小さな宝物
着替えを手伝ってくれた女中に連れられ政宗の居室まで来た柚月は、襖の前で待っていた小十郎に気付いて足を止めた。
「あ、片倉さん」
「…遅い。この私をこうも待たせるとは…」
「えぇ?着替えてすぐに来ましたよ…。急いでたんですか?」
そう言いつつも、開口一番のいつも通りの刺々しい台詞に安堵する。
やはり優しい小十郎は気持ちが悪い。
「いえ、構いませんよ。貴女を待っていた間に終わらせられたであろう仕事がどれほどあったかなど…、貴女にはご興味のない事でしょうから」
満面の笑顔でそう言われ、柚月は前言撤回、と心の中で舌を出す。
すると居室の中から政宗の声が聞こえてきた。
「誰か来たのか?」
声を掛けられ振り向いた小十郎は、柚月を連れてきた女中に下がる様に命じると、居室の中へと声を掛けた。
「えぇ、柚月です」
「入って良いぞー」
中から政宗の返事が聞こえると、小十郎は一歩下がって柚月に室内に入れと目で示す。
襖を開き中に足を踏み入れると、書き物をしていたのか、文机に向かっていた政宗が柚月に顔を向けた。
「よぅ、具合はどうだ?」
「別に平気、多分疲れただけ」
「なら良かったな、急に倒れるから肝を冷やしたぜ」
安心した様に頷くと、政宗は持っていた筆を文箱に置いて小さく息を吐く。
「…疲れてるのは政宗の方みたい」
「ん?あー…民からの上奏が絶えなくてなー、まぁ座れよ」
言われた通りに顎で示された座布団へ腰を下ろすと、柚月は待ちきれない様に口を開いた。
「ねぇ政宗、女の子達は無事なの?盗賊は捕まえた?」
「そう急くなよ、その事を話そうと呼んだんだ」
呆れた様に言われ、柚月が不貞腐れて黙り込むと、政宗は溜め息と共に苦笑する。
「取り敢えず…村の女達は無事なんだが、柚月…お前、助けた女達に俺の名前を言ったか?」
「…え?…あぁ…うん、言った…かも?」
困っている様な雰囲気に、何かあったのかと恐る恐る答えるが、政宗は「そうか」とだけ返事をして押し黙ってしまう。
何やら話し掛けずらい表情の政宗を見た柚月は、何かあったのかと問いただしたい気持ちを抑えて、じっと次の言葉を待つ。
すると、やっと決心がついたのか、政宗は落としていた視線を柚月に向けた。
「…村でお前の事が噂になってる」
「はい?噂?」
「あぁ、何者なのか俺とどんな関係なんだ…ってな。村にその後の様子を見に行った兵達がうるせぇくらいに聞かれたんだとよ」
「…私が政宗の名前を出したから?」
「そういう事だな。運良く小十郎の耳には入ってねぇが、あいつの事だ…知ったらまたうるせぇだろう。あいつの耳に入らねぇ様に箝口令だな」
冗談混じりにそう言うと、政宗は真っ直ぐに柚月を見つめた。
「とにかく、今後は言動に気を付けろ」
「…ごめんなさい」
政宗の名前を出す事が、どれだけ大変な事だったのかが分かった柚月は、申し訳なさそうに目を伏せる。
元の世界である現代と今いる世界では、全てに於いて異なる事を、柚月は肝に命ずる必要があった。
今後、この国に住む人達は、柚月の後ろに政宗の姿を見る事になるだろう。
こうして自国の民を大切にする政宗が、自分の愚かな行動一つで国の人々から暴君と言われてしまうかも知れない。
自分の行いの皺寄せは、全て政宗に行く事になるのだ。
政宗が必死に民を守り、慈しんでも、それが無駄になってしまう。
信頼は得難く、そして崩れやすいもの。
だがそれでも怒っている様子を見せない政宗に、改めて懐の広さを知ると、柚月は自分の浅はかな行動を悔いる様に、自然と流れてきた涙を拭った。
「…どうした?どこか痛むのか?」
「…違…ごめん…迷惑かけて…。私…簡単に考えてて…」
自分の情けなさに止まらない涙を柚月がゴシゴシと擦ると、政宗は穏やかに微笑んだ。
「勘違いすんな、お前を呼んだのは叱る為じゃねぇんだって」
