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すれ違う夜

政宗との話が終わり、自室に戻っていた柚月は、鏡台きょうだいの前に座り込み、鏡に映る自分の顔を眺めていた。


この世界に来てから、ほとんど手入れをしていなかった髪は艶を失い、バサバサになってしまっている。


貰った簪を頭にあててみるが、簪ばかりが綺麗に目立ち、潤いを失い傷んだ髪の醜さが目立つ様だ。


(…こんな派手な髪飾り…似合わない)


毛束を手ですくい毛先を見ると、枝毛もある。


(毛先を少し切らないと痛みが進行しちゃう…)


かと言って、ここにはサロンがある訳でもなく、柚月は仕方なく鏡台の引き出しを開けてハサミを探す。


(毛先だけなら自分で切っても…)


ガチャガチャと引き出しを開け閉めしていると、聞き覚えのある声が柚月を呼んだ。


「…はい」


慌てて簪を懐に隠し、襖を開けると、着替えを手伝ってくれた女中が笑顔で柚月を待っていた。


「あの…何か?」


「先ほど片倉様から、柚月様のお世話をする様に命じられました、弓と申します」


「はい…?…お世話?」


「はい、これから柚月様の身の回りのお世話をさせて頂きますので、改めてご挨拶に参りました」


「え…えっと…その…私は只の居候いそうろうで…」


身の回りの世話など、見て貰う立場でない柚月が、困った様にあたふたと答えると、廊下の奥から小十郎が姿を現した。


「あ…!片倉さん!どういう事ですか…?」


小十郎に気付いた柚月が責める様に問い掛けると、小十郎は平然と弓を見下ろす。


「政宗様のご命令です、これからは、この弓が貴女の面倒を見ます。監視も兼ねていますので…妙な真似はなさらないよう、くれぐれもお願いしますよ」


「か…監視って…」


「何にせよ、一人では着物も着れない貴女には、世話係は必要だと思いますが」


「し…失礼ね!!」


「弓は貴女が城に来る少し前に入ったのですが、彼女の家は昔から伊達家に仕えています。貴女には勿体ないくらいですよ。頼みすね、弓」


「かしこまりました、お任せ下さい!…さ、柚月様…中へ入りましょう」


そう言って柚月の背中を押す弓を見た小十郎は、小さく息を吐くと立ち去ってしまう。


「ちょ…片倉さん!!」


引き止める為に名前を呼ぶが、それを無視していなくなってしまった小十郎に溜め息を吐くと、柚月は仕方なく自室へと戻る。


諦めた様に常備された座布団へ腰掛けると、柚月は改めて弓を見つめた。


「弓さんの家系…?は…昔から仕えてるって聞きましたけど」


「はい、左様にございます。母は早くに亡くなってしまいましたが、数年前まで祖母が城勤めをしておりましたわ」


にこにこと微笑みながら茶を煎れた弓は、頭を下げながら柚月に湯飲み茶碗を差し出す。


「過去形…って事は、今は辞めたんですか?」


年で隠居でもしたのかと、茶碗を受け取りながら聞き返すと、弓は一瞬だけ顔を曇らせる。


「?弓さん?どうかしました?」


「あ…いえ、祖母は亡くなりましたの」


名前を呼ばれ、我に返った弓は慌てた様に答えると、頭を下げた。


「ご…ごめんなさい…!知らなくて…!!」


手渡された茶碗を置いて慌てて謝ると、弓は笑顔で首を振る。


「構いませんわ。この城にいるなら、嫌でも耳になさるでしょうし…」


「…どういう事ですか?」


笑顔を見せた弓に安心しながら茶を啜ると、弓は急須に新しい茶葉を入れながら柚月を振り返った。


「祖母は…この城で亡くなったのです」


「…ゲフッ!…あちちッ!」


「柚月様!!」


「だ…大丈夫…」


「申し訳ありません、私が変な事を…」


柚月が溢した茶を丁寧に拭き取ると、弓は立ち上がって新しい襦袢じゅばんを持って来る。


「柚月様、お召し物を変えてしまいましょう。その着物は洗いますわ」


「あ…はい…」


濡れたままの着物を着ている訳にもいかず、素直に立ち上がると、柚月は着ていた着物を脱ぎ始める。


「あ、そう言えば…」


背中に回り、着替えを手伝っていた弓は、思い出した様に柚月の顔を覗き込んだ。


「そう言えば柚月様、以前に天守へ上がられたと聞きましたが…」


「ん?はい、城の中を見て回っている時に…、どうかしましたか?」


「いえ…祖母が亡くなったのが、天守だったので…」


「はい!!?」


「一度見に行きたいのですが…祖母が天守で亡くなってから、危険だから我ら女中は天守に近付かぬ様にとお達しが下ってしまい…」


そう言って、悔しそうに唇を噛んだ弓を見た柚月の脳裏に、天守閣で会った年老いた女中の姿が浮かび上がる。


(ま…まま…まさか…)


