたいと言い出した時は、心配で他の仕事が殆ど進まなかったくらいだからな」
「そんなに?心配性なんだなぁ…」
口では文句を言いつつも、心配してくれている事は有り難く、柚月は嬉しそうに笑みをこぼす。
「なに笑ってる」
「え?いや、小十郎さんに心配かけない様にしないとなーって」
「そんな殊勝なたまか、今度はどんな事件を起こそうかってツラだ」
「し…失礼な」
実際、極度の心配性である小十郎に心配をかけない様にするには、自分の性格はあまりに奔放すぎる。
少し自重して過ごすか…と、見せつけるように深い溜息を吐く小十郎を思い出した時。
猛スピードで近寄って来る馬の足音が聞こえ、柚月と政宗は顔を見合せ、立ち上がった。
「かなり急いでるみたいだな…、なんだ?」
「誰かな?」
湖まで来ている事は話してある為、誰かが来てもおかしくはないが、急ぎ過ぎている蹄の音が気になる。
こんなにも急いでいるという事は、ただならぬ事態が起こったと考える方が普通だ。
何事かと柚月が政宗を見ると、穏やかだった政宗の表情が固くなっている。
「政む…」
「政宗様ー!!」
名前を呼ぼうと口を開くと、柚月の言葉に被せる様に、焦った男の声が辺りに響いた。
そして、馬に乗った兵が姿を見せる。
「政宗様!急ぎにつき、馬上から失礼します!!急いで戻って下さい、平天大聖軍です!!」




