鬼の忠義
その後自室の前まで戻った柚月は、部屋の前で待っていた弓に気付いて足を早めた。
「弓さん!」
「柚月様」
駆け寄る柚月に頭を下げた弓は、心配そうに顔を上げると柚月の両腕を掴んだ。
「良かった…!もう会えないかと…!!体調は如何ですか?」
まるで数日会っていなかったかの様に柚月の全身を見回す弓に苦笑すると、柚月は小さく息を吐いた。
「あはは…、相変わらずですね。とにかく中に入りませんか?聞きたい事があるんです」
部屋の襖を開け、弓を中に促しながら部屋に入ると、柚月は廊下に人の気配がない事を確認して襖を閉める。
「柚月様…あの…、話とは?」
「うん、…まぁ座って下さい」
空いた座布団を勧めながら腰を下ろすと、弓も習う様に座布団に座り込む。
「それで…?柚月様…お話とは何でしょう」
佇まいを直し、改めて聞いて来る弓を見つめると、柚月は悪い事をしているかの様な居たたまれない気持ちで話を切り出した。
「弓さん…弓さんは私に、お祖母さんが天守で亡くなったって言いましたよね」
「…?…はい」
何の話なのかと、柚月の言葉の真意を図りながら答えているのか、弓の返事は遅い。
「…単刀直入に聞きますね、その…お祖母さんは本当に亡くなったんですか?」
「柚月様…一体…、な…何を…」
「片倉さんに聞きました、弓さんのお祖母さんは生きてるって」
「そ…それは…」
「私に言った事は嘘だったんですか?」
「柚月様…!まさかそんな…!私が柚月様に嘘など言うはずが…」
「じゃあ片倉さんの言っていた、弓さんのお祖母さんって言うのは…誰なんですか?
願う様に問い掛けると、弓は何も言わずに黙り込み、何かを思案している様に俯く。
「弓さん…!私に嘘は吐かないで下さい。私…私は弓さんが好きです。この世界に来て…、すごく親切にしてくれた弓さんが…だから…」
「柚月…様…、わ…私は…」
動揺しているのか、弓の声は震えており、柚月はそんな弓を見ていられなくなると、辛そうに顔を伏せた。
ずっと黙り込んでいる弓の姿は、或いは身に覚えのない事で責められ、傷付いている様に見える。
だが柚月の目には言い訳を考えている様にしか見えず、弓に対する信頼の情が薄れて行くのを感じる。
「…もぅ…良いです」
「…?柚月様?」
「これから先、もう二度と嘘を吐かないでくれれば、それで良いです」
「柚月様…」
「話は終わりです、行って下さい」
「あの…」
「行って下さい」
やっと腹が決まったのか、何かを言い掛ける弓に短く言い捨てると、柚月は目を閉じ、聞く意思を持たないと暗に弓に主張する。
「…分かり…ました」
目を合わせようとしない柚月から辛そうに顔を逸らしながら立ち上がると、弓は頭を下げて襖を開ける。
その後、引き止めて貰える事を期待する様に、視線だけを柚月に動かすが、結局何も言わずに部屋を立ち去った。
部屋に一人きりになった柚月は、弓を追い掛けたい衝動に駈られるが、柚月もまた、弓を追い掛ける事はしなかった。
同日の夕刻。
自室で責務に追われていた政宗は、苛ついた様に筆を置き、溜め息を吐きながら半紙を丸める様に握りしめた。
「…政宗様?どうされました?」
同じく部屋の中で民からの上奏に目を通していた小十郎は、上奏から顔を上げると政宗を振り返る。
「……」
「政宗様…」
何かを考え込んでいる様に眉間に皺を寄せる政宗を見た小十郎は、やりきれない様に首を振ると、上奏に視線を戻す。
すると、政宗は舌打ちをしながら背中を向けている小十郎を振り返った。
「…小十郎」
「はい」
名前を呼ばれた小十郎は、返事をしながら再び政宗へ視線を動かす。
「…これから話す事は、柚月に対する個人的な感情抜きで聞いてくれ」
「…分かりました」
素直に首を振った小十郎を胡散臭げに見つめた政宗は、その場に正座をし、居住いを正した小十郎を見届けた後に口を開いた。
「…あいつ…柚月が天守で女を見た事は事実だとして話す、…良いな?」
「…お聞きします」
「…まず…、天守で女を見た時点では、柚月は女を幽霊とは思っていなかったはずだ。だとすれば、後から何かを聞いて、天守で見た女を幽霊だと思った事になる。ここまでは良いか?」
「…えぇ、ですが政宗様…幽霊などお信じになるのですか?」
「お前と幽霊談義をするつもりはない。幽霊の存在云々は後だ」
話に横槍を入れる小十郎を睨みながらそう言うと、政宗は話を続ける。
「どんな内容にせよ、柚月に天守の話をした奴がいるはずだ。…それが幽霊の噂話かあの事件の事なのかは、二の次だ」
畳み掛ける様に話す政宗を、じっと見つめていた小十郎は、ゆっくりと目を閉じ、そして開いた。
「政宗様、一つ…お聞かせ下さい」
「…何だ」
「政宗様は、あくまでも柚月様をお信じになるのですね?」
「何が言いたいんだよ?」
「お答え下さい。あの娘は…政宗様にとって、信じられる存在なのか」
真っ直ぐに自分を見つめる小十郎の瞳に、抗えない意思を感じたのか、政宗は同じく小十郎を真っ直ぐに見つめ返す。
「言わずもがなだ、…俺はアイツを信じる」
決心は固いのか、迷いなく答えた政宗を見た小十郎は、諦めた様に苦笑すると頷いた。
「分かりました。政宗様がそう仰るのならば…、私もあの娘を信じましょう」
「小十郎…」
冷たく凍り付いていた柚月に対する小十郎の感情が、少しだが溶けた事に気付いた政宗は、安堵した様に息を吐く。
すると、小十郎は辺りを気遣う様に声をひそめた。
「因みにですが政宗様…柚月に天守の話をした者ならば、見当が付いております」
「…は?どういう事だ?」
驚いた様に声を荒げた政宗とは反対に、小十郎の脳裏には柚月の言っていた言葉が浮かんでいた。
「…弓さんのお祖母さんの幽霊を探そうと思って…」
確かにそう言っていた。弓の祖母、と。
もし柚月が言っていた事が事実ならば、おそらく柚月に天守の話をしたのは…。
「…小十郎?」
「…?あ、はい。申し訳ありません」
しばしの間物思いに耽ってしまっていたのか、名前を呼ばれた小十郎は一瞬だけ驚いた様に身体を反応させる。
「どうした?…誰なんだ、柚月に天守の話をしたのは」
「いえ、まずは裏を取ってからお話し致します」
迷っている様な小十郎に気が付いたのか、政宗はそれ以上の追求はせずに口をつぐむと、再び筆を手に取った。
「ならその件はお前に任せるぞ」
「お任せ下さい」
そう力強く返事をすると、小十郎は部屋を出ていく。
一人になった政宗は、ぼんやりと手にした筆を見下ろすと、悲しげに目を細めた。
「天守閣の幽霊…か」
そう呟いた言葉は、誰に聞かれる事なく、夜の帳が落ちかけた夕闇に消えて行った。




