忘れえぬ過去の亡霊
何故、どうして。
そんな言葉ばかりが頭の中を駆け巡る。
「柚月様…。ご説明頂けますか?事と次第によっては只ではすみませんよ」
何も言わず、真っ青な顔で立ち尽くす柚月を、今すぐにでも捕えそうな小十郎だったが、数刻前の事を思い出していた柚月の目には映ってはいなかった。
茫然と小十郎の手の中にある薬を見つめていた柚月の脳裏には、いま弓の姿が浮かび上がっている。
(弓…さん…?)
いつもなら、勝手に入るはずのない弓が室内にいた事。
そして柚月が戻った時の、見付かってはいけない事が見付かった様な動揺した様子。
(まさか…そんなはず…)
冷静に考えれば、弓が柚月を陥れる理由などないはず。
思わず考えてしまった弓に対する裏切りの様な考えを振り捨てると、柚月は小十郎を見上げた。
「な…何かの間違いです!そんな…私そんなの知らない…!」
「嘘で逃げるつもりなら無駄ですよ?だったらなぜ貴女の文箱から出てきたんです」
「そ…それ…は…」
「何に使うつもりだったのか正直に言いなさい」
「つ…使う!?何に使えって言うんですか!!そんな恐ろしい薬!!」
「私が聞いてるんです。…夜中に天守に行ったと言っていましたが…、本当は薬庫に行ったのでは?」
「く…薬まで私が盗んだって言うんですか?な…何よ、冗談じゃないわ!!いくら片倉さんでも、そんな濡れ衣は許せない!」
さすがに頭にきた柚月が負けずに怒鳴ると、小十郎は少し考える様に柚月を見つめる。
「…埒があきませんね、この件は私が直々に調べる事にしましょう。柚月様、申し訳ありませんが、貴女は監視させて貰います。部屋から一歩たりとも出る事は許しません」
「な…ッ?」
「今度不審な真似をしたら、政宗様に許しを得ずに殺します。命が惜しければ迂闊に動かぬ事です」
有無をも言わさぬ様に言い捨てると、小十郎は柚月の返事を聞かずに部屋を出て行く。
「待っ…!片倉さん!!」
出て行った小十郎を追い掛け、慌てて廊下に出るが、小十郎は呼び止める声を無視し、そのまま立ち去って行ってしまう。
「そんな…」
部屋から出るなと言っていた小十郎の目は、決して脅しを掛けている目ではなかった。
間違いなく、本気の目だ。
仮にもし、柚月が盗んだと勘違いしたまま、この一件を終わらせられてしまったら…。
そう考えるだけで嫌な予感が胸中を支配するが、部屋を出る事を禁止された今、柚月に出来る事は何もなかった。
柚月が自室に体の良い軟禁をされ、不安な夜を過ごした翌日の夕刻。
それを聞いた政宗が、部屋に小十郎を呼び出していた。
「柚月を部屋に閉じ込めてるらしいな」
文台を前に苛ついた様に胡座をかいていた政宗は、小十郎が部屋に入ると筆を置き、単刀直入にそう切り出した。
「…はい、勝手かとは思いましたが、事が事でしたので」
小十郎も呼び出された時点で…、いや寧ろ政宗に気付かれないなどとは毛頭思っておらず、素直に頷くと頭を下げる。
「俺に報告も相談もなくか?」
「…政宗様、柚月様の部屋から毒薬が見付かったのです。例え犯人ではなかったとしても、何の手も打たぬ訳にはいきません」
そう言った小十郎の言い分は正当で、政宗は溜め息まじりに胡座をかき直す。
「まさか本当に柚月が盗んだと思ってないよな?」
「…無論です。ですがせめて、外出禁止くらいはしなければ、他の者に示しがつきませんからね」
「外出…禁止…ねぇ、物は言い様だな。なぁ、小十郎?」
「……」
くつくつと喉の奥で笑いながら名前を呼ぶ政宗に、どうしたのかと小十郎が顔を上げると、政宗は文台の引き出しから煙管を取り出し、火も付けずに口に咥える。
