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瓦解

とある屋敷の一室。

香の焚かれたその部屋には、いつかの時と同じく、見知らぬ女と弓の姿があった。


「何ですって!?」


以前と違うのは、弓がおどおどとした様子で俯いている事と、対面している女が怒りに震えた様子で弓を睨み付けている事だ。


「弓…今何て言ったの?もう一度言ってちょうだい」


「…これ以上…、柚月様を裏切る事は出来ません」


聞き違いであって欲しい…、いや寧ろ言い直せと暗に命令するかの様に女が問い掛けると、弓はうつむいたまま、消え入りそうな声で答える。


「はぁーッ…、何を馬鹿な…」


怯えながらもはっきりと自分の意思を伝える弓に、大袈裟な溜め息を吐くと、女は苛ついた様に首を振ってみせた。


怒りのせいか、女の口元はわなわなと震えているが、弓は気が付かない振りをしながら俯く姿勢を続けている。


「…自分の言っている意味が分かっているの?」


「…はい…」


「母親の死後、ずっと自分を育ててくれた病弱で優しいおばあちゃん、…それを見捨てるの?それも、対して面識のない女一人の為に」


なんて薄情な…と吐き捨てながらそう言うと、弓は一瞬だけ身体を反応させ、顔を上げた。


「お嬢様…こんな事をしても無駄なのです、政宗様の目には…柚月様しか映っては…」


「黙りなさい!私だって伊達政宗になど興味はない!」


「…ッ」


「興味のない男の愛情など欲しくもない!欲しいのは伊達の血だけよ!」


「お…お嬢様…」


「伊達に入り、子さえ生めれば、男の情が他の女にあっても構わない」


「いいえ…いいえ!お嬢様が政宗様に選ばれる事はありません、絶対に!」


「無礼な!!」


怒りが抑えきれなくなったのか、女は手元にあった湯飲み茶碗を投げ付けながら、鋭い視線を弓に向ける。


「…弓、誰のおかげで今まで生活してこれたと思ってるの?…考え直しなさい」


精一杯に怒りを抑え、諭す様に優しく話し掛けるが、弓はゆっくりと首を横に振ると、女を見つめた。


「いいえ、お嬢様。私はこれ以上、柚月様を裏切れません」


「全く…なんて恩知らずな…、城で働けなくなっても良いのね?今後城で働けないように手を回す事も出来るのよ?」


溜め息を吐きながらそう言う女に、弓は低く頭を下げる。


「…はい、元々…私には高望みな仕事でした。そんな器ではないのです」


迷う事なく答えた弓を見ると、これ以上は時間の無駄だと思ったのか、女は弓に背中を見せる様に体制を変えて座り直した。


「そう…分かったわ、下がりなさい。お前を過大評価していた様だ」


心底幻滅したかの様に言われた弓は、申し訳なさそうに頭を下げると立ち上がる。


「お嬢様、最後に一つ宜しいでしょうか?」


「……」


答えはないものの、女は視線だけを弓に向ける。


その目は鬱陶しそうに弓を睨み付けているが、弓は気圧されずに口を開いた。


「…お嬢様の命令で毒薬を盗み、柚月様の文箱に入れたのは私だと…、片倉様にお伝えします」


「…なッ!?」


弓の最後の言葉に女は焦りながら立ち上がるが、弓はそんな女に一礼すると部屋の襖を開ける。


「ま…待ちなさい弓!」


引き止める言葉は聞こえていたが、無視したまま部屋を出ると、弓は最後に再び頭を下げて襖を閉めた。


「…弓ぃッ!!」


女はしっかりと閉められた襖に向かって声を掛けるが、その襖が開く事はなかった。











同日、戌刻。

いつもならば既に褥に入っている時刻だが、色々な事が起こりすぎ、なかなか寝付けなかった柚月は、月を見る為に庭先に出ていた。


肌を刺す様な冷たい空気に身震いするが、何故か今はその冷たさが心地よい。


「…はぁー…ッ…」


夜空を見上げ、心の中に溜まったモヤを吐き出す様に溜め息を吐くと、背後から足音が聞こえ、柚月はゆっくりと振り返る。


「…やっぱり政宗」


姿を確認する前から、近付いて来ているのが政宗だと何故だか分かっていた柚月が微笑み掛けると、政宗は片方だけの目を細めながら近付いて来る。


「眠れねぇのか」


「んー…、まぁね」


そう返事をしながら、柚月は再び夜空を見上げる。

だがそこには期待していた月の姿はなく、柚月は悲しげに白い息を吐いた。


「今夜は月が出てないね」


「新月にはまだ早いはずだ、おそらく隠れてるだけだろ」


そう言って隣まで歩いて来た政宗は、つられる様に夜空を見上げた後、柚月を振り返る。


「…これから朝方に掛けて寒くなるぞ、部屋に戻った方が良い」


「…うん、もう少し…ね。戻っても…寝れないだろうから」


「柚月…」


「政宗は?寝ないの?」


「…まぁ、俺も同じだ」


「ふーん…」


自分から聞いておいて、余り興味が無さそうに呟くと、柚月は夜空から政宗に視線を向ける。


「ねぇ政宗、私の部屋に来ない?」


「…はぁ…?」


「い…ッ…いやその!こ…ここじゃ寒いし、…でも一人で部屋にいると…なんか悪い事ばかり考えちゃうし!い…嫌なら良いんだけどッ!」


驚いた様な顔をした政宗に、誤魔化す様に早口で答えた柚月は、焦った様に両手を振る。


「ごめん、変な事言って…私部屋に戻るね!!」


雰囲気に飲まれてしまったのか、部屋に誘った事を後悔した様に背中を向けると、政宗は柚月を背中から抱きしめた。


「…ッ?政宗…!!」


「まったく、いつから此処にいたんだよ?身体が冷えきってるじゃねぇか」


「…あ…あの…」


抱きしめられた瞬間、あの夜の出来事がフラッシュバックし、柚月はしどろもどろになりながらも、自分を抱きしめる政宗の腕に手を添えた。


「…政宗…、わ…私…」


心臓が破裂しそうな位に脈打っている。


だが夜風よかぜに冷えた身体を暖める様な政宗の体温は心地好く、柚月は拒む事を忘れて目を閉じた。


「…あったかい…」


以前と違い、拒まない柚月に安心したのか、政宗は柚月に頬を寄せる。

その頬はひやりと冷たくて柔らかい。


「…よし!明日は寝坊覚悟で、今夜は夜更かししようぜ!」


例え柚月が何と答えようが離す気はないと言いたげに、政宗は抱きしめる腕に力を込める。

その腕の力強さに、恐怖どころか包み込まれる様な安心感を感じた柚月は、からかうように頷いた。


「仕方ないなー、付き合うよ」


「もし小十郎の奴に説教くらう事になったら、同罪でお前も同席させるからな」


政宗が楽しそうに呟くと、タイミングを見計らったかの様に強い風が吹き抜け、夜空を覆っていた雲が流れて行く。


そこには、政宗を象徴する上弦の月が浮かんでいた。



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