あの日の深夜、天守に行った際、小十郎に会った事から、今まで感じていた不穏な気配や視線の正体を小十郎だと思い込んでいたが、まさか本当に幽霊だったのか。


天守の入り口で会った老女は、弓の死んだ祖母ではないのか。


女中が天守へ上がる事が禁止されているのなら、出会った老女が天守へ上がって行った事もおかしい。


そう考えた瞬間、急に恐怖が甦って来た柚月は、背後にいる弓を振り返る。


弓は悲しそうに目を伏せており、柚月はそんな弓を見て生唾を飲み込んだ。


(確認…してみなきゃ、こんな悲しそうな弓さん…放っておけないよ)


弓が天守へ行けないのならば、自分が行くしかない。


そう考えた柚月は、夜になったらまた天守へ行ってみようと決意するのだった。










その日の夜。

弓も自室へ戻り、一人きりになった柚月は、弓が用意していった布団に座り込んでいた。


時間にして戌刻、現代ではまだまだ人の起きている時間だが、この戦国の世では殆どの人間が寝静まっているか、自室で休んでいる時間だ。


見張りの兵士は起きているだろうが、今なら城の中を歩き回っても誰かに見つかる事は無いだろう。


蝋燭に火を灯して立ち上がると、柚月は襖に近付いて耳を澄ます。


(…多分誰もいない)


音をたてない様に襖を開けて廊下を見渡すと、無人の暗闇が左右に続いている。


こんな暗闇を見ると、あの夜の恐怖をまざまざと思い出し、柚月は足がすくんだ様に襖に寄り掛かった。


(…大丈夫、様子を見てくるだけだから…。それにあのおばあさんが本当に弓さんのお祖母さんなら、どうにかして弓さんに会わせてあげたい)


祖母の事を話していた弓の悲しそうな顔を思い浮かべると、柚月は勇気を振り絞って暗闇の中へと一歩足を踏み出した。


辺りの気配や物音に注意しながら忍び足で廊下を進み、庭に面した廊下まで来た柚月は、見た事もないくらいに大きな満月に気付いて足を止める。


庭先から差し込む月明かりは蝋燭の必要が無いくらいに辺りを照らし、柚月は見惚れた様に夜空を見上げ、感嘆の声を洩らした。


「綺麗…!すごい大きな月…」


現代では地上の明かりが多すぎて目立たない月明かりだが、こうして人工の明かりが無い時代で場所では、月の明るさと美しさが際立つ。


「月…か、確か政宗の前立ては上弦の月だったな…」


二度も自分を助けてくれた政宗は、上弦の月をして作られた前立てを付けており、柚月にとって月は身近な存在になりつつあった。


思わず懐に手を差し込み簪を取り出すと、夜空に掲げて見る。


簪を彩る石は、月明かりに反射してキラキラと光り、柚月は目を細めて微笑むと、再び簪を懐の中にしまい込んだ。










柚月が天守へ向かった数刻後、柚月がいなくなった部屋には政宗が訪ねて来ていた。


何度か部屋の外から声を掛けるが、中からの返事は無く、政宗は小さく息を吐く。


「寝ちまったか…?」


小十郎から縁談話を持ち出されてから何故か落ち着かず、自分でも理由が分からないまま柚月に会いに来た政宗は、起こして良いものかどうかと思案を巡らし、苛ついた様に頭を掻いた。


「…クソ、何してんだ俺は…」


こんな夜更けに、妻でも許嫁でもない女に会いに来て、何を話そうと言うのか。


今まではこんな事はなかった、だが何故なのか柚月の事を考えると妙に落ち着かなくなる。


或いは柚月と話せば少しは落ち着くのかと訪ねてきたが、話した所で何かが変わる訳でもない。


「…結婚…か…」


男子にしては珍しく性欲を持たない無い政宗は、夜伽よとぎをさせる為の女を欲しいと思った事は一度も無かった。


本気で愛しいと思った女がいれば抱きたくなるのだろうが、欲を満たす為に興味のない女を抱こうとは一切思わない。


だがとぎではなく、こうして落ち着かぬ夜に話をする為に妻という存在を持つのなら、それも良いのかも知れないと今は思う。


「…戻るか…」


結局疲れて眠っているであろう柚月を起こす事に罪悪感を感じた政宗は、しつこく声を掛ける事をせずにその場を立ち去った。


寝室に戻るまでに何度か柚月の顔を思い出し、足を止める事はあったが、その都度、政宗は迷いを振り切る様に首を振る。


柚月を思い出す度に高鳴る胸。

この気持ちは何なのか。


懸想けそうしたとでも言うのか?いやいや、まさか。しっかりしろよ…俺…」


声に出して自らを戒めると、政宗は足元を照らす月明かりに足を止める。


夜空を見上げると、そこには柚月が見上げている月と同じ月が政宗を見下ろしていた。

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