不穏な影
数刻後。
時期が時期なだけに、殆どの宿は満員状態だったが、既に小十郎が兵を使って手を回していたおかげで、柚月と政宗は浜辺に近い見渡しの良い宿でくつろいでいた。
新鮮な海の幸を腹一杯に食べ、腹だけでなく心も大満足だった柚月は、窓辺から見える神秘的な海の景色をぼんやりと眺める。
「…波の音って眠くなるね」
寄せては返す穏やかな波の音に耳を澄ませていると、満腹感も手伝って眠気が押し寄せてくる。
うとうととしながら、自然の奏でる心地好い音楽を聞いていると、政宗が苦笑しながら柚月を振り返った。
「腹一杯で眠くなるって…子供かお前は」
「眠いもんは仕方ないじゃん」
腹一杯に美味しい料理を食べ、眠くなったら本能のままに眠る、…贅沢な夜である。
眠気に逆らわず、用意されていた布団に横になると、柚月は目を閉じた。
「明日は市を見て回るよね、…指輪…見つかるかな」
見付かる事を期待しているのか、それとも見付からない事を望んでいるのか。
自分の気持ちが分からないまま呟くと、政宗は「さぁな」と短く答えて、柚月の隣に横になった。
「…!?ちょっと政宗…!自分の布団があるでしょ!?」
同じ布団に横になった政宗にそう言って上半身を起こすと、政宗は強引に柚月を布団に押し戻す。
「結婚するんだから一緒に寝たっておかしくないだろ」
「結婚は形だけでしょ!!」
そう言い返すと、その口は政宗の唇によって塞がれ、柚月はつい目を閉じてしまう。
優しくも熱い口付けに、柚月は拒む事を忘れ、政宗の首に腕を回した。
このままではいけない。
これ以上、政宗との情を深めてはいけない。
いつかは離れる事になるのだ。
その時に胸を引き裂かれる様な思いをしたくなければ、これ以上政宗に溺れてはいけない。
そう頭では理解しているのに、心が政宗を欲しがる。
柚月は頭と感情がバラバラになりそうになりながらも政宗を拒む事が出来ず、流れに身を任せたまま目を閉じた。
翌朝、柚月が目を覚ますと、隣に政宗の姿はなかった。
一人で先に出掛けてしまったのかと身体を起こすと、ズキリと腰が痛む。
(ぁいたた…、やっぱ私は馬は無理だな)
急激に年を取った様に痛む腰をさすりながら起き上がり、窓に近付く。
「うん、良い天気じゃない」
指輪探しも良いが、今日は明るい内に海に出掛けたいと思いながら室内を振り返ると、ちょうど政宗が戻って来る。
「あ…政宗、何処に行っ…」
話し掛け様と振り返った柚月は、いつもと様子の違う政宗に気付いて言葉を止める。
「政宗?」
「ん…?あぁ、悪い。どうした?」
「どうしたって…こっちの台詞だけど…、怖い顔してどうしたの?」
この眉間に皺を寄せた表情は、以前にも見た事がある。
政宗がこんな顔をしている時は、決まって問題が起きている時だ。
嫌な予感を感じながら問い掛けると、政宗は柚月に服を投げて寄こした。
「お前が気にする事じゃねぇ、さっさと着替えな。市に行くんだろう、売れちまっても知らねえぞ」
そう言った政宗は、いつもの雰囲気に戻っていたが、妙に納得がいかずに頬を膨らませる。
だが聞いた所で教えてくれない事は分かりきっており、柚月は渋々と服に腕を通した。
もちろん、着なれたいつもの制服である。
通りすがる人々には好奇の目で見られるが、着なれない着物で動き回るよりましだ。
着替えを終えて部屋の外に出ると、政宗の他に一人の男がおり、柚月は「おや?」と首を傾げた。
(あの人、よく城で見掛ける…。小十郎さんとよく話してた様な…、兵士さんかな)
この港は政宗の領地であり、政宗の斥候がいる事はさほど不思議ではない。
だが先ほどの政宗の妙な雰囲気と、今話している二人の様子に、何かただならぬ事が起きている様な気がし、柚月は不安そうに二人に近付いた。
すると、政宗は柚月に気付いて兵に片手を挙げる。
兵は政宗に頷くと、柚月に頭を下げて急ぐ様に去って行った。
「…やっぱり何かあったんでしょ」
「んー、何の話だ?」
相変わらず話すつもりはないのか、さらりと逃げられてしまう。
「何話してたの?」
尚も食い下がり、そう問い掛けると、政宗は少し苛立った様に柚月の額を小突いた。
「言っただろう、お前が気にする事じゃねぇ。せっかく市に来たんだ、つまらねぇ事は気にせず楽しめ」
余程言いたくないのか、努めて平静を装う政宗に、柚月は仕方無く頷いた。
「分かった、私には関係ない話みたいだし。気にしない事にする」
そう言うと、柚月は空を見上げ、良い天気になりそうだと、場違いな感想を言った。