「?」
涙と共に流れてくる鼻水を啜ると、柚月はもぞもぞと政宗の傍に近付く。
「…なに?」
「手ぇ出せ」
「何で」
「いいから出せ」
「……」
何を考えているのかは分からないが、渋々と出した柚月の手に、政宗は綺麗な石がついた簪を握らせた。
「…かん…ざし?」
「お前の探してる指輪じゃねぇが、使われている石は、この奥州じゃ珍しいもんだぜ」
確かに政宗の言う通り、簪には柚月が無くした指輪の様な不思議な色をした石が付いている。
「綺麗…でも何で私に…」
「今回、村の娘達を救ってくれた礼だ。いつも髪を下ろしてるが、たまには上げて簪でも差しな」
「……」
驚きのあまり、茫然と手元の簪を見つめていると、政宗は柚月の頭を叩いた。
「おい、起きてるか?」
「…へ?あぁ、もちろん」
話し掛けられた事で、ようやく我に返った柚月は頭を叩く政宗の手を振り払う。
「ちょっと!私の頭は太鼓じゃないんだから!!」
「悪い悪いとにかく話はこれで終わりだ、もうしばらくは城から出るなよ」
「分かってる、大人しくしてるよ」
「良い子だ、部屋に戻りな」
「子供扱いしないでよね」
小馬鹿にされた様な気がし、不機嫌さを隠さずに政宗の居室から出ると、ずっと待っていたのか、入れ代わりで小十郎が居室に入って行く。
廊下に一人きりになった柚月は、改めて貰った簪を見つめ、溜め息を洩らした。
「…意地悪なんだか、優しいんだか…全く…」
そう呟きはするが何故だか嬉しくもあり、柚月は簪を握りしめると、不思議とにやけそうな顔を引き締めながら自室へと歩みを向けた。
柚月が居室の前から立ち去った後、様子を窺う様に襖を開けて廊下を覗き込んだ小十郎は、軽く息を吐くと襖を閉める。
「政宗様が女性に何かを贈るなど初めてですね」
室内を振り返りながらそう言うと、小十郎は政宗の前に腰を下ろした。
「…見てたのか?」
「聞こえたんです」
平然と答える小十郎を睨み付けると、政宗はあからさまに舌打ちをして見せる。
「同じ事だろ?…何処から聞いてたんだよ」
「民の噂話の辺りですね」
「思いっきり最初からじゃねぇか!…ったく」
呆れた様に呟いた政宗は改めて小十郎を見る。
「柚月を責めるなよな」
「承知致しました」
頭を下げながら返事をする小十郎に安心した様に頷くと、政宗は忙しそうに上奏を開いた。
「…で、話は何だ」
「責務中に申し訳ありませんが、縁談の事で急ぎお話が」
上奏に目を通していた政宗は、縁談と聞いた途端に不機嫌そうに目を細める。
持っていた上奏を投げ捨てる様に畳に置くと、再び小十郎を睨み付けた。
「またか、まだそんなつもりはねぇって言ってるだろ?」
「我が儘はいけません、今すぐ正妻を娶れと言っている訳ではないのです。力のある豪族の娘との縁談を先延ばしにするのは、政宗様の為になりません」
「ふん、確かに豪族の娘を嫁に迎えれば、後ろ楯が増える。だがその分、豪族に権力を与える事にもなるだろうが」
「政宗様…」
苦虫を噛み潰した様な顔で吐き捨てると、政宗は犬猫を追い払う様な仕草を見せる。
「その話は終わりだ、下がれ小十郎」
「…柚月が現れてから、さらに縁談の話に頑なになりましたね」
「どういう意味だ」
「いえ、言葉が過ぎた様です。申し訳ありません、私もこれで失礼します」
そう言って立ち上がった小十郎は慇懃に頭を下げると、部屋を出て行ってしまい、政宗は苛ついた様に拳で膝を叩いた。
「くそ…」
低く吐き捨てられた言葉は、静まり返った室内に響き、政宗は気分が乗らなくなった様に上奏から目を逸らす。
「…なんだよ小十郎のやつ…柚月がなんだってんだよ…」
柚月が城に来てから数日、確かに柚月の事を考える時間が増えた。
だがその理由までは分からず、政宗は深呼吸しながら目を閉じた。