「はぁ…、隠しても無駄だっつーの。お前柚月を信用してねぇだろ?」
「……」
「あいつの何が気に入らないんだよ」
やはりこの方は全てを見透かしておられる…。と自分の浅はかさを悔いた小十郎は、少し逡巡した後、口を開いた。
「…政宗様…、私とてあの盗賊の一件以来、柚月様を見直したのですよ。頭は空っぽですが、他人の為に動ける…根が善人である事は認めます」
「…拐われた女達を助けた事件か」
さりげなく悪口を言った気がするが、突っ込むとうるさそうだ。
政宗は聞こえなかった事にして頷いた。
「はい、ですが…。柚月様は天守にこだわりを見せているのです」
「…ん?」
小十郎が天守と言うと、政宗は小さく声を上げて眉をひそめる。
「"あの事件"を知る者は、私と政宗様…そして一部の女中のみのはず。箝口令をしき、下手に口にした者には罰を与えて来ました」
訥々と語る小十郎に対し、政宗は逆に動揺し始めたのか煙管を持つ手が震えている。
「今は既に事件を知る者はなく、噂も消えています。ですが、柚月は天守で老女を見たと主張しているのです」
「何…?」
「何処かで事件の事を知り、調べに来た可能性があります」
「…あんな森の中で気絶までしてか?」
初めて柚月に出会った時の事を思い出しながら聞き返すと、小十郎は苦い顔をして押し黙る。
「政宗様…貴方はお優しい。ですが、あの事件もそのお優しさが招いた悲劇です」
「……」
何も言えずに手元の煙管を見つめ続ける政宗に溜め息を吐くと、小十郎は話を終える様に立ち上がった。
「とにかく、この一件は私に任せて頂きます」
立ち上がったまま、返事を待っていると、政宗は諦めた様に小十郎を振り返った。
「分かったよ。だが条件がある」
「…何でしょう」
何となく政宗の言いたい事が分かりつつ、敢えて聞き返すと。
「柚月の軟禁を止めろ。出来なければ、この毒薬の話はなかった事にしろ」
「…分かりました、ですが監視は続けさせて頂きます。宜しいですね」
「…仕方ねえな」
「ありがとうございます」
お互い不本意ながらも、出来る限りの譲歩をすると、小十郎は慇懃に頭を下げて部屋を出て行った。
「……」
結果的に柚月の軟禁は止めさせたものの、その柚月が天守で老女を見たと言う新しい問題を抱えた政宗は、何かを思い出す様に思案に耽るのだった。
政宗と小十郎が話を終えたその日。
軟禁は僅か一日で許されたものの、小十郎に疑われると言う手枷足枷をはめられていた柚月は、下手に動かずに部屋を出る事はなかった。
何度か弓を呼び、話を聞いてみたいと思ったが、何を話せば良いのか見当も付かず、結局誰とも話す事なく一日を終えそうな夜半。
柚月の部屋を訪問する人影があった。
部屋の中では特に出来る事もなく、手持ちぶさたに過ごしていた柚月は、軽く警戒しながらその訪問者を室内に招き入れた。
「政宗…どうしたの?こんな状況で私に会いに来るなんて…」
「いや…近くまで来たから顔を見に寄っただけだよ」
自分が座っていた座布団を政宗に譲り、酒の用意でもしようかと立ち上がった柚月は、浮かない顔付きの政宗に苦笑する。
(…嘘ばっか、何が近くまで来たからよ。この辺に用事なんかある訳ない)
心配し、わざわざ様子を見に来てくれたのだろうと分かる政宗に、心が軽くなった様に微笑むと、柚月は徳利と猪口を手に政宗の前に座り込む。
「…はい」
「お、悪いな」
だが猪口を渡し徳利を差し出すが、政宗は猪口を手にしたまま酒も飲まずに手元を見つめている。
「政宗?」
どうしたのかと柚月が眉を寄せると、政宗は猪口を畳に置き、真っ直ぐに柚月を見つめた。
「なぁ柚月…お前が天守で見た幽霊の話…聞かせてくれねぇか」




