初心忘れるべからず
廊下で出会った小十郎の言う通り、大人しく自室で髪の手入れをしていた柚月は、廊下に人の気配を感じ、襖に視線を障子に移した。
「…弓さん?」
いつもの様に迎えに来たのが弓だと思いながら声を掛けると、襖の向こうにいた気配は少しの間を置いてから返事をする。
「…いえ、柚月様…政宗様がお呼びです」
「え?あ…すみません、すぐに行きます」
返ってきた聞き覚えのない声に、首を傾げながら立ち上がり襖を開けると、やはり知らない女中が頭を下げて柚月を待っていた。
「…あの…弓…さんは?」
廊下の左右を見渡し、他に誰もいない事を確認した柚月は、おずおずと弓の名前を出すが、見知らぬ女中は申し訳なさそうに首を振る。
「…?いえ…存じ上げませんが…」
「そうですか…」
嘘を吐いた事を追及した事もあり、気まずさで顔を合わせずらかった柚月は、少し安心した様に息を吐いた後、急に寂しくなる。
(次に会ったら、いつもの様に接しよう…)
祖母がこの城で亡くなったなど、決して気分の良い嘘ではなかったが、こうして弓に会えない事に比べれば、大した事ではない。
夜になれば、また寒さに柚月を心配しながら部屋にやって来るだろう。
その時は、たくさん話したい事がある。
政宗の事や、小十郎の愚痴。
町へ出掛けた時の様子も聞いていない。
(そうだ、話す事なら沢山ある)
弓と会う事の何がそんなに気まずかったのか。
やっと心が軽くなった様に感じた柚月だったが、心の奥にある小さな不安を振り払う事が出来ないまま、いつの間にか政宗の部屋の前まで来ていた。
部屋の中に入ると、予想していた通り、政宗の他に小十郎の姿もある。
「…来たか、座りな」
「うん」
政宗と小十郎の前、ちょうど正三角形になる等間隔で二人の間に腰掛けると、柚月は弓と会うよりも気まずそうに政宗を見上げた。
(…好きだって気づいちゃうと、なんか気恥ずかしいな)
柚月は恥ずかしさを隠す様に口を開いた。
「それで…?私に話って?」
「あぁ、最初にした約束を覚えてるか?」
「約束…?したっけ…」
何の話かと、宙に視線をさ迷わせながら思い返してみるが、特に思い出される様な事はなく、柚月が首を傾げると、政宗は呆れた様に溜め息を吐いた。
「指輪だよ、市に出る時期が来たら連れて行くと言ったろ?」
「!!」
初心忘れるべからずとは、まさにこの事。
この世界に来て、色々な事件があり過ぎて忘れていたが、確かに政宗とそんな話をした。
元の世界に帰ると言う願望に、やっと手が届きそうになった柚月は、焦った様に政宗に詰め寄った。
「指輪が見つかったの!?どこ!?どこにあるの!?どこ!?」
「…ッおい、落ち着け!見つかったとは言ってねぇだろうが!」
今にも掴み掛かりそうになっていた柚月は、政宗の言葉に我に返った様に座り直した。
「ご…ごめん…」
「…ったく…」
苦笑しながら見つめてくる政宗の視線に、柚月は顔を赤らめながら俯く。
だが政宗は、そんな柚月を一瞥すると、再び口を開いた。
「…お前がここに来て以来、探している指輪が市に出たら直ぐに分かる様、市が立つ日は兵を何人か見に行かせてたんだ」
そう言うと、政宗は手元に置いてあった手紙を柚月に差し出す。
「…?」
俯いたまま、視線だけを上げて紙を見ると、達筆過ぎて読めないが、そこには何かがびっしりと書き込まれていた。
「市に売りに出される一覧だ。…珍しい物に限るけどな。この中にあったぜ、不思議な色の石がついた指輪がな」
「本当ッ!?」
不思議な色の石と聞いたとたん、目を見開いて紙に書かれた文字を食い入る様に見つめてしまう。
「嘘なんか吐いて何になるんだよ。まぁ、お前が探している指輪だと断言は出来ねぇけど、見に行ってみる価値はあるだろ?」
「じゃあ直ぐに行こう!」
居ても立ってもいられず立ち上がった柚月は、急かす様に政宗に手を差し出す。
「早く早く!」
「…相変わらず忙しねぇ女だな、まぁ良いや。小十郎、馬を用意してくれ。市を見に行くついでだ、久し振りに町を見て回る」
「かしこまりました」
今まで話を黙って聞いていた小十郎は、政宗の言葉に頷くと腰を上げる。
そんな小十郎を見ながら、柚月は思い出した様に政宗を振り返った。
「そうだ政宗、弓さん知らない?」
特に深刻な話し方をした訳ではない。
ただ何となく口にした話題だったが、弓の名前を出した瞬間、政宗は動揺した様に眉をひそめる。
「…政宗?」
「柚月様」
何かあったのかと名前を呼びながら首を傾げた柚月に答えたのは、政宗ではなく小十郎だった。
急に変わった場の空気に、不安になりながら小十郎を見上げると、小十郎は耳を疑いたくなる言葉を柚月に突き付ける。
「弓なら…私が暇を出しました」
「…暇?暇って…まさか…」
「えぇ、もう城にいません。…柚月様には別の世話役をつけます、それまで待っ…」
「ちょっと待ってよ!暇って…言い換えればクビって事ですよね!弓さんが何をしたの!?」
さも大した事なさそうに話す小十郎に頭に血が登った柚月は、怒りにまかせて立ち上がると、小十郎を睨み付けた。
「…瑣末な事です。柚月様が知る必要はありません」
「何で!!弓さんは私の世話役でしょ!…あ、ちょっと待ってよ!!」
怒鳴る柚月を無視し、部屋を出て行ってしまう小十郎を追い掛け、慌てて廊下に出るが、小十郎は足を止める事なく立ち去ってしまう。
そんな小十郎の後ろ姿を憎々しげに見つめていた柚月は、諦めて襖を閉めると政宗を振り返った。
「政宗…」
説明を求めて政宗を見るが、政宗は切長の目を伏せており、長い睫毛が視線を隠している。
「ねぇ、どういう事なの?何で弓さんがクビ…いや、暇を出されたの?」
予期せぬ別れに納得がいかない柚月は、泣きそうな顔で政宗に詰め寄るが、政宗は何かを思案している様に柚月から目を逸らす。
「政宗…!」
「柚月、聞き分けろ。それより市に行くんだろ、さっさと用意…」
「行かない!!」
「…はぁ?」
「私行かない、弓さんが戻って来るまで行かない!」
「あのなぁお前…」
驚いた様な顔をする政宗を涙が溜まった目で睨むと、柚月は悔しそうに唇を噛みしめる。
そのまま政宗に背を向けると、柚月は逃げる様に部屋を飛び出した。